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黎明編(~8歳)
雪の日の邂逅⑩ 左目
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「…………」
パトリシアは声が出ない。体はガクガクと震えるのに、恐怖で音を作れないのだ。エドワード王子の贈り物が怖いと思っていたものとは全く別物だ。
これは、畏れにも似ている。
貴族服の男性──それが『人』であるならば、外見は十六~十七歳といった少年だ。中性的で、声が若かったわけである。
だが、パトリシアはその瞳が恐ろしくてたまらない。
あの『悪夢』──父の胸を剣で刺し貫いた夢をまざまざと思い出させる赤黒い瞳、魔獣達の瞳の色。
「そんなに怯えないでよ、レディ」
少年は──パトリシアの左腕を掴んだまま──真正面でしゃがみ、目線をあわせてきた。遅れて黒い膝丈上衣が揺れて闇色の地面にサラリと流れた。
「ボクは君の敵じゃないよ」
少年はにっこりと微笑んで見せるが、パトリシアには効果がない。
パトリシアはガタガタと震えの止まらない右腕で、少年に掴まれた左腕をグイと引き寄せた。
するりと、少年の手はあっさりと外れる。
すぐに後ろへ数歩さがろうとした。が、足が動かない。一歩どころか、半歩、いや、地面から浮かすことも出来ない。体は震えるのに自分の意志で動かせない。
既視感のある異変──『悪夢』で父にかけた魔術もこんな……──パトリシアは息を飲んで少年の目を見る。詠唱なんてなかった……『悪夢』のパトリシアも詠唱なんてしなかった。
「アハハ、正解。闇属性は支配魔術ととても相性がいいんだ。相手の行動を制御しちゃうんだね」
カラカラに乾いている喉に無理やり唾を飲み込んでパトリシアは口を開く。
「──だ、たれ?」
「…………そうだな、仮にキィ・ティアと名乗るよ。よろしく、パトリシア」
「キィ……? 仮……?」
「ボクには名前が無いからね」
「名前が無い? ──え? あ……まって、私の名前」
「うん、だって『表』でみんな君のこと探しているんだもの。パトリシア様ーって、あってるでしょう?」
「どういうこと?」
「ボク、君を探していたんだ」
「あなたじゃなくて、みんなって──ここはどこなの?」
混乱して、今度はパトリシアがキィの上着の袖を掴んだ。
「──まって、ちょっと落ち着いて? えーっと、トリシア?」
「…………それは愛称だわ」
「じゃあ、この男の子達は君と親しいんだね。トリシアって名前を叫んで探してるよ」
キィは赤黒い瞳をころん、ころんと動かしてあらぬ方を見ている。何が見えているのか、キィの視線の先をちらりと見るが闇が延々と続いているだけでなにもない。
「──……私、北の砦にいたはずよ」
「そうだね。ボクがお迎えしたんだ。だって、ずっとずっと探していて、やっと会えたんだから」
「まって……わからないことだらけ……ああ、でも、もういい。早く戻らないと──」
キィの言う『お迎え』の意味もよくわからない。砦の屋上にいたときからどれほど時間が経っているのかも判断できない。
なのに、キィという少年は一層わけのわからないことを言う。
早くこの場を離れたいという気持ちがパトリシアを急かした。
「そう焦らないで。ここはね、闇の住処だよ。本来は安らぎで満たされるところだ」
「だめ……話が噛み合わない……出口……出口……!」
苛立ってきたパトリシアは対話を諦め、少年を残して走り出す。
──みんなが私を探してくれている……!
それは震えを押さえ込んでくれた。張り付いていた足は思ったよりもあっさりと剥がれた。
「チャド! クリフ! ノエル! 私はここよ! パトリシアはここにいるわ!」
声を張ってさんざん走り回ったが、暗闇が続くだけだった。足踏みをしているような、有り得ない距離を一歩で駆け抜けているような、ふわふわした感覚と疲労だけが蓄積していく。
真っ暗な世界には、始まりも終わりも無いのかもしれない……そんな思いが心の中にストンと落ちたとき、パトリシアは走るのをやめた。
ゆっくりと歩いて、ついに足を止めた。乱れた呼吸を整え、一息、ため息を吐き出す。
「…………」
「──心外だな。話が噛み合わないのはキミじゃないか。いいかい? ボクはケンカしたいわけじゃないからね?」
さっきの続きだ。
たっぷりと長い距離を走ったはずなのに、声は近くで聞こえた。
「………」
パトリシアは深呼吸をすると「──いいわ」と言ってぱっと振り返る。
ずっと走り回っていたはずなのに真後ろにキィが立っていた。前も後ろも右も左も真っ暗闇のままで、どれだけ走ってきたのかもわからない。なのに、ただキィの姿だけが、闇の中に浮かび上がってに見えている。
「あなたは私を探していた、それもずっと長い時間。そういう話をしたいのね?」
キィは心底嬉しそうに、綺麗な面差しへ心のままの微笑みを浮かべた。
「ありがとう、トリシア」
「けれど、私はあなたを知らないわ」
「…………あれ……? 困ったぞ」
キィは両膝を折ってしゃがみ込んだ。8歳の身長と16歳程の身長の差が埋まる。
「……思ったよりもショックだ……」
キィは胸を押さえて下を向いてしまった。
「……何なの……会ったことは無いでしょう?」
呆れて問う。いつの間にか震えはすっかりなくなっていた。話の通じにくい厄介な少年──それだけのような気がしてきたのだ。
「…………」
「──ちがうの?」
キィはすいと顔をあげた。同じ高さで目があう。──とはいえ、赤黒い瞳は『ぅ』と声が漏れそうな程度には忌避感がある。
「ちがわない。会ったのは初めてだ。やっと見つけたんだった」
「それで、私はもう戻ってもいい? 心配させたくないの」
騒動を起こせば次、領城をでられなくなる。
「……行くの?」
「……なぜ、行かないと思うの?」
「──よくわからないけど、キミにはボクが必要だよ」
「…………」
パトリシアはここにきて、人生でも初めてというほどの『嫌』な顔をした。嫌そうな気分を、わがまま放題の5歳以前はよく振りかざしていた。だが、ここまで心底、拒絶を顔に出したことはない。
「トリシア、その顔は可愛くないよ」
「……可愛くないって……初めて言われたわ」
「いいね、トリシアの『初めて』だ」
全身にゾゾゾゾゾッと寒気と怖気を感じてパトリシアは大慌てで五歩下がった。
「気持ち悪い」
「やだな。トリシアには言われたくないな。なんでかな」
「…………私の方が気持ち悪いってこと?」
「あれ? そうじゃないよ。ボクら意志疎通できないね」
「…………あなたが何をしたいのかわからない」
「ボクはキミと居たいんだ。いろいろあるから、わかってほしくて、話したくて、一緒に居たい……だけど」
「……?」
キィは少しだけ考え込み、パトリシアを見た。
「……キミは父君に似て『相当』だから気付いていないけど、実はここ、精神負荷がとても強い場所なんだ」
「……どういうこと?」
「簡単に言えば『表』より時間の流れがめちゃくちゃ早いんだよね」
「…………つまり、どういうことなの?」
キィはぷいとそっぽを向いた。
「あっちはもうすぐ夜だね」
パトリシアは音をさせて思いっきり息を吸い込んだ。
何故なのかだとか、仕組みは何なのかだとかは考えている暇はない。昨夜、夕方になる前には城に帰るよう父に言われていたのだ。
「急いで戻らなきゃ……!」
「待って待って。いまは軸もズレてるから、森のど真ん中に出ちゃうよ」
「──無理よ!」
もう待ってはいられないのだ。父との約束は絶対に守りたい。心配をかけたくない。
「ついでに言うと、キミがいるから他で発生するはずの魔獣もみんな大食いに集まっててすごいことになってる。いま行くのはキミでも危ないよ」
パトリシアはキィの言葉を聞かず、大きく頭を振った。
「どこから出られるの!?」
「ねぇ、話を聞いてよ」
「無理よ! 戻らなきゃ」
再びパニックに陥るパトリシアに、今度はキィが観念した。
「しょうがないなぁ」
唐突にキィはパトリシアの両頬を包むように、挟むように両手で触れた。
「──え」
パトリシアが驚いている間にキィの綺麗な顔が迫り──。
「やめっ──て」
思わず両目をぎゅっと瞑ったとき、左目の瞼に温かく柔らかいものが触れた。
慌てて目をあければ、睫にキィの唇に触れている。
そっと離れていくキィ。
パトリシアは左手で左目辺りをぱっと押さえた。
──口付けをされた……?
キィを見上げれば、彼は困ったように眉をさげ……寂しそうに笑った。
「出口。簡単だよ、ボクを思って唱えるんだ。2つだけ教えてあげる。詠唱は……」
言われた通りの呪文で魔術を発動したとき、パトリシアはザリッと何かを踏んだ。
視界が一気に開けたような気がする。光を一切返さない闇の世界から、パトリシアは森の中にポツンと立っていた。
踏んだのは荒れ地の砂利。
わずかな枯れ木と、あちこち生木の匂いを残した切り株が転がっている。景色からして大穴が近いことが伺えた。
雪はやんでいて、まばらな雲の合間に星空が見えている。
それだけでは暗かっただろう。
背後の森──おそらく△森がオレンジの炎を吹き上げ、広い範囲で燃えていた。風が捲いて黒い煙が散らばる。
「──ゴホッ」
無意識で吸い込んだ灰に咳き込む。
「ここ……どこなの?」
広い大食いの森のどこかだということはわかる。
キィの言った通り、太陽は完全に沈みきっていて、方角を確認する術がない。
チャドは森で迷ったなら神の涙の滝で北を探れと言っていた。だが、山沿いは暗すぎて見えない。
それでもパトリシアは一縷の望みを託す。
ごくりと唾を飲み、チャドがやっていた二枚の氷の板で望遠鏡を作ろうと氷の変異魔術を唱えた。
チャドより時間はかかったが、シャノンにもらった魔力晶石の力をかりて、少し大きめの氷の板が出来上がる。
その氷を覗き込み──。
「ッヒ──」
思わず、せっかく作ったばかりの氷の板を落とした。足元でパリンと割れる音がした……。
パトリシアは震える手で左目を覆った。
氷の板を覗いた時、望遠鏡用にふさわしく綺麗なカーブの面が出来ていた──だから、映って見えたパトリシアの左目。
パトリシアの左目は……瞳は、赤黒く汚れていた。
パトリシアは声が出ない。体はガクガクと震えるのに、恐怖で音を作れないのだ。エドワード王子の贈り物が怖いと思っていたものとは全く別物だ。
これは、畏れにも似ている。
貴族服の男性──それが『人』であるならば、外見は十六~十七歳といった少年だ。中性的で、声が若かったわけである。
だが、パトリシアはその瞳が恐ろしくてたまらない。
あの『悪夢』──父の胸を剣で刺し貫いた夢をまざまざと思い出させる赤黒い瞳、魔獣達の瞳の色。
「そんなに怯えないでよ、レディ」
少年は──パトリシアの左腕を掴んだまま──真正面でしゃがみ、目線をあわせてきた。遅れて黒い膝丈上衣が揺れて闇色の地面にサラリと流れた。
「ボクは君の敵じゃないよ」
少年はにっこりと微笑んで見せるが、パトリシアには効果がない。
パトリシアはガタガタと震えの止まらない右腕で、少年に掴まれた左腕をグイと引き寄せた。
するりと、少年の手はあっさりと外れる。
すぐに後ろへ数歩さがろうとした。が、足が動かない。一歩どころか、半歩、いや、地面から浮かすことも出来ない。体は震えるのに自分の意志で動かせない。
既視感のある異変──『悪夢』で父にかけた魔術もこんな……──パトリシアは息を飲んで少年の目を見る。詠唱なんてなかった……『悪夢』のパトリシアも詠唱なんてしなかった。
「アハハ、正解。闇属性は支配魔術ととても相性がいいんだ。相手の行動を制御しちゃうんだね」
カラカラに乾いている喉に無理やり唾を飲み込んでパトリシアは口を開く。
「──だ、たれ?」
「…………そうだな、仮にキィ・ティアと名乗るよ。よろしく、パトリシア」
「キィ……? 仮……?」
「ボクには名前が無いからね」
「名前が無い? ──え? あ……まって、私の名前」
「うん、だって『表』でみんな君のこと探しているんだもの。パトリシア様ーって、あってるでしょう?」
「どういうこと?」
「ボク、君を探していたんだ」
「あなたじゃなくて、みんなって──ここはどこなの?」
混乱して、今度はパトリシアがキィの上着の袖を掴んだ。
「──まって、ちょっと落ち着いて? えーっと、トリシア?」
「…………それは愛称だわ」
「じゃあ、この男の子達は君と親しいんだね。トリシアって名前を叫んで探してるよ」
キィは赤黒い瞳をころん、ころんと動かしてあらぬ方を見ている。何が見えているのか、キィの視線の先をちらりと見るが闇が延々と続いているだけでなにもない。
「──……私、北の砦にいたはずよ」
「そうだね。ボクがお迎えしたんだ。だって、ずっとずっと探していて、やっと会えたんだから」
「まって……わからないことだらけ……ああ、でも、もういい。早く戻らないと──」
キィの言う『お迎え』の意味もよくわからない。砦の屋上にいたときからどれほど時間が経っているのかも判断できない。
なのに、キィという少年は一層わけのわからないことを言う。
早くこの場を離れたいという気持ちがパトリシアを急かした。
「そう焦らないで。ここはね、闇の住処だよ。本来は安らぎで満たされるところだ」
「だめ……話が噛み合わない……出口……出口……!」
苛立ってきたパトリシアは対話を諦め、少年を残して走り出す。
──みんなが私を探してくれている……!
それは震えを押さえ込んでくれた。張り付いていた足は思ったよりもあっさりと剥がれた。
「チャド! クリフ! ノエル! 私はここよ! パトリシアはここにいるわ!」
声を張ってさんざん走り回ったが、暗闇が続くだけだった。足踏みをしているような、有り得ない距離を一歩で駆け抜けているような、ふわふわした感覚と疲労だけが蓄積していく。
真っ暗な世界には、始まりも終わりも無いのかもしれない……そんな思いが心の中にストンと落ちたとき、パトリシアは走るのをやめた。
ゆっくりと歩いて、ついに足を止めた。乱れた呼吸を整え、一息、ため息を吐き出す。
「…………」
「──心外だな。話が噛み合わないのはキミじゃないか。いいかい? ボクはケンカしたいわけじゃないからね?」
さっきの続きだ。
たっぷりと長い距離を走ったはずなのに、声は近くで聞こえた。
「………」
パトリシアは深呼吸をすると「──いいわ」と言ってぱっと振り返る。
ずっと走り回っていたはずなのに真後ろにキィが立っていた。前も後ろも右も左も真っ暗闇のままで、どれだけ走ってきたのかもわからない。なのに、ただキィの姿だけが、闇の中に浮かび上がってに見えている。
「あなたは私を探していた、それもずっと長い時間。そういう話をしたいのね?」
キィは心底嬉しそうに、綺麗な面差しへ心のままの微笑みを浮かべた。
「ありがとう、トリシア」
「けれど、私はあなたを知らないわ」
「…………あれ……? 困ったぞ」
キィは両膝を折ってしゃがみ込んだ。8歳の身長と16歳程の身長の差が埋まる。
「……思ったよりもショックだ……」
キィは胸を押さえて下を向いてしまった。
「……何なの……会ったことは無いでしょう?」
呆れて問う。いつの間にか震えはすっかりなくなっていた。話の通じにくい厄介な少年──それだけのような気がしてきたのだ。
「…………」
「──ちがうの?」
キィはすいと顔をあげた。同じ高さで目があう。──とはいえ、赤黒い瞳は『ぅ』と声が漏れそうな程度には忌避感がある。
「ちがわない。会ったのは初めてだ。やっと見つけたんだった」
「それで、私はもう戻ってもいい? 心配させたくないの」
騒動を起こせば次、領城をでられなくなる。
「……行くの?」
「……なぜ、行かないと思うの?」
「──よくわからないけど、キミにはボクが必要だよ」
「…………」
パトリシアはここにきて、人生でも初めてというほどの『嫌』な顔をした。嫌そうな気分を、わがまま放題の5歳以前はよく振りかざしていた。だが、ここまで心底、拒絶を顔に出したことはない。
「トリシア、その顔は可愛くないよ」
「……可愛くないって……初めて言われたわ」
「いいね、トリシアの『初めて』だ」
全身にゾゾゾゾゾッと寒気と怖気を感じてパトリシアは大慌てで五歩下がった。
「気持ち悪い」
「やだな。トリシアには言われたくないな。なんでかな」
「…………私の方が気持ち悪いってこと?」
「あれ? そうじゃないよ。ボクら意志疎通できないね」
「…………あなたが何をしたいのかわからない」
「ボクはキミと居たいんだ。いろいろあるから、わかってほしくて、話したくて、一緒に居たい……だけど」
「……?」
キィは少しだけ考え込み、パトリシアを見た。
「……キミは父君に似て『相当』だから気付いていないけど、実はここ、精神負荷がとても強い場所なんだ」
「……どういうこと?」
「簡単に言えば『表』より時間の流れがめちゃくちゃ早いんだよね」
「…………つまり、どういうことなの?」
キィはぷいとそっぽを向いた。
「あっちはもうすぐ夜だね」
パトリシアは音をさせて思いっきり息を吸い込んだ。
何故なのかだとか、仕組みは何なのかだとかは考えている暇はない。昨夜、夕方になる前には城に帰るよう父に言われていたのだ。
「急いで戻らなきゃ……!」
「待って待って。いまは軸もズレてるから、森のど真ん中に出ちゃうよ」
「──無理よ!」
もう待ってはいられないのだ。父との約束は絶対に守りたい。心配をかけたくない。
「ついでに言うと、キミがいるから他で発生するはずの魔獣もみんな大食いに集まっててすごいことになってる。いま行くのはキミでも危ないよ」
パトリシアはキィの言葉を聞かず、大きく頭を振った。
「どこから出られるの!?」
「ねぇ、話を聞いてよ」
「無理よ! 戻らなきゃ」
再びパニックに陥るパトリシアに、今度はキィが観念した。
「しょうがないなぁ」
唐突にキィはパトリシアの両頬を包むように、挟むように両手で触れた。
「──え」
パトリシアが驚いている間にキィの綺麗な顔が迫り──。
「やめっ──て」
思わず両目をぎゅっと瞑ったとき、左目の瞼に温かく柔らかいものが触れた。
慌てて目をあければ、睫にキィの唇に触れている。
そっと離れていくキィ。
パトリシアは左手で左目辺りをぱっと押さえた。
──口付けをされた……?
キィを見上げれば、彼は困ったように眉をさげ……寂しそうに笑った。
「出口。簡単だよ、ボクを思って唱えるんだ。2つだけ教えてあげる。詠唱は……」
言われた通りの呪文で魔術を発動したとき、パトリシアはザリッと何かを踏んだ。
視界が一気に開けたような気がする。光を一切返さない闇の世界から、パトリシアは森の中にポツンと立っていた。
踏んだのは荒れ地の砂利。
わずかな枯れ木と、あちこち生木の匂いを残した切り株が転がっている。景色からして大穴が近いことが伺えた。
雪はやんでいて、まばらな雲の合間に星空が見えている。
それだけでは暗かっただろう。
背後の森──おそらく△森がオレンジの炎を吹き上げ、広い範囲で燃えていた。風が捲いて黒い煙が散らばる。
「──ゴホッ」
無意識で吸い込んだ灰に咳き込む。
「ここ……どこなの?」
広い大食いの森のどこかだということはわかる。
キィの言った通り、太陽は完全に沈みきっていて、方角を確認する術がない。
チャドは森で迷ったなら神の涙の滝で北を探れと言っていた。だが、山沿いは暗すぎて見えない。
それでもパトリシアは一縷の望みを託す。
ごくりと唾を飲み、チャドがやっていた二枚の氷の板で望遠鏡を作ろうと氷の変異魔術を唱えた。
チャドより時間はかかったが、シャノンにもらった魔力晶石の力をかりて、少し大きめの氷の板が出来上がる。
その氷を覗き込み──。
「ッヒ──」
思わず、せっかく作ったばかりの氷の板を落とした。足元でパリンと割れる音がした……。
パトリシアは震える手で左目を覆った。
氷の板を覗いた時、望遠鏡用にふさわしく綺麗なカーブの面が出来ていた──だから、映って見えたパトリシアの左目。
パトリシアの左目は……瞳は、赤黒く汚れていた。
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