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黎明編(~8歳)

7~8歳 黎明編 エピローグ

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 大掃討二日目の午後、大食いグルトンの森が、丸ごとドーム型の闇に飲み込まれた。

 巨大さ故に、それは五砦に残っていた騎士や兵士、各村から、さらには領城からも見えていて、数万規模の衆人環視の元に晒されることになる。
 また、不思議なことに、近辺の魔獣は吸い寄せられるように自ら闇に飲み込まれていった。まるで、そこが帰るべき故郷だと言わんばかりに……。

 森にいたはずの騎士団や視察に出ていた公爵令嬢の行方は知れず、砦から見ていた騎士によれば、ともに闇に飲まれたのだろうとのこと。

 翌早朝、大食いグルトンの森闇化の一報から、領城に残っていた騎士団の半分を領主シリルが率いて北の砦に赴いた。
 ──巨大な闇はただ静かに景色を埋めているだけだった。
 シリル自ら騎士団内魔道隊とともに闇の元まで行き調査をするも何もわからず砦に帰還する。何せ、闇に触れた者は一瞬で飲み込まれてしまって戻ってこないのだ。手が出せなかった。文字通り、お手上げである。

 さらに一夜あけても状況は変わらず、いよいよ中央王都でも、かのジェラルドさえ闇に捕らわれ救出不可能、安否不明と人々の口にのぼる。

 本来ならば大掃討4日目にあたる日、闇の拡大を危惧した国王による勅命がおりる。
 闇属性の魔術師を伴い、王国騎士団魔導隊百名が魔導隊隊長とともに派遣され、昼過ぎに到着した。
 そもそも闇属性の者は少ない。最も闇に精通していた魔導騎士は退役しており、緊急召集された。
 すでに老齢の闇の魔術師は「このような闇魔術は知らないし、ありえない」としながらも、正体見抜いた。

 ──これこそ真実『ただの闇である』と。

 闇は元来、光すら飲み込んで輝きも色も何も返さない。完全に暗黒色の属性だ。
 すべての感覚、五感六感すべてを遮断し、体も心も、魂すら鎮めるものなのだと語った。故に『闇とは死後の世界だと述べる魔術師もいる――』とも……。

 同日、各村の住民は一部騎士団員らに護送され、領城、城下町入りをした。避難だ。各村に滞在していた冒険者らも護衛として城下町まで伴った。
 さらに、周囲の反対を押し切ったアルバーン公爵夫人エノーラ、子息ジェイミーも護衛とともに領城へ入った。

 大掃討としては五日目、お忍びと称して僅かな伴を連れたエドワード王子が領城を通過、そのまま北の砦に押しかけ、領主シリルに王都へ帰るよう説得される。王子は帰らなかった。

 人々がまんじりともせず迎えた大掃討六日目、パトリシアの母エノーラと実弟ジェイミーが北の砦に現れ、シリルが頭は抱えた。
 ──この時から、闇が縮み始める。

 大掃討七日目には△森が露出し、捜索隊が動く。
 △森の木々は6割が炭化していたが、火はどこにも残っていなかった。
 延焼を免れた森には多くの騎士が倒れていた。
 半分が死んでおり、半分が生きていた。ただし、誰もが深く眠っており、いくら頬を打ち名前を呼んでも起きない。
 奇妙なことに、森中どこにも魔獣がいなかったという……。

 そもそも、大掃討二日目午後、闇発生前、森の中はどこからともなく湧き出た魔獣で溢れ、大氷結魔術による結界を張ることになっていた。そこへチャド総団長と共に居たはずのパトリシア令嬢が消えたと一報が入った。
 令嬢の行方がわからない限り、森を凍結することは出来ないとの事で半日だけ大氷結魔術による森の封印は延期になった。
 半日だけ探して、いなければ森は魔獣ごと氷漬けにして封印するとジェラルド総大将が決断した。

 だが、魔獣は後を絶たない。
 次々と現れ、さらには森の外からも集まってきているとのことで騎士団全員が焦燥に駆られることになる。一方で、大穴からは魔獣がぴたりと止まり、ジェラルドは崩れきった陣形を立て直し、配置を変え、森中ところ狭しと沸いた魔獣の討伐とパトリシア捜索を急いでいた――それが、闇に飲まれるまでの経緯になる。

 七日目の捜索および調査では、奇怪な点が次々とあがり、すべての者が首を傾げる。
 ──……どこにも血、血痕がなかったから。死者の血すら……。

 闇の中で、吸血こうもりのような魔獣が暴れたのかもしれないという者もいたが、衣服や生地、土や木に染みこんだはずの血すら見当たらず推測の域を出ない。

 さらに瞑目して唸らされたのが、生存者の様子だ。
 ズタボロに避けた鎧の下、当然皮膚が破け損傷したであろう箇所に、傷が全くない……。
 もちろん血の汚れもまるで無い。急速に治癒術を施したあとのような状態で……。
 ただ、意識のある者は一人もおらず、主力部隊及び指揮官級の騎士らも見つからなかった。
 死者は氷魔術で腐敗を止め、眠るだけの生存者は各村から急遽集めた大八車に数人ずつまとめて乗せて各砦に分配して運んだ。

 翌大掃討八日目、捜索隊はついに騎士団の主だった隊や総大将ジェラルド以下、ノエル、クリフ、チャド、ミック……その傍らにパトリシアを無傷で見つけるのだが──……。



「──……パトリシア、パトリシア……!」
「──……う……?」
 いまだ眠るミックの腹に上半身を伏してまま寝ていたパトリシアを起こしたのは、捜索隊の騎士の声──ではなかった。

 パトリシアは顔を上げ、真正面に現れた少年を見て──。
「ひぃィっきゃあああああああ!」
 珍しく、とても珍しく、たっぷりと息を吸い込んで悲鳴をあげた。

「姫様!」
 がばっと起きたミックがパトリシアを左脇に抱え込みながら立ち上がり、剣もなく構えた。

「………………いくら……いくらなんでも」
 よく見れば、両手の拳をぷるぷると振るわせる銀髪の美少年の姿がある。
 アルバーン騎士団副団長であるミックは、『彼』を見知っていた……。
 ミックはゆっくりと、実にゆっくりとパトリシアをおろしてショックに震える高貴な少年の前にそっと捧げ物のように立たせる。そうしてこれまたゆっくりと膝を折って騎士の礼の姿勢で固まった。

 パトリシアはパトリシアで両手で口をおさえ、下を向く美少年をのぞき込む。
「エ、エドワード殿下? し、失礼いたしました。その、とてもびっくりしてしまいまして……」
 胡乱うろんげにパトリシアを見るエドワード。
「…………殿下……ご、ごめんなさい……?」

 パトリシアは自分の強みである容姿を最大限使うことにする。
 上目遣いに見上げる愛され系媚び媚びポーズ──という奴で、『記憶の中の物語』において可愛いらしい主人公ヒロインに鞍替えするエドワードの弱点を突いてみたのだが──。
 観察するパトリシアは内心、面白いものを見ている気分を得る。
 なにせ、エドワード王子は表情が豊かでわかりやすい。

 パトリシアを疑わしく見ていた王子は、次にぎゅうっと眉をひそめ、口をへの字にする。かと思えば、唇を内側に巻き込んで瞳を潤ませ、数秒パトリシアから目をそらす。
 ぱっとパトリシアへ顔を戻した時には、口角をしっかりと上げ、未来の麗しいヒーローにふさわしい破壊力抜群の微笑みを披露した。

 右顎の下あたりで両手を合わせて「ごめんね許して!」の姿勢だったパトリシアの前へ、王子は靴一つ分ほどのとても近い距離まで歩みでた。

「君が無事でよかった……」
 そう言ってパトリシアの頬に触れる。
「とても心配したんだ……とても……」

 パトリシアはただぽかんと王子を眺めることしか出来ない。
 未来の、物語の記憶を何度も夢に見た。
 実際は前世が読む小説で、文章だ。それでも描写が巧みで映像のようにイメージ出来た。とくに断罪のシーンや、さらにはパトリシアにギロチンの刃を下ろすのはこのエドワード王子なのだ。

 今にも抱きついてきそうなエドワード王子。その瞳は……そう、ヒーローに相応しく優しさに満ちてパトリシアを愛おしげに見つめる。
 ──……そりゃ主人公ヒロインもぐじゅぐじゅに惚れるわけだわ、少年時代でこの美貌……。

 パトリシアはぎこちなく両手をほどき、目のやりどころを失ってしまう。ありていにいえば、挙動不審キョドった

 目線をあげれば、物語では『過去のもの』として描かれるパトリシアへの思慕があるようで……それはそれで、ガッカリとした気持ちが湧き上がるのだ。

 パトリシアが下を向いてしまうと、エドワード王子も手を下げてくれた。
「……ご心配をおかけして、申し訳ありません……」
「無事なら、何も言うことはない……やっぱり、王都に戻って欲しいけれどね」
「……それは……」
  顔をあげて答えに窮していると、すっかり火の消え去った△森の方から「殿下ーー! 殿下ーーー!!」と、エドワードの護衛の騎士数名が駆けてくる。その傍らに、なんと少年が2人もいる。

 ──まさか、連れてきたの!?
 パトリシアは息を飲む。
 すでに外見特徴が一致していることに気づく。もちろん、乙女ゲームの登場人物と……。

 過去世がハマって読んでいた物語はとある乙女ゲームのノベライズだ。
 ゲームと小説版では情報に多少の差異がある。
 しかし、ゲーム上の攻略対象という男性キャラは全部で5人、それは変わりがない。

 物語にとっては過去にあたるこの今という時間──主人公ヒロインが合流する物語の時系列へ向け、各キャラクターそれぞれが時間を過ごしているということをパトリシアは嫌というほど実感した。

 ちなみにゲームの方での攻略対象はド本命エドワード王子、宰相の息子ジェイミー、さらに王国騎士団団長子息、魔導隊隊長子息、謎の商人子息(隣国王子)という顔ぶれで、今回エドワードが連れてきたのは騎士団長子息と魔導隊隊長子息のはずだ。髪や瞳の色、顔つきがキャラ絵のちびっこバージョンだ。

 パトリシアは脳が焼き切れないようにと直視を避ける。情報が多すぎて追いつかないのだ。要は無視スルーという名の見て見ぬふり。
 ──殿下、もう、人脈掴んでるのね……。
 エドワード王子が前回領城を訪問した理由は双子を側近候補として勧誘するためだった。

 パトリシアがささっと離れると、エドワード王子はあっという間に護衛の騎士と少年二人に取り囲まれた。
 エドワード王子の注意がお小言を言い始める護衛騎士や取り巻き少年①と②にそれてほっとしていると、隣に立っていたミックがパトリシアに話しかけてくる。

「パトリシア様、俺の腕、もげていませんでした?」
「──そ、そうだったかしら??」
 思わず声が裏返るパトリシア。

 はっきりと食いちぎられ、焦ったパトリシアは血まみれの腕をくっつけようとしたりもした。が、性懲りもなく無理矢理ごまかしにかかる。

 ミックの左の二の腕あたり、鎖帷子チェーンメイルから服はぼろぼろに裂けている。その下の素晴らしい筋肉は無傷で見えていた。
 目をそらすフリをしつつ、ミックの元通りくっついて、指先まで動いている様をじろじろと盗み見るパトリシア。

 ──…………本当に治っているのね……。魔力は血や魔獣のものだったし、制御はキィ任せで、私はただぶつぶつと同じ事をつぶやいていただけだったのに…………キィが全身骨折と判断していたクリフも、元に戻っているかしら……。

「──……ハンカチ?」
「あっ……あ、それ……それはっ」
 慌てるパトリシアをよそにミックは腕に巻かれたハンカチを右手一本でほどいてしまった。
 ──器用すぎない……?

 パトリシアがパニックになりながらも止血にと巻いた刺繍入りのハンカチだ。
 双子への誕生日プレゼントにと刺繍を刺す前、練習用に自分の名前を入れたもので、ミックはハンカチを広げて「これ、パトリシア様の……」とつぶやく。
 慌てて「あら~? お、おかしいわねぇ??」と言いつつパトリシアはハンカチをするっと取り戻した。
 どうしたって目があう。
「…………」
「…………」
「……な、なにがあったのかしらね? 魔獣もいないし」
「……本当にそうです」
 今度は話をそらして周囲を見回すパトリシア。これにはミックも乗ってくれた。
 そこへ、父ジェラルド、ノエル、さらになんとクリフが走ってやってくる。

「お父様! クリフ! ノエル!」
 父に抱きつこうと駆けだしかけたパトリシアだが、五歩の距離で父が足をとめ、真顔で見てくる。
 ジェラルドの様子に双子も遅れて止まる。
 あちらが止まればこちらも止まりたくなる心理……パトリシアも歩みをやめ、父を見上げた。

 ──……ま、待って!? 私の瞳……キィは蒼色アイスブルーに戻ったと言っていたけど、実は戻っていないとか!? でもでも、ミックも、その前に殿下も左右で目の色が違うとか、何も言わなかったわ……大丈夫よね……?

「お父様……?」
「………………………………………………………………」

 父娘は長い長い、とても長い沈黙で向き合った。
 まるで時間が止まったかのように、美麗な彫刻のようにジェラルドは固まっている。
 パトリシアは『──こ、これは根比べかしら?』と父同様、にらみ合いのように停止する。

 何せパトリシア、迂闊なことは言えない。
 闇の繭ニルヴァーナコクーンで闇の住処すみかに居た時も、キィには起きていられるのはパトリシアか同等の耐精神負荷の高い者のみと言われた。
 理解しきれなかったが、どうやら属性の関係でさすがのジェラルドも眠ったはず……と思っている。が、この間の長さ……もしや起きて、しかもキィとの会話を聞かれたのではないだろうかとパトリシアは内心だくだくの冷や汗を流している。軽はずみな事は一言も、1文字も言えない。
 
 エドワード王子周りの話も終わり、チャド総団長も合流し──、
「トリシア様! こちらにおいででしたか!! お探し申し上げました!! ご無事でなにより……! ……………ジェラルド様? トリシア様?」
 意気揚々と話しかけていたが、父娘は真顔でにらみ合っていて返事がない。

 さらには捜索隊が知らせて連れてきた双子の父シリル──、
「兄上! やっぱり生きておられた! トリシアもノエルもクリフも、無事で良かった! …………兄上? トリシア? ──ノエルクリフ、これはどうしたんだ?」
「……」
「……」
 その場で見ていた双子にだってわからないのだ。肩をすくめる二人にシリルは一層混乱した。

 さらにはエノーラ夫人にジェィミーまでやってくるが──、
「ジェラルド! トリシア!! もうっ!! あなたたちは本当に似たもの同士で! 私に心配ばかりかけて! 大体、ジェラルド、あなたが居てこの体たらく、一体どうしたの!? トリシアも! あなたこんっっな危険な大掃討に視察なんて一体何を考えているの!? 無茶にもほどがありますよ! 騎士になりたいといは聞いていますが、あなたはまだまだ8歳の女の子なのよ?? あなたは産まれてからたったの10年も経っていないのよ?? わかっているの? あなたは護られなきゃならないの! 令嬢なんだから、そもそも騎士なんて、ましてや公爵令嬢よ?? 一体どうして騎士なんて」
「母上、話がそれています」
「あら? そうだったかしら? とにかく、ジェラルド、トリシア? 聞いていますか? 金輪際、こんな危険な場所へは近寄らないこと! トリシア! お母様と約束をしなさい! そうでなければ、領城で暮らすことは禁止にしますよ!」
「母上」
「何よ、ジェィミー」
「父上も姉上も、あれは聞いていないというより、聞く気がないですね。それか、お二人ともご自分の世界にいらっしゃる」
「……ジェイミーは冷静ね。おじいさまに似たのかしら」
「それなら僕もうれしい限りですよ」
 にっこりと微笑むジェイミー。
 言外に『おじいさま以外には似たくない』というメッセージが含まれている事に母エノーラは気づいていない。

「…………トリシア」
 たっぷりと十分ほどにらみ合った末、ジェラルドが再び走ってパトリシアを抱き上げた。ジェラルドの瞳がじんわわりと潤んでいたことにはパトリシアだけが気付いた。
 ジェラルドはそれを隠すように、しばらくパトリシアの肩──耳の後ろあたりに顔を埋めていた。



 結果として、大食いグルトンの森から魔獣はいなくなっており、大掃討は成功。事後処理にチャド総団長とシリルが率いてきていて捜索隊として動いていた騎士らが残った。
 生存者は目覚めてしまえば軒並み元気で、悠々と城下町へ凱旋した。その夜からすぐに3日間、大掃討祝勝の宴が開かれ、なぜかパトリシアの隣を陣取って動かないエドワード王子はすべて全日参加していった。
 もちろん、母エノーラや実弟ジェイミーも……。



 領城に帰る途中、やはりなぜかパトリシアの隣に馬を並べてきたエドワード王子から知らされた事実には青ざめた──。
「6日!?!? 6日経ってるの!?!?」
 ──キィ!! 朝って……翌朝って意味じゃなかったのね!?

 闇の繭ニルヴァーナコクーン発動中、時の流れが速いという闇の住処すみかにいたパトリシアはこれは無闇には行けない、二度と行かないと決意を新たにするのだった。




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