メルギゾーク~The other side of...~

江村朋恵

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第4話『少女の見る夢』

(012)【3】少女の見る夢(4)

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(4)
 ほっとした事も手伝って、ユリシスはぼんやりと木々の間から覗く青い空を眺めた。
 何だかんだ言って昼には『きのこ亭』に戻らなくてはならない。気にくわない事や心につかえるものがあっても、仕事は仕事、きちんと出なくては。
 ところで、自分はなぜこんなところに隠れているんだろう。
 慌てて逃げては来たものの、自分は何も悪い事はしていないはず、なんで……。
「おぬし、すごいな」
「え……?」
 背後からの声にユリシスは振りかえった。
 長い赤毛を巻いた、六、七歳の女の子が立っていた。
 言葉遣いがちょっと偉そうだ。着ているドレス──当人にとっては寝巻きだが──が凄く高価そうだ。レースが沢山ついていて、キラキラの……見覚えがある。
「あ……」
 小さく声を漏らして、ユリシスは言葉を失った。
 ついさっきの事なのに──思い出した。
 魔術師になりたいと思いながらも、時の流れがそれを拒む。その事を『きのこ亭』女将メルに諭され、受け入れきれない自分が、普段とは違う場所で腐っていて、何をする気も起こらず訪れた洞窟の、その奥で。
 突然現れたこの偉そうな子供と、爆風と、破壊と、殺意に満ちた怒声。
 迫る火炎球……。
 ──そして、この子供の前で魔術を使ってしまった。
「おぬし、魔術師であったか! 驚いたぞ」
 違うとは、言えないのだ。魔術師以外の者が魔術を使う事は禁止されている。当然、魔術師でなければ魔術は使えないというのが常識。
 何を、どう言ったら良いのかわからず、ユリシスは口をパクパクとさせるだけだった。
 嘘を言っても仕方ない。誤魔化し方もわからない。真実を言うワケにもいかない。相手は子供だが、ユリシスは真剣に悩んだ。
 返事もしないで呆然とするユリシスの目の前に手をかざしてヒラヒラとさせて女の子は言う。
「なんじゃ、おぬし、病気か?」
「そうだよ!」
「な、なんじゃ、突然大声で……もしや本当に病気……?」
「は? ……そうじゃなくって、ね。何で追われてたの? あいつら、尋常じゃないんじゃないの?」
 ユリシスは自分の魔術がばれてしまった事よりも、大事な事があるのにハタと気付いて女の子に問い掛ける。
 今まさに迫る危機は、ユリシスが魔術師か魔術師でないかというよりも差し迫った、命にかかわる大事なのだ。当面、ユリシスの魔術師疑惑は、この女の子が誰かに言ってしまうかどうかにかかっている事で、今この状況で“誰か”がそばにいない以上、心配する事ではない。先送りして良い問題なのではないかと、ユリシスは考えた。
 女の子は偉そうだがやはり子供は子供、それを仕草で現す──口を尖らせてぶつぶつとくぐもった声を発した。
「あやつらは誘拐犯じゃ。ワタクシをさらって、姉上から大金を巻き上げるつもりだったのじゃ……」
「姉上?」
 ユリシスの問いに女の子はハッと顔を上げ、すぐに目線を逸らして口をつぐんだ。それはほんの数秒の事で、女の子は顔を上げ、ユリシスの瞳を真っ直ぐ見た。
「これ以上は言えぬが、ワタクシは姉上に心配も面倒もかけたくないのじゃ。さらわれた事を気付かれずに、帰りたい」
 自分を見上げる女の子の方へ体ごと向き直って、ユリシスは手を伸ばした。女の子の胸の前で作られた小さな両の拳を、そっと包んだ。
「……さらわれたのっていつ?」
「昨日の夜……いや、さっきじゃ。今朝、明け方も近い頃じゃ。朝日が地平線から昇り始めた頃、部屋からさらわれた。護衛の者が居眠りするとは思えぬから、眠らされたのじゃろう…………」
 すがるように口早で言って、女の子は黙った。幼い顔はゆっくりと下を向く。小さな眉間に皺が浮かんで、震える口元はじわじわと動き、両方の口角がぐっと下がってしまった。
「は、はよう帰って、何事もなかったように姉上と朝食をとりたい。姉上に、会いたい……」
 偉そうな女の子は、聡い。状況をよく把握していたらしい。そして、それでもその幼さが滲む。うっすらと涙を浮かべて、身内に会いたいと訴える。
 なんとか、逃がしてあげたいとユリシスは思う。
 自分の問題も多々ある。けれど、全部それは一旦預け置いて。この子供の願いはささやかだ。自分は叶えてやれる気がする。その位なら、魔術師になれない自分だけれども、その魔術師になる夢が揺らいでいる自分だけれども、出来ると、思う。
 ユリシスはニコっと、『きのこ亭』看板娘の得意技の笑顔を披露した。
「大丈夫。私が家に帰してあげるよ」
 かがんで女の子に目線を合わせた。女の子は数回瞬きして、大きく頷いた。それを確認すると、ユリシスは表情を引き締め、言葉を続けた。
「だから、ここで少し、待っててくれる? すぐ、戻るから」
「……お、追っ手か?」
 ──やっぱり賢い。
 ユリシスは立ち上がり女の子の頭をグリグリ撫でた。
「平気だよ。さっきの私の魔術、見たでしょ?」
 再び笑顔を残してユリシスは走る。


 森に入ってしばらく、アルフィードは歩みを止めた。
「へぇ……」
 にやりと笑った。
 地面はやや湿った茶色の土、落ち葉はほとんどない。木々の間隔は六~八歩。常緑広葉樹が地上大人六、七人の背丈以上まで伸びて、葉が空を覆い、少し薄暗い。長い時、成長を遂げている森の中、その木々の幹も太い。地面に、葉の隙間を縫って降り注ぐ陽の光と影が強いコントラストを生んでいる。
 アルフィードは動かない。
 しんと静まり返った森の、何かが変わった。
「面白い」
 舌なめずりをしてから、左手を掲げてスラスラと、緩急をつけた筆致で青白い文字を書き連ねた。
 辺りに視線を送る。
 先ほど微かに感じた魔力波動。
 対象は森に逃げていた。ビンゴだ。
 アルフィードを中心にして、対象は魔力波動を明らかにして円形に移動しながら、その輪を少しづつ縮めてこちらに迫る。目視での確認はまだだが、木々に隠れながら近づいて来ている。
 直線距離にすれば既に三十歩をきっている。
 対象の魔力波動がグングン高まる。何かの術を準備している。驚く程のスピードで練り上げている。
「早く来いよ!」
 うずうずしてアルフィードが呟いたのと同時。彼の三六〇度周囲の大地がごっそり立ち上る。長身のアルフィードのはるか超えて上昇する。瞬き程の滞空の後、それは土砂の雨となってアルフィードへ一気に襲い掛かる。重力のみの力ではない、志向性が与えられ、土砂は激しい勢いでアルフィードに降り注ぐ。
「いいねぇ! 迫力満点!」
 興奮して、半ば叫ぶアルフィードは、書いていた防護魔術を発動させる。発動させたがすぐ、次の魔術を引きはじめる。その動きは早い。
 防護魔術として描かれた青白いルーン文字が先に、瞬間で変化、展開する。
 変化した文字は、にゅるりと、アルフィードの全身を覆うドーム状の膜となり、降り注ぐ土砂から守った。
 既に次の魔術の記述は終わっている。人の腕と同じ大きさ、長さの先の尖った氷柱が5本、眼前、宙空に生み出された。
 防護魔術のカーテンを抜け出るのは内側からのエネルギー、アルフィードのつららの攻撃魔術。
「今度はこっちの番だろ?」
 ぼふぼふと視界を奪う土砂を突き抜けて放たれた術は、まっすぐに対象の魔力波動へと、飛び出した。
 アルフィードはさらに魔術を書いている。未だ、対象が放ってきた土砂は彼の防護魔術の青白い膜に降り注ぎつづけている。闘い慣れした彼の魔術は、次々と生み出されていく。
 対象もまた、つららの魔術に対抗する術を編んでいるようだ。術の発動と同時、再び対象の魔力波動が高まっていた。
「少し、反応が鈍いな。魔術ってのは、先読みして使わなきゃなぁ?」
 アルフィードは笑った。古代ルーンの合成術に、手強いかもしれないと思ったものの、実はたいした事はない、楽勝だという、そういう意味の笑みだった。
 口を開いて左端から突き出した舌を、下の歯の上を滑らせて右端で内側にしまった。その口角は上げたままで。



「ひぇえぇぇぇええ~~えーと! ──“土が属の霊に告ぐ! ──集まれ! 壁になれ、砕け、触れるもの全て……」
 ふつっと手が止まった。
「えと、それから……そ、それから? え? ……な──何だっけぇ!?」
 先手を打って一旦相手の足を止め、視界も封じる──その目的で土砂を降らせたユリシスだったが、ガードで手一杯になるだろうと思っていた相手は、どうにも先に防護魔術を用意していたらしかった。こちらの術発動とほぼ同時にガードを展開、完成させ、反撃までしてきた。
 ユリシスは先手で強引に間を作り、その隙に次の術の記述に入るつもりであったから、瞬時に返ってきた攻撃に対する心積もりが微塵もなかった。結果、動揺した。
 書きかけていた術を一度中断して、大慌てで防護魔術を練り込む。
 目の前に迫る五本の先の尖った氷の柱、さながら氷の槍だ。
 こんなものの的にされている自分、そのままヒットしたら……──。
 ユリシスの血の気が一気に下がる。が、手は再び動き始める。術のルーン文字を頭は忘れていたが、手が覚えていてくれた。
 ──毎日泉に来て練習していて良かった!
 ユリシスが思うよりもスラスラと、手は術を書ききった。
 直後、キンと冴えた五つの音が響く。
 ユリシスの眼前に展開した薄く黄色に輝く防護膜に、相手が飛ばしてきた五本のつららが激突し、美しい欠片を散らしながら砕けていった。欠片は角度によって木々の隙間から差し込む光を反射しながら落下していく。ほぼ同時、ユリシスの防護魔術も役目を終え、消える。
 ユリシスは古代ルーン魔術を使う。こちらの方が慣れ親しんでいるから。
 現代のルーン文字は二十四字で定型文があり、その構文のままに術を書けばうまく発動するが、術者の意思のそのままには動作しない。一定の法則に基づく動きをする。決まった動きを、力加減で調整し、うまく事柄に合わせて使う。
 しかし、二百五十六字からなる古代ルーン文字は、術者の意図を術へ完全に反映する事が出来る。ただし、そこには定まった構文も何もない。当然記述するだけの知識となると、それは膨大な量が必要だ。助力を願う精霊に関する造詣も深くなければならない。毎回、新たに術を興しているのだ、精霊によって記述を書き換える応用力が必要だ。
 多大な知識を要する古代ルーンは、現代ルーンが確立してからは使う者も減り、衰退の道を辿っている魔術でもある。
 だが、同じ目的のルーン魔術でも、短縮や強化が自在に行え、その時のみの術として生み出されていく故に、術者以外には解除が難しいのも古代ルーンの魔術。使いこなしてしまえば、これに勝る術体系は無い。
 実際のところ、術者の意図を完全に反映するには、それだけ古代ルーン魔術全体を理解しておく必要がある。
 ユリシスは沢山の本を読み漁り、中でも最も興味を惹かれたのがこの古代ルーンだった。好きこそものの上手なれ、のめり込んでしまえば努力も当人にとっては快楽。ハマっている時間は一日さえ一瞬と感じさせ、知識は皮膚を容易に透かして脳に刻まれ、消えることは無かった。
 古代ルーン魔術ばかり選んで練習して使ったのは、ユリシスにとってあまりにも当然と言えた。
 相手の魔術を砕いて、ユリシスは再び書きかけの魔術の続きを描く。
 書きかけの末尾には、記述一時中断の記号が記しているある為、消えずに残っている。これもまた古代ルーンゆえの柔軟さで、現代ルーンでは術を途中で中断し、再開するという事は不可能だ。一旦キャンセルしてすべてを消し、書き直す必要がある。
 ユリシスはその中断の記号を打ち消す文字を書いてから、術の記述を続けた。
 木の陰に潜り込み、未だ土砂の振り続ける相手の居る場所を、青みを帯びた紫紺の瞳で覗き見る。
「……さっきの『ヤツ』と、違う?」
 ユリシスが今書いている術は、高度なもので、記述に時間がかかった。その為、魔力を一気に練り上げるのではなく、たんたんと確実に少しずつ術を編み上げていた。
 術に集中はしているものの、その間、同時に別の事を考えていた。
 今、目の前で術を編んでいる『ヤツ』──先程洞窟でユリシスに火炎球をぶつけて来た『ヤツ』ではない。
 一定レベルを超えてしまうと、術の威力は発動させる者の能力に、あまり比例しない。そのレベルを魔術機関オルファースは第5級に当てはめている。では第5級から第1級の間の実力差とは何か──術を制御する集中力、練り上げる魔力の精度や速度、潜在的な魔力量、それらが即ち、魔術師の力量を示す。
 術の威力は、魔力、集中力、知識の総合力なのだ。
 ──それが……さっきのヤツよりも、ずっと、ずっと上だ、こいつ……。
 ユリシスは確信に近いものとして感じ取っていた。
 かすかに全身が粟肌立つ。だがそれは、恐怖ではなかった。


 一方、アルフィードの次の術は、延々と振り続けるこの土砂の魔術の解除だった。自分を足止めするこの魔術、対象の視認を不可能にするこの魔術。
 ──くそ忌ま忌ましい。
 苛立ちまぎれに、何度目かの土砂の術の解除呪文を宙空に描く。しかしそれは、古代ルーン文字ではなく、現代ルーン文字である。
「なんでだよっ!? ──解除、効かねぇ……?」
 土砂の重い音が、彼の張った防護膜の向こうから響く。その音が少しずつ大きくなっていく。
 防護膜の魔術の効果時間の終了が、近づいている。
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