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黎明編(~8歳)
雪の日の邂逅⑨ 邂逅
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村の外観が昨日訪れた三つの村と大差ないのはもうお決まりだ。跳ね橋をおろしてもらい、パトリシア、チャド、三十騎のリハビリ騎士とで村へ入った。
村人達は相変わらず興味津々で、英雄とも呼べるジェラルドの愛娘を勇んで見てくる。
気にしないと決めたものの、昨日、ジェラルドが大魔術を五連打ちしたばかり、また魔力ゼロへの落胆の視線がくる──と、思っていたパトリシアだが、冒険者達には『あのジェラルドの娘なのに……』という蔑みの気配はなかった。
見渡せば、冬の村にはギルド黒の虚蝕者らしきギルド員ばかりがいる。
昨日、チャドに指摘されて気付いたことだが、虚蝕者《ホロウイーター》は皆、武器や防具のどこかしらに黒いリボンや装飾具、または腕章や羽根飾りを付けている。だから、パトリシアにもこの村に滞在する冒険者らほとんどが虚蝕者《ホロウイーター》だとわかった。
視察最後の四カ所目、神の涙滝の南側、川沿いの冬の村に黒の虚蝕者は本隊としてギルド長と百人のギルド員の冒険者達で詰めていた。
例年通りと言えばその通りで、大掃討は基本的に領城側から攻めると川側や海沿いへ魔獣が押し出される、そのフォローのための配置だ。
陸上の魔獣は大半が泳げない。結果、陸地で激しい抵抗をして暴れまわる。その対策であり、効率よく魔獣討伐を成して儲けたい大規模ギルド的活動方針の合致と言えた。
「おーい! 姫さん! やっぱシータ村に来たな」
昨日、春の村で出会い、ともに夏の村、秋の村を回った少年冒険者のカーティスだ。よく見れば彼のふかふかもふもふの帽子にも黒い羽根飾りが着いていた。
村長の挨拶を受けた後、カーティスが駆けてくる。
冒険者達の視線が冷たくはない理由がわかって、パトリシアは思わず満面で、口角をくっきり上げて「っふふふ……!」と声を出して笑った。昨日のカーティスのドヤ顔を思い出したのだ。
──そうすると、カーティスが不意打ちを食らった形で急ブレーキで止まり、頬周りを真っ赤にしてしまう。
昨日の別れ際は落ち着いていたのに、一晩あけるとまた元通りのようだ。
やっぱり、しかも今度は黒の虚蝕者主力本部隊百名がすぐそこにいて──一斉にからかわれ始めてさすがのカーティスも宿屋に逃げ出してしまった。
「んなっはっはっは! まじかよ、あいつ」
カーティスの背中を見送りながら集団から出てきたのはカラスのように全身黒づくめの細身の男だ。背中に大剣を背負っている。四十前後で、見るからに風格が他の冒険者達とは違う。
男はパトリシアの前まで来ると腕をくるるっと回して大げさな礼をしてみせた。
「お初にお目にかかる。ギルド黒の虚蝕者マスターのネロ。どうぞよしなに」
顔をあげ、にやりとするマスターのネロ。
黒髪黒目で息子カーティスとよく似ている。こちらは一層細い吊り目でアジア人度合いが強い。
ネロを見てしまえば、カーティスはせいぜい日本人と欧米人とのハーフぐらいだとパトリシアは感じた。
ネロはすぐにパトリシアから目線を後ろの大男──チャドに向けた。
「よぉ、チャド。昨日ヤバかったな、お前らんとこの大将。一味もふた味も違っててマジおもろいわ」
ネロは気だるげに薄く笑っている。いや、そう見えるだけでそれは表情のはっきりする人種との違いだ。
顔見知りなのだろう、ネロとチャドは一言二言交わし、手を降った。
「──……また腕をあげてるな、あいつ」
自制心の強いチャドからぼそりと聞こえて、パトリシアは去りゆくネロの背中を見た。
見比べるようにチャドを見上げれば彼はパトリシアの視線に困ったような顔をした。
「──残念ながら、私ではネロに勝てる気がしませんね……騎士になればいいものを。いくら誘っても性にあわないと言って頷かないんですよ」
アルバーン領で最も強いのは誰かと言えばジェラルドだと誰もが答え、アルバーン領騎士団での最強はと問われればチャドで間違いないとパトリシアは聞いている。
勝手に冒険者は騎士には劣ると思い込んでいたが、そうではないらしい。
黒の虚蝕者の集団に戻ったネロは全身で羨望の眼差しを受け止めているようだ。ともに在れる幸福、『この人がいれば大丈夫』という信頼……カリスマ性と呼ばれるものだ。
まるで、父ジェラルドのようだとパトリシアは感じた。
領城からは少し距離もあったことからゆっくりめに滞在し、昼食をとってから馬に乗り、村を出た。
村から少し離れたところで追いかけてきたらしいカーティスが馬を寄せてきた。
結局、滞在中は姿を見なかったと思い返す。
カーティスは、パトリシアのみるところ、品のある振る舞いというものに免疫がないのだろう。それに加えてパトリシア自身も自覚のある父譲りの整った顔立ち。
妖精姫などと呼ばれているパトリシアにとって、対面する人が頬を赤らめてしまうのはむしろいつものこと。正直なところを言えば、交流しにくいので誰であっても早く見慣れて欲しいのだが……。
立ち直ったのかカーティスは頬を染めるでもなく、パトリシアの馬の真横につけてきた。全員早過ぎない速度で馬を走らせたままだ。
カーティスが、馬蹄の音に負けない声で言った。
「親父が立派なのはキツいよな! でも、気にすんな! 姫さんは姫さんだ。昨日、それが言いたかった」
そう言って紐のついた小指くらいの、黒く細い筒を押し付けてくる。落としそうで慌てて紐を手首に絡めて持った。
何を渡されたのかじっくり見ようとする間に「じゃあな!」とだけ言ってカーティスは馬を反転して去っていった。
「あ、ちょっと……! カーティス……!」
最近、何かしらもらってばかりが続いている。お礼を考えなければならないと頭の片隅に置くパトリシア。
なお、昨夜受け取るはめになったエドワード王子から届いたブレスレットは二本とも城に置いてきている。
中に込められた魔力を間違っても使わないようにする為だ。なにせ、空にすると王子に報告しなければならないのだ。しかも会いにくるという。恐ろしくて身につけていられない。
──あれのお礼も必要よね……お父様が金額で買うのを躊躇うほどのものを2つ……? 見合うお礼って何……?
「それ、黒の虚蝕者の笛ですね」
横に並んできたチャドがまたしても教えてくれる。
「笛?」
確かに、細い筒には窪みがある。
「犬笛のように人には聞き取れない音が出るそうですよ。どうしているのか知りませんが、あのギルドの連中はその音を聞き分けて連携をとるそうです。それと、危険があると長く吹いて助けを呼ぶとも……」
「そんなものがあるのね……」
「カーティスは何かあれば助けると言っているのでしょう。我々がいるというのに、まったく……」
チャドは心外だと言わんばかりだ。
北の砦に着いてみたが、領城より堅固な城郭に高さのある巨塔がそびえ立っているのみで見るべきところはない。城郭の内側に入ると歩兵用の野営テントがあちこちたくさん張られている。
奥に進み、森の方を向いた巨塔へと入っていく。石畳ばかりで飾り気は全くない。完全な機能性重視であることが伺える。
パトリシアの知らない騎士が留守を預かり、森の中央、五角形の木の伐採の支援にノエルやクリフ、副長のミックやモーリスも出払っているらしい。
巨塔の最上階は地上六階だ。
階段を上がり、広い屋上へ出るとベッドよりも大きな『銀杯』が祭壇のような壇上に置かれていた。その周りにローブ姿の魔導隊だろう、騎士が10人ほど立って詠唱を続けている。
銀杯からはパリパリと虹色の魔力が溢れている。魔力は無数に、糸のように空へ伸びていた。見えるような見えないような、おそらく魔術の壁──結界が五角形の空を覆っている。あの糸が結界の幕を編み上げるのだろう。
雪は透過するらしく、結界の上に積もっている様子はない。
屋上の端、凸凹した鋸壁に近づくと大食いの森を一望出来た。
いつの間にか、雪は本降りに変わっていて、森の向こうの方までは見渡せない。せいぜい、大穴がありそうなところまでだ。
大穴の周囲に木々は無く、荒野。土の地面がむき出しのようだ。枯れ木も散らばっているらしい。
遠くてそれ以上は見えないが、まだ大穴のそばまで進軍出来てはいないようだ。そのかわり、△森に近い、まだ木々の生い茂る五角形の外側で土煙や、時折爆炎がわっと飛び出してきている。
「現時点では、まだ中心の五角形の森を結界で閉じられてはいませんね」
砦に入ってからはリハビリ騎士三十名は休憩に入っており、チャドだけがパトリシアに付き添っている。
パトリシアは後ろ、屋上中心の銀杯を振り仰いだ。
「結界ってあれ?」
「そうです。前線でより狩りやすくするためですね。負傷や疲労があれば、結界から出るだけで安全──そこまで持っていってから、大穴へ進むのです。空についてはもう覆ってあります。五砦すべてから結界を伸ばして中心の五角形を覆う、大規模結界ですよ」
そう言ってから、チャドは小さく呟いて手の平ほどの氷の板を二枚作り出した。
「ご自身でご覧になる時は予知魔術で遠隔透視術を使われると良いのですが──」
そう言ってチャドは「こうやって見て下さい」と二枚の氷板のうち一枚を目の前と、もう一枚を少し離して大穴の方を見ている。
「このくらいの幅ですね、どうぞ」
「…………望遠鏡?」
「ははは、そうですよ。予知魔術は魔力消耗がやや多いのと、調整が難しいですからね」
二枚の氷板を受け取る。手袋が分厚く、冷たいということはない。チャドのやったように二枚を調整して覗く。距離がぐっと近付いているように見えた。
「見えますか? 大穴の上空はもう、かなり分厚い結界が張られています」
すり鉢上状に凹んだ中心、大穴の中は真っ黒だ。
昨夜、父の言っていた通り、闇の結界があるのだろう。
黒い穴が静かに降り注ぐ雪に霞む。雪を飲み込んでいるが、消えて見える。
昼過ぎ、もう午後は2時をまわるだろう。雪は完全に本降りでどんどんと積もり始めていた。
周りの枯れ木から判断するに、大穴はゆうに百メートルはあるだろう。
雪でかすむ視界、どうにか闇色の穴の奥が見えないかと目をこらした時──頭の中で何かがバチンッとはじけた気がした。
パトリシアは闇の底にいた──。
あまりに黒く、持ち上げてみたと思った手すら見えない。頬を触れてみたが、感触がない。
「チャド……?」
近くいたはずのチャドを呼び、彼のいた辺りに手を伸ばしてみるが何も触れない。
「チャド??」
真っ暗闇のなか、どうやらパトリシアは一人きりらしい。
きょろきょろと周りをみる。
「チャド………………クリフ! ノエルっ!」
返事は誰からもない。
「お、お父様! お父様っ!!」
不安になって、両手を胸元に寄せた。
「お父様! お父様ーー!!」
声は反響もせず、闇に飲まれて消えていく。
ギクリッとした。
目の前、五歩ほど離れたところだろうか。
──手だ。
パトリシアへ伸びる手が、コツン、コツンという足音とともに近付いてくる。
「──そこに……」
パトリシアの声ではない。知らない声だ。男性のものとも女性のものとも判断のつかない、やや掠れた声。若い声だということはわかった。
手はゆっくりと近付いてくる。
パトリシアはじりっと半歩下がった。
暗闇の中、手だけが浮き上がっている。次第に、腕も見え始める。立派な貴族服を思わせる刺繍飾りのある袖──ベースは黒だが、闇が濃すぎて溶け込んではいない。立体感をもって迫ってくるそれ、手首、肘、肩とこちらへ近付くほど視覚化される。
まるで、より濃い闇の中から誰かが出てきてくるような──。
次の瞬間、その誰かがパトリシアの腕を掴んだ。
はっとして顔をあげる。
赤黒い瞳の目がパトリシアを見下ろしていた。
「──やっと、見つけた」
黒色の貴族服に身を包んだ中性的な──男性だろう。あまりに浮き世離れした美貌……多くの人がパトリシアに妖精と名付けるような、神秘的かつ端正な顔つき。
真っ黒の髪は艶めき、長い。
色白の肌に浮き上がって見えるのは赤黒い瞳──。
綺麗な鼻筋から導かれる唇が穏やかな声音を紡ぐ。
「……ここにいたんだね? レディ」
村人達は相変わらず興味津々で、英雄とも呼べるジェラルドの愛娘を勇んで見てくる。
気にしないと決めたものの、昨日、ジェラルドが大魔術を五連打ちしたばかり、また魔力ゼロへの落胆の視線がくる──と、思っていたパトリシアだが、冒険者達には『あのジェラルドの娘なのに……』という蔑みの気配はなかった。
見渡せば、冬の村にはギルド黒の虚蝕者らしきギルド員ばかりがいる。
昨日、チャドに指摘されて気付いたことだが、虚蝕者《ホロウイーター》は皆、武器や防具のどこかしらに黒いリボンや装飾具、または腕章や羽根飾りを付けている。だから、パトリシアにもこの村に滞在する冒険者らほとんどが虚蝕者《ホロウイーター》だとわかった。
視察最後の四カ所目、神の涙滝の南側、川沿いの冬の村に黒の虚蝕者は本隊としてギルド長と百人のギルド員の冒険者達で詰めていた。
例年通りと言えばその通りで、大掃討は基本的に領城側から攻めると川側や海沿いへ魔獣が押し出される、そのフォローのための配置だ。
陸上の魔獣は大半が泳げない。結果、陸地で激しい抵抗をして暴れまわる。その対策であり、効率よく魔獣討伐を成して儲けたい大規模ギルド的活動方針の合致と言えた。
「おーい! 姫さん! やっぱシータ村に来たな」
昨日、春の村で出会い、ともに夏の村、秋の村を回った少年冒険者のカーティスだ。よく見れば彼のふかふかもふもふの帽子にも黒い羽根飾りが着いていた。
村長の挨拶を受けた後、カーティスが駆けてくる。
冒険者達の視線が冷たくはない理由がわかって、パトリシアは思わず満面で、口角をくっきり上げて「っふふふ……!」と声を出して笑った。昨日のカーティスのドヤ顔を思い出したのだ。
──そうすると、カーティスが不意打ちを食らった形で急ブレーキで止まり、頬周りを真っ赤にしてしまう。
昨日の別れ際は落ち着いていたのに、一晩あけるとまた元通りのようだ。
やっぱり、しかも今度は黒の虚蝕者主力本部隊百名がすぐそこにいて──一斉にからかわれ始めてさすがのカーティスも宿屋に逃げ出してしまった。
「んなっはっはっは! まじかよ、あいつ」
カーティスの背中を見送りながら集団から出てきたのはカラスのように全身黒づくめの細身の男だ。背中に大剣を背負っている。四十前後で、見るからに風格が他の冒険者達とは違う。
男はパトリシアの前まで来ると腕をくるるっと回して大げさな礼をしてみせた。
「お初にお目にかかる。ギルド黒の虚蝕者マスターのネロ。どうぞよしなに」
顔をあげ、にやりとするマスターのネロ。
黒髪黒目で息子カーティスとよく似ている。こちらは一層細い吊り目でアジア人度合いが強い。
ネロを見てしまえば、カーティスはせいぜい日本人と欧米人とのハーフぐらいだとパトリシアは感じた。
ネロはすぐにパトリシアから目線を後ろの大男──チャドに向けた。
「よぉ、チャド。昨日ヤバかったな、お前らんとこの大将。一味もふた味も違っててマジおもろいわ」
ネロは気だるげに薄く笑っている。いや、そう見えるだけでそれは表情のはっきりする人種との違いだ。
顔見知りなのだろう、ネロとチャドは一言二言交わし、手を降った。
「──……また腕をあげてるな、あいつ」
自制心の強いチャドからぼそりと聞こえて、パトリシアは去りゆくネロの背中を見た。
見比べるようにチャドを見上げれば彼はパトリシアの視線に困ったような顔をした。
「──残念ながら、私ではネロに勝てる気がしませんね……騎士になればいいものを。いくら誘っても性にあわないと言って頷かないんですよ」
アルバーン領で最も強いのは誰かと言えばジェラルドだと誰もが答え、アルバーン領騎士団での最強はと問われればチャドで間違いないとパトリシアは聞いている。
勝手に冒険者は騎士には劣ると思い込んでいたが、そうではないらしい。
黒の虚蝕者の集団に戻ったネロは全身で羨望の眼差しを受け止めているようだ。ともに在れる幸福、『この人がいれば大丈夫』という信頼……カリスマ性と呼ばれるものだ。
まるで、父ジェラルドのようだとパトリシアは感じた。
領城からは少し距離もあったことからゆっくりめに滞在し、昼食をとってから馬に乗り、村を出た。
村から少し離れたところで追いかけてきたらしいカーティスが馬を寄せてきた。
結局、滞在中は姿を見なかったと思い返す。
カーティスは、パトリシアのみるところ、品のある振る舞いというものに免疫がないのだろう。それに加えてパトリシア自身も自覚のある父譲りの整った顔立ち。
妖精姫などと呼ばれているパトリシアにとって、対面する人が頬を赤らめてしまうのはむしろいつものこと。正直なところを言えば、交流しにくいので誰であっても早く見慣れて欲しいのだが……。
立ち直ったのかカーティスは頬を染めるでもなく、パトリシアの馬の真横につけてきた。全員早過ぎない速度で馬を走らせたままだ。
カーティスが、馬蹄の音に負けない声で言った。
「親父が立派なのはキツいよな! でも、気にすんな! 姫さんは姫さんだ。昨日、それが言いたかった」
そう言って紐のついた小指くらいの、黒く細い筒を押し付けてくる。落としそうで慌てて紐を手首に絡めて持った。
何を渡されたのかじっくり見ようとする間に「じゃあな!」とだけ言ってカーティスは馬を反転して去っていった。
「あ、ちょっと……! カーティス……!」
最近、何かしらもらってばかりが続いている。お礼を考えなければならないと頭の片隅に置くパトリシア。
なお、昨夜受け取るはめになったエドワード王子から届いたブレスレットは二本とも城に置いてきている。
中に込められた魔力を間違っても使わないようにする為だ。なにせ、空にすると王子に報告しなければならないのだ。しかも会いにくるという。恐ろしくて身につけていられない。
──あれのお礼も必要よね……お父様が金額で買うのを躊躇うほどのものを2つ……? 見合うお礼って何……?
「それ、黒の虚蝕者の笛ですね」
横に並んできたチャドがまたしても教えてくれる。
「笛?」
確かに、細い筒には窪みがある。
「犬笛のように人には聞き取れない音が出るそうですよ。どうしているのか知りませんが、あのギルドの連中はその音を聞き分けて連携をとるそうです。それと、危険があると長く吹いて助けを呼ぶとも……」
「そんなものがあるのね……」
「カーティスは何かあれば助けると言っているのでしょう。我々がいるというのに、まったく……」
チャドは心外だと言わんばかりだ。
北の砦に着いてみたが、領城より堅固な城郭に高さのある巨塔がそびえ立っているのみで見るべきところはない。城郭の内側に入ると歩兵用の野営テントがあちこちたくさん張られている。
奥に進み、森の方を向いた巨塔へと入っていく。石畳ばかりで飾り気は全くない。完全な機能性重視であることが伺える。
パトリシアの知らない騎士が留守を預かり、森の中央、五角形の木の伐採の支援にノエルやクリフ、副長のミックやモーリスも出払っているらしい。
巨塔の最上階は地上六階だ。
階段を上がり、広い屋上へ出るとベッドよりも大きな『銀杯』が祭壇のような壇上に置かれていた。その周りにローブ姿の魔導隊だろう、騎士が10人ほど立って詠唱を続けている。
銀杯からはパリパリと虹色の魔力が溢れている。魔力は無数に、糸のように空へ伸びていた。見えるような見えないような、おそらく魔術の壁──結界が五角形の空を覆っている。あの糸が結界の幕を編み上げるのだろう。
雪は透過するらしく、結界の上に積もっている様子はない。
屋上の端、凸凹した鋸壁に近づくと大食いの森を一望出来た。
いつの間にか、雪は本降りに変わっていて、森の向こうの方までは見渡せない。せいぜい、大穴がありそうなところまでだ。
大穴の周囲に木々は無く、荒野。土の地面がむき出しのようだ。枯れ木も散らばっているらしい。
遠くてそれ以上は見えないが、まだ大穴のそばまで進軍出来てはいないようだ。そのかわり、△森に近い、まだ木々の生い茂る五角形の外側で土煙や、時折爆炎がわっと飛び出してきている。
「現時点では、まだ中心の五角形の森を結界で閉じられてはいませんね」
砦に入ってからはリハビリ騎士三十名は休憩に入っており、チャドだけがパトリシアに付き添っている。
パトリシアは後ろ、屋上中心の銀杯を振り仰いだ。
「結界ってあれ?」
「そうです。前線でより狩りやすくするためですね。負傷や疲労があれば、結界から出るだけで安全──そこまで持っていってから、大穴へ進むのです。空についてはもう覆ってあります。五砦すべてから結界を伸ばして中心の五角形を覆う、大規模結界ですよ」
そう言ってから、チャドは小さく呟いて手の平ほどの氷の板を二枚作り出した。
「ご自身でご覧になる時は予知魔術で遠隔透視術を使われると良いのですが──」
そう言ってチャドは「こうやって見て下さい」と二枚の氷板のうち一枚を目の前と、もう一枚を少し離して大穴の方を見ている。
「このくらいの幅ですね、どうぞ」
「…………望遠鏡?」
「ははは、そうですよ。予知魔術は魔力消耗がやや多いのと、調整が難しいですからね」
二枚の氷板を受け取る。手袋が分厚く、冷たいということはない。チャドのやったように二枚を調整して覗く。距離がぐっと近付いているように見えた。
「見えますか? 大穴の上空はもう、かなり分厚い結界が張られています」
すり鉢上状に凹んだ中心、大穴の中は真っ黒だ。
昨夜、父の言っていた通り、闇の結界があるのだろう。
黒い穴が静かに降り注ぐ雪に霞む。雪を飲み込んでいるが、消えて見える。
昼過ぎ、もう午後は2時をまわるだろう。雪は完全に本降りでどんどんと積もり始めていた。
周りの枯れ木から判断するに、大穴はゆうに百メートルはあるだろう。
雪でかすむ視界、どうにか闇色の穴の奥が見えないかと目をこらした時──頭の中で何かがバチンッとはじけた気がした。
パトリシアは闇の底にいた──。
あまりに黒く、持ち上げてみたと思った手すら見えない。頬を触れてみたが、感触がない。
「チャド……?」
近くいたはずのチャドを呼び、彼のいた辺りに手を伸ばしてみるが何も触れない。
「チャド??」
真っ暗闇のなか、どうやらパトリシアは一人きりらしい。
きょろきょろと周りをみる。
「チャド………………クリフ! ノエルっ!」
返事は誰からもない。
「お、お父様! お父様っ!!」
不安になって、両手を胸元に寄せた。
「お父様! お父様ーー!!」
声は反響もせず、闇に飲まれて消えていく。
ギクリッとした。
目の前、五歩ほど離れたところだろうか。
──手だ。
パトリシアへ伸びる手が、コツン、コツンという足音とともに近付いてくる。
「──そこに……」
パトリシアの声ではない。知らない声だ。男性のものとも女性のものとも判断のつかない、やや掠れた声。若い声だということはわかった。
手はゆっくりと近付いてくる。
パトリシアはじりっと半歩下がった。
暗闇の中、手だけが浮き上がっている。次第に、腕も見え始める。立派な貴族服を思わせる刺繍飾りのある袖──ベースは黒だが、闇が濃すぎて溶け込んではいない。立体感をもって迫ってくるそれ、手首、肘、肩とこちらへ近付くほど視覚化される。
まるで、より濃い闇の中から誰かが出てきてくるような──。
次の瞬間、その誰かがパトリシアの腕を掴んだ。
はっとして顔をあげる。
赤黒い瞳の目がパトリシアを見下ろしていた。
「──やっと、見つけた」
黒色の貴族服に身を包んだ中性的な──男性だろう。あまりに浮き世離れした美貌……多くの人がパトリシアに妖精と名付けるような、神秘的かつ端正な顔つき。
真っ黒の髪は艶めき、長い。
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