メルギゾーク~The other side of...~

江村朋恵

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第4話『少女の見る夢』

(011)【3】少女の見る夢(3)

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(3)
 どこをどう走っているのか、間違える事はない。ひたすら出口を目指している。とにかく外に出るんだ。
 洞窟内部の道は複雑ではないから、迷うことは無い。
 ユリシスはゴツゴツした岩肌に足を取られながら、ともすれば転んでしまいそうになるのを必死でこらえ、走った。
 左脇に両手で抱えていた偉そうな女の子を──その時だけは少し足を緩めつつ──器用に背に背負いなおして、明かりも無く走る。足元に、そっと風を纏わせてスピードを上げた。女の子にはバレないようにこっそりと。この程度の魔術、たいした魔力もない。気付かれる事はないはずだ。相手が魔術師であるなら話は別だが、この幼い女の子なら大丈夫だろう。
 明かりも欲しいが、後ろから魔力波動の塊が近付いて来る──息をついた合間に、ユリシスは下唇の端を一瞬だけひっぱるように噛んだ。明かりなどつければ、距離がばれてしまう。
 のどの奥がゼイゼイと粗く痛み始める。
 背後から迫っていた魔力の塊が、二つに分かれた。
 ユリシスはゾッとした──後ろ、何か別の魔術を準備している。
 風か何かの術で追いかけてきていた、それにプラスして何かの魔術を──!
 次の瞬間、その分かれた一つが凄まじいスピードでこちらへ向かってくる。
 ユリシスは慌てて止まると、背に背負ってたものを下に放りだして右手を掲げた。
 ほとんど無意識で一連の動作が行われていくのは、どうしたものか──魔術師でも無いクセに……──、皮肉に呟く己の声が、集中の邪魔をする。それでも、ユリシスの手は素早く動いた。
 コウッと青白い光が尾を引いて、中空に舞う。普段使うものとは少し違うルーン文字。ルーン文字にも二種類ある事をユリシスは知っていた。
 こちらへ飛んで来る魔術は、大体わかる。
 通路の向こうからせまる熱気は疑いようもない。それに抗する術を使う。
 円と幾何学模様も加わる。さらに魔力を込めて、最後の文を書き入れた。
「“火を以て火を打ち消せ”!」
 その文字を書き込んだ時、向こうの方から炎の塊が飛んできた。
 直径はユリシスの身長とそう変わらない、視界が火球で埋まる。
 ユリシスの眼前に描かれたルーン文字は、一気に大気に溶けて白色に輝く。同時に火の玉よりも大きく伸びた。光は布を広げたように火球を飲み込みにかかると、白と赤の輝きが火花を散らしてぶつかりあう。青白い魔力の煙が洞窟上部へ昇る。
 ブシューと、濁りつつも高い音が耳をつき、少しばかりの灼熱感が肌をチリチリとさせる。辺りは青白く煙る。
 ユリシスは下唇をぺろりと舐めた。
 追いかけて来ているヤツが放った火炎の術も、それを止めた自分の術も消えていく──相殺出来た。
 とりあえず、これでいい。
 視界は再び闇に飲まれ、どこからか地下水の滴る音が聞こえた。
 ユリシスは気持ちを切り替えると、再びそこに放り出していた荷物を手探りで背負い上げ、出口へと走り出した。
 既に、何の為に走っていたのか混乱してよくわからなくなっていた。
 後ろから迫ってくる魔力波動が恐ろしい程に敵意を持っていて、逃げなければ殺されてしまう。多くの思考が停止しても、心の底が冷えそうな殺意は、はっきりと感じる。震えずに済むのは、自身も多少の魔術で抗する事が出来たから。
 ユリシスは生唾を飲み込んだ。
 ──逃げなきゃ。
 一方で、背負っていた荷物……危機的観念の乏しい偉そうな女の子の、その感嘆の息も、聞こえなくなっていた。


 第三級の女魔術師が、明かりを点した紺呪石を手に持ち、そこに追い付いた時、ガックリと膝をつく弟を発見した。
 ゆっくりと歩いて近付きながら、冷めた目で見下ろす。
 すぐ傍で、抜き身のままの剣をブラブラさせ、所在無げに指示を待つ手下三人も居た。
 魔術の残り香とでもいうのか、衝突しあった力と力の残りカスが、あたりには充満していた。術の要求するよりも濃い魔力が使われた時、こうして力だけが残って漂う。要するに、余った魔力。
 ルーンに従い術を発動させた精霊が、お腹いっぱいで食べ残した魔力。
 その魔力が弟のものではない事も、単純に力負けした事も、彼自身の態度が全て物語っていた。
 女魔術師が弟のふがいなさに怒りの声を発する、その前に、風の術で追ってきたアルフィードが間に入り、右手を上げる。
 女魔術師はぎゅっと眉間に皺を寄せ不機嫌を顕にしてアルフィードを睨み上げる。
 アルフィードは意に介す様子もなく、釣り上がった女魔術師の目を見、右手を下げてにやりと微笑う。
「おもしれーじゃん。……こりゃ、古代ルーンの合成術だぜ。しかも、相当練りこんだ跡がある。でなきゃこんなに余るかよ……」
「は?」
「知らんか? ならいい。俺が追ってやる」
 アルフィードは女魔術師らを残し、そのまま外へ飛んだ。


 ユリシスが地上の若草を踏んだ時、朝陽は地平線を抜け切ってしばらく経っていたようだ。朝焼けも終わり、辺りは明るくなっている。
 後ろにあった魔力波動が動きを停止したのはついさっき。それでもすぐ追って来るかもしれない。
 『きのこ亭』のある都に向かって走り出そうとしたユリシスの脳裏に浮かぶ、あの部屋の惨状。
 壁がぶち抜かれ、舞い散る粉塵。
 美しい壁画が、天井画が、その塗料がパラパラとめくれて、自分で点けた煌々と明るい久呪石に照らし出されて、一瞬でグロテスクな雰囲気の部屋に変わった。
 ゾクリとした。
 追って来られて『きのこ亭』をあんな風にされては困る。
 ユリシスは、朝いつも居る森へと向きを変え、走り出した。
 森に潜んでやり過ごそう。森は広い。こっそり隠れていれば見つかる事はないはずだ。そう、魔術さえ使わなければ、位置がばれる事はないはずだ。
 ユリシスはそう決めると、細々と自分の身の回りに纏っていた風の術を解いた。ズシンと背に負っている荷物の重さが腰にのるが、そこは堪え、足首まで埋まる草原を走り出した。
 魔力の波動を察知して相手のいる位置を把握するというのは、戦いにおける基本中の基本。魔術師同士であるなら魔力、格闘家達ならそれは気と呼んだ。
 つまり、生命エネルギーの流れ、高まりが魔力波動である。それは感情の影響を受けやすい為、そのエネルギーの持ち主の喜怒哀楽の正か負か程度は、伝わる。それが、殺意あるエネルギーか、そうではないのか……。
 魔力や気など高まったエネルギーでなくとも、人同士すれ違いざまでも、隣の他人が怒っているかどうか位はわかる。それと似たような事が言えるだけなのだが、戦闘中における怒気というものはつまり、闘気を通り越して殺意という名が与えられる事が多い。
 それを平気な顔で受け流すには、場数をこなし、相応の対抗する能力を有していなくてはいけない。あるいは、はったりかませる気概と策があるか。
 人の怒気の前に立つのは度胸がいる。その怒気を何倍にも強くしたものが殺意であるなら、常人の顔はそこに居るだけでこわばり、足もすくむ。
 殺意が形となって襲ってきた先ほどの火球の魔術、それを払いのけたユリシスは今頃になって、がちがちと歯が噛み合わないほどの恐怖に震えた。
 もし、自分が魔術を使えていなければ──あそこで丸焼けか、あるいは蒸されていたのは間違いない。恐怖が間近にあった事を、急に現実味を帯びて思い出し、冷や汗どころではない、鼓動が強く早まるのを自覚した。
 戦いだといういう経験などほとんど無い。
 森で獣の類に襲われて、魔術を使って逃げたりやり過ごしたり、本当に時々、風の魔術で斬り伏せたりする程度。
 怒られるといえば、実家にいた幼い頃や、『きのこ亭』で働き始めた頃、また普段お客にクレームをつけられた時くらいである。
 そんなものとは比にならない、どう対処してよいのかわからない。強引にぶつけられる殺意に対して、ユリシスは混乱するばかりだった。
 ユリシスは、人同士の戦闘経験はゼロに等しい。せいぜい近所のガキ大将と殴り合った位だし、その頃は魔術を使えなかった。
 確かに今、ユリシスは魔術を知っているし、使える。
 彼女の能力は第一級の魔術師と変わらないかもしれない、しかし、実戦では、練習を始めた第九級の子供たちよりも、ずっとレベルが低い。森での狩りが出来る程度。
 独学で、ただ一人で勉強を続けた結果の姿だ。
 実演実技は、手本を見せてもらう事などほとんど無く、常に本を片手に実践あるのみ。
 こういう時の、魔術師の追っ手がある時の対処法を教えてくれる人などいなかった。
 師につけば、弟子同士組まされて実戦訓練もするし、そういう大会もあるらしい事をユリシスは聞いた事がある。だが、魔術師の資格を持たないユリシスには、その経験がゼロなのだ。逃げ惑う事しか、ユリシスの頭には浮かんでこなかった。
 逃亡者の常である、ユリシスは慣れ親しんだ場所を求めた。いつもの泉のいつもの岩陰で、腰を下ろした。森の中は広い、その中でいつも居る場所を選んで、身を隠す事にした。
 洞窟の出口から森の入り口までは一分程度全力で走った。そこから森の中へ飛び込むと、高低差をくぐり、生い茂る緑のトンネルをいくつも越えてユリシスはそこに落ち着いた。


 ユリシスが一息ついた頃、追跡者は太陽の下に現れた。
「……朝になってたのか」
 アルフィードは目を細め、明るさに慣れようとしつつ、辺りを見回す。
「都の外に通じているとはな。結構距離あるワケか、あの地下遺跡も」
 呟いた後、アルフィードは戸惑った。
 追っていた対象は洞窟を出るなり魔術を使うのをやめた。という事は、この三百六十度どの方向へ逃げたのか、魔力波動を頼りに追跡する事が不可能になった。
 対象が洞窟を出て、さらにアルフィードが洞窟を出るまでには五分弱、間があった。
「五分……」
 全力疾走で駆ければ、都へ入ってしまえる。
「七歳児を逃がしたヤツの体格による……か。ガキを抱えて、魔術補助なしで走りきれるか、走りきれないか……」
 都に入られると厄介だ。
 都は人目が多い上に、紺呪石があふれ、魔術師も多数居て魔力波動もあちらこちらで膨れ上がっている。その中で特定の魔力波動を追って対象を絞る事は、あまりにも難しい、というよりも不可能に近い。その事を踏まえる程度の知性が、先刻の古代ルーンの合成術を使う程の者ならあるはずだ。都の中に入れば、魔術を使っての逃走は可能だと。
 実際はその対象が、逃れる先を大事に思った故に逃走先を都にしなかった事など、アルフィードの思考では論外のパターンだった。彼にとって他人は、どうでもいいのだから。
「都に入られてんなら、パスだな。探しても無駄だ、て事は、今、出来る事……探せる場所はっつーと……」
 アルフィードはついと頭をめぐらして、森を、睨んだ。
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