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【Last】Summoner’s Tast
召喚獣ベヒモス
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(1)
青空には、じわじわと灰色の雲が浮かび始めている。
ひび割れたような雲の切れ間からは、太陽の光がこぼれ、その屈曲したラインだけ、コントラストで白く輝いて見える。陽光は、地面まで届かない。昼間であるのに、雲は厚みを増して、黒く変色していく。
敵ドラゴンが次々と魔法陣に飲まれるように消えて、しばらく経った頃、マンティコアに騎乗していたブレゼノは、別の召喚騎兵の報告に「そうか」と小さな声で肩を落としていた。
26歳のブレゼノは、以前はスティラードと共にネフィリムの護衛騎士だった。10年以上も前から共に戦場を駆けた戦友の最期は、無口な彼の言葉をさらに奪った。
眼前の巨大な魔法陣は、“神の召喚獣”リヴァイアサンを吐き出そうとしている。
ぱきっと、黒い雲から雷が大地に落ちて、樹木を割った。その落雷は、プロフェイブのエルトアニティ王子が繰る“雷帝”のものではない。“雷帝”は、ガミカの飛翔系召喚騎兵の編隊のさらに上空で、ぱちぱちと小さな雷をはらむ長大な翼をゆるやかに羽ばたかせ、リヴァイアサンの方を見ている。エルトアニティ王子は、召喚を解除することもなく、“雷帝”を共に戦わせてくれるようだ。シュナヴィッツのティアマト、ネフィリムの“炎帝”を欠いた戦線では、とても心強い。だが、相手は“神の召喚獣”である。
逃げる事さえ、出来るかどうか怪しい。
落とした肩を精一杯持ち上げて、ブレゼノは背筋を伸ばした。
その後方から、流れ星のようにしゅっと前に回りこんだものがある。
「リディクディ!」
声をより大きく伝える為、ブレゼノは兜を外して脇に抱えた。春の風だが、随分と生温く、汗の流れる頬を空しく撫でる。
「お前、怪我は大丈夫なのか」
ブレゼノは、前方に現れた聖《セント》ペガサスに騎乗するリディクディに、声を投げた。マンティコアはティアマトよりは小さいと言っても、5階建ての建物程の大きさがあるのだ。その大きさのマンティコアに騎乗する時、ブレゼノは鞍を付けず、獅子の頭の長い鬣を体に縛り付けている。
獅子の頭の正面辺りまで、ペガサスは寄ってきた。
リディクディの聖《セント》ペガサスの最大サイズは、馬よりほんの少し大きい程度。だが、その飛翔スピードは最速を誇る。
リディクディの方は最初から兜をしておらず、ゴーグルといつものマスクだけ。ゴーグルを額に跳ね上げ、マスクも取り払ってしまった。その瞬間、爽やかな笑顔を見せる。男が男に見せる顔ではないが。
「動けない事はありませんし、伝令ばかりだから平気です」
元気である事をアピールしたいらしい。リディクディは、21歳と若いパールフェリカの護衛騎士で、どこに行っても女官らに人気がある。
ブレゼノもリディクディも端正な目鼻立ちをしている。ブレゼノは、常日頃厳しい顔付きをしてとっつきにくく無口だが、リディクディの方は、つくりから口角を上げたような相貌をしている上、愛想が良い。笑顔になると少年っぽさが抜け切らず、余計に女心をくすぐるらしい。老若男女に好かれるのが、リディクディの長所と言える。そのようなリディクディでも、すぐに頬を引き締めた。
「ブレゼノさんとスティラードさんは王都まで戻って下さい。この──」
そう言ってぎゅるぎゅると回る巨大な魔法陣を、リディクディは見上げる。
「“神”の魔法陣は、ミラノ様に何とかして頂くしかありませんから」
「そうか。わかった──だが」
言いよどむブレゼノの言葉を、リディクディは待つ。
「……?」
「スティラードは死んだ」
両者は空の上で停止した。
ミラノの敵ドラゴン返還は、間に合わなかった。
「わ、わかりました。そのように、伝えます。……ブレゼノさん、他の召喚騎兵とともに戻ってください。では、俺は先に行きます」
その、次の瞬間。
マンティコアは突風にあおられ、5回半回転しながら空を滑るように落下した。大地へ叩きつけられる前に、マンティコアは翼を広げて姿勢を取り戻した。ばさりばさりと再び高度を上げるマンティコアの上で、ブレゼノは頭を揺すって、自分が元居た辺りを見上げた。
青黒い鱗に覆われた巨大な腕があり、先端に黄色い爪が5本伸びていて、内1本に何か絡まっている。
爪は巨大だ、爪だけでマンティコアの大きさと変わらない。
その爪に転がる、2つの物体。
腕が再び風を生みながら離れていくと、その2つの物体はあっさりと落ちた。物体は、もう元の形もわからない程、潰れている。
マンティコアが自主的に後退していく中、ブレゼノは叫ぶ。
「リディ! リディクディ!!」
落ちて行く最中に、青白い方の物体が──聖《セント》ペガサスが姿を消した。召喚士の力が、尽きた証明になる。もう一方は、木々の間に消えた。
ブレゼノは口を一文字に引き結び、顔ごと背けた。
主の指示が途切れたまま、マンティコアは大きく翼を動かして、振り下ろされるリヴァイアサンの爪を避けてくれている。だが、仲間である他の飛翔系召喚騎兵は、その巨大な腕から逃げ切れず、はたかれ、あるいはその風圧にあおられ、次々と落下していく。
「退け! 退けー!!」
ブレゼノは喉の限りに声を張り上げ、自身も下がる。
ガミカの飛翔系召喚騎兵は、その数を半数以下に減らして、大きく後退した。
リヴァイアサンの姿が、完全に顕れた。
ジズは、もう半分以上姿を見せている。
ブレゼノは絶句した。
リヴァイアサンの大きさは一山あろうかというものだ。轟音を上げて、魔法陣から放り出され、木々を薙ぎ倒し、地面に降り立つ。同時に粉塵が巻き上がり、視界の半分を埋めた。
リヴァイアサンは大地を削るように長大な体を捻り、長い胴の真ん中辺りから体を起こしている。頭は、雲にさえ届くのではないかと思わせた。背の真ん中から後ろ足辺りにかけて、棘だらけの翼があり、そこから尾が続く。とぐろを巻けば、王都などは軽く踏み潰されてしまいそうだ。
リヴィアサンがどしんと尾を地面に叩きつけると、退却を進めている地上部隊の召喚騎兵らは、体ごと浮き上げられている。即席の地震だ。
全身を覆う鱗、瞳はともに深い紺色で、光でも当たらなければ黒色に見える。凶悪な面構えは、以前サルア・ウェティスで召喚されてきた時と何ら変わらない。額の、刃のように縦へ伸びる大きな鱗も健在だ。
ブレゼノの脳裏に、どうにも戦いようが無かったウェティスでの戦線が蘇る。
「来る、のか……人如きではもう、どうにも……」
はっと気付けば、リヴァイアサンのやや後方、回転中の魔法陣からも、もう一体の“神の召喚獣”が顔を出して、きょろきょろとしている。
体がすべて現れる前だというのに、そいつは嘴をかぱっと開いて、巨大な白い光線をあらぬ方へ吐き出し、山を一つ、消し飛ばした。光線の衝撃波は後から来て、空にあるガミカの召喚騎兵の編隊を大きく揺らした。
巨大な鳥の頭は、ゆっくりと首を傾げた。まだ完全に召喚されきっていない事からの定まらぬ狙い、“失敗”に戸惑っているらしい。城でも狙ったか。
ブレゼノは肩から胸を上下させ、息を乱していた。
「……ガミカは、もう…………」
ようやっと搾り出した声。だが、そこから先はもう、言葉にならなかった。
(2)
王都城下町を襲撃していたモンスターらは、七大天使のアザゼルやシェムナイルの光と闇の攻撃によって、その数を大きく減らしつつある。だが、街中には倒壊していく建物の隙間を駆け、逃げ惑う人々がまだまだ多くある。城前広場を目指すが、辿り着けているのはほんの一握りだ。
七大天使のイスラフィルとレザードのコカトリスによって、敵モンスターを排除出来つつある城前広場に辿り着けたとしても、状況が完全に改善するわけではない。暴れまわる巨大なモンスターを前に、人間は一薙ぎ、一払いで、簡単に命を奪われる。モンスターの一歩を逃げるには、人間は十歩駆けねばならない。あっという間に捕まるか、その牙にかじり付かれ、その喉の奥に消える。
1人でも多く救おうと、レザードは召喚獣コカトリスに騎乗して、城前広場をじわじわと中央城下町側へ移動している。
城前広場の戦力は、上空の炎操る天使イスラフィルとこのコカトリスだけだ。ティアマトは城近く、城内に侵入しようとするモンスターを蹴散らしている。が、いかんせん敵の数が多く、また場所も狭い為、最大サイズ最大攻撃力を、ティアマトは生かしきれていない。とはいえ、多彩な攻撃手法を持つティアマトでなければ護りきれない持ち場だ。本陣を護る為、ティアマトは城前広場へ来る事は出来ない。
ティアマトの半分の大きさではあるが、建物4階分の大きさはあるコカトリスの頭に乗って、レザードは巨大な敵モンスターにも立ち向かう。コカトリスの翼には鱗がある、翼の先の尖った鱗を刃のように振り回す。それだけでラナマルカ王ら、ティアマトの居る方へ向かうモンスターの数を減らす事が出来た。だが、逃げて来る人が足の間をすり抜け始めると、身動きがなかなか取れなくなる。
真紅の天使イスラフィルは、上空のワイバーンを全て撃ち落したが、地上の敵となると、足元を人間がうろうろして、一対一を強いられた。護るべき人間だが、恐怖に震えて予測不能の行動をとる。誘導したり、庇ってやったり、騒ぎの根源たる敵を打ち滅ぼそうにも無駄は増える一方で、同じ時間での撃破数は大幅に減っている。
昼も過ぎようとしているのに、辺りは薄暗い。濃く黒い雲が、ガミカ王都を包んでいるのだ。
リヴァイアサンと、もうしばらくもすれば全身を現すだろうジズが、遠いのにはっきりと見えている。どちらも巨大なのだ。
何故、あんな獣が存在するのかと、レザードは思う。
今、目の前にしている様々な敵モンスターも、皆人間と比べると遥かに巨大だ。その姿を前にするだけで、恐怖に身は竦み、その時点で人間は酷く不利だ。
──それでも、今はパールフェリカの召喚獣ミラノが居てくれる。
見上げれば、光輝く7人の天使の姿がある。それに勇気付けられて、人々はどうにかこうにか戦い、逃げ延びている。
リヴァイアサンらの方を見れば、既に敵ドラゴンの姿は無い。
ミラノが返還をしたのだろう。
怪我をしたという風ではなかった、あの左腕。
召喚獣が召喚術を使うなど、聞いた事が無かった。あれが、その代償というのだろうか。
ミラノには、これからリヴァイアサンとジズを、還してもらわなければならない。さらには、これからまた召喚されるであろう最後の“神の召喚獣”、ベヒモスをも──。
その時には、ミラノはどれだけ“形”を残しているのだろうか。
ネフィリムに必ず護れと言われはしたものの、彼女以外“神”に抗う事は出来ない。せめて少しでもその負担を減らすのが、その役目を仰せつかった自分の出来る最大の事。そう考え、レザードは単身城前広場へ躍り出た。
敵ドラゴンは既に還され、城下町のモンスターも大幅に数を減らしている。上空からきっと、ブレゼノとスティラードが率いる飛翔系召喚騎兵が援軍として来てくれる。そう信じて、レザードはコカトリスの頭の上で、その鶏冠に手をかけ、立っている。
10万人を収容できる城前広場、埋め尽くしていた人々を蹴散らしたモンスターの数は、大幅に減じたとはいえ、まだまだ五分にさえ程遠い。単騎では敵の攻撃も集まる。いかに、ガミカの騎士達憧れの近衛騎士、その生え抜きの護衛騎士レザードであっても、あまりに旗色が悪い。
足を取られ、うまく移動出来ず、少しずつ包囲される。離れたところから獣の低い唸り声が聞こえ、レザードははっとして振り返り、コカトリスにもそちらを向かせた。
3匹のクルッドが、彼らの味方の他モンスターさえも鋭い爪で踏み潰しながら、もちろん人間も踏みくちゃにして血煙を上げながら、一気に駆けてくる。眼前で飛び上がり、コカトリスの頭上から襲いくる。レザードは天を指差しコカトリスに叫ぶ。
だが。
1匹2匹と石化させたものの、3匹目が間に合わなかった。残ったクルッドの爪が、コカトリスの頭を大きくひっかいた。
次の瞬間、コカトリスの頭に取り付いたばかりのクルッドが、足場を失って落ち、地面に叩きつけられてぎゃんと悲鳴を上げた。足場、コカトリスが大気に溶けるように消滅した為だ。
強制解除であり、その召喚士の亡骸は、さらに巨大なクルッドの下敷きになった。
それを、退却して戻って来ていたブレゼノは、空の上から見ていた。交戦中のコカトリスを見つけ、急降下中だったが、間に合わなかった。マンティコアの頭を上げ、ブレゼノは再び上空へ戻る。
「…………レザードまでが……」
仲間の死、あるいは己の死という未来が、常にいつかあるものだとしても、それが全て今日だとは、思わない。戦いの日々、そうやって潜り抜けて来ていた。だが、今日という日はあまりに──残酷だ。覚悟はあっても、胸を貫く痛みは、簡単に抑えらるものじゃない。
一山程ある巨大なリヴァイアサンと、2枚目の魔法陣から完全に抜け出した怪鳥ジズ。両者が並ぶと、空は埋め尽くされる。
“神の召喚獣”ジズは、トカゲかドラゴンかという顔をしていて、その鋭い目をぐるりぐるりと、何かを探すように巡らせている。見出せないとなると、黄色とオレンジの羽毛を飛び散らせ、ハリケーンのような突風を生み出す羽ばたきを見せた。次いで、先程失敗した巨大な光線を嘴の奥から吐き出し、反対側の山を吹き飛ばした。それに呼応するかのように、リヴァイアサンも口を縦に大きく開き、城下町へ向けて爆炎を吹きかける。
すぐに、エメラルドの翼を持つ七大天使ミカルが飛び、爆炎の前に盾を生み出した。だが、天使の作った盾も、爆発と共にカチ割られ、炎の塊が王都へ流れ込んだ。街の四分の一が、あちこち轟音を上げて爆裂し、雲まで達する煙を吐き上げていく。それには、モンスターも人間も、多くの命が巻き込まれた。
リヴァイアサンが、ジズが“何か”を求めるようにあちらこちらを向き、木々と大地を蹴り上げ、吹き飛ばしながら王都へ近寄る。
七大天使さえ、その圧倒的な威圧感に動きを止め、リヴァイアサンとジズを見上げた。
あまりの様子に、ラナマルカ王はバルコニーの手すりまで駆け出した。ミラノもその後をついて行く。王は都をぐるりと見回した。
「…………──ひどい」
目を細めたミラノは、右手をリヴァイアサンとジズへ向ける。顎を上げて睨め付ける。
「また、会ったわね」
先にリヴァイアサンに手を向けて、下ろす。対処法なら、わかっている。すぐにリヴァイアサンの頭上に七色の魔法陣が回り始める。
それに気付いたラナマルカ王は、やや背後に立つミラノを振り返った。
「ミラノ……すまん、頼む……!」
言葉と共に、その頭が下げられた。バルコニーからこの広間へ向けて、どこからか上がる人々の「ミラノ! ミラノ」という声は、時に途切れながらも、続く。
敵モンスターの広間侵入も、ティアマトの健闘によってようやっとおさまり始めていた。ほっとして、シュナヴィッツは父王を、ミラノを、見たのだが──。
ミラノの左袖が、肘辺りからペタンコで風に揺れているのに気付く。
城前広場から、さらには城下町から、やまない火炎の熱気が、山頂の巨城エストルクへと吹き上げている。その風が、ミラノの左袖をさわさわと揺らすのだ。
“うさぎのぬいぐるみ”でボロボロに、ぺたんこになっている姿なら見たが、“人”の姿でまで“そうなっている”のは、どういう事か。
疲労から重くなりつつある足を持ち上げ、シュナヴィッツはミラノの傍へ駆ける。
「ミラノ! その腕──」
ミラノがちらりとシュナヴィッツを見た時、空から、強烈な光がカッと差し込んだ。王都全体が白く輝き、室内の広間にはその分濃い影が落ちた。
突如、巨大な光の帯が、暗雲を割って現れたのだ。
輝きと共に響いたどすんという衝撃音。衝撃波は強い風となって王都中を吹き荒れた。王城3階バルコニーにも強い風が吹き込んできた。咄嗟に大将軍が王を庇い、シュナヴィッツはミラノの前に立った。突風が収まるのを待って、再び空を見上げる。
光の帯は、リヴァイアサンを返還しようと生み出されたミラノの魔法陣にぶっ刺さり、食い破っていた。
「──な!?」
大将軍クロードは声をあげ、王の隣でバルコニーから身を乗り出した。ばさばさと揺れる髪を乱暴に払いのける。
「またか!?」
やまぬ荒れる風に、パラパラと埃も巻き上げられ、細かな木の枝も飛んできている。それらをそれぞれ払いのけては、目に砂が入らぬよう薄目で辺りを窺っている。
風があらかた収まると、皆、空を睨んだ。
光の帯は、リヴァイアサンやジズの頭上でぐるぐると巡り、円形に巻き取られると、魔法陣の形をとり始めた。
ミラノの魔法陣は消され、何処からか飛んで来た光の帯によって、新たに3枚目の魔法陣が生み出されている。その下で、リヴァイアサンとジズが大地に空にと暴れる。それを、止めるものは何も無い。
空に生まれた魔法陣の中から、間を開けず、黒ずんだ太い手足らしきもの下側に現れはじめる。
「──“神の召喚獣”ベヒモス……!」
ラナマルカ王が、見るに忍びない程の悲痛な面持ちで、第3の“神の召喚獣”を見上げている。
ミラノは、ベヒモスが現れつつある魔法陣を半眼で睨む。奥歯をぐっと噛んでみたが、すぐに解いた。
笑みが、こみ上げて来たのだ。声をあげて笑うという事は無いが、ほんの少しだけ口角を上げ、目を細めた。
──次は、どこを持っていくのかしらね……義手って……高いのかしら。腕で済めば、良いけれど。
そんな事を考えて、表情を真顔に戻した。“やれば出来た”が通用すれば、良いが……。
ミラノの足元に、七色の魔法陣が生み出されると、内側から光の帯がうねるように伸び上がる。空へ登る程、太く、巨大な光の柱へと変貌する。
試しにミラノが作り出した“光の帯”は、ベヒモスが姿を見せ始める魔法陣の一端に、がちんと突き刺さると、荒々しく上下動して一気に食い破る。
自分の魔法陣が食われたのを、真似してやったのだ。どうやら、出来たらしい。魔法陣をあらかた食い荒らすと、ミラノのその光の帯は、破れた魔法陣を潜り抜け、現れかけていたベヒモスの手足に巻きつく。
ぎゅっと光が収束して消失したかと思えば、再び輝きが灯り、魔法陣が生まれ、大きく広がる。すぐにそこから、ベヒモスが姿を現し始める。それも先程とは比べ物にならない速さで、全容を見せる。
リヴァイアサンとジズの間に、轟音とともにベヒモスは産み落とされた。
凶悪な姿をしているリヴァイアサンとジズに比べると、それの瞳は円らだ。爬虫類型の二体と異なって、伸びた鼻先と大きな鼻の穴、間の大きく開いた目は愛嬌さえある。4つ足で、カバのような印象がある。
大きさはリヴァイアサンとほぼ同等。全身を長いまっすぐの灰色の毛で覆われている。頭の上にもその毛は生えている。毛の隙間から、例の丸い黒い目が覗いている格好だ。
重量たっぷりで、一歩足を踏み出すだけで、大地が抉れる。
少し口を開いて、かはーと息を吐き出す。それで木々は吹き飛び、空に舞い上がる。
動きはリヴァイアサン、ジズと比べると遅い。歩みを止める、という動作すらゆっくりしたものだ。
丸い瞳が、びたりと、3階バルコニーに居るミラノを見つめる。
それを受け止めて、ミラノは細めた目を持ち上げた。ベヒモスと、目を合わせる。
「──あれを、何とかしたいの」
ミラノは小さな声で呟いた。この距離でそんな小声が届くはずはないのだが、ベヒモスはゆらりと首を回して背を向けた。ずしんずしんと地を鳴らし、木々を、大地を破壊しながら進む。
そして、動きを止めていたリヴァイアサンとジズに向け、前足を大きく上げて襲い掛かった。粉塵が大きく巻き上がり、その光景の半分を隠す。
リヴァイアサンとジズの、さらにはベヒモスの奇声が耳をつんざく。辺りに満ちる。
やられた事をやり返して、“神の魔法陣”を破壊した。ついでにミラノは、召喚されてくるものを、乗っ取ってやったのだ。ベヒモスは、ミラノに従う召喚獣。
ベヒモスの巨大な口が、ジズの翼を一枚、食いちぎった。
(3)
地表が、大きく削られる。
蹴り上げられた土砂と木々は、落下した場所でまた木々を薙ぎ倒す。
山と山が激突して、その規模で炎を吹いたり、白色の閃光を吐き出すようなものだ。余波は周囲の山々を次々と潰し、大地に穴を開け、雲にすら風穴を開く。
この桁違いの大きさをもつ獣は、“神”が天地創造の助けにと創ったという。海の“獣”リヴァイアサン、空の“獣”ジズ、陸の“獣”ベヒモスが集うのは、その時以来だ。人間など、彼らの一滴の涙で溺れる。それ程巨大な生き物が、間近で暴れている。もしリヴァイアサンが押しやられて王都に倒れ込んで来たならば、その瞬間に失われる命の数は計り知れず、完全に壊滅する。
ベヒモスがこちらに背を向け、ジズを後ろ足で踏みつけて、前足をリヴァイアサンの顎に突っ込んだ。押さえ込んだリヴァイアサンの首を、ベヒモスはカバの口でがぶがぶ噛んでいる。隙間から、リヴァイアサンの鱗らしきものがばりばりこぼれる。
ベヒモスの足の下から、ジズが白い閃光をギーギー言いながら放つ。だが、山を吹き飛ばす程の攻撃が見事的中しても、ベヒモスの毛を蒸発させ、黒色の肌をむき出しにするだけだ。次の瞬間には、するんと新しい毛が生えてきて、体表面を覆った。ダメージは限りなく0に等しく、ベヒモスは意に介す様子が無い。
リヴァイアサンも自身のびっしりとある牙で、口の中に突っ込まれているベヒモスの太い前足をごりごりと、顎を左右に擦って噛み付こうとしているが、一向に歯が立たない。
ベヒモスの動きは確かに鈍いが、3体のいずれよりも体が硬く出来ている。創造主たる“神”にしか、傷を付ける事が出来ないという伝承は、事実のようだ。
そのベヒモスの頭の上の小さな丸い耳が、時折ひくひくっと揺れて後ろへ向いている。その度、何かに気付いてびくりと身を震わせ、隙が生まれている。その隙に、リヴァイアサンもベヒモスの顔面に爆炎を吹きかけるなどするのだが、これにはびくともしない。
巨大生物の取っ組み合いを、城前広場の上空で見ていたアザゼルだが、手を休めていたわけではない。光の矢でアンフェスバエナを全て倒し終えた時、再びベヒモスの方を向いた。
「……ベヒモスの“絆”を、歪められたか」
アザゼルは、ゆらりとミラノの居る方を見る。召喚された存在であるアザゼルには、召喚主の位置など容易くわかる。
「余波で、レイムラースに遮断され細くなった“絆”さえ断ちかねない。道を閉ざすおつもりか。我々にはその方が…………。レイムラースは、詰問だと言っているが、不届きにも“断罪”を目指している……このままでは……」
「アザゼル」
背後から、シェムナイルが地に響くように太い、しかし静かな声で彼の名を呼んだ。
アザゼルは顎を引きながらミラノから視線を逸らし、後ろで闇色の翼をはためかせるシェムナイルを見た。シェムナイルに、表情は無い。
「我々が案ずる事は常に何も無い。考え始めれば、レイムラースの二の舞ぞ」
「……それは、わかっているが。聞こえるだろう、召喚された身にこれは堪える。ベヒモスもさぞかし、不利だろうよ。身が裂けそうだ。──あの方の悲鳴が止まない。闇の淵が、その身を食らっているのだ」
風が大きく吹いた。
“神の召喚獣”ジズが、ベヒモスの足の下から脱し、片翼で不器用に空へ飛び上がろうとしている。
顔にかかる銀髪を、シェムナイルはゆったりとした動作で避けて、アザゼルの瞳を見る。
「それを、この私がわからないとでも思っているのか、アザゼル」
「……闇のシェムナイルに、わざわざ説明する事ではなかったな」
シェムナイルはそれには答えず、王城3階バルコニー辺りに視線を動かす。
「こちらへ召喚した“絆”が途絶えた時、あの方はもう二度と“霊界”を超えられない。それが、アルティノルドにも“神”にも変えられない、闇の……“霊界”の力だ」
「ではこの悲鳴は、無意識だとでも?」
「あるいはアルティノルドの求める──……」
一際大きな奇声が山々を越えて響き渡る。見やれば、ジズのもう一方の翼がベヒモスに食いちぎられ、地に落ちるところだった。木々を薙ぎ倒し、倒れ伏す事で、地すべりを起こしている。轟音が王都まで届き、土砂は延焼を続ける山の一端を飲み込んだ。
ベヒモスも、七大天使も眉をひそめる事は無い。
別の、音無き音、声無き声に、びくりと身を震わせる。
悲鳴は音ではない、召喚されたアザゼルら七大天使を、ベヒモスを引き裂くような痛み。強制的に召喚が解けてしまいそうな程の痛み、悲鳴が、召喚主から届く。
“絆”を辿って、召喚士の心の痛みが、届くのだ。
3階バルコニーへと上がってくる敵モンスターを全て斬り伏せたシュナヴィッツは、抜き身の刀をそのまま、ミラノの横に駆け寄った。
その左袖をじっと見る。厚みが無い。目を上げて、シュナヴィッツはミラノの黒い瞳を見る。ミラノの瞳は逸らされていて、彼女は空に居る七大天使らを見ている。
「ミラノ」
シュナヴィッツがその左袖に触れようとした時──。
「陛下!」
バルコニー正面に、獅子の頭持つマンティコアが、ばさりとその翼を大きく羽ばたかせて降りて来る。マンティコア自身はそこで地に足を付き、翼を器用にたたんだ。高さをあわせるように下げられたマンティコアの頭から、ブレゼノはがっしゃんと鎧を鳴らして、バルコニーに飛び降りた。
「ブレゼノ、無事だったか」
シュナヴィッツが声をかけるが、ブレゼノは眉をひそめて小さく首を横に振った後、ラナマルカ王を見た。
「飛翔系召喚騎兵は三分の一に減じ、地上の部隊はほとんど見つける事が出来ません」
地上を駆けていた部隊の居た辺りはもう、リヴァイアサンやベヒモスらに踏みくちゃにされている。
「スティラード、リディクディ、レザードも死にました」
聞いたことのある名に、ミラノは右手を自分の胸元にそっと当てた。どくどくと脈打つ自分の心音をつぶすように、上衣の生地をアクセサリごと握る。
──七大天使らの動きが一瞬止まり、ベヒモスの上体が少し傾いだ。
「そうか、わかった。ブレゼノ、ご苦労だった」
ラナマルカ王は労いの言葉をかけて、ブレゼノの肩に手を乗せ、掴むように撫ぜた。シュナヴィッツも大将軍クロードも、そこに居た誰もが沈痛な面持ちでそれらを受け止めている。燃え盛る山々の中に取り残された王都で、傍らには創世期に力を発揮した巨大な“神の召喚獣”が暴れている。そこで、小さな人間が生き残る事は、きっとひどく難しいのだ。そういう納得の仕方を、した。
その後も、ブレゼノが上空から見た城下町の被害状況を王に報告しているが、ミラノは聞いていなかった。
目を瞑り、ただ覚悟した。
「ミラノ」
ゆっくりと目を開けると、シュナヴィッツが半歩の距離に立っていた。鎧はあちこち擦ったような汚れや、緑やら青紫の返り血らしきものが付着している。兜を取り払った顔には、汗や擦り傷がある。本来まっすぐの亜麻色の髪は、頬や首に張り付いている。
ミラノはゆっくりとシュナヴィッツの方を向き、見上げる。
シュナヴィッツは、中身の無い左袖に手を近付けた。躊躇うように肩まで手を持ち上げて、そこに乗せようとして──すかっとすり抜けた。
タイミングを合わせたかのように、ミラノの肩からごっそり腕が無くなったのだ。首の付け根から肩があった辺り、服がぺたんこになっている。二の腕辺りの腕輪がしゅるっと抜けて、落ちた。崩しかけた姿勢をすぐに正して、シュナヴィッツはひらひらと揺れるばかりの袖を見る。刀を持って居ない方の手が、ミラノの左腕のあった辺りに、触れそうで触れない。シュナヴィッツは息を飲み込んでから、ミラノを見る。
「ミラノ……腕が……」
その様子を、淡々とした目で追っていたミラノは、ゆるく首を傾げた。
「……パールの場所が、わからないの……無事だと、いいのだけど」
話を逸らしている。心配をしてくれるのはありがたいが、面倒なのだ。今、これが事実、それしか言えない。だが、理解を得たり、その心配を打ち消すには、きっと足りない。そもそもミラノ自身が、このまま実体が消えた後、どうなるのかわからないでいる。『心配しないで』なんて言ったって、説得力は欠片もないのだ。
「ミラノ、腕が」
シュナヴィッツはもう一度言った。他に言葉が見つからないらしい。心配そうに眉間に皺を寄せて、眉尻を下げるシュナヴィッツ。
──なのに、彼はミラノに言わせるのだ。
「こんなの、なんともないでしょう? 私は召喚獣なのでしょう? はじめから。皆、がんばっているの。これ位、どうって事ないのよ。痛くなんて、ないのだし、本当よ?」
そして、ミラノは微笑んだ。
シュナヴィッツは下唇を噛んで、足元を見る。
その沈黙に、ブレゼノの声が割り込むように聞こえた。
「ここへ来る際、屋上、聖火台の傍で正体不明の獣と、そちらへ向かって飛ぶ“炎帝”と赤《レッド》ヒポグリフを見ました」
「……屋上」
ミラノが小さく呟く。正体不明の獣とは、パールフェリカを捕らえた6枚の翼を持つ、レイムラースとやらではないのか。
「父上、僕も兄上のところへ行きます。まだモンスターの姿がありますのでティアマトは置いていきます。ブレゼノは父上を頼む!」
駆け出すシュナヴィッツの腕を、ミラノの右手が掴む。
「私も行きます」
「ミラノはここに居ろ!」
「パールは私の召喚主なのでしょう。召喚獣が主の危機にその傍へ行かないなんて、どうなの?」
まっすぐに見上げるミラノの瞳を、シュナヴィッツは目を細めて見返す。彼はぐっと奥歯を噛んだ。
「…………僕から、離れるな」
シュナヴィッツが先を走り、ミラノもその後を追って広間を出た。
青空には、じわじわと灰色の雲が浮かび始めている。
ひび割れたような雲の切れ間からは、太陽の光がこぼれ、その屈曲したラインだけ、コントラストで白く輝いて見える。陽光は、地面まで届かない。昼間であるのに、雲は厚みを増して、黒く変色していく。
敵ドラゴンが次々と魔法陣に飲まれるように消えて、しばらく経った頃、マンティコアに騎乗していたブレゼノは、別の召喚騎兵の報告に「そうか」と小さな声で肩を落としていた。
26歳のブレゼノは、以前はスティラードと共にネフィリムの護衛騎士だった。10年以上も前から共に戦場を駆けた戦友の最期は、無口な彼の言葉をさらに奪った。
眼前の巨大な魔法陣は、“神の召喚獣”リヴァイアサンを吐き出そうとしている。
ぱきっと、黒い雲から雷が大地に落ちて、樹木を割った。その落雷は、プロフェイブのエルトアニティ王子が繰る“雷帝”のものではない。“雷帝”は、ガミカの飛翔系召喚騎兵の編隊のさらに上空で、ぱちぱちと小さな雷をはらむ長大な翼をゆるやかに羽ばたかせ、リヴァイアサンの方を見ている。エルトアニティ王子は、召喚を解除することもなく、“雷帝”を共に戦わせてくれるようだ。シュナヴィッツのティアマト、ネフィリムの“炎帝”を欠いた戦線では、とても心強い。だが、相手は“神の召喚獣”である。
逃げる事さえ、出来るかどうか怪しい。
落とした肩を精一杯持ち上げて、ブレゼノは背筋を伸ばした。
その後方から、流れ星のようにしゅっと前に回りこんだものがある。
「リディクディ!」
声をより大きく伝える為、ブレゼノは兜を外して脇に抱えた。春の風だが、随分と生温く、汗の流れる頬を空しく撫でる。
「お前、怪我は大丈夫なのか」
ブレゼノは、前方に現れた聖《セント》ペガサスに騎乗するリディクディに、声を投げた。マンティコアはティアマトよりは小さいと言っても、5階建ての建物程の大きさがあるのだ。その大きさのマンティコアに騎乗する時、ブレゼノは鞍を付けず、獅子の頭の長い鬣を体に縛り付けている。
獅子の頭の正面辺りまで、ペガサスは寄ってきた。
リディクディの聖《セント》ペガサスの最大サイズは、馬よりほんの少し大きい程度。だが、その飛翔スピードは最速を誇る。
リディクディの方は最初から兜をしておらず、ゴーグルといつものマスクだけ。ゴーグルを額に跳ね上げ、マスクも取り払ってしまった。その瞬間、爽やかな笑顔を見せる。男が男に見せる顔ではないが。
「動けない事はありませんし、伝令ばかりだから平気です」
元気である事をアピールしたいらしい。リディクディは、21歳と若いパールフェリカの護衛騎士で、どこに行っても女官らに人気がある。
ブレゼノもリディクディも端正な目鼻立ちをしている。ブレゼノは、常日頃厳しい顔付きをしてとっつきにくく無口だが、リディクディの方は、つくりから口角を上げたような相貌をしている上、愛想が良い。笑顔になると少年っぽさが抜け切らず、余計に女心をくすぐるらしい。老若男女に好かれるのが、リディクディの長所と言える。そのようなリディクディでも、すぐに頬を引き締めた。
「ブレゼノさんとスティラードさんは王都まで戻って下さい。この──」
そう言ってぎゅるぎゅると回る巨大な魔法陣を、リディクディは見上げる。
「“神”の魔法陣は、ミラノ様に何とかして頂くしかありませんから」
「そうか。わかった──だが」
言いよどむブレゼノの言葉を、リディクディは待つ。
「……?」
「スティラードは死んだ」
両者は空の上で停止した。
ミラノの敵ドラゴン返還は、間に合わなかった。
「わ、わかりました。そのように、伝えます。……ブレゼノさん、他の召喚騎兵とともに戻ってください。では、俺は先に行きます」
その、次の瞬間。
マンティコアは突風にあおられ、5回半回転しながら空を滑るように落下した。大地へ叩きつけられる前に、マンティコアは翼を広げて姿勢を取り戻した。ばさりばさりと再び高度を上げるマンティコアの上で、ブレゼノは頭を揺すって、自分が元居た辺りを見上げた。
青黒い鱗に覆われた巨大な腕があり、先端に黄色い爪が5本伸びていて、内1本に何か絡まっている。
爪は巨大だ、爪だけでマンティコアの大きさと変わらない。
その爪に転がる、2つの物体。
腕が再び風を生みながら離れていくと、その2つの物体はあっさりと落ちた。物体は、もう元の形もわからない程、潰れている。
マンティコアが自主的に後退していく中、ブレゼノは叫ぶ。
「リディ! リディクディ!!」
落ちて行く最中に、青白い方の物体が──聖《セント》ペガサスが姿を消した。召喚士の力が、尽きた証明になる。もう一方は、木々の間に消えた。
ブレゼノは口を一文字に引き結び、顔ごと背けた。
主の指示が途切れたまま、マンティコアは大きく翼を動かして、振り下ろされるリヴァイアサンの爪を避けてくれている。だが、仲間である他の飛翔系召喚騎兵は、その巨大な腕から逃げ切れず、はたかれ、あるいはその風圧にあおられ、次々と落下していく。
「退け! 退けー!!」
ブレゼノは喉の限りに声を張り上げ、自身も下がる。
ガミカの飛翔系召喚騎兵は、その数を半数以下に減らして、大きく後退した。
リヴァイアサンの姿が、完全に顕れた。
ジズは、もう半分以上姿を見せている。
ブレゼノは絶句した。
リヴァイアサンの大きさは一山あろうかというものだ。轟音を上げて、魔法陣から放り出され、木々を薙ぎ倒し、地面に降り立つ。同時に粉塵が巻き上がり、視界の半分を埋めた。
リヴァイアサンは大地を削るように長大な体を捻り、長い胴の真ん中辺りから体を起こしている。頭は、雲にさえ届くのではないかと思わせた。背の真ん中から後ろ足辺りにかけて、棘だらけの翼があり、そこから尾が続く。とぐろを巻けば、王都などは軽く踏み潰されてしまいそうだ。
リヴィアサンがどしんと尾を地面に叩きつけると、退却を進めている地上部隊の召喚騎兵らは、体ごと浮き上げられている。即席の地震だ。
全身を覆う鱗、瞳はともに深い紺色で、光でも当たらなければ黒色に見える。凶悪な面構えは、以前サルア・ウェティスで召喚されてきた時と何ら変わらない。額の、刃のように縦へ伸びる大きな鱗も健在だ。
ブレゼノの脳裏に、どうにも戦いようが無かったウェティスでの戦線が蘇る。
「来る、のか……人如きではもう、どうにも……」
はっと気付けば、リヴァイアサンのやや後方、回転中の魔法陣からも、もう一体の“神の召喚獣”が顔を出して、きょろきょろとしている。
体がすべて現れる前だというのに、そいつは嘴をかぱっと開いて、巨大な白い光線をあらぬ方へ吐き出し、山を一つ、消し飛ばした。光線の衝撃波は後から来て、空にあるガミカの召喚騎兵の編隊を大きく揺らした。
巨大な鳥の頭は、ゆっくりと首を傾げた。まだ完全に召喚されきっていない事からの定まらぬ狙い、“失敗”に戸惑っているらしい。城でも狙ったか。
ブレゼノは肩から胸を上下させ、息を乱していた。
「……ガミカは、もう…………」
ようやっと搾り出した声。だが、そこから先はもう、言葉にならなかった。
(2)
王都城下町を襲撃していたモンスターらは、七大天使のアザゼルやシェムナイルの光と闇の攻撃によって、その数を大きく減らしつつある。だが、街中には倒壊していく建物の隙間を駆け、逃げ惑う人々がまだまだ多くある。城前広場を目指すが、辿り着けているのはほんの一握りだ。
七大天使のイスラフィルとレザードのコカトリスによって、敵モンスターを排除出来つつある城前広場に辿り着けたとしても、状況が完全に改善するわけではない。暴れまわる巨大なモンスターを前に、人間は一薙ぎ、一払いで、簡単に命を奪われる。モンスターの一歩を逃げるには、人間は十歩駆けねばならない。あっという間に捕まるか、その牙にかじり付かれ、その喉の奥に消える。
1人でも多く救おうと、レザードは召喚獣コカトリスに騎乗して、城前広場をじわじわと中央城下町側へ移動している。
城前広場の戦力は、上空の炎操る天使イスラフィルとこのコカトリスだけだ。ティアマトは城近く、城内に侵入しようとするモンスターを蹴散らしている。が、いかんせん敵の数が多く、また場所も狭い為、最大サイズ最大攻撃力を、ティアマトは生かしきれていない。とはいえ、多彩な攻撃手法を持つティアマトでなければ護りきれない持ち場だ。本陣を護る為、ティアマトは城前広場へ来る事は出来ない。
ティアマトの半分の大きさではあるが、建物4階分の大きさはあるコカトリスの頭に乗って、レザードは巨大な敵モンスターにも立ち向かう。コカトリスの翼には鱗がある、翼の先の尖った鱗を刃のように振り回す。それだけでラナマルカ王ら、ティアマトの居る方へ向かうモンスターの数を減らす事が出来た。だが、逃げて来る人が足の間をすり抜け始めると、身動きがなかなか取れなくなる。
真紅の天使イスラフィルは、上空のワイバーンを全て撃ち落したが、地上の敵となると、足元を人間がうろうろして、一対一を強いられた。護るべき人間だが、恐怖に震えて予測不能の行動をとる。誘導したり、庇ってやったり、騒ぎの根源たる敵を打ち滅ぼそうにも無駄は増える一方で、同じ時間での撃破数は大幅に減っている。
昼も過ぎようとしているのに、辺りは薄暗い。濃く黒い雲が、ガミカ王都を包んでいるのだ。
リヴァイアサンと、もうしばらくもすれば全身を現すだろうジズが、遠いのにはっきりと見えている。どちらも巨大なのだ。
何故、あんな獣が存在するのかと、レザードは思う。
今、目の前にしている様々な敵モンスターも、皆人間と比べると遥かに巨大だ。その姿を前にするだけで、恐怖に身は竦み、その時点で人間は酷く不利だ。
──それでも、今はパールフェリカの召喚獣ミラノが居てくれる。
見上げれば、光輝く7人の天使の姿がある。それに勇気付けられて、人々はどうにかこうにか戦い、逃げ延びている。
リヴァイアサンらの方を見れば、既に敵ドラゴンの姿は無い。
ミラノが返還をしたのだろう。
怪我をしたという風ではなかった、あの左腕。
召喚獣が召喚術を使うなど、聞いた事が無かった。あれが、その代償というのだろうか。
ミラノには、これからリヴァイアサンとジズを、還してもらわなければならない。さらには、これからまた召喚されるであろう最後の“神の召喚獣”、ベヒモスをも──。
その時には、ミラノはどれだけ“形”を残しているのだろうか。
ネフィリムに必ず護れと言われはしたものの、彼女以外“神”に抗う事は出来ない。せめて少しでもその負担を減らすのが、その役目を仰せつかった自分の出来る最大の事。そう考え、レザードは単身城前広場へ躍り出た。
敵ドラゴンは既に還され、城下町のモンスターも大幅に数を減らしている。上空からきっと、ブレゼノとスティラードが率いる飛翔系召喚騎兵が援軍として来てくれる。そう信じて、レザードはコカトリスの頭の上で、その鶏冠に手をかけ、立っている。
10万人を収容できる城前広場、埋め尽くしていた人々を蹴散らしたモンスターの数は、大幅に減じたとはいえ、まだまだ五分にさえ程遠い。単騎では敵の攻撃も集まる。いかに、ガミカの騎士達憧れの近衛騎士、その生え抜きの護衛騎士レザードであっても、あまりに旗色が悪い。
足を取られ、うまく移動出来ず、少しずつ包囲される。離れたところから獣の低い唸り声が聞こえ、レザードははっとして振り返り、コカトリスにもそちらを向かせた。
3匹のクルッドが、彼らの味方の他モンスターさえも鋭い爪で踏み潰しながら、もちろん人間も踏みくちゃにして血煙を上げながら、一気に駆けてくる。眼前で飛び上がり、コカトリスの頭上から襲いくる。レザードは天を指差しコカトリスに叫ぶ。
だが。
1匹2匹と石化させたものの、3匹目が間に合わなかった。残ったクルッドの爪が、コカトリスの頭を大きくひっかいた。
次の瞬間、コカトリスの頭に取り付いたばかりのクルッドが、足場を失って落ち、地面に叩きつけられてぎゃんと悲鳴を上げた。足場、コカトリスが大気に溶けるように消滅した為だ。
強制解除であり、その召喚士の亡骸は、さらに巨大なクルッドの下敷きになった。
それを、退却して戻って来ていたブレゼノは、空の上から見ていた。交戦中のコカトリスを見つけ、急降下中だったが、間に合わなかった。マンティコアの頭を上げ、ブレゼノは再び上空へ戻る。
「…………レザードまでが……」
仲間の死、あるいは己の死という未来が、常にいつかあるものだとしても、それが全て今日だとは、思わない。戦いの日々、そうやって潜り抜けて来ていた。だが、今日という日はあまりに──残酷だ。覚悟はあっても、胸を貫く痛みは、簡単に抑えらるものじゃない。
一山程ある巨大なリヴァイアサンと、2枚目の魔法陣から完全に抜け出した怪鳥ジズ。両者が並ぶと、空は埋め尽くされる。
“神の召喚獣”ジズは、トカゲかドラゴンかという顔をしていて、その鋭い目をぐるりぐるりと、何かを探すように巡らせている。見出せないとなると、黄色とオレンジの羽毛を飛び散らせ、ハリケーンのような突風を生み出す羽ばたきを見せた。次いで、先程失敗した巨大な光線を嘴の奥から吐き出し、反対側の山を吹き飛ばした。それに呼応するかのように、リヴァイアサンも口を縦に大きく開き、城下町へ向けて爆炎を吹きかける。
すぐに、エメラルドの翼を持つ七大天使ミカルが飛び、爆炎の前に盾を生み出した。だが、天使の作った盾も、爆発と共にカチ割られ、炎の塊が王都へ流れ込んだ。街の四分の一が、あちこち轟音を上げて爆裂し、雲まで達する煙を吐き上げていく。それには、モンスターも人間も、多くの命が巻き込まれた。
リヴァイアサンが、ジズが“何か”を求めるようにあちらこちらを向き、木々と大地を蹴り上げ、吹き飛ばしながら王都へ近寄る。
七大天使さえ、その圧倒的な威圧感に動きを止め、リヴァイアサンとジズを見上げた。
あまりの様子に、ラナマルカ王はバルコニーの手すりまで駆け出した。ミラノもその後をついて行く。王は都をぐるりと見回した。
「…………──ひどい」
目を細めたミラノは、右手をリヴァイアサンとジズへ向ける。顎を上げて睨め付ける。
「また、会ったわね」
先にリヴァイアサンに手を向けて、下ろす。対処法なら、わかっている。すぐにリヴァイアサンの頭上に七色の魔法陣が回り始める。
それに気付いたラナマルカ王は、やや背後に立つミラノを振り返った。
「ミラノ……すまん、頼む……!」
言葉と共に、その頭が下げられた。バルコニーからこの広間へ向けて、どこからか上がる人々の「ミラノ! ミラノ」という声は、時に途切れながらも、続く。
敵モンスターの広間侵入も、ティアマトの健闘によってようやっとおさまり始めていた。ほっとして、シュナヴィッツは父王を、ミラノを、見たのだが──。
ミラノの左袖が、肘辺りからペタンコで風に揺れているのに気付く。
城前広場から、さらには城下町から、やまない火炎の熱気が、山頂の巨城エストルクへと吹き上げている。その風が、ミラノの左袖をさわさわと揺らすのだ。
“うさぎのぬいぐるみ”でボロボロに、ぺたんこになっている姿なら見たが、“人”の姿でまで“そうなっている”のは、どういう事か。
疲労から重くなりつつある足を持ち上げ、シュナヴィッツはミラノの傍へ駆ける。
「ミラノ! その腕──」
ミラノがちらりとシュナヴィッツを見た時、空から、強烈な光がカッと差し込んだ。王都全体が白く輝き、室内の広間にはその分濃い影が落ちた。
突如、巨大な光の帯が、暗雲を割って現れたのだ。
輝きと共に響いたどすんという衝撃音。衝撃波は強い風となって王都中を吹き荒れた。王城3階バルコニーにも強い風が吹き込んできた。咄嗟に大将軍が王を庇い、シュナヴィッツはミラノの前に立った。突風が収まるのを待って、再び空を見上げる。
光の帯は、リヴァイアサンを返還しようと生み出されたミラノの魔法陣にぶっ刺さり、食い破っていた。
「──な!?」
大将軍クロードは声をあげ、王の隣でバルコニーから身を乗り出した。ばさばさと揺れる髪を乱暴に払いのける。
「またか!?」
やまぬ荒れる風に、パラパラと埃も巻き上げられ、細かな木の枝も飛んできている。それらをそれぞれ払いのけては、目に砂が入らぬよう薄目で辺りを窺っている。
風があらかた収まると、皆、空を睨んだ。
光の帯は、リヴァイアサンやジズの頭上でぐるぐると巡り、円形に巻き取られると、魔法陣の形をとり始めた。
ミラノの魔法陣は消され、何処からか飛んで来た光の帯によって、新たに3枚目の魔法陣が生み出されている。その下で、リヴァイアサンとジズが大地に空にと暴れる。それを、止めるものは何も無い。
空に生まれた魔法陣の中から、間を開けず、黒ずんだ太い手足らしきもの下側に現れはじめる。
「──“神の召喚獣”ベヒモス……!」
ラナマルカ王が、見るに忍びない程の悲痛な面持ちで、第3の“神の召喚獣”を見上げている。
ミラノは、ベヒモスが現れつつある魔法陣を半眼で睨む。奥歯をぐっと噛んでみたが、すぐに解いた。
笑みが、こみ上げて来たのだ。声をあげて笑うという事は無いが、ほんの少しだけ口角を上げ、目を細めた。
──次は、どこを持っていくのかしらね……義手って……高いのかしら。腕で済めば、良いけれど。
そんな事を考えて、表情を真顔に戻した。“やれば出来た”が通用すれば、良いが……。
ミラノの足元に、七色の魔法陣が生み出されると、内側から光の帯がうねるように伸び上がる。空へ登る程、太く、巨大な光の柱へと変貌する。
試しにミラノが作り出した“光の帯”は、ベヒモスが姿を見せ始める魔法陣の一端に、がちんと突き刺さると、荒々しく上下動して一気に食い破る。
自分の魔法陣が食われたのを、真似してやったのだ。どうやら、出来たらしい。魔法陣をあらかた食い荒らすと、ミラノのその光の帯は、破れた魔法陣を潜り抜け、現れかけていたベヒモスの手足に巻きつく。
ぎゅっと光が収束して消失したかと思えば、再び輝きが灯り、魔法陣が生まれ、大きく広がる。すぐにそこから、ベヒモスが姿を現し始める。それも先程とは比べ物にならない速さで、全容を見せる。
リヴァイアサンとジズの間に、轟音とともにベヒモスは産み落とされた。
凶悪な姿をしているリヴァイアサンとジズに比べると、それの瞳は円らだ。爬虫類型の二体と異なって、伸びた鼻先と大きな鼻の穴、間の大きく開いた目は愛嬌さえある。4つ足で、カバのような印象がある。
大きさはリヴァイアサンとほぼ同等。全身を長いまっすぐの灰色の毛で覆われている。頭の上にもその毛は生えている。毛の隙間から、例の丸い黒い目が覗いている格好だ。
重量たっぷりで、一歩足を踏み出すだけで、大地が抉れる。
少し口を開いて、かはーと息を吐き出す。それで木々は吹き飛び、空に舞い上がる。
動きはリヴァイアサン、ジズと比べると遅い。歩みを止める、という動作すらゆっくりしたものだ。
丸い瞳が、びたりと、3階バルコニーに居るミラノを見つめる。
それを受け止めて、ミラノは細めた目を持ち上げた。ベヒモスと、目を合わせる。
「──あれを、何とかしたいの」
ミラノは小さな声で呟いた。この距離でそんな小声が届くはずはないのだが、ベヒモスはゆらりと首を回して背を向けた。ずしんずしんと地を鳴らし、木々を、大地を破壊しながら進む。
そして、動きを止めていたリヴァイアサンとジズに向け、前足を大きく上げて襲い掛かった。粉塵が大きく巻き上がり、その光景の半分を隠す。
リヴァイアサンとジズの、さらにはベヒモスの奇声が耳をつんざく。辺りに満ちる。
やられた事をやり返して、“神の魔法陣”を破壊した。ついでにミラノは、召喚されてくるものを、乗っ取ってやったのだ。ベヒモスは、ミラノに従う召喚獣。
ベヒモスの巨大な口が、ジズの翼を一枚、食いちぎった。
(3)
地表が、大きく削られる。
蹴り上げられた土砂と木々は、落下した場所でまた木々を薙ぎ倒す。
山と山が激突して、その規模で炎を吹いたり、白色の閃光を吐き出すようなものだ。余波は周囲の山々を次々と潰し、大地に穴を開け、雲にすら風穴を開く。
この桁違いの大きさをもつ獣は、“神”が天地創造の助けにと創ったという。海の“獣”リヴァイアサン、空の“獣”ジズ、陸の“獣”ベヒモスが集うのは、その時以来だ。人間など、彼らの一滴の涙で溺れる。それ程巨大な生き物が、間近で暴れている。もしリヴァイアサンが押しやられて王都に倒れ込んで来たならば、その瞬間に失われる命の数は計り知れず、完全に壊滅する。
ベヒモスがこちらに背を向け、ジズを後ろ足で踏みつけて、前足をリヴァイアサンの顎に突っ込んだ。押さえ込んだリヴァイアサンの首を、ベヒモスはカバの口でがぶがぶ噛んでいる。隙間から、リヴァイアサンの鱗らしきものがばりばりこぼれる。
ベヒモスの足の下から、ジズが白い閃光をギーギー言いながら放つ。だが、山を吹き飛ばす程の攻撃が見事的中しても、ベヒモスの毛を蒸発させ、黒色の肌をむき出しにするだけだ。次の瞬間には、するんと新しい毛が生えてきて、体表面を覆った。ダメージは限りなく0に等しく、ベヒモスは意に介す様子が無い。
リヴァイアサンも自身のびっしりとある牙で、口の中に突っ込まれているベヒモスの太い前足をごりごりと、顎を左右に擦って噛み付こうとしているが、一向に歯が立たない。
ベヒモスの動きは確かに鈍いが、3体のいずれよりも体が硬く出来ている。創造主たる“神”にしか、傷を付ける事が出来ないという伝承は、事実のようだ。
そのベヒモスの頭の上の小さな丸い耳が、時折ひくひくっと揺れて後ろへ向いている。その度、何かに気付いてびくりと身を震わせ、隙が生まれている。その隙に、リヴァイアサンもベヒモスの顔面に爆炎を吹きかけるなどするのだが、これにはびくともしない。
巨大生物の取っ組み合いを、城前広場の上空で見ていたアザゼルだが、手を休めていたわけではない。光の矢でアンフェスバエナを全て倒し終えた時、再びベヒモスの方を向いた。
「……ベヒモスの“絆”を、歪められたか」
アザゼルは、ゆらりとミラノの居る方を見る。召喚された存在であるアザゼルには、召喚主の位置など容易くわかる。
「余波で、レイムラースに遮断され細くなった“絆”さえ断ちかねない。道を閉ざすおつもりか。我々にはその方が…………。レイムラースは、詰問だと言っているが、不届きにも“断罪”を目指している……このままでは……」
「アザゼル」
背後から、シェムナイルが地に響くように太い、しかし静かな声で彼の名を呼んだ。
アザゼルは顎を引きながらミラノから視線を逸らし、後ろで闇色の翼をはためかせるシェムナイルを見た。シェムナイルに、表情は無い。
「我々が案ずる事は常に何も無い。考え始めれば、レイムラースの二の舞ぞ」
「……それは、わかっているが。聞こえるだろう、召喚された身にこれは堪える。ベヒモスもさぞかし、不利だろうよ。身が裂けそうだ。──あの方の悲鳴が止まない。闇の淵が、その身を食らっているのだ」
風が大きく吹いた。
“神の召喚獣”ジズが、ベヒモスの足の下から脱し、片翼で不器用に空へ飛び上がろうとしている。
顔にかかる銀髪を、シェムナイルはゆったりとした動作で避けて、アザゼルの瞳を見る。
「それを、この私がわからないとでも思っているのか、アザゼル」
「……闇のシェムナイルに、わざわざ説明する事ではなかったな」
シェムナイルはそれには答えず、王城3階バルコニー辺りに視線を動かす。
「こちらへ召喚した“絆”が途絶えた時、あの方はもう二度と“霊界”を超えられない。それが、アルティノルドにも“神”にも変えられない、闇の……“霊界”の力だ」
「ではこの悲鳴は、無意識だとでも?」
「あるいはアルティノルドの求める──……」
一際大きな奇声が山々を越えて響き渡る。見やれば、ジズのもう一方の翼がベヒモスに食いちぎられ、地に落ちるところだった。木々を薙ぎ倒し、倒れ伏す事で、地すべりを起こしている。轟音が王都まで届き、土砂は延焼を続ける山の一端を飲み込んだ。
ベヒモスも、七大天使も眉をひそめる事は無い。
別の、音無き音、声無き声に、びくりと身を震わせる。
悲鳴は音ではない、召喚されたアザゼルら七大天使を、ベヒモスを引き裂くような痛み。強制的に召喚が解けてしまいそうな程の痛み、悲鳴が、召喚主から届く。
“絆”を辿って、召喚士の心の痛みが、届くのだ。
3階バルコニーへと上がってくる敵モンスターを全て斬り伏せたシュナヴィッツは、抜き身の刀をそのまま、ミラノの横に駆け寄った。
その左袖をじっと見る。厚みが無い。目を上げて、シュナヴィッツはミラノの黒い瞳を見る。ミラノの瞳は逸らされていて、彼女は空に居る七大天使らを見ている。
「ミラノ」
シュナヴィッツがその左袖に触れようとした時──。
「陛下!」
バルコニー正面に、獅子の頭持つマンティコアが、ばさりとその翼を大きく羽ばたかせて降りて来る。マンティコア自身はそこで地に足を付き、翼を器用にたたんだ。高さをあわせるように下げられたマンティコアの頭から、ブレゼノはがっしゃんと鎧を鳴らして、バルコニーに飛び降りた。
「ブレゼノ、無事だったか」
シュナヴィッツが声をかけるが、ブレゼノは眉をひそめて小さく首を横に振った後、ラナマルカ王を見た。
「飛翔系召喚騎兵は三分の一に減じ、地上の部隊はほとんど見つける事が出来ません」
地上を駆けていた部隊の居た辺りはもう、リヴァイアサンやベヒモスらに踏みくちゃにされている。
「スティラード、リディクディ、レザードも死にました」
聞いたことのある名に、ミラノは右手を自分の胸元にそっと当てた。どくどくと脈打つ自分の心音をつぶすように、上衣の生地をアクセサリごと握る。
──七大天使らの動きが一瞬止まり、ベヒモスの上体が少し傾いだ。
「そうか、わかった。ブレゼノ、ご苦労だった」
ラナマルカ王は労いの言葉をかけて、ブレゼノの肩に手を乗せ、掴むように撫ぜた。シュナヴィッツも大将軍クロードも、そこに居た誰もが沈痛な面持ちでそれらを受け止めている。燃え盛る山々の中に取り残された王都で、傍らには創世期に力を発揮した巨大な“神の召喚獣”が暴れている。そこで、小さな人間が生き残る事は、きっとひどく難しいのだ。そういう納得の仕方を、した。
その後も、ブレゼノが上空から見た城下町の被害状況を王に報告しているが、ミラノは聞いていなかった。
目を瞑り、ただ覚悟した。
「ミラノ」
ゆっくりと目を開けると、シュナヴィッツが半歩の距離に立っていた。鎧はあちこち擦ったような汚れや、緑やら青紫の返り血らしきものが付着している。兜を取り払った顔には、汗や擦り傷がある。本来まっすぐの亜麻色の髪は、頬や首に張り付いている。
ミラノはゆっくりとシュナヴィッツの方を向き、見上げる。
シュナヴィッツは、中身の無い左袖に手を近付けた。躊躇うように肩まで手を持ち上げて、そこに乗せようとして──すかっとすり抜けた。
タイミングを合わせたかのように、ミラノの肩からごっそり腕が無くなったのだ。首の付け根から肩があった辺り、服がぺたんこになっている。二の腕辺りの腕輪がしゅるっと抜けて、落ちた。崩しかけた姿勢をすぐに正して、シュナヴィッツはひらひらと揺れるばかりの袖を見る。刀を持って居ない方の手が、ミラノの左腕のあった辺りに、触れそうで触れない。シュナヴィッツは息を飲み込んでから、ミラノを見る。
「ミラノ……腕が……」
その様子を、淡々とした目で追っていたミラノは、ゆるく首を傾げた。
「……パールの場所が、わからないの……無事だと、いいのだけど」
話を逸らしている。心配をしてくれるのはありがたいが、面倒なのだ。今、これが事実、それしか言えない。だが、理解を得たり、その心配を打ち消すには、きっと足りない。そもそもミラノ自身が、このまま実体が消えた後、どうなるのかわからないでいる。『心配しないで』なんて言ったって、説得力は欠片もないのだ。
「ミラノ、腕が」
シュナヴィッツはもう一度言った。他に言葉が見つからないらしい。心配そうに眉間に皺を寄せて、眉尻を下げるシュナヴィッツ。
──なのに、彼はミラノに言わせるのだ。
「こんなの、なんともないでしょう? 私は召喚獣なのでしょう? はじめから。皆、がんばっているの。これ位、どうって事ないのよ。痛くなんて、ないのだし、本当よ?」
そして、ミラノは微笑んだ。
シュナヴィッツは下唇を噛んで、足元を見る。
その沈黙に、ブレゼノの声が割り込むように聞こえた。
「ここへ来る際、屋上、聖火台の傍で正体不明の獣と、そちらへ向かって飛ぶ“炎帝”と赤《レッド》ヒポグリフを見ました」
「……屋上」
ミラノが小さく呟く。正体不明の獣とは、パールフェリカを捕らえた6枚の翼を持つ、レイムラースとやらではないのか。
「父上、僕も兄上のところへ行きます。まだモンスターの姿がありますのでティアマトは置いていきます。ブレゼノは父上を頼む!」
駆け出すシュナヴィッツの腕を、ミラノの右手が掴む。
「私も行きます」
「ミラノはここに居ろ!」
「パールは私の召喚主なのでしょう。召喚獣が主の危機にその傍へ行かないなんて、どうなの?」
まっすぐに見上げるミラノの瞳を、シュナヴィッツは目を細めて見返す。彼はぐっと奥歯を噛んだ。
「…………僕から、離れるな」
シュナヴィッツが先を走り、ミラノもその後を追って広間を出た。
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短編タグが長編に変更になることがございます。
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