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準備編(8~12歳)【2】
取り出したりますは紙とペン!【暫定】
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私室で一人、パトリシアはインクを付ける前の羽ペンをフリフリ揺らし、白紙の紙を前に思考する。
エドワード王子は言った。
『──私はトリシアの味方だ』
手を握られて、しっかり目と目をあわせて……身を委ねてウットリ出来れば幸せ極まりない話なのだが、そうはならない。
当然である。
あっさり百パーセント、エドワード王子を信じることが出来ない程度には、過去世の記憶の中の『物語』はパトリシアにとって過酷だ。
そもそも『物語』ではエドワード王子がパトリシアの首にギロチンの刃を落とすのだから。
王都へは結局、心の底から「何をしに行ったのかしら?」と思うほど良いことが一つも無かった。
温かい家族に会えたことくらいしかない。
行きの馬車で襲撃を受け、警備が最も厳重なはずの王城でも襲われ、父に嘘か隠し事かをされていることを認識するハメになった。その結果なのか何なのか、婚約回避に行ったはずが気がつけば内定していた。
──私、そんなに日頃の行い悪いの?
いまだに振り返っては膝から崩れ落ちそうになる。
けれども、父がパトリシアに嘘や隠し事をするのならば『物語』には存在する『魔王』がこの世界にいないという彼の言葉も百パーセント真実ではないかもしれない。
少なくとも父の知りうる範囲で『魔王』はいない、またはパトリシアに見えないよう隠しているのかもしれないと仮定することが出来てしまう。
パトリシアが一番避けたいのはもちろん絞首台に乗せられて死ぬことだが、その手前にある『悪行』は最も嫌なことの一つと言える。
過去世が読んでいた数々の作品の中の『悪役令嬢』はせいぜいが『ヒロイン』をイジメていたり、高慢でワガママ、むしろ貴族然としているだけだ。浮気性の婚約者に惑わされて嫉妬に狂ってしまう可哀想な側面すらある。または、機能不全家族育ちであったりもする。
なのに、パトリシアの悪役としての『悪行』はレベルの桁が違う。イジメも十分『悪行』ではあるのだが『物語』のパトリシアに課せられた悪の業は並々ならぬものがある。パトリシアは制作会議中、ノリノリで創作設定したであろうゲーム製作者達を呪ってもいい。
最終的に『魔王』を蘇らせられるだけの『血』を求めて殺戮を繰り返す。その過程で父すらも殺める。
あまり思い出したくなくて鮮明ではなかった『物語』の記憶も、年を重ねて思考が理路整然としてくるほど穴も埋まって霞みも取れていく。それはいいことなのか悪いことなのか、パトリシアにはさっぱりわからない。
己が『悪役である』という絶望について、誰か心の休まる慰めを与えてくれないものだろうかとパトリシアは日々思ってしまう。
ノベライズの『物語』でも元のゲームでもパトリシアという令嬢はざっくりと千人程度は殺している。未描写シーンがあったとしたらその数は計り知れない。返り血まみれで妖艶に微笑むのが悪役令嬢パトリシアだ。
その後、闇の巫女になると『魔王』や中ボスの幹部らとともに王国内へ殺戮の手を伸ばしている。
そこには実は、悲しい理由がある。
やはり悪役令嬢などただの仕掛けに過ぎないと思い知らされる。『物語』だが、元がゲームのせいかプレイヤーへ数をこなせとばかりに試練を用意する為なのだ。
具体的に言えば『デイリーミッション』として闇の巫女パトリシアは虐殺を行う。悲しい悪役ルーティーン。プレイヤーのプレイ時間が長引くほど悪役パトリシアは残虐な行為を毎日繰り返す。
パトリシアの胸が苦しくなるのは、この世界の人の命がゲームのようなデータではないということだ。一人一人、生まれてから日々を暮らしている……被害者は一人も生き返らないで死んでいくばかり。そして、実際に殺していくのはパトリシアなのだ。
過去世の世界には数々の『物語』があふれていたが、危機に陥り敵がたくさん出てくるのはいつもその日本という国だった。日曜日の朝の子供向け番組など顕著だ。
主人公達のそう遠くないところで悪役が暴れてお手頃な距離感で倒されていく。
本当に悪事を働きたいのなら正義の味方の目の届かないところでこっそり秘密裏に動いた方が絶対いいだろうに……。いまのパトリシアはそう思うがそこは『物語』の都合というものがあるらしい。
このパトリシアを悩ませる『物語』の前身たるゲームも何故かエストゥルガ王国内で殺戮が繰り返される。
中盤にパトリシアが処刑されると主人公『ヒロイン』の仲間も増えた頃合いで『討伐派遣』というシステムが開放されていた。
騎士団のみで対応不可、優秀な学生にも魔獣討伐をさせる……という展開だった。
いまのパトリシアならば騎士団と言っても各領地にもいるし、野良には冒険者達がたくさんいて学生まで動員することには違和感しかないが、そこはそれ、ゲームの世界観補正なのだろう。
王国内に発生した魔王一味の『襲撃』をプレイヤーは仲間キャラクターに『討伐』させる。
プレイヤー時間で二十四時間後にはキャラクターは学園に戻り、確率でアイテムや経験値を取得する。
プレイヤーの手が回らず、十分育成が出来ないお仲間キャラクターをゆっくりと放置育成するためのシステムとして活用された。
この討伐にはヒロインキャラクターも参加出来て一緒に行くお仲間と好感度によってイベントが見れるというものでもあった。レアスチルはここに隠されていることもあり、運型のやり込み要素にされていた。
パトリシアはくだらないと言いたげにため息を吐き出す。
──とてもどうでもいい仕組み……うんざりだわ。
ペンを取ったものの、そんなゲームシステムなど書き記すことに意味は無いように思えた。
眼前には白紙。よくある『私が悪役令嬢!? 前世の記憶を思い出しちゃった! 整理してまとめるね!』というシーンがまったく前に進まないパトリシア。
完全な悪役になったあとの世界、自分を認識しなくなる、言うならばゾンビ状態のパトリシアには関係がない。そこまで行ってしまえばパトリシアにとってはバッドエンド。
被害は拡大の一途を辿るばかりだが、パトリシアにとっては死後のことになりどうにもならない。
人間としては、ゲームや『物語』ではパトリシアは中盤に退場する。狂気的に殺害を繰り返し始めるのは学園入学後だ。
やっとサラサラとペンを動かす。
誰に見られても読めないようにと記憶にある日本語を駆使してみることにした。
単語を日本語の漢字や平仮名にするだけで伝わらないはずなので、うろ覚えながら自分なら読めるという文字を記していく。
『退場(バッドエンド)←斬首←断罪←学園生活(悪行全盛期)←入学前(魔力ゼロ蔑視、婚約者とは幸せ)』
パトリシアという悪役令嬢の登場シーンはゲームや『物語』内の展開で端的に書いてしまえばこうなる。
左手の人差し指で紙面をトントントンと打つ。
書いてみて改めて気付く。
物語のパトリシアは学園入学前の十三歳までは婚約者エドワード王子と幸せに過ごしていたのだ。相思相愛のラブラブ。面食い王子は妖精姫パトリシアにメロメロで出会ってすぐに婚約を打診、九歳の時点で国内外に発表された。
「…………そうなのよね」
ふと、昨日現れて自分は味方だとアピールしてきたエドワード王子を思い浮かべる。
パトリシアは子供でありながら既に美しい。
大人になるにつれ消えてしまうふっくらとした頬が顕在のいま、可愛らしさも並ぶ者がいない。
初めて会ったときの黒の虚飾者の少年カーティスは頬を赤く染め上げてパトリシアと目を合わせることすらなかなか慣れてはくれなかった。従兄弟のノエルやクリフだって時折ドキマギしていることにパトリシアは気付いている。
だが、昨日のエドワード王子はパトリシアの容姿に心を奪われている様子は全くなかった。
一度照れたように下を向いていたが、あれはパトリシア本人や容姿にではなく、彼自身の言動に彼が勝手に恥じ入っていたにすぎない。
記憶の中の『物語』のエドワード王子といま実際に交流を持っているエドワード王子は随分と異なってきている。
パトリシア自身の変化──『物語』では王都に残るもいま現実では領にひきこもって鍛錬の日々を送っている……というほどの変化ではないが……。
「……なんで?」
結局、パトリシアはエドワード王子の名の横に※印と『なんか違う』とだけ書く。
定番中の定番、ゲームにおける攻略対象者のメモを続ける。
エドワード王子とその取り巻きにあたる王国騎士団団長の息子、騎士団内魔導隊隊長子息は既に一度会ったことがある。冬の大掃討終わりにちらっと顔を会わせた。
あとは宰相の息子ジェイミー……つまり、パトリシアの同学年の弟だ。
ここまでは良い。
パトリシアが強めの筆跡でメモに書き留めるのは『謎の商人子息(隣国王子)』である。
この謎の商人子息ルディ・ハーソンは己が隣国王子であることをヒロインにしかカミングアウトしない。
どこか秘密めいた恋物語を匂わせて乙女心をくすぐる仕掛けだが、いま現実の歴史を学ぶパトリシアには恐ろしい。
商人子息ルディルートが進むと婚約から結婚の話も出てくるのだが、その流れの中でヒロインに言うのだ。
『君にだけ教えてあげる。俺の本当の名前はロドルファ・ユニ・シャンザィヤ……秘密の名前だよ』
実はパトリシア、『物語』の商人子息ルディ(隣国王子)についてよくわかっていない。
前世の記憶上の情報もはっきりとしない。何せ、前世の記憶からはエドワード王子ルートをメインにしたノベライズ『物語』を読んではいても、乙女ゲームの方は未プレイだからだ。
エドワード王子の取り巻きや弟ジェイミーはエドワード関連から『物語』にもよく顔を出していたが、この隣国王子は隠しルートめいて『物語』にはあまり登場しなかった。
前世は攻略サイトやまとめ、ネタバレサイトから得た知識程度しか持ち合わせていない。
まず、隣国王子、メタ的には『大人の先輩』枠キャラクターであり、『物語』の主軸とはやや離れて展開する。全肯定かつ糖度高めでデロデロに甘やかしてくれる攻略キャラクターということになっていた。
メタ知識は一旦置いて、この謎の商人子息の隣国王子とは、正確に言うならば亡国皇太子子息である。
約十年前に滅んだはずのシャンザィヤ帝国皇太子の遺児だ。パトリシア達のエストゥルガ王国からすると決して遺してはいけなかった血脈。父ジェラルドが英雄と呼ばれることになった戦争の敵首魁一族の生き残りであることが、いまのパトリシアならばわかる。
ちなみにプロフィール上わかりやすい表現に留めてある上、隣国王子だと知るのはヒロインのみ。
しかもルディ(隣国王子)は芸術の国コルトラ育ちで優雅に音楽を愛でる、戦いを好まない性格付けがされていた。乙女ゲーム内でキャラクター達が生まれた頃にあった戦争はただの過去の幻影。年代表に沿った歴史設定にすぎないのだ。
基本的に『物語』の元が乙女ゲームである以上、こみいった政治的な設定は緩い表出に留めてあった。
その代わり、本当の両親がいなかったことや行方不明の妹がいること、戦争によって故郷や親族が奪われていることへの心理的共感は強めに表現されていた。そこは女性向け補正と言える。論理より共感、女性達は心で『物語』を感じるのだ。
乙女ゲームの範疇ならば何ということもない。
だが、いま、現実だ。論理を引っ込めて置くことはできない。
ルディことロドルファ・ユニ・シャンザィヤの親族や故郷を奪ったのはエストゥルガ王国であり、防戦手一杯の中、戦列を突破してシャンザィヤ帝国帝都に少数精鋭で乗り込んで中枢を破壊したのは、パトリシアの父ジェラルドその人である。
戦争という言葉に覆い隠されているが、ジェラルドがしたのはシャンザィヤ皇室の徹底殲滅と上位貴族ら為政者層の皆殺しだ。
悪役の父は悪役とでも言うのか。『英雄』と言ったところでシャンザィヤにとっては父こそ『魔王』だったのではないのかとパトリシアのペンは止まる。
パトリシアは頭をぷるぷると降って嫌な考えを追い出す。
そもそもシャンザィヤ帝国が周辺二国を巻き込んでエストゥルガ王国に侵攻してきたことが戦争の原因……習った歴史知識でモヤをかけた。
パトリシアは『隣国商人子息ルディ(ロドルファ元シャンザィヤ帝国皇太子の遺児)……要注意』と記すことにした。
紙の上の方に逆算で書いた内容に目を戻す。
『退場(バッドエンド)←斬首←断罪←学園生活(悪行全盛期)←入学前(魔力ゼロ蔑視、婚約者とは幸せ)』
パトリシアは十三歳の九月に学園に入学する。
そこからヒロインのための『物語』は始まるが、おそらくそこはパトリシアにとっては総決算の始まりだろう。
『物語』が始まってしまえばもうヒロインの土俵、パトリシアに出来ることは極端に無くなるだろう。
八歳春のいまから十三歳の夏までに何をどこまでやれるのか──。
攻略対象者達との関係を悪化させない、ヒロインをイジメないという点は今後も必須事項なのかもしれない。
だが、それはシンプルに悪役令嬢の考えるべきこと。
悪役の度合いが桁外れてしまっているパトリシアはギロチンさえ回避すれば、生き残りさえすればなんとでもなると思い始めている。
ならば、よくある悪役令嬢の破滅エンドごとき、なんということもない。
このまま冒険者になるべく鍛錬を続けたなら、生き延びることはきっと難しくはない。黒の虚飾者の冒険者達を頼る道もあるかもしれない。バンフィールド家から出ることは寂しいけれども。
焦点を当てていくのは己が学園入学後に狂気に染まって人を殺して回る人間になってしまうという未来だ。『物語』ではエドワード王子がヒロインに心奪われ、嫉妬心から狂気に少しずつ飲まれて心を失う。
──嫉妬……?
今のところ、エドワード王子を誰かに取られるとしても「どうぞどうぞ」と両手で差し出すことだろう。
結局のところ『物語』が始まる頃にパトリシアが取れる対策はそのときになってみなければわからない──という気持ちでいっぱいになった。
つまり、未来の問題は未来に投げることにした。
いまの問題が重大でもあるから。
パトリシアは誰かしらから襲撃された。しかも敵は王城にすら忍び込んで来る。
領にだって来るかもしれない。
確かにエドワード王子の言う縁はパトリシアにとって有益かもしれない。『物語』のパトリシアも王都にあって父の庇護や王子の婚約者という盾でどうにか生き延びていた……という可能性が大いにある。
パトリシアの敵は誰なのか?
一体、誰が魔力ゼロの八歳児の命を狙っているのだろうか?
敵を見極めることは必要だ。
敵を跳ね返す力をパトリシア自身が身につけることも意味がある。
「……人と人との縁……」
冒険者の道をもしかするとカーティスが繋いでくれるかもしれない。それは紛れもなく縁が導く道だ。『物語』には全く無かった道。
引きこもって鍛錬ばかりだったパトリシアは方針をほんの少し変えることにした。
白紙だったものの数行埋まった紙をそろりと引き出しにしまう。
──この紙に少しずつ足せる何かを成したい……。
そういえば、闇の住み処の彼は『人』と呼んで良いのだろうか。
エドワード王子は言った。
『──私はトリシアの味方だ』
手を握られて、しっかり目と目をあわせて……身を委ねてウットリ出来れば幸せ極まりない話なのだが、そうはならない。
当然である。
あっさり百パーセント、エドワード王子を信じることが出来ない程度には、過去世の記憶の中の『物語』はパトリシアにとって過酷だ。
そもそも『物語』ではエドワード王子がパトリシアの首にギロチンの刃を落とすのだから。
王都へは結局、心の底から「何をしに行ったのかしら?」と思うほど良いことが一つも無かった。
温かい家族に会えたことくらいしかない。
行きの馬車で襲撃を受け、警備が最も厳重なはずの王城でも襲われ、父に嘘か隠し事かをされていることを認識するハメになった。その結果なのか何なのか、婚約回避に行ったはずが気がつけば内定していた。
──私、そんなに日頃の行い悪いの?
いまだに振り返っては膝から崩れ落ちそうになる。
けれども、父がパトリシアに嘘や隠し事をするのならば『物語』には存在する『魔王』がこの世界にいないという彼の言葉も百パーセント真実ではないかもしれない。
少なくとも父の知りうる範囲で『魔王』はいない、またはパトリシアに見えないよう隠しているのかもしれないと仮定することが出来てしまう。
パトリシアが一番避けたいのはもちろん絞首台に乗せられて死ぬことだが、その手前にある『悪行』は最も嫌なことの一つと言える。
過去世が読んでいた数々の作品の中の『悪役令嬢』はせいぜいが『ヒロイン』をイジメていたり、高慢でワガママ、むしろ貴族然としているだけだ。浮気性の婚約者に惑わされて嫉妬に狂ってしまう可哀想な側面すらある。または、機能不全家族育ちであったりもする。
なのに、パトリシアの悪役としての『悪行』はレベルの桁が違う。イジメも十分『悪行』ではあるのだが『物語』のパトリシアに課せられた悪の業は並々ならぬものがある。パトリシアは制作会議中、ノリノリで創作設定したであろうゲーム製作者達を呪ってもいい。
最終的に『魔王』を蘇らせられるだけの『血』を求めて殺戮を繰り返す。その過程で父すらも殺める。
あまり思い出したくなくて鮮明ではなかった『物語』の記憶も、年を重ねて思考が理路整然としてくるほど穴も埋まって霞みも取れていく。それはいいことなのか悪いことなのか、パトリシアにはさっぱりわからない。
己が『悪役である』という絶望について、誰か心の休まる慰めを与えてくれないものだろうかとパトリシアは日々思ってしまう。
ノベライズの『物語』でも元のゲームでもパトリシアという令嬢はざっくりと千人程度は殺している。未描写シーンがあったとしたらその数は計り知れない。返り血まみれで妖艶に微笑むのが悪役令嬢パトリシアだ。
その後、闇の巫女になると『魔王』や中ボスの幹部らとともに王国内へ殺戮の手を伸ばしている。
そこには実は、悲しい理由がある。
やはり悪役令嬢などただの仕掛けに過ぎないと思い知らされる。『物語』だが、元がゲームのせいかプレイヤーへ数をこなせとばかりに試練を用意する為なのだ。
具体的に言えば『デイリーミッション』として闇の巫女パトリシアは虐殺を行う。悲しい悪役ルーティーン。プレイヤーのプレイ時間が長引くほど悪役パトリシアは残虐な行為を毎日繰り返す。
パトリシアの胸が苦しくなるのは、この世界の人の命がゲームのようなデータではないということだ。一人一人、生まれてから日々を暮らしている……被害者は一人も生き返らないで死んでいくばかり。そして、実際に殺していくのはパトリシアなのだ。
過去世の世界には数々の『物語』があふれていたが、危機に陥り敵がたくさん出てくるのはいつもその日本という国だった。日曜日の朝の子供向け番組など顕著だ。
主人公達のそう遠くないところで悪役が暴れてお手頃な距離感で倒されていく。
本当に悪事を働きたいのなら正義の味方の目の届かないところでこっそり秘密裏に動いた方が絶対いいだろうに……。いまのパトリシアはそう思うがそこは『物語』の都合というものがあるらしい。
このパトリシアを悩ませる『物語』の前身たるゲームも何故かエストゥルガ王国内で殺戮が繰り返される。
中盤にパトリシアが処刑されると主人公『ヒロイン』の仲間も増えた頃合いで『討伐派遣』というシステムが開放されていた。
騎士団のみで対応不可、優秀な学生にも魔獣討伐をさせる……という展開だった。
いまのパトリシアならば騎士団と言っても各領地にもいるし、野良には冒険者達がたくさんいて学生まで動員することには違和感しかないが、そこはそれ、ゲームの世界観補正なのだろう。
王国内に発生した魔王一味の『襲撃』をプレイヤーは仲間キャラクターに『討伐』させる。
プレイヤー時間で二十四時間後にはキャラクターは学園に戻り、確率でアイテムや経験値を取得する。
プレイヤーの手が回らず、十分育成が出来ないお仲間キャラクターをゆっくりと放置育成するためのシステムとして活用された。
この討伐にはヒロインキャラクターも参加出来て一緒に行くお仲間と好感度によってイベントが見れるというものでもあった。レアスチルはここに隠されていることもあり、運型のやり込み要素にされていた。
パトリシアはくだらないと言いたげにため息を吐き出す。
──とてもどうでもいい仕組み……うんざりだわ。
ペンを取ったものの、そんなゲームシステムなど書き記すことに意味は無いように思えた。
眼前には白紙。よくある『私が悪役令嬢!? 前世の記憶を思い出しちゃった! 整理してまとめるね!』というシーンがまったく前に進まないパトリシア。
完全な悪役になったあとの世界、自分を認識しなくなる、言うならばゾンビ状態のパトリシアには関係がない。そこまで行ってしまえばパトリシアにとってはバッドエンド。
被害は拡大の一途を辿るばかりだが、パトリシアにとっては死後のことになりどうにもならない。
人間としては、ゲームや『物語』ではパトリシアは中盤に退場する。狂気的に殺害を繰り返し始めるのは学園入学後だ。
やっとサラサラとペンを動かす。
誰に見られても読めないようにと記憶にある日本語を駆使してみることにした。
単語を日本語の漢字や平仮名にするだけで伝わらないはずなので、うろ覚えながら自分なら読めるという文字を記していく。
『退場(バッドエンド)←斬首←断罪←学園生活(悪行全盛期)←入学前(魔力ゼロ蔑視、婚約者とは幸せ)』
パトリシアという悪役令嬢の登場シーンはゲームや『物語』内の展開で端的に書いてしまえばこうなる。
左手の人差し指で紙面をトントントンと打つ。
書いてみて改めて気付く。
物語のパトリシアは学園入学前の十三歳までは婚約者エドワード王子と幸せに過ごしていたのだ。相思相愛のラブラブ。面食い王子は妖精姫パトリシアにメロメロで出会ってすぐに婚約を打診、九歳の時点で国内外に発表された。
「…………そうなのよね」
ふと、昨日現れて自分は味方だとアピールしてきたエドワード王子を思い浮かべる。
パトリシアは子供でありながら既に美しい。
大人になるにつれ消えてしまうふっくらとした頬が顕在のいま、可愛らしさも並ぶ者がいない。
初めて会ったときの黒の虚飾者の少年カーティスは頬を赤く染め上げてパトリシアと目を合わせることすらなかなか慣れてはくれなかった。従兄弟のノエルやクリフだって時折ドキマギしていることにパトリシアは気付いている。
だが、昨日のエドワード王子はパトリシアの容姿に心を奪われている様子は全くなかった。
一度照れたように下を向いていたが、あれはパトリシア本人や容姿にではなく、彼自身の言動に彼が勝手に恥じ入っていたにすぎない。
記憶の中の『物語』のエドワード王子といま実際に交流を持っているエドワード王子は随分と異なってきている。
パトリシア自身の変化──『物語』では王都に残るもいま現実では領にひきこもって鍛錬の日々を送っている……というほどの変化ではないが……。
「……なんで?」
結局、パトリシアはエドワード王子の名の横に※印と『なんか違う』とだけ書く。
定番中の定番、ゲームにおける攻略対象者のメモを続ける。
エドワード王子とその取り巻きにあたる王国騎士団団長の息子、騎士団内魔導隊隊長子息は既に一度会ったことがある。冬の大掃討終わりにちらっと顔を会わせた。
あとは宰相の息子ジェイミー……つまり、パトリシアの同学年の弟だ。
ここまでは良い。
パトリシアが強めの筆跡でメモに書き留めるのは『謎の商人子息(隣国王子)』である。
この謎の商人子息ルディ・ハーソンは己が隣国王子であることをヒロインにしかカミングアウトしない。
どこか秘密めいた恋物語を匂わせて乙女心をくすぐる仕掛けだが、いま現実の歴史を学ぶパトリシアには恐ろしい。
商人子息ルディルートが進むと婚約から結婚の話も出てくるのだが、その流れの中でヒロインに言うのだ。
『君にだけ教えてあげる。俺の本当の名前はロドルファ・ユニ・シャンザィヤ……秘密の名前だよ』
実はパトリシア、『物語』の商人子息ルディ(隣国王子)についてよくわかっていない。
前世の記憶上の情報もはっきりとしない。何せ、前世の記憶からはエドワード王子ルートをメインにしたノベライズ『物語』を読んではいても、乙女ゲームの方は未プレイだからだ。
エドワード王子の取り巻きや弟ジェイミーはエドワード関連から『物語』にもよく顔を出していたが、この隣国王子は隠しルートめいて『物語』にはあまり登場しなかった。
前世は攻略サイトやまとめ、ネタバレサイトから得た知識程度しか持ち合わせていない。
まず、隣国王子、メタ的には『大人の先輩』枠キャラクターであり、『物語』の主軸とはやや離れて展開する。全肯定かつ糖度高めでデロデロに甘やかしてくれる攻略キャラクターということになっていた。
メタ知識は一旦置いて、この謎の商人子息の隣国王子とは、正確に言うならば亡国皇太子子息である。
約十年前に滅んだはずのシャンザィヤ帝国皇太子の遺児だ。パトリシア達のエストゥルガ王国からすると決して遺してはいけなかった血脈。父ジェラルドが英雄と呼ばれることになった戦争の敵首魁一族の生き残りであることが、いまのパトリシアならばわかる。
ちなみにプロフィール上わかりやすい表現に留めてある上、隣国王子だと知るのはヒロインのみ。
しかもルディ(隣国王子)は芸術の国コルトラ育ちで優雅に音楽を愛でる、戦いを好まない性格付けがされていた。乙女ゲーム内でキャラクター達が生まれた頃にあった戦争はただの過去の幻影。年代表に沿った歴史設定にすぎないのだ。
基本的に『物語』の元が乙女ゲームである以上、こみいった政治的な設定は緩い表出に留めてあった。
その代わり、本当の両親がいなかったことや行方不明の妹がいること、戦争によって故郷や親族が奪われていることへの心理的共感は強めに表現されていた。そこは女性向け補正と言える。論理より共感、女性達は心で『物語』を感じるのだ。
乙女ゲームの範疇ならば何ということもない。
だが、いま、現実だ。論理を引っ込めて置くことはできない。
ルディことロドルファ・ユニ・シャンザィヤの親族や故郷を奪ったのはエストゥルガ王国であり、防戦手一杯の中、戦列を突破してシャンザィヤ帝国帝都に少数精鋭で乗り込んで中枢を破壊したのは、パトリシアの父ジェラルドその人である。
戦争という言葉に覆い隠されているが、ジェラルドがしたのはシャンザィヤ皇室の徹底殲滅と上位貴族ら為政者層の皆殺しだ。
悪役の父は悪役とでも言うのか。『英雄』と言ったところでシャンザィヤにとっては父こそ『魔王』だったのではないのかとパトリシアのペンは止まる。
パトリシアは頭をぷるぷると降って嫌な考えを追い出す。
そもそもシャンザィヤ帝国が周辺二国を巻き込んでエストゥルガ王国に侵攻してきたことが戦争の原因……習った歴史知識でモヤをかけた。
パトリシアは『隣国商人子息ルディ(ロドルファ元シャンザィヤ帝国皇太子の遺児)……要注意』と記すことにした。
紙の上の方に逆算で書いた内容に目を戻す。
『退場(バッドエンド)←斬首←断罪←学園生活(悪行全盛期)←入学前(魔力ゼロ蔑視、婚約者とは幸せ)』
パトリシアは十三歳の九月に学園に入学する。
そこからヒロインのための『物語』は始まるが、おそらくそこはパトリシアにとっては総決算の始まりだろう。
『物語』が始まってしまえばもうヒロインの土俵、パトリシアに出来ることは極端に無くなるだろう。
八歳春のいまから十三歳の夏までに何をどこまでやれるのか──。
攻略対象者達との関係を悪化させない、ヒロインをイジメないという点は今後も必須事項なのかもしれない。
だが、それはシンプルに悪役令嬢の考えるべきこと。
悪役の度合いが桁外れてしまっているパトリシアはギロチンさえ回避すれば、生き残りさえすればなんとでもなると思い始めている。
ならば、よくある悪役令嬢の破滅エンドごとき、なんということもない。
このまま冒険者になるべく鍛錬を続けたなら、生き延びることはきっと難しくはない。黒の虚飾者の冒険者達を頼る道もあるかもしれない。バンフィールド家から出ることは寂しいけれども。
焦点を当てていくのは己が学園入学後に狂気に染まって人を殺して回る人間になってしまうという未来だ。『物語』ではエドワード王子がヒロインに心奪われ、嫉妬心から狂気に少しずつ飲まれて心を失う。
──嫉妬……?
今のところ、エドワード王子を誰かに取られるとしても「どうぞどうぞ」と両手で差し出すことだろう。
結局のところ『物語』が始まる頃にパトリシアが取れる対策はそのときになってみなければわからない──という気持ちでいっぱいになった。
つまり、未来の問題は未来に投げることにした。
いまの問題が重大でもあるから。
パトリシアは誰かしらから襲撃された。しかも敵は王城にすら忍び込んで来る。
領にだって来るかもしれない。
確かにエドワード王子の言う縁はパトリシアにとって有益かもしれない。『物語』のパトリシアも王都にあって父の庇護や王子の婚約者という盾でどうにか生き延びていた……という可能性が大いにある。
パトリシアの敵は誰なのか?
一体、誰が魔力ゼロの八歳児の命を狙っているのだろうか?
敵を見極めることは必要だ。
敵を跳ね返す力をパトリシア自身が身につけることも意味がある。
「……人と人との縁……」
冒険者の道をもしかするとカーティスが繋いでくれるかもしれない。それは紛れもなく縁が導く道だ。『物語』には全く無かった道。
引きこもって鍛錬ばかりだったパトリシアは方針をほんの少し変えることにした。
白紙だったものの数行埋まった紙をそろりと引き出しにしまう。
──この紙に少しずつ足せる何かを成したい……。
そういえば、闇の住み処の彼は『人』と呼んで良いのだろうか。
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