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【3rd】BECOME HAPPY!
BECOME HAPPY!
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(1)
“ジズ”は、プリズムの魔法陣を睨んでいる。
2枚の輝く魔法陣が、ジズの視界を覆い、その進路を完全に塞いでいる状態だ。
ミラノはそれを確認して、2歩後ろにいるエステリオに声をかける。
「エステルさん、パールをお願いします」
全部を言い切る前に、エステリオはさっとパールフェリカの腕を引き上げ、その背にひょいと負い、立ち上がる。
同じように立とうとしたミラノは、しかし下を向いて目を閉じ、右手を床に付いた。たっぷりと10秒数える間そうしていると、ネフィリムがつけた護衛のレザードが、屈んでこちらを覗き込んで来た。
「ミラノ様? どうかなさいましたか?」
声にミラノは目を開き、顔を上げた。酷い立ちくらみがして、エステリオの後をついて立つ事が出来なかったのだ。
「いえ…………パールは?」
ミラノが立ち上がろうとすると、レザードがそっと手をかしてくれた。ミラノの問いには、視線だけを向ける。バルコニーから室内に入ってすぐの辺りで、待ってくれている。エステリオにとって、パールフェリカとミラノはセットらしい。
重厚な鎧に身を包んだラナマルカ王らは皆、魔法陣の辺りを指差すなどしてざわめいている。その声を一つ一つ聞き取る気には、ミラノはなれない。今はまだ、やらなければならない事が残っている。
室内に入り、人目の無い柱の影、死角へと入り込むと、ミラノは足を止めた。その足元に、外のものと同じ七色の魔法陣を生み出す。輝く魔法陣が4人を下から照らす。
傍に居たレザードが慌ててミラノの手を離し、一歩退いた。
「これ!?」
ジェスチャーが通じるのかわからないが、ミラノは人差し指を唇に縦に当てた。
「…………!」
目を丸くしているエステリオと、あんぐりと口を開けているレザードの前で、ミラノは回転するその魔法陣の中にストンと飲み込まれ、消えた。
「……え!?」
レザードが追いすがり、膝を付いて拳で床を打った。だが、ミラノの消えた魔法陣に拳はただすり抜け、床は硬いだけだった。3度殴った頃、魔法陣は掻き消えた。
「そんな………………返還術? え? 召喚の陣でしたよね??」
レザードは呟き、エステリオを振り返った。彼女は背中のパールフェリカを揺らしながら、首を縦に大きく振るばかり。
「今のは、返還の文様ではなく、召喚の文様の、裏面……? ……………………逆、召喚……? いやでも……そんなまさか……」
魔法陣の輝きが失せて、室内の片隅は暗くなる。薄暗い中、エステリオとレザードは、しばらく身じろぎも出来なかった。
“炎帝”は、あの巨大な怪鳥に激突され、大きく傾いでネフィリムを落とした。
──死んだと思った。
ところがすぐ暗闇に飲まれて気付けば、この樹の、自分の身長と変わらない高さにある枝の上に居た。慌てて身を起こそうとして、地面にずり落ちた。どことも言えない、体が痛くて、とりあえずその樹の幹に腰を下ろしていた。
周囲は斜面のある森。背の低い多種の草や低樹木があちこち伸びているが、獣道さえ見えない。木々が間隔を開けて生えているが、上の方の枝と葉は、溶けている。ジズの光線が掠ったのだろう。
見上げると、怪鳥はまだ空を埋めているが、あの虹色に輝く魔法陣もまた、ゆるゆると回転を続けている。空は明るく、その明度そのものが、怪鳥と魔法陣の対立の力関係を示し、既に怪鳥に分が無いものと思わせる。怪鳥は魔法陣を睨んだまま、ゆったりと羽ばたいているだけだ。困惑でもしているのかもしれない。
風に、かろうじて残っていた木々の葉が大きく揺らいで、時折ぱらりぱらりと落ちてくる。
ここから王城へ徒歩で帰るには遠く、迎えを期待するには危険すぎる。
どうしたものかと息を吐き出した、その時。
空を見上げていたネフィリムの傍、5歩の距離に、虹色に輝いて回転する魔法陣が生まれた。
ぎょっとしてそちらを見ると、さらに驚かされる。
そこからにょきり現れる──ミラノ。
「!?」
魔法陣の輝きに照らし出されるその姿は“人”と思えず、慌てて退いてしまって、もたれていた樹でしたたか背を打った。地面の土にブーツで掻いた跡が残った。
目にした事が信じ難い。幻ではないか。
現実ならば、とんでも無い事だ、何をしたのかよくわからなくとも、とんでも無いはずだ。
ミラノは突然、ここに召喚されたように現れた。誰が召喚した。いや、ミラノを召喚出来るのはパールフェリカしかいない。
この深い森の、ネフィリムが落下したという場所を誰が特定してパールフェリカを連れて──いや、この短時間にそれは不可能だ。それに、こんな危険な、ジズの足元に来れるものか、空を舞い飛んだとしてもジズに見つかり撃ち落される。それでも、ネフィリムは辺りを確認した。
ミラノ1人しか、居ない。
あっさりすぎる。唐突すぎる。
──幻でも見ているのか、自分の方が幻にでもなったか、理解が追いつかない。
「……ミラノ……?」
「はい?」
ミラノの足元の魔法陣は、彼女が足を踏み出すと地面に溶けるように消えた。ざりざりと、土と草を踏む音がはっきりと聞こえる。
「ミラノ……何をしたんだ?」
問うとミラノは足を止め、一度瞬いた後、緩く首を傾けた。
「……よく、わかりません」
その、いつもの仕草にネフィリムはぷっと笑う。
「……つ……いたた……」
反動で、どこかの怪我が軋む。樹にもたれかかるネフィリムの真横までミラノは近寄って来る。痛みがちゃんとあるのだから、やはり自分は死んだのでも、幻になったのでも無さそうだ。
ミラノも、半透明の“霊”などではないし、実物のようだ。幻を視ているわけでも、ないらしい。
「──無茶をしますね。危険だからフェニックスには乗らないと言っていませんでしたか?」
隣で両膝を折ってしゃがむミラノから、ネフィリムは顔を逸らして表情を隠す。
「あの状況では仕方がない。私がなんとかするしかなかった」
ミラノはほんの少し沈黙して、立ち上がった。
「人を呼んできます」
そう言って去りかけるミラノの腕を、片膝を立てて追ってネフィリムが掴んで止めた。
「……痛くないんですか?」
「いや……痛い……あちこち……」
膝立ちのネフィリムに引っ張られ、立ってはいるがミラノは腰を曲げている。
「おとなしく座っていて下さい」
そんな言葉が出るのなら、やはりあの魔法陣はミラノが出したのだろう。先程ここに現れた時の魔法陣も、上のものと同じ色だった。座っていろと、あれがあればもう大丈夫と、そう言っているようだ。
「ミラノが横に居るなら、座る」
「……………………………………なんだか……いえ、いいです」
ミラノは何か言いかけてやめた。
樹にもたれるようにネフィリムは再び腰をおろし、ミラノは握りこぶし程の距離を開けて、隣に座った。
「パール、気絶してしまいました」
ミラノの言葉にネフィリムはやや落胆する。
「召喚術を使ったのか」
ミラノは緩く首を傾げる。
「……少し」
空にはいまだ2枚のプリズムの魔法陣がキラキラと残っていて、端からじわじわと光を放つ。輝きは鱗粉のように、雪のように辺りに降り注いで、世界を明るく照らし続ける。誰もが、既に日が暮れ、空が黒い雲に覆われている事を、忘れてしまうほどに。雪解けの山を、朝陽が溶かすように、見上げれば、どこまでも美しい。
「………………」
ミラノの少しという程度がわからない。あれだけ巨大な魔法陣を2枚も張っておきながら。
「あなたが飛び込んで……みんな、心配していましたよ」
「──ああ…………。だが、ああしなければ護れなかった」
「いざとなれば、リヴァイアサンの時のように──」
「だから、パールも君も、護れなかった。ああしなければ……」
バレなけれあば良いという発想で、異なる色の魔法陣を使うという離れ業をミラノはやってのけたが、それは結果だ。
「………………エルトアニティ王子、ですか」
ふっと笑うネフィリム。
「弱国はつらいなぁ」
珍しい、自嘲めいた笑みに、ミラノは口を挟めない。国の事は、わからない。
「…………」
「だが、ミラノは色の違う魔法陣で召喚術を使ってしまうんだものな、常識からかけ離れすぎている。1人1色以外、無いんだぞ?」
ネフィリムはミラノの方を向いて、口角を上げて言った。その目線がふと、ミラノの襟元に移る。
「それは……クーニッドの水晶?」
ミラノの鎖骨より少し下辺り、ネックレスのペンダントが光っていた。石の中心から、うっすら光が漏れ出るような、そんな光り方だ。これは、クーニッド産の水晶だとミラノは聞いている。
「ええ。そういえばパールも言っていました、時々光る、と」
「クーニッドの水晶の光は、“神”の言葉とも言われているが。こんな小さなものまで光るのは、どういった意味だろう。大岩が光る時、神の召喚獣が召喚されるとしか伝わっていないから」
「そうですか……」
ふと、ミラノは空を見上げる。怪鳥ジズはミラノの張った魔法陣を見つめている。まるで、何かに命じられでもしているかのように。
「少し時間がかかっていますが、もう少し……」
水平にあった魔法陣が、キラキラと光の粉を撒き散らしながら、じわじわと動き始め──……一気にぐるんと270度回転する。ジズを挟み、飲み込みながら、垂直にあった魔法陣とぴたりと、あわさる。
ジズは、水平にあった魔法陣に押され、垂直の魔法陣の中に押し込まれるように、消えた。返還されたらしい。
垂直の魔法陣が一枚、空に残った。
「………………………………………………………………」
ネフィリムは、呆然と、見上げる事しか出来ない。呆気無さ過ぎて、“神の召喚獣”という重みが、そこらの石粒より軽くなったのではないかと、錯覚した。
「抵抗しませんでしたね。還るつもりになってくれていたんでしょうか」
さらりと言ってのけるミラノを、ネフィリムは恐る恐る見る。
「本当に、君は何者なのだろうね」
「…………ヤマシタミラノ、ですが?」
淡々と言うミラノに、思ってた通りの答えだとネフィリムは笑った。
(2)
ひとしきり笑って、ネフィリムが表情を引き締めた。
「ジズも消えたようだし、戻るか」
立ち上がろうとするその二の腕に、ミラノがそっと手をかけて止める。
「昼より随分と……」
「え?」
「疲れていませんか?」
あれだけ巨大で、森の木々を根こそぎ溶かして消してしまうような“神の召喚獣”ジズと相対して、疲れているのは当たり前だとはミラノも思うが、無意識に手が出た。もう少し休ませた方が良い気がしたのだ。行動理由は、ただ妹弟を持つ姉気質としか言いようが無い。腰を浮かしかけているネフィリムを見上げる。
「ちゃんと休んで……寝てるんでしょうか」
問いかけではなく、思うままを言葉にするミラノ。それにネフィリムはフッと脱力するように笑って、また腰を下ろした。
「ミラノはどうしてそんなに、勘が良いのかな……」
ネフィリムは立てた両膝の上に両肘を置いた。両手の指を組んで、足の間の地面を見た。溜め息を、こらえているのかもしれない。声の張りが、少し弱くなっている事にミラノは気付いている。
「勘、良いですか……。では、ついでに──“護る”……ですか?」
ネフィリムは顔を上げてミラノを見た。ミラノは、正面を向いている。
「もう少し、護られる側の事も考えて欲しいですね。この世で、あなたはあなた一人しかいません」
「いや、私がいなくとも、シュナもいる。父上を、シュナを、パールを護れるなら、私は死んでも問題ない。それだけの価値が彼らにはある」
「それはつまり」
ミラノはネフィリムの方を向く。
「命と価値が同じ意味ですよね。3人を護る事とあなたの命が同等? あなたはあなたしか、いないんですよ? ──もし、私があなたの兄弟であったなら……」
「兄弟なら?」
「ふざけるなと、殴ってしまうかもしれません」
言葉はミラノにしては過激だが、声のトーンは相変わらずだ。
「ミラノが? 殴るのかい? 想像できないなぁ」
「そうですか? 私は……聖人君子でもなんでもないのですが。……わかる事はいくつかあります」
ミラノは目線を一度下げて瞬きをしてから、顔を上げた。
「あなたの価値を決めるのは、あなたじゃないわ」
その言葉に一瞬きょとんとしたネフィリムは、すぐにくくっと笑う。
「似た言葉をどこかで聞いた気がするなぁ」
以前、ネフィリムがミラノに言った──彼の受け売りだ。
「私もそう思います。認めざるを得ない言葉です」
淡々と言うミラノに、ネフィリムはさらに微笑を深める。そっと、こわごわと手を伸ばし、ミラノの頬に触れようとして、やめた。手を元の位置に戻して、迷うように視線を下げ、そのまま口を開く。
「…………私は、ただいつも、父上や、シュナ、パールが、幸せであればと。それだけを考えている。私はどうでも良いんだ」
懺悔にも似た、心根の吐露。
「……そうですか」
間はあったが、いつも通りの淡々とした声が返って来た。ネフィリムは気になって顔を上げて、やはり表情の無いミラノを見た。
「でも、ミラノ、私は間違えているのだろうか?」
「なぜ?」
「ミラノは、私を責めているように思える」
殴る発言が効いているらしい、ミラノはちょっと失敗したかなと思いつつ、言葉を選ぶ。
「そうですね……。責めている、というよりは……」
そこで言葉を区切り、黙った。
───“幸せであれば”と、ネフィリムは言った。
正面の木々を、降り注ぐ光の粒子を、見つめる。
光は、今も大空に残る魔法陣の端から、ほろほろと零れ落ちて来ている。“神の召喚獣”が消えて黒い雲も無くなり、空は再び快晴を取り戻して、半月と星々が煌く。完全に日が暮れているので、魔法陣から遠ざかれば、ひたすら闇夜。その闇に降り注ぐ、魔法陣の光の欠片。それらを見回すだけの時間空けても、ネフィリムはミラノの言葉を待っていた。
だから、ミラノは改めて話し始める。
「はっきりしていることがあります」
月と星と、光の欠片の舞い降る空を見上げたまま。
「我慢ばかりでは、つらいわ。満たされなければ、幸せだと感じられない。幸せだという人はみんなよく、笑うわ。あなたの弟も妹も……」
そこでミラノはふふっと微笑った。脳裏に浮かぶのはパールフェリカの全開の笑顔。ネフィリムと比べると実にのんびりとした気質に感じられる、素直なシュナヴィッツ。
「よく、笑っていると思うわ。とても、自然体のように、見えるもの」
すぐに引っ込んだ笑みのあったその顔を、ネフィリムは見つめたまま問う。
「では、私はちゃんと、幸せにしてあげられていた、かな」
はたと気づいたようにミラノはネフィリムを見る。
「なぜ、疑問に思うんです?」
「私では、わからないから……」
「……いいえ、そうではなくて」
困ったように言ったネフィリムに、ミラノの言葉はゆっくりと降り注ぐ。
「なぜ、幸せにしてあげられたかどうかを、心配する必要が、あるの? あなたの大事な人達が幸せと感じているかどうかは、あなたの能力外の所にあるのに。幸せかどうか感じるのは、当人次第……。誰かに幸せにしてもらおうなんて思っているなら、その時点でその人はきっと、ずっと不幸だわ」
ネフィリムは食い入るようにミラノを見る。ミラノの方は、少ししゃべりすぎたかなと自分で引き気味になり、再び正面の木々の方を向いた。ちらりとネフィリムを見れば、彼は次の言葉を待っているようで、ミラノは一度口をきゅっと閉じた後、続ける。
「ネフィリムさんは、誰かを幸せにしてあげようと思った時点で、少し、道を逸れてしまったのかもしれない……ですね。簡単に、見失うもの。自分のものでも。まして、誰かの幸せなんて。……幸せが人それぞれというのは、満足する事が人によって違うからでしょう? それは、人、場所、時でころころと変わるのだし。結局幸せなんて、本人自身が感じようとしなければ、永遠に手に入らないわ。人に幸せを与えるという事は、本当の意味では出来ないわ、手伝う事は出来るけれど。もしあなたが心配に思うなら、手伝えていたかどうか、という意味になると、思うわ。本当に幸せを与えてあげられるのは、自分だけ。孤独な寂しい考え方と言われても、それが本当だもの」
ミラノはそっと自分の胸に手を当てた。
「自分自身の心の足かせを、責任を全部、自分の努力で果たして、目標を一つ一つ自分の力で達成していく。そして、頑張った自分にちゃんと満足して、褒めてあげる。ほんの些細な事でも……構わない。きっとそんな時、幸せはあると、私は思います。だから幸せは、本当は世界に満ちて溢れる程、あるのよ」
世界が、“神”の力で満ちているように、ちゃんと気付けば、ある。
ミラノはネフィリムを、蒼色の瞳をひたりと見た。
「──あなたは、見るからに自分を褒めるのが苦手そう。幸せに、鈍感なタイプなのね、元から。責めているんではなくて、私はそう思って、見ているわ」
それが、ネフィリムの問いに対するミラノの答えだった。
ぷっと、勢いよく噴き出した後、ネフィリムは腹を抱えて「はははっ」と声を上げて爆笑した。しばらくそうして笑うネフィリムから、ミラノは視線を逸らし、木々の方を向いてその笑いがおさまるのをおとなしく待った。
そうして、ネフィリムは目尻の涙を拭って、体ごとミラノの方を向いた。
「鈍感、と言われたのは、初めてだな」
それを振り切るように、正面を向いたままミラノは立ち上がると一歩前へ出た。ハーレムパンツについた土を払う。
「あなたの兄弟はきっと満たされていたと思いますよ。当たり前のように、幸せだったんじゃないでしょうか。一点を除いて」
「一点……?」
先程までのゆっくりとした口調から、ミラノのそれはやや早い。あっさりとしたものに変わっている。
ネフィリムが落ち込んで見えたので、らしくもなく沢山話してしまったと、ミラノはごまかすように、また言葉を重ねる。
「あなたが幸せであるか不安なら、満たされないでしょう? あなたは自分を犠牲にして、盾になろうとした。その事は、パールにもシュナヴィッツさんにも、ラナマルカ王様にも、酷い不幸だったと思うわ。なんでもっと自分を大事にしてくれないのか、と。あなたは彼らを護れても、彼らはあなたを護れなかったという不幸に落ちる。彼らは護られたって、あなたが居なければ、不幸なのよ? あなたが、足りない。それでもう満たされないから。護ったぞと押し付けたって無理よ、幸せは、さっきも言ったけれど、それぞれ本人が感じる事」
否定ともとれる言葉に、眉間に皺を寄せるネフィリムの表情は酷く不機嫌で、見る者の言葉を奪いかねないものだが、ミラノは全く意に介さず続ける。
「だから──一番手っ取り早いのはやっぱり」
「やっぱり?」
ミラノはネフィリムを真っ直ぐ見下ろして、柔らかな声音で言った。
「あなたが、幸せである事」
ネフィリムの鼓動が初めてドクリと大きく波打つ。
同時にネフィリムの脳裏に蘇る言葉がある。
──“あなたが、幸せである事を、心から、祈っています”
ゆっくりと、しかし真剣な眼差しでミラノを見上げた。不機嫌などというものは、もうどこかへ吹っ飛んだ。
すがるような目線に促され、ミラノは口を開く。また、淡々とした声に戻っている。
「あなたが幸せであれば、彼らもきっと安心して幸せだと感じるんじゃないかしら。もちろん、王様も。あなたの弟も妹も、とても優しい子達。あなたの背中を見て、育ってきたのでしょう? あなたに支えられて、あなたの幸せにしたいという思いを受け止めて……きっとだから、あなたにその幸福を返したいと、願っていると、思うわ。──あなたの幸福も、彼らの幸福の条件、そういう、意味よ」
どれだけわかっていても、自分で言い聞かせても、誰かの言葉でなければ染み渡らない事がある。誰も、ネフィリムにそれを伝えて来なかったのだろう。それは、ネフィリムの不幸の原因になった。もしかしたら、ネフィリムは誰にも言えなかったのかもしれない、また誰も彼に伝えられなかったのかもしれない。そういう立場にあったのかもしれない。それは少し、同情する。ミラノはそう思った。
「……ミラノは、この世界にまだ6日しか居ない。私たちと接したのはほんの数日。なのに、どうしてそんなにわかるのかな」
「そんなことは──」
一度言葉を止め、ミラノはふわりと微笑んだ。
「ちょっと見ていれば、すぐにわかるわ」
──それは、ミラノだからだ……。
耐えられなくなってネフィリムはミラノの手を取り、膝立ちで近寄った。ミラノの片手を掴んだ自分の両手に額を当てて、すがるように。
仕方が無いと、ミラノは笑顔をひっこめて見下ろしていたが、しばらくして、ネフィリムも立ち上がった。離れるかと思えば、ぎゅわっと抱きついてきた。突き離す事も出来ずに居たが、数秒で彼は離れた。
顔を見合わせて、ミラノはほんの少し口を開く、驚いたのだ。ネフィリムの片目からほろりと、涙が零れていた。
「──君の言葉で、私は自分を褒めてあげられる気になれた。満たされた、という事かな? 幸せとは、これなのかな?」
そう言ってもう一度ミラノを抱きしめた。
その腕と肩辺りに圧迫されながら、ミラノは少し横を向いて息を吐き出した。こめかみ辺りにネフィリムの頬があって、温い呼気が微かに黒髪を揺らす。
「私の言葉なんかで満たされて、どうするんです。本当に鈍い人なんですね。みんな、あなたの幸福を祈っていたのに。幸せを祈られる対象となり得ているのは、それだけあなたが頑張ったからでしょう? それは、幸せの合図なのに」
ミラノの言葉に応答は無く、ネフィリムの腕の力が少しだけ強くなった。
しばらくは大人しくしていたが、正直、ミラノは首筋にかかる息がくすぐったいのでさっさと離れて欲しいと思っている。だが、ネフィリムは動く気配が無い。
「……もう、よろしいですか。戻らないと、みんな心配していますよ」
そろそろと、ゆっくりとネフィリムは離れる。もう涙は無い。代わりに、裏などない、とても素直な笑顔があった。
束ねた髪を後ろへはねのけて、晴れやかに、爽やかに告げる。
「敗北宣言は、完全撤回だ」
「え?」
にまっと笑うネフィリムを、ミラノは瞬いて見た。
「では、戻ろう!」
ネフィリムはそう言って背を向けて、先に歩いて行ってしまった。視線をついと逸らしてミラノは右手の指先を顎に当てる。
「……撤回?」
ミラノはハッとして、しゃべり過ぎた事を後悔したのだった。
(3)
ミラノが追いついた時、ネフィリムの手から小鳥サイズのフェニックスが飛び立った。
しばらく歩いて、見通しのマシな、木々が薙ぎ倒され視界の開けた場所で、魔法陣が夜空で花火のように輝き照らす中、無言で待った。
すぐに、フェニックスが先導して、赤《レッド》ヒポグリフと、ほんの少し遅れて、馬サイズのコカトリスが降りて来る。どちらもネフィリムの護衛、アルフォリスとレザードの召喚獣だ。
ヒポグリフが着地する前に、がっしゃんと鎧の重い音をさせてアルフォリスが飛び降り、両手両足を地に付いて衝撃に耐え、その姿勢からネフィリムの足元に猛ダッシュをする。顔を上げず、そのままネフィリムのブーツに額をこすりつけるようにしながら、叫んだ。
「あ、あなたが死んだら、私は生きてなんかいられないんですからね! わ、私の命はあなたの為にあるのです、あなたが先に……っぬなんて、絶対にあってはならないんですからね!! い、命を粗末になさらないでください! もう! もうっ使いっ走りなんてご免です! 絶対にお傍を離れませんからね! ご自分は何者かもっとよくお考えになってください!」
ネフィリムの足にしがみ付いて泣きながら、アルフォリスは“お小言”を叫び続けていた。
死んでいておかしくない状況を、アルフォリスは間近で見ていたから。絶望を見たから。せめて遺体だけでもと、魔法陣の傍を探して飛んでいる時、光の欠片の中に“炎帝”の炎を見つけたのだ。
アルフォリスが言いたい事を全部言い切った頃、レザードが小走りでやって来る。レザードはミラノを見つけ、敬礼する。ミラノはそれに気付いても、対応の仕方がわからず、瞼を一度落として緩く首を傾げるような、頷くような素振りだけをした。
ネフィリムは半歩さがってしゃがむと、滑稽とも言える程の男泣きを続けるアルフォリスの肩にぽんと手を置いて、その顔を上げさせた。涙でどろどろの顔のアルフォリスにネフィリムは目を細め、至極真剣な声で、言う。
「すまなかった。以後、気を付ける」
「ごぶ……ご無事で…………なに……より…………」
アルフォリスは地に伏して一層咽び泣いた。
こんなにも慕われて、こんなにも無事を祈られて、それ程の人物たりえていたのなら、アルフォリスには申し訳ないが、ネフィリムはこれまでの自分を褒めてやれると、思えた。そして、少し後ろに居たミラノを見上げる。
彼女は、『ほら』と言わんばかりに、微笑んでいた。
巨城エストルクの夜は更けていく。
快晴の空を月と星々と、巨大ゆえに時間をかけて消えていく七色に煌く魔法陣が彩る。
その夜空を“うさぎのぬいぐるみ”は窓から見上げている。
“神の召喚獣”ジズが消えてから、避難していた人々は街へ戻った。
王都警備隊は不眠不休の仕事を要求された。被害状況の確認と、急ぎ復旧が必要な通路、水路などの修復や瓦礫の撤去作業に追われている。街中のあちこちに松明の火がちらちらと動いているのがわかる。夜空がいかに明るくとも、足元を照らす程では無いからだ。魔法陣が全開の輝きを放っていた時ならいざ知らず、薄らいだ光ほのかに落ちて広がり、夕闇迫る頃の明るさしかない。
それでも、空の魔法陣はくっきりと見える。
ミラノは、魔法陣の向こうが“霊界”であるらしい話を聞かされた事から、その“霊界”へ敵の攻撃を一度収納し、そのままどこぞへと向けて放出してやれと思って“やってみた”のだった。その魔法陣を使い回して、でっかい怪鳥も“霊界”へ押し込んでやれと。
結果、前代未聞の召喚術が、王都上空で展開した。
──“返還”する事から始めて、どこかへ“召喚”する。その流れでいけるはずだと考えたミラノの案は成功し、敵の攻撃は封殺、ジズの強制退去もうまくいった。
また、エルトアニティ王子にバレないようにする為に、魔法陣の色を変えたが、この世界の魔法陣の色は1人1色という常識を知らないままやった事。何色出せても自分は虹色の魔法陣を出す事は出来ないと、言い張ってやれば良いと考えていた。単色の魔法陣はいくつも見たが、グラデーションで七色に変化する魔法陣なんてそうそう無いだろうと思っての選択──その色は、誰も見た事の無い魔法陣になったが。すべて、出来たらいいなという適当な考えからきている。
いつもの“やれば出来た”が、ちゃんと出来て、ミラノはほっとしていた。だがもちろん、出来てしまった理由などは“考えたってわかる事ではない”とヤケクソ気味に放棄しているし、知る由もない。いつかは知りたいが、今すぐ知る事が出来なくても良いと、思っているのだ。
──それが“逆召喚”と呼ばれるものと、ミラノは知らない。
いままでミラノがやってきた事の多くは、“逆召喚”というものだった。建築資材をどこぞから“霊界”へ返還し適当な“霊”を憑依させ、自分の周囲に召喚して操った。“飛槍”の武器や盾も同じだ。
“逆召喚”と言うが、結局は“霊界“を介して、瞬間移動をさせているのだ。ミラノ自身が、落下したものの逆召喚で地上に移したネフィリムの元へ飛んだのも、この瞬間移動になる。
今回は衆目の集まる空、巨大な魔法陣で近い場所に出した為、わかりやすく発覚したと言っていい。
パールフェリカの部屋で1人、ミラノは起きている。
この部屋の主は、ミラノが戻った時すでに青白い顔をしてベッドに沈み、深い寝息をたてていた。室内には誰もおらず、エステリオも扉の向こうに控えているだろう。
ミラノはこの部屋へ戻って真っ先に“うさぎのぬいぐるみ”へ移った。その時、“人”だった場所には、衣服とアクセサリがどさどさと落ちた。
それを赤い刺繍の目で見下ろして、ミラノは感じた。
“人間”ではないのだな、と。
思い返せば、こちらに来て一切飲食をしていない。欲しいと思わない。自分から眠いと感じて寝た事は無い。意識は何度か失せたが、いつも時間が飛ぶだけだった。
──なぜ、おなかがすかない。
──なぜ、ねむくならない。
召喚霊にしろ召喚獣にしろ、“霊界”にいるという“霊”をよんだりかえしたりすると聞いた。
結局、“霊”だとかいうものなのだな、と。
だが、自分のすべてが“霊”だとかいうものになってしまったというわけでは、ないはずだ。きっと自宅の玄関には体は転がっているだろう。
“霊”になってしまうような原因──つまり“死因”──は想像が付かない。玄関で倒れたのだとしても、打ち所が悪くなるような物体は部屋に入って早々には置いていない。
それでも、自分は“霊”としてこの世界に召喚されている存在らしい。つまり、“異界の霊”で召喚霊に相当するのだろう。だが、何故か延々戻る事も無い上、“実体”とやらを与えられて存在している。そのせいで召喚獣と呼ばれている。
だが、召喚霊だとか召喚獣だとか抜きにして、召喚されていない状態にあった時、本当はただの“霊”なのだとしたら、“霊界”とやらから、自分の世界にある本当の体へ戻ることはできないか、と考える。
それが“かえりかた”なのではないか、と。
逆召喚という、方法。
自分を“霊界”へ“返還”し、自宅のアパートに“召喚”する。それで、かえれないだろうか。“霊界”が、自分の世界と繋がっている可能性は高い、何せ自分はあちらから来た。
ほのかに、ミラノの胸に希望が宿り始める。
今夜は皆忙しいだろうし、疲れているだろうから、明日、相談しようと決める。
やはり眠れぬまま、快晴の朝を迎える。
その頃にはもう、空の魔法陣は消え失せていた。
一部は失われたが、新緑の山々に真横から朝日が差し込む。大自然の美しい様を“うさぎのぬいぐるみ”の体で、ミラノは見ていた。やっとかえれるかもしれない、そんな希望を抱いて。
──山下未来希の通帳の残高が無くなるまで、あと……………
──山下未来希が“霊”とやらになっていたならば、それからこの日で7日目──
──人が飲まず食わずで生きていられるとされる最大日数、およそ7日──
“ジズ”は、プリズムの魔法陣を睨んでいる。
2枚の輝く魔法陣が、ジズの視界を覆い、その進路を完全に塞いでいる状態だ。
ミラノはそれを確認して、2歩後ろにいるエステリオに声をかける。
「エステルさん、パールをお願いします」
全部を言い切る前に、エステリオはさっとパールフェリカの腕を引き上げ、その背にひょいと負い、立ち上がる。
同じように立とうとしたミラノは、しかし下を向いて目を閉じ、右手を床に付いた。たっぷりと10秒数える間そうしていると、ネフィリムがつけた護衛のレザードが、屈んでこちらを覗き込んで来た。
「ミラノ様? どうかなさいましたか?」
声にミラノは目を開き、顔を上げた。酷い立ちくらみがして、エステリオの後をついて立つ事が出来なかったのだ。
「いえ…………パールは?」
ミラノが立ち上がろうとすると、レザードがそっと手をかしてくれた。ミラノの問いには、視線だけを向ける。バルコニーから室内に入ってすぐの辺りで、待ってくれている。エステリオにとって、パールフェリカとミラノはセットらしい。
重厚な鎧に身を包んだラナマルカ王らは皆、魔法陣の辺りを指差すなどしてざわめいている。その声を一つ一つ聞き取る気には、ミラノはなれない。今はまだ、やらなければならない事が残っている。
室内に入り、人目の無い柱の影、死角へと入り込むと、ミラノは足を止めた。その足元に、外のものと同じ七色の魔法陣を生み出す。輝く魔法陣が4人を下から照らす。
傍に居たレザードが慌ててミラノの手を離し、一歩退いた。
「これ!?」
ジェスチャーが通じるのかわからないが、ミラノは人差し指を唇に縦に当てた。
「…………!」
目を丸くしているエステリオと、あんぐりと口を開けているレザードの前で、ミラノは回転するその魔法陣の中にストンと飲み込まれ、消えた。
「……え!?」
レザードが追いすがり、膝を付いて拳で床を打った。だが、ミラノの消えた魔法陣に拳はただすり抜け、床は硬いだけだった。3度殴った頃、魔法陣は掻き消えた。
「そんな………………返還術? え? 召喚の陣でしたよね??」
レザードは呟き、エステリオを振り返った。彼女は背中のパールフェリカを揺らしながら、首を縦に大きく振るばかり。
「今のは、返還の文様ではなく、召喚の文様の、裏面……? ……………………逆、召喚……? いやでも……そんなまさか……」
魔法陣の輝きが失せて、室内の片隅は暗くなる。薄暗い中、エステリオとレザードは、しばらく身じろぎも出来なかった。
“炎帝”は、あの巨大な怪鳥に激突され、大きく傾いでネフィリムを落とした。
──死んだと思った。
ところがすぐ暗闇に飲まれて気付けば、この樹の、自分の身長と変わらない高さにある枝の上に居た。慌てて身を起こそうとして、地面にずり落ちた。どことも言えない、体が痛くて、とりあえずその樹の幹に腰を下ろしていた。
周囲は斜面のある森。背の低い多種の草や低樹木があちこち伸びているが、獣道さえ見えない。木々が間隔を開けて生えているが、上の方の枝と葉は、溶けている。ジズの光線が掠ったのだろう。
見上げると、怪鳥はまだ空を埋めているが、あの虹色に輝く魔法陣もまた、ゆるゆると回転を続けている。空は明るく、その明度そのものが、怪鳥と魔法陣の対立の力関係を示し、既に怪鳥に分が無いものと思わせる。怪鳥は魔法陣を睨んだまま、ゆったりと羽ばたいているだけだ。困惑でもしているのかもしれない。
風に、かろうじて残っていた木々の葉が大きく揺らいで、時折ぱらりぱらりと落ちてくる。
ここから王城へ徒歩で帰るには遠く、迎えを期待するには危険すぎる。
どうしたものかと息を吐き出した、その時。
空を見上げていたネフィリムの傍、5歩の距離に、虹色に輝いて回転する魔法陣が生まれた。
ぎょっとしてそちらを見ると、さらに驚かされる。
そこからにょきり現れる──ミラノ。
「!?」
魔法陣の輝きに照らし出されるその姿は“人”と思えず、慌てて退いてしまって、もたれていた樹でしたたか背を打った。地面の土にブーツで掻いた跡が残った。
目にした事が信じ難い。幻ではないか。
現実ならば、とんでも無い事だ、何をしたのかよくわからなくとも、とんでも無いはずだ。
ミラノは突然、ここに召喚されたように現れた。誰が召喚した。いや、ミラノを召喚出来るのはパールフェリカしかいない。
この深い森の、ネフィリムが落下したという場所を誰が特定してパールフェリカを連れて──いや、この短時間にそれは不可能だ。それに、こんな危険な、ジズの足元に来れるものか、空を舞い飛んだとしてもジズに見つかり撃ち落される。それでも、ネフィリムは辺りを確認した。
ミラノ1人しか、居ない。
あっさりすぎる。唐突すぎる。
──幻でも見ているのか、自分の方が幻にでもなったか、理解が追いつかない。
「……ミラノ……?」
「はい?」
ミラノの足元の魔法陣は、彼女が足を踏み出すと地面に溶けるように消えた。ざりざりと、土と草を踏む音がはっきりと聞こえる。
「ミラノ……何をしたんだ?」
問うとミラノは足を止め、一度瞬いた後、緩く首を傾けた。
「……よく、わかりません」
その、いつもの仕草にネフィリムはぷっと笑う。
「……つ……いたた……」
反動で、どこかの怪我が軋む。樹にもたれかかるネフィリムの真横までミラノは近寄って来る。痛みがちゃんとあるのだから、やはり自分は死んだのでも、幻になったのでも無さそうだ。
ミラノも、半透明の“霊”などではないし、実物のようだ。幻を視ているわけでも、ないらしい。
「──無茶をしますね。危険だからフェニックスには乗らないと言っていませんでしたか?」
隣で両膝を折ってしゃがむミラノから、ネフィリムは顔を逸らして表情を隠す。
「あの状況では仕方がない。私がなんとかするしかなかった」
ミラノはほんの少し沈黙して、立ち上がった。
「人を呼んできます」
そう言って去りかけるミラノの腕を、片膝を立てて追ってネフィリムが掴んで止めた。
「……痛くないんですか?」
「いや……痛い……あちこち……」
膝立ちのネフィリムに引っ張られ、立ってはいるがミラノは腰を曲げている。
「おとなしく座っていて下さい」
そんな言葉が出るのなら、やはりあの魔法陣はミラノが出したのだろう。先程ここに現れた時の魔法陣も、上のものと同じ色だった。座っていろと、あれがあればもう大丈夫と、そう言っているようだ。
「ミラノが横に居るなら、座る」
「……………………………………なんだか……いえ、いいです」
ミラノは何か言いかけてやめた。
樹にもたれるようにネフィリムは再び腰をおろし、ミラノは握りこぶし程の距離を開けて、隣に座った。
「パール、気絶してしまいました」
ミラノの言葉にネフィリムはやや落胆する。
「召喚術を使ったのか」
ミラノは緩く首を傾げる。
「……少し」
空にはいまだ2枚のプリズムの魔法陣がキラキラと残っていて、端からじわじわと光を放つ。輝きは鱗粉のように、雪のように辺りに降り注いで、世界を明るく照らし続ける。誰もが、既に日が暮れ、空が黒い雲に覆われている事を、忘れてしまうほどに。雪解けの山を、朝陽が溶かすように、見上げれば、どこまでも美しい。
「………………」
ミラノの少しという程度がわからない。あれだけ巨大な魔法陣を2枚も張っておきながら。
「あなたが飛び込んで……みんな、心配していましたよ」
「──ああ…………。だが、ああしなければ護れなかった」
「いざとなれば、リヴァイアサンの時のように──」
「だから、パールも君も、護れなかった。ああしなければ……」
バレなけれあば良いという発想で、異なる色の魔法陣を使うという離れ業をミラノはやってのけたが、それは結果だ。
「………………エルトアニティ王子、ですか」
ふっと笑うネフィリム。
「弱国はつらいなぁ」
珍しい、自嘲めいた笑みに、ミラノは口を挟めない。国の事は、わからない。
「…………」
「だが、ミラノは色の違う魔法陣で召喚術を使ってしまうんだものな、常識からかけ離れすぎている。1人1色以外、無いんだぞ?」
ネフィリムはミラノの方を向いて、口角を上げて言った。その目線がふと、ミラノの襟元に移る。
「それは……クーニッドの水晶?」
ミラノの鎖骨より少し下辺り、ネックレスのペンダントが光っていた。石の中心から、うっすら光が漏れ出るような、そんな光り方だ。これは、クーニッド産の水晶だとミラノは聞いている。
「ええ。そういえばパールも言っていました、時々光る、と」
「クーニッドの水晶の光は、“神”の言葉とも言われているが。こんな小さなものまで光るのは、どういった意味だろう。大岩が光る時、神の召喚獣が召喚されるとしか伝わっていないから」
「そうですか……」
ふと、ミラノは空を見上げる。怪鳥ジズはミラノの張った魔法陣を見つめている。まるで、何かに命じられでもしているかのように。
「少し時間がかかっていますが、もう少し……」
水平にあった魔法陣が、キラキラと光の粉を撒き散らしながら、じわじわと動き始め──……一気にぐるんと270度回転する。ジズを挟み、飲み込みながら、垂直にあった魔法陣とぴたりと、あわさる。
ジズは、水平にあった魔法陣に押され、垂直の魔法陣の中に押し込まれるように、消えた。返還されたらしい。
垂直の魔法陣が一枚、空に残った。
「………………………………………………………………」
ネフィリムは、呆然と、見上げる事しか出来ない。呆気無さ過ぎて、“神の召喚獣”という重みが、そこらの石粒より軽くなったのではないかと、錯覚した。
「抵抗しませんでしたね。還るつもりになってくれていたんでしょうか」
さらりと言ってのけるミラノを、ネフィリムは恐る恐る見る。
「本当に、君は何者なのだろうね」
「…………ヤマシタミラノ、ですが?」
淡々と言うミラノに、思ってた通りの答えだとネフィリムは笑った。
(2)
ひとしきり笑って、ネフィリムが表情を引き締めた。
「ジズも消えたようだし、戻るか」
立ち上がろうとするその二の腕に、ミラノがそっと手をかけて止める。
「昼より随分と……」
「え?」
「疲れていませんか?」
あれだけ巨大で、森の木々を根こそぎ溶かして消してしまうような“神の召喚獣”ジズと相対して、疲れているのは当たり前だとはミラノも思うが、無意識に手が出た。もう少し休ませた方が良い気がしたのだ。行動理由は、ただ妹弟を持つ姉気質としか言いようが無い。腰を浮かしかけているネフィリムを見上げる。
「ちゃんと休んで……寝てるんでしょうか」
問いかけではなく、思うままを言葉にするミラノ。それにネフィリムはフッと脱力するように笑って、また腰を下ろした。
「ミラノはどうしてそんなに、勘が良いのかな……」
ネフィリムは立てた両膝の上に両肘を置いた。両手の指を組んで、足の間の地面を見た。溜め息を、こらえているのかもしれない。声の張りが、少し弱くなっている事にミラノは気付いている。
「勘、良いですか……。では、ついでに──“護る”……ですか?」
ネフィリムは顔を上げてミラノを見た。ミラノは、正面を向いている。
「もう少し、護られる側の事も考えて欲しいですね。この世で、あなたはあなた一人しかいません」
「いや、私がいなくとも、シュナもいる。父上を、シュナを、パールを護れるなら、私は死んでも問題ない。それだけの価値が彼らにはある」
「それはつまり」
ミラノはネフィリムの方を向く。
「命と価値が同じ意味ですよね。3人を護る事とあなたの命が同等? あなたはあなたしか、いないんですよ? ──もし、私があなたの兄弟であったなら……」
「兄弟なら?」
「ふざけるなと、殴ってしまうかもしれません」
言葉はミラノにしては過激だが、声のトーンは相変わらずだ。
「ミラノが? 殴るのかい? 想像できないなぁ」
「そうですか? 私は……聖人君子でもなんでもないのですが。……わかる事はいくつかあります」
ミラノは目線を一度下げて瞬きをしてから、顔を上げた。
「あなたの価値を決めるのは、あなたじゃないわ」
その言葉に一瞬きょとんとしたネフィリムは、すぐにくくっと笑う。
「似た言葉をどこかで聞いた気がするなぁ」
以前、ネフィリムがミラノに言った──彼の受け売りだ。
「私もそう思います。認めざるを得ない言葉です」
淡々と言うミラノに、ネフィリムはさらに微笑を深める。そっと、こわごわと手を伸ばし、ミラノの頬に触れようとして、やめた。手を元の位置に戻して、迷うように視線を下げ、そのまま口を開く。
「…………私は、ただいつも、父上や、シュナ、パールが、幸せであればと。それだけを考えている。私はどうでも良いんだ」
懺悔にも似た、心根の吐露。
「……そうですか」
間はあったが、いつも通りの淡々とした声が返って来た。ネフィリムは気になって顔を上げて、やはり表情の無いミラノを見た。
「でも、ミラノ、私は間違えているのだろうか?」
「なぜ?」
「ミラノは、私を責めているように思える」
殴る発言が効いているらしい、ミラノはちょっと失敗したかなと思いつつ、言葉を選ぶ。
「そうですね……。責めている、というよりは……」
そこで言葉を区切り、黙った。
───“幸せであれば”と、ネフィリムは言った。
正面の木々を、降り注ぐ光の粒子を、見つめる。
光は、今も大空に残る魔法陣の端から、ほろほろと零れ落ちて来ている。“神の召喚獣”が消えて黒い雲も無くなり、空は再び快晴を取り戻して、半月と星々が煌く。完全に日が暮れているので、魔法陣から遠ざかれば、ひたすら闇夜。その闇に降り注ぐ、魔法陣の光の欠片。それらを見回すだけの時間空けても、ネフィリムはミラノの言葉を待っていた。
だから、ミラノは改めて話し始める。
「はっきりしていることがあります」
月と星と、光の欠片の舞い降る空を見上げたまま。
「我慢ばかりでは、つらいわ。満たされなければ、幸せだと感じられない。幸せだという人はみんなよく、笑うわ。あなたの弟も妹も……」
そこでミラノはふふっと微笑った。脳裏に浮かぶのはパールフェリカの全開の笑顔。ネフィリムと比べると実にのんびりとした気質に感じられる、素直なシュナヴィッツ。
「よく、笑っていると思うわ。とても、自然体のように、見えるもの」
すぐに引っ込んだ笑みのあったその顔を、ネフィリムは見つめたまま問う。
「では、私はちゃんと、幸せにしてあげられていた、かな」
はたと気づいたようにミラノはネフィリムを見る。
「なぜ、疑問に思うんです?」
「私では、わからないから……」
「……いいえ、そうではなくて」
困ったように言ったネフィリムに、ミラノの言葉はゆっくりと降り注ぐ。
「なぜ、幸せにしてあげられたかどうかを、心配する必要が、あるの? あなたの大事な人達が幸せと感じているかどうかは、あなたの能力外の所にあるのに。幸せかどうか感じるのは、当人次第……。誰かに幸せにしてもらおうなんて思っているなら、その時点でその人はきっと、ずっと不幸だわ」
ネフィリムは食い入るようにミラノを見る。ミラノの方は、少ししゃべりすぎたかなと自分で引き気味になり、再び正面の木々の方を向いた。ちらりとネフィリムを見れば、彼は次の言葉を待っているようで、ミラノは一度口をきゅっと閉じた後、続ける。
「ネフィリムさんは、誰かを幸せにしてあげようと思った時点で、少し、道を逸れてしまったのかもしれない……ですね。簡単に、見失うもの。自分のものでも。まして、誰かの幸せなんて。……幸せが人それぞれというのは、満足する事が人によって違うからでしょう? それは、人、場所、時でころころと変わるのだし。結局幸せなんて、本人自身が感じようとしなければ、永遠に手に入らないわ。人に幸せを与えるという事は、本当の意味では出来ないわ、手伝う事は出来るけれど。もしあなたが心配に思うなら、手伝えていたかどうか、という意味になると、思うわ。本当に幸せを与えてあげられるのは、自分だけ。孤独な寂しい考え方と言われても、それが本当だもの」
ミラノはそっと自分の胸に手を当てた。
「自分自身の心の足かせを、責任を全部、自分の努力で果たして、目標を一つ一つ自分の力で達成していく。そして、頑張った自分にちゃんと満足して、褒めてあげる。ほんの些細な事でも……構わない。きっとそんな時、幸せはあると、私は思います。だから幸せは、本当は世界に満ちて溢れる程、あるのよ」
世界が、“神”の力で満ちているように、ちゃんと気付けば、ある。
ミラノはネフィリムを、蒼色の瞳をひたりと見た。
「──あなたは、見るからに自分を褒めるのが苦手そう。幸せに、鈍感なタイプなのね、元から。責めているんではなくて、私はそう思って、見ているわ」
それが、ネフィリムの問いに対するミラノの答えだった。
ぷっと、勢いよく噴き出した後、ネフィリムは腹を抱えて「はははっ」と声を上げて爆笑した。しばらくそうして笑うネフィリムから、ミラノは視線を逸らし、木々の方を向いてその笑いがおさまるのをおとなしく待った。
そうして、ネフィリムは目尻の涙を拭って、体ごとミラノの方を向いた。
「鈍感、と言われたのは、初めてだな」
それを振り切るように、正面を向いたままミラノは立ち上がると一歩前へ出た。ハーレムパンツについた土を払う。
「あなたの兄弟はきっと満たされていたと思いますよ。当たり前のように、幸せだったんじゃないでしょうか。一点を除いて」
「一点……?」
先程までのゆっくりとした口調から、ミラノのそれはやや早い。あっさりとしたものに変わっている。
ネフィリムが落ち込んで見えたので、らしくもなく沢山話してしまったと、ミラノはごまかすように、また言葉を重ねる。
「あなたが幸せであるか不安なら、満たされないでしょう? あなたは自分を犠牲にして、盾になろうとした。その事は、パールにもシュナヴィッツさんにも、ラナマルカ王様にも、酷い不幸だったと思うわ。なんでもっと自分を大事にしてくれないのか、と。あなたは彼らを護れても、彼らはあなたを護れなかったという不幸に落ちる。彼らは護られたって、あなたが居なければ、不幸なのよ? あなたが、足りない。それでもう満たされないから。護ったぞと押し付けたって無理よ、幸せは、さっきも言ったけれど、それぞれ本人が感じる事」
否定ともとれる言葉に、眉間に皺を寄せるネフィリムの表情は酷く不機嫌で、見る者の言葉を奪いかねないものだが、ミラノは全く意に介さず続ける。
「だから──一番手っ取り早いのはやっぱり」
「やっぱり?」
ミラノはネフィリムを真っ直ぐ見下ろして、柔らかな声音で言った。
「あなたが、幸せである事」
ネフィリムの鼓動が初めてドクリと大きく波打つ。
同時にネフィリムの脳裏に蘇る言葉がある。
──“あなたが、幸せである事を、心から、祈っています”
ゆっくりと、しかし真剣な眼差しでミラノを見上げた。不機嫌などというものは、もうどこかへ吹っ飛んだ。
すがるような目線に促され、ミラノは口を開く。また、淡々とした声に戻っている。
「あなたが幸せであれば、彼らもきっと安心して幸せだと感じるんじゃないかしら。もちろん、王様も。あなたの弟も妹も、とても優しい子達。あなたの背中を見て、育ってきたのでしょう? あなたに支えられて、あなたの幸せにしたいという思いを受け止めて……きっとだから、あなたにその幸福を返したいと、願っていると、思うわ。──あなたの幸福も、彼らの幸福の条件、そういう、意味よ」
どれだけわかっていても、自分で言い聞かせても、誰かの言葉でなければ染み渡らない事がある。誰も、ネフィリムにそれを伝えて来なかったのだろう。それは、ネフィリムの不幸の原因になった。もしかしたら、ネフィリムは誰にも言えなかったのかもしれない、また誰も彼に伝えられなかったのかもしれない。そういう立場にあったのかもしれない。それは少し、同情する。ミラノはそう思った。
「……ミラノは、この世界にまだ6日しか居ない。私たちと接したのはほんの数日。なのに、どうしてそんなにわかるのかな」
「そんなことは──」
一度言葉を止め、ミラノはふわりと微笑んだ。
「ちょっと見ていれば、すぐにわかるわ」
──それは、ミラノだからだ……。
耐えられなくなってネフィリムはミラノの手を取り、膝立ちで近寄った。ミラノの片手を掴んだ自分の両手に額を当てて、すがるように。
仕方が無いと、ミラノは笑顔をひっこめて見下ろしていたが、しばらくして、ネフィリムも立ち上がった。離れるかと思えば、ぎゅわっと抱きついてきた。突き離す事も出来ずに居たが、数秒で彼は離れた。
顔を見合わせて、ミラノはほんの少し口を開く、驚いたのだ。ネフィリムの片目からほろりと、涙が零れていた。
「──君の言葉で、私は自分を褒めてあげられる気になれた。満たされた、という事かな? 幸せとは、これなのかな?」
そう言ってもう一度ミラノを抱きしめた。
その腕と肩辺りに圧迫されながら、ミラノは少し横を向いて息を吐き出した。こめかみ辺りにネフィリムの頬があって、温い呼気が微かに黒髪を揺らす。
「私の言葉なんかで満たされて、どうするんです。本当に鈍い人なんですね。みんな、あなたの幸福を祈っていたのに。幸せを祈られる対象となり得ているのは、それだけあなたが頑張ったからでしょう? それは、幸せの合図なのに」
ミラノの言葉に応答は無く、ネフィリムの腕の力が少しだけ強くなった。
しばらくは大人しくしていたが、正直、ミラノは首筋にかかる息がくすぐったいのでさっさと離れて欲しいと思っている。だが、ネフィリムは動く気配が無い。
「……もう、よろしいですか。戻らないと、みんな心配していますよ」
そろそろと、ゆっくりとネフィリムは離れる。もう涙は無い。代わりに、裏などない、とても素直な笑顔があった。
束ねた髪を後ろへはねのけて、晴れやかに、爽やかに告げる。
「敗北宣言は、完全撤回だ」
「え?」
にまっと笑うネフィリムを、ミラノは瞬いて見た。
「では、戻ろう!」
ネフィリムはそう言って背を向けて、先に歩いて行ってしまった。視線をついと逸らしてミラノは右手の指先を顎に当てる。
「……撤回?」
ミラノはハッとして、しゃべり過ぎた事を後悔したのだった。
(3)
ミラノが追いついた時、ネフィリムの手から小鳥サイズのフェニックスが飛び立った。
しばらく歩いて、見通しのマシな、木々が薙ぎ倒され視界の開けた場所で、魔法陣が夜空で花火のように輝き照らす中、無言で待った。
すぐに、フェニックスが先導して、赤《レッド》ヒポグリフと、ほんの少し遅れて、馬サイズのコカトリスが降りて来る。どちらもネフィリムの護衛、アルフォリスとレザードの召喚獣だ。
ヒポグリフが着地する前に、がっしゃんと鎧の重い音をさせてアルフォリスが飛び降り、両手両足を地に付いて衝撃に耐え、その姿勢からネフィリムの足元に猛ダッシュをする。顔を上げず、そのままネフィリムのブーツに額をこすりつけるようにしながら、叫んだ。
「あ、あなたが死んだら、私は生きてなんかいられないんですからね! わ、私の命はあなたの為にあるのです、あなたが先に……っぬなんて、絶対にあってはならないんですからね!! い、命を粗末になさらないでください! もう! もうっ使いっ走りなんてご免です! 絶対にお傍を離れませんからね! ご自分は何者かもっとよくお考えになってください!」
ネフィリムの足にしがみ付いて泣きながら、アルフォリスは“お小言”を叫び続けていた。
死んでいておかしくない状況を、アルフォリスは間近で見ていたから。絶望を見たから。せめて遺体だけでもと、魔法陣の傍を探して飛んでいる時、光の欠片の中に“炎帝”の炎を見つけたのだ。
アルフォリスが言いたい事を全部言い切った頃、レザードが小走りでやって来る。レザードはミラノを見つけ、敬礼する。ミラノはそれに気付いても、対応の仕方がわからず、瞼を一度落として緩く首を傾げるような、頷くような素振りだけをした。
ネフィリムは半歩さがってしゃがむと、滑稽とも言える程の男泣きを続けるアルフォリスの肩にぽんと手を置いて、その顔を上げさせた。涙でどろどろの顔のアルフォリスにネフィリムは目を細め、至極真剣な声で、言う。
「すまなかった。以後、気を付ける」
「ごぶ……ご無事で…………なに……より…………」
アルフォリスは地に伏して一層咽び泣いた。
こんなにも慕われて、こんなにも無事を祈られて、それ程の人物たりえていたのなら、アルフォリスには申し訳ないが、ネフィリムはこれまでの自分を褒めてやれると、思えた。そして、少し後ろに居たミラノを見上げる。
彼女は、『ほら』と言わんばかりに、微笑んでいた。
巨城エストルクの夜は更けていく。
快晴の空を月と星々と、巨大ゆえに時間をかけて消えていく七色に煌く魔法陣が彩る。
その夜空を“うさぎのぬいぐるみ”は窓から見上げている。
“神の召喚獣”ジズが消えてから、避難していた人々は街へ戻った。
王都警備隊は不眠不休の仕事を要求された。被害状況の確認と、急ぎ復旧が必要な通路、水路などの修復や瓦礫の撤去作業に追われている。街中のあちこちに松明の火がちらちらと動いているのがわかる。夜空がいかに明るくとも、足元を照らす程では無いからだ。魔法陣が全開の輝きを放っていた時ならいざ知らず、薄らいだ光ほのかに落ちて広がり、夕闇迫る頃の明るさしかない。
それでも、空の魔法陣はくっきりと見える。
ミラノは、魔法陣の向こうが“霊界”であるらしい話を聞かされた事から、その“霊界”へ敵の攻撃を一度収納し、そのままどこぞへと向けて放出してやれと思って“やってみた”のだった。その魔法陣を使い回して、でっかい怪鳥も“霊界”へ押し込んでやれと。
結果、前代未聞の召喚術が、王都上空で展開した。
──“返還”する事から始めて、どこかへ“召喚”する。その流れでいけるはずだと考えたミラノの案は成功し、敵の攻撃は封殺、ジズの強制退去もうまくいった。
また、エルトアニティ王子にバレないようにする為に、魔法陣の色を変えたが、この世界の魔法陣の色は1人1色という常識を知らないままやった事。何色出せても自分は虹色の魔法陣を出す事は出来ないと、言い張ってやれば良いと考えていた。単色の魔法陣はいくつも見たが、グラデーションで七色に変化する魔法陣なんてそうそう無いだろうと思っての選択──その色は、誰も見た事の無い魔法陣になったが。すべて、出来たらいいなという適当な考えからきている。
いつもの“やれば出来た”が、ちゃんと出来て、ミラノはほっとしていた。だがもちろん、出来てしまった理由などは“考えたってわかる事ではない”とヤケクソ気味に放棄しているし、知る由もない。いつかは知りたいが、今すぐ知る事が出来なくても良いと、思っているのだ。
──それが“逆召喚”と呼ばれるものと、ミラノは知らない。
いままでミラノがやってきた事の多くは、“逆召喚”というものだった。建築資材をどこぞから“霊界”へ返還し適当な“霊”を憑依させ、自分の周囲に召喚して操った。“飛槍”の武器や盾も同じだ。
“逆召喚”と言うが、結局は“霊界“を介して、瞬間移動をさせているのだ。ミラノ自身が、落下したものの逆召喚で地上に移したネフィリムの元へ飛んだのも、この瞬間移動になる。
今回は衆目の集まる空、巨大な魔法陣で近い場所に出した為、わかりやすく発覚したと言っていい。
パールフェリカの部屋で1人、ミラノは起きている。
この部屋の主は、ミラノが戻った時すでに青白い顔をしてベッドに沈み、深い寝息をたてていた。室内には誰もおらず、エステリオも扉の向こうに控えているだろう。
ミラノはこの部屋へ戻って真っ先に“うさぎのぬいぐるみ”へ移った。その時、“人”だった場所には、衣服とアクセサリがどさどさと落ちた。
それを赤い刺繍の目で見下ろして、ミラノは感じた。
“人間”ではないのだな、と。
思い返せば、こちらに来て一切飲食をしていない。欲しいと思わない。自分から眠いと感じて寝た事は無い。意識は何度か失せたが、いつも時間が飛ぶだけだった。
──なぜ、おなかがすかない。
──なぜ、ねむくならない。
召喚霊にしろ召喚獣にしろ、“霊界”にいるという“霊”をよんだりかえしたりすると聞いた。
結局、“霊”だとかいうものなのだな、と。
だが、自分のすべてが“霊”だとかいうものになってしまったというわけでは、ないはずだ。きっと自宅の玄関には体は転がっているだろう。
“霊”になってしまうような原因──つまり“死因”──は想像が付かない。玄関で倒れたのだとしても、打ち所が悪くなるような物体は部屋に入って早々には置いていない。
それでも、自分は“霊”としてこの世界に召喚されている存在らしい。つまり、“異界の霊”で召喚霊に相当するのだろう。だが、何故か延々戻る事も無い上、“実体”とやらを与えられて存在している。そのせいで召喚獣と呼ばれている。
だが、召喚霊だとか召喚獣だとか抜きにして、召喚されていない状態にあった時、本当はただの“霊”なのだとしたら、“霊界”とやらから、自分の世界にある本当の体へ戻ることはできないか、と考える。
それが“かえりかた”なのではないか、と。
逆召喚という、方法。
自分を“霊界”へ“返還”し、自宅のアパートに“召喚”する。それで、かえれないだろうか。“霊界”が、自分の世界と繋がっている可能性は高い、何せ自分はあちらから来た。
ほのかに、ミラノの胸に希望が宿り始める。
今夜は皆忙しいだろうし、疲れているだろうから、明日、相談しようと決める。
やはり眠れぬまま、快晴の朝を迎える。
その頃にはもう、空の魔法陣は消え失せていた。
一部は失われたが、新緑の山々に真横から朝日が差し込む。大自然の美しい様を“うさぎのぬいぐるみ”の体で、ミラノは見ていた。やっとかえれるかもしれない、そんな希望を抱いて。
──山下未来希の通帳の残高が無くなるまで、あと……………
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