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第5話『……だから』
(016)【1】その何気ない日常を(1)
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(1)
真正面でぴたりと足を止め、元々大きな目をさらに見開き、棒読みのように挨拶をしてくる。
「……おはようございます」
「……なんだよ」
「何なさってるんですの?」
「座ってんだよ」
見てわかんだろと右手で『しっしっ』と払った。
彼女はそれに気を留める事なく、体ごとこちらを向く。目はじわじわと元の大きさに戻っていく。いずれにしろデカイ。瞬きで睫毛が跳ねている。声には呆れた色が混じる。
「ここ、どこだかわかってらっしゃいますよね?」
「オルファース正門」
「……それをご承知で、このように恥ずかしくも座っていらっしゃるんですの?」
「ただ正門の横に居るだけだろ。俺は微塵も恥ずかしいと思ってねぇよ。何の用なんだよ」
正門のすぐ横にある花壇のレンガの縁に腰を下ろしたまま、目を逸らして興味の無い事を示してやると、視界の端で肩をすくめているのが見えた。
「別に、何の用もありませんわ。ギルバート様が気にしていらっしゃいましたから。『ここ数日アルフィードの馬鹿がますます馬鹿めいて一体何を考えているのかさっぱりわからねんだがあいつちゃんと飯食って寝てんのかやっぱ馬鹿やって死ぬんじゃねえのか』……とね」
ギルバートは一息で何か言う時、息が足りなくて多少“なまって”も最後まで言葉を続ける。それを声の高さも似せて彼女は実演してみせた。無駄に器用だ。貴族の女にそんな能力いらないだろうに。
ギルバートも、馬鹿にしているのか心配しているのか、いつもの事ではあるがわからない。アルフィードは呆れとも感嘆とも言えない息を吐いた。
「アンタ、声音真似るのうまいね」
見上げると、鞄を持っていない右手を口元に添え、彼女はにんまりと微笑んだ。
「うふふ……あ……──そうではなくて、そんな事どうでもよろしいのですわ。何なさってるんですの? ギルバート様はご多忙な方。私が伝えてさしあげますから、どうぞおっしゃって。ここ数日何を考えてらっしゃいますの? ちゃんと食べて寝てらっしゃいますの? 死にますの?」
お節介なヤツには、金やるから帰ってくれと言いたくなる。
座っているレンガの縁は地面からそれほど無く、ガラの悪いしゃがみ方に見える。がっつり開いた膝は長い分に肩より少しした辺りまできていて、そこに肘をそれぞれ乗せている。鋭い狩人のような眼つきや眦の刺青も手伝って、アルフィードの横を、皆目一杯避けて通っている。怖いのだ。
下を向いて、わざとらしくため息を吐き出して、それでもすぐに、顔を上げた。
銀色の長い髪を朝陽に照らし、キラキラした光を辺りに放つ少女が両手で胸に本を数冊抱え見下ろしてきている。どうなんですの? と、誰もが避けるアルフィードに、欠片も物怖じした様子を見せない。
「わかったよ、わかったからアッチ行っとけ。アンタみたいな貴族の娘が俺なんかと話してると、後で叱られるぞ。ギルのトコへは後で俺が勝手に行くから」
アルフィードが仕方無しに、手を「しっしっ」と振りながら答えると、貴族の娘シャリーはにっこりと微笑んだ。
「そうですの? 助かりますわ、ありがとうございます。ギルバート様、アルフィード様とお話なさりたいご様子でしたから」
アルフィードは片方の口角をひくりと二度動かした。
確かにここ二週間ほどギルバートからの呼び出しは『仕事中』と片っ端から無視し続けていたが、こういう誘導をするのか。
ほんのりとそばかすの残るシャリーの顔をアルフィードは見た。アルフィードの性格をきっちり見抜いての言動だったようだ。上手いことギルバートの元へ行くよう仕向けられてしまった。
「私、ネオと図書館へ行く約束がありますから、ホっとしましたわ。アルフィード様も御機嫌よう~」
シャリー・ディア・ポーガルジュ。十七歳の第二級魔術師は、満面の笑みを残して去って行った。真っ直ぐの銀色の髪がサラサラと風に流れ、甘い香水の香りが一瞬漂い、すぐに溶けて消えた。
春の木漏れ日もそろそろと消え、昼には夏の訪れを予感する日差しに汗が滲むようになった。
ユリシスが合格発表で肩を落とした日から二十日、二人が魔術合戦を展開してから二週間以上が経過していた。
アルフィードは“あの日”から全ての仕事をキャンセルして、毎日、ただ延々とこのオルファース正門に座っていた。寝泊りは研究室で済ませた。第一級魔術師には、研究室としてオルファース施設内に一室が与えられるのだ。
ゆるゆると朝陽はのぼっていく。
つり上がった眦には、朱の鋭いラインの刺青が入っている。それは一瞬血かと見紛う。その目で同色を発する朝陽を睨んだ。
アルフィードが敗北を喫した午前中の太陽。
返す返すも腹立たしい。
だから、もう一度、と思う。
──負けのままにされたんじゃあ、たまらん。許せん、俺が俺を。
都周辺の魔術師なら、必ずオルファースに顔を出しているはずだ。だから、探す。このオルファースの正門で。
手がかりは無いに等しいが、無ではない。微かな手がかり、だがそれは決定的でもある。
古代ルーン魔術を使いこなすヤツ。
アルフィードは魔術師、あるいは魔術師見習い達がぞろぞろと目の前を歩いて正門をくぐる様子を眺めていた。たまに幼い子供もいる。予備校生だろう。
古代ルーン文字の読み書きは、第一級魔術師資格の合格判断基準のひとつになっている。言い換えれば、第二級以下の試験には含まれていない。つまり、第一級魔術師以外は、古代ルーン文字をまだ勉強しておらず、読めないのが普通。多少読めるというのであれば、第一級魔術師資格に受かるべく勉強している第二級の魔術師ぐらいだ。どちらにしろ“古代ルーン魔術”を扱うには第一級魔術師クラスの知識が“最低限”必要である。
アルフィードは、相手のわからない魔術合戦の翌日、確認して回った。王都ヒルディアム周辺の第一級魔術師達が、どこまで古代ルーン魔術を扱えるのかと。
古代ルーン魔術は難解なせいか、目的に対する知識量が現代ルーン魔術よりも膨大に必要となり、実用性に欠く。その為、現代ルーン魔術で十分だという認識が当たり前に広がった。
第一級の合格判断基準から古代ルーン文字の読み書きを外すべきではないかという議論もされ始めている。古代ルーン魔術が発展し、より使いやすくなったものが現代ルーン魔術なのだから古代ルーン魔術はもう用済みではないか、と。
アルフィードのみる限り、古代ルーン文字を最も理解していたのは、年季の入ったオルファース総監デリータ・バハス・スティンバーグだった。だが総監には“あの日”アルフィードが見たような、魔術を“連術”で起こし、展開させる程の知識があるようには思えなかった。何より、総監はその時、王城に詰めていた。
アルフィードは人がまばらになりつつある正門の横で、どっしりと腰を下ろしたまま思い巡らす。両膝に置いた両手を顎の下で組んだ。
──ヤツは、第一級魔術師ではない可能性がある。
第二級の連中も一通りあらったが、第一級の連中よりも酷い有様だった。
もし、他に可能性があるとすれば、ひとつ。
“潜り”の魔術師だ。
魔術師に多種多様な“仕事”を依頼する者は、困窮を極めた農民から上級の貴族まで、幅広い。
仕事を請け負えるのは正魔術師以上、つまり第五級以上の魔術師だ。
依頼を受けられる魔術師は第五級が最下級。依頼料が相場の最安である事が多く、これらには多種多様な依頼が持ち込まれる。
旅人や、未開の地やら旧跡を巡る冒険者らから、『ちょっとどこそこ行くのに手伝って、ついて来て』という依頼、商人などから『ちょっと街の外まであれそれを取ってきて欲しい』やら、地方の大地主などから『ちょっと沼を埋めて欲しい』など、様々な依頼が回ってくる。それらには、重箱の隅をつつくような深い魔術の知識を要求されるような事は、あまりない。一般にも知られた魔術師の能力が要求され、それらは第五級魔術師にとってたいして難しくないのだ。
とはいえ、有り体に言って実態は“何でも屋”である。
一方、上級魔術師になると金払いの良い貴族のみならず行政機関やゼヴィテクス教会、さらにはオルファース魔術機関からも直接依頼が来るようになる。
行政機関からの依頼の場合、魔術師としての力量よりも、手続きや格式が重視され、品格や権威を満たした魔術師であるかどうかの方が問われる。必要なのは信頼であり、より格式の高い──第一級により近い魔術師であるとか、貴族出身の魔術師であるとか──、依頼主にとっての誰々に依頼したという外聞である。
とはいえ、結局のところやはり、やってる事は“何でも屋”である。
“何でも屋”とはいえ、依頼の種類は二千年も続くヒルド国においては出尽くしている。それらの傾向は押さえられ、よくある多くの依頼ならば、第五級正魔術師資格所有者ならばこなせる。
この実力ならば十分だとオルファース魔術機関が太鼓判を押しているのが正魔術師、第五級魔術師資格なのだ。請け負えない場合には、正魔術師らは横の繋がりで別の魔術師を紹介する。
アルフィードなどは第一級の魔術師であるが故、行政機関やオルファース魔術機関、最近はあまりないが貴族らからの依頼はよく届いた。
基本的に依頼を他の魔術師に回すという事を好まない。──『その程度なら楽勝、俺に出来ないわけがない』と言って依頼を達成するのが、アルフィードの信条であり志だからだ。しかし、格式ばって偉そうな口をきく依頼人が現れた時などは、自分の師であるギルバートにあっさり回してしまう。
今回、古代ルーン魔術の使い手を探すのにキャンセルしきれなかった一部の依頼を、アルフィードは勝手に師ギルバートに回した。
ただの第一級魔術師であるアルフィードよりも、オルファース魔術機関総監直下の十名の副総監の一人、もちろん第一級魔術師の、ギルバート・グレイニーへ依頼する方が、依頼人らにとってはとても外聞が良い。依頼を回す事について、依頼人から拒まれる事は無かったが──。
きっとその事で、第二級魔術師のシャリーがアルフィードに『ギルバート様が話したがっている』と伝言してきたのだろう。
ギルバートは顔が広いので、シャリーとも話す機会があったのだろう。魔術師である事に誇りを持っているシャリー・ディア・ボーガルジュという娘は、自分が貴族である事をむしろ厭う節があって、庶民出身ながら第一級魔術師であるアルフィードに一定の敬意をちゃんと払って話しかけてくる。
それにしても、とアルフィードは思う。今まで師ギルバートにいくら依頼を回しても何か言われた事は無かったというのに、どうした事だろう。
ギルバートに回しているような、高圧的な、身分差別から“庶民出身の魔術師”をあからさまに蔑むようなうざったい依頼主の依頼を、受けたくない魔術師は何もアルフィードだけではない。
貴族連中と関わりあいになりたくないと感じる庶民出の魔術師らの中には、正魔術師たる第五級の資格をとってしまうと、それ以上級を上げない者も多い。
アルフィード自身、何度も級をあげていくか迷った。それをギルバートに言うと『お前な、オルファース史上最速で第一級魔術師なっといてナーニが迷っただ、そんな言葉信じられるか。76歳になっても第六級で頑張ってるノティックさんに謝れ』と、呆れられた。アルフィードはと言えば、ギルバートに対して『国内八千名の魔術師の内の、ノティックなんていう七千名の魔術師見習い内のたった一人をよくぞ知ってたな』と逆に感心したものだ。顔が広いにも程がある。
アルフィードが受けたがらない、それらの仕事はしかし、割りが良い。
ヒルド国でも総監副総監らを含めても十九名しかいない第一級魔術師が請け負う依頼は、依頼人らにとっては競争が激しく、大金が積まれ、結果、第一級魔術師は一件の仕事で受け取る収入が大きくなる。
また、“第一級魔術師”という看板はどこでも通用する。貴族様御用達の一流シェフの居る高級レストランに行っても、“ツケ”で食って何も言われない。魔術師らにとっては“憧れの存在”である、食い逃げなど出来ない立場だ。
レストラン側からすれば、第一級魔術師相手ならば彼らの仕事後に訪ねれば簡単に払えってもらえる確信がある。
仕事が終わるのを待たずとも、レストラン側は“ツケ”で食った魔術師に、その場で適当な石に魔力と魔術を込めた“紺呪石”を一個作らせれば、おつりでもう2、3回同じ食事を出せるのだ。
一般に、魔術道具店などで売っている“紺呪石”は、仕事がまだ軌道に乗らない駆け出しの第五級魔術師が作っている事が多い。“紺呪石”に込められた魔術は、作った魔術師の魔術精度がそのまま反映される。そうなれば、上級の魔術師が作った“紺呪石”程高値が付く。精度も違えば箔も違うのだから。
デメリットがあろうが、メリットを存分に利用してやればいいと、アルフィードは第一級魔術師まで一気に駆け上がった。
だが、行政機関の、あるいは貴族共の依頼は『死んでも受けたくない』、『絶対に嫌だ“上”は全員爆発してしまえ』などと感じる者や、上級の魔術師なら受け取って当たり前の報酬額というものを、それでは貧しい者を救えないと慈善家よろしく貧乏な村々を渡り歩き、無償で魔術をふるう者もいる。
そういう魔術師は、魔術で生計をたててもかまわないという資格が与えられる第五級正魔術師になった時から、昇給試験を受けるのをやめてしまう。本来ある実力を第五級魔術師資格に封じ、自らを安価な魔術師に貶めるのだ。
行政機関や貴族らは、前述の理由や、やっと見習いから皮一枚むけた程度の第五級魔術師に仕事を振らないので、それを良い事に昇級をやめた魔術師らは野に下りて貴族といえど金のない分家をまわったり、これから伸びようとする商人ら、土地を持たない農民らの困り事を聞いては、依頼として請け負い、少額の報酬や一夜の宿を得て、生計を立てる。
そうして昇級せずに最低限の生活や旅を続けながら、彼らは魔術師としての腕や経験をぐんぐんと積んで行くのだ。
過去の歴史書を紐解けば、ごく最近でも、都から遠く離れた海岸沿いの小さな町を突如襲った大津波から、第五級魔術師とその弟子の魔術師見習いごときが、強大な魔術で救ったという話がある。そのような真似、大小はともかく、町を覆う程の津波を押し消す魔術、第一級魔術師でも成せるか否か怪しいところだ。
──つまり、名誉も金もいらないと豪語できる連中は、級を上げない。彼らを人は“潜り”の魔術師と呼んだ。
アルフィードは見当をつける。
「一、あのガキの正体を知らずに助けたヤツだ」
最後に届いたいくつかの古代ルーン魔術によるメッセージに『なぜ子供をさらう』とあった。正体を知っていれば『なぜ』などと愚問だ。一国の姫君をさらって考えられる事といえばそれなりに数はあるが、いずれも国にとって良い事はまずない。『なぜエナ姫をさらったのか』などと、愚問だ。
「二、都に住むやつだ」
洞窟を飛び出して逃げた先は森だった。
一旦、場所を変え、追っ手であった自分をまいて遠ざけ、森で足止めしてから都へ戻る。それがあの地中にアルフィードを縛った術の意味のはずだ。
都で騒ぎを起こしたくない理由がある、あるいは壊したくないものがある。
戦った時の動きも思い浮かべる──コソコソと隠れやがって。正体を、アルフィードに悟らぬよう動いていた。つまり、都に住むか滞在予定であったか、あるいは住んでいたか滞在していた者だという可能性が高い。
アルフィードは顎の下で組み合わせてあった利き手の親指の爪を、ゆるく噛んだ。
「ガキの正体を知らないのは、会った事が無いからだ。……式典なんかに呼ばれてる上級の貴族じゃねぇな。下級貴族か、商人出身、または庶民や農民出の魔術師……」
ふと気づけば、眼前のオルファース正門をくぐる者達の足が速くなっていた。
当然の事ながら、オルファースにもきちんと時間が定められている。仕事に勤しむ時間と休憩時間がある。正門をくぐる足がさらに早くなった。朝一の始業時間が近付いているのだ。
このタイミングこそ、ヤツを探るのに最も適した時間だ。
魔術師が急ぐ時、高確率で風の魔術を使って飛んだり、足を軽くするなど身体を強化して走る。その魔力波動を読む。
魔力波動に、例えば声のように聞いてすぐわかるというような個人を識別するような要素は、ほとんど無い。あるとすれば、魔力出力レベルの安定性についての差だ。
風の術などは魔力を放出し続けて使う事が多い。一定のレベルで一定の魔力放出量を保てる事が、安定している事を示す。
風の魔術で有名なのはカイ・シアーズとその弟子達だが、それは彼らの魔力波動の安定性が抜きん出ている為だ。風の魔術が得意なように見えるが、どのような術も魔力が安定していればコントロールが容易くなり、結局彼らには、苦手な術がほとんど無い。風の魔術の難易度が高い為、どんな術も安定して打てる彼らが『得意としている』ように見えるだけなのだ。
あの日、最後に見た古代ルーン魔術は、アルフィードが土砂の術に捕らえられていた間に、地味に練られていた。
一定の魔力の安定した放出、それによって恐ろしいほどに長い古代ルーンの魔術は形を成していた。魔力の放出量に変動があればバランス共々術が崩れ、失敗する。だが、アルフィードは身を以て体感した。嫌味な程、成功していた。ヤツの魔力放出は、腹立たしい程、安定していた。
探すのは、上級貴族ではない。
級を上げていない“潜り”の魔術師。
さらに、術の安定性がとても高い者……。
アルフィードは、ポカポカと暖かい日差しながら、風にはまだほんのり冷たさの残る、しかし爽快な朝の空気の中、立ち上がった。
オルファース正門を抜け、正門からすぐの藤棚の下を走り、施設内へ飛び込んでいく魔術師達。アルフィードの眼前を、続々と通り過ぎていく。
アルフィードの予想通り、彼らは魔術を使っている。空から舞い降りて来る者、遠くから人ならぬ速度で駆けてくる者……。
その風景は、アルフィードがここに座っていた日から数日、特に変わりがない。
見つからない。
誰もが怪しく見えたり、誰もがヤツではないと、期待しているのにはっきり否定を──あの程度ではないと目を逸らしてしまったり、いや、ヤツこそそうかもしれない、と睨んでしまったり。二週間、それを続けていた。ギルバートが『馬鹿めいて』と言ったのは、この行動のせいだろう。
アルフィードが腕を組んで正門の横で睨み始めてから数分が経ち、施設内から鐘が聞こえ始めた。
すでに、この門をくぐる者はいない。
「今日も、駄目か」
諦めの溜息をこぼし、再びアルフィードがレンガに腰を下ろしかけた時、どたばたと落ち着きのない足音が門に近づいてきた。
顔を上げ、アルフィードは眉間に皺を寄せる。
「なんだよ、ありゃ……」
笑いそうになるのを堪えた。
寝坊をしたのか、寝起きのままだろう、ボサボサ頭の、十六、七歳の少女だ。着崩れが激しいのは、寝間着から着替えるのに慌てた為なのだろう。その少女は、黒い髪を振り乱し、どたどたと走って門をくぐった。くぐり終えた時には、鐘はすでに鳴り止んでいたが、少女はそのまま施設内へと駆けて行った。
アルフィードはくくくっと笑った。
十代終わりから二十代前半が、女性の結婚適齢期であるヒルド国で、お年頃の十代半ばより少し上の少女が、あれはない──。
あまりに可哀想で、アルフィードは見なかった事にしてやろうと唇をもごもごと動かして笑いを噛み殺そうとした。しかし、堪えるほど、思い出して逆にぷっと吹き出し、笑ってしまった。
──だが、ふっと笑みは消える。
アルフィードは表情を真剣なものに変えると、微かに掠れた声を漏らした。
「……何で遅刻するってのに、魔術を使わない……?」
真正面でぴたりと足を止め、元々大きな目をさらに見開き、棒読みのように挨拶をしてくる。
「……おはようございます」
「……なんだよ」
「何なさってるんですの?」
「座ってんだよ」
見てわかんだろと右手で『しっしっ』と払った。
彼女はそれに気を留める事なく、体ごとこちらを向く。目はじわじわと元の大きさに戻っていく。いずれにしろデカイ。瞬きで睫毛が跳ねている。声には呆れた色が混じる。
「ここ、どこだかわかってらっしゃいますよね?」
「オルファース正門」
「……それをご承知で、このように恥ずかしくも座っていらっしゃるんですの?」
「ただ正門の横に居るだけだろ。俺は微塵も恥ずかしいと思ってねぇよ。何の用なんだよ」
正門のすぐ横にある花壇のレンガの縁に腰を下ろしたまま、目を逸らして興味の無い事を示してやると、視界の端で肩をすくめているのが見えた。
「別に、何の用もありませんわ。ギルバート様が気にしていらっしゃいましたから。『ここ数日アルフィードの馬鹿がますます馬鹿めいて一体何を考えているのかさっぱりわからねんだがあいつちゃんと飯食って寝てんのかやっぱ馬鹿やって死ぬんじゃねえのか』……とね」
ギルバートは一息で何か言う時、息が足りなくて多少“なまって”も最後まで言葉を続ける。それを声の高さも似せて彼女は実演してみせた。無駄に器用だ。貴族の女にそんな能力いらないだろうに。
ギルバートも、馬鹿にしているのか心配しているのか、いつもの事ではあるがわからない。アルフィードは呆れとも感嘆とも言えない息を吐いた。
「アンタ、声音真似るのうまいね」
見上げると、鞄を持っていない右手を口元に添え、彼女はにんまりと微笑んだ。
「うふふ……あ……──そうではなくて、そんな事どうでもよろしいのですわ。何なさってるんですの? ギルバート様はご多忙な方。私が伝えてさしあげますから、どうぞおっしゃって。ここ数日何を考えてらっしゃいますの? ちゃんと食べて寝てらっしゃいますの? 死にますの?」
お節介なヤツには、金やるから帰ってくれと言いたくなる。
座っているレンガの縁は地面からそれほど無く、ガラの悪いしゃがみ方に見える。がっつり開いた膝は長い分に肩より少しした辺りまできていて、そこに肘をそれぞれ乗せている。鋭い狩人のような眼つきや眦の刺青も手伝って、アルフィードの横を、皆目一杯避けて通っている。怖いのだ。
下を向いて、わざとらしくため息を吐き出して、それでもすぐに、顔を上げた。
銀色の長い髪を朝陽に照らし、キラキラした光を辺りに放つ少女が両手で胸に本を数冊抱え見下ろしてきている。どうなんですの? と、誰もが避けるアルフィードに、欠片も物怖じした様子を見せない。
「わかったよ、わかったからアッチ行っとけ。アンタみたいな貴族の娘が俺なんかと話してると、後で叱られるぞ。ギルのトコへは後で俺が勝手に行くから」
アルフィードが仕方無しに、手を「しっしっ」と振りながら答えると、貴族の娘シャリーはにっこりと微笑んだ。
「そうですの? 助かりますわ、ありがとうございます。ギルバート様、アルフィード様とお話なさりたいご様子でしたから」
アルフィードは片方の口角をひくりと二度動かした。
確かにここ二週間ほどギルバートからの呼び出しは『仕事中』と片っ端から無視し続けていたが、こういう誘導をするのか。
ほんのりとそばかすの残るシャリーの顔をアルフィードは見た。アルフィードの性格をきっちり見抜いての言動だったようだ。上手いことギルバートの元へ行くよう仕向けられてしまった。
「私、ネオと図書館へ行く約束がありますから、ホっとしましたわ。アルフィード様も御機嫌よう~」
シャリー・ディア・ポーガルジュ。十七歳の第二級魔術師は、満面の笑みを残して去って行った。真っ直ぐの銀色の髪がサラサラと風に流れ、甘い香水の香りが一瞬漂い、すぐに溶けて消えた。
春の木漏れ日もそろそろと消え、昼には夏の訪れを予感する日差しに汗が滲むようになった。
ユリシスが合格発表で肩を落とした日から二十日、二人が魔術合戦を展開してから二週間以上が経過していた。
アルフィードは“あの日”から全ての仕事をキャンセルして、毎日、ただ延々とこのオルファース正門に座っていた。寝泊りは研究室で済ませた。第一級魔術師には、研究室としてオルファース施設内に一室が与えられるのだ。
ゆるゆると朝陽はのぼっていく。
つり上がった眦には、朱の鋭いラインの刺青が入っている。それは一瞬血かと見紛う。その目で同色を発する朝陽を睨んだ。
アルフィードが敗北を喫した午前中の太陽。
返す返すも腹立たしい。
だから、もう一度、と思う。
──負けのままにされたんじゃあ、たまらん。許せん、俺が俺を。
都周辺の魔術師なら、必ずオルファースに顔を出しているはずだ。だから、探す。このオルファースの正門で。
手がかりは無いに等しいが、無ではない。微かな手がかり、だがそれは決定的でもある。
古代ルーン魔術を使いこなすヤツ。
アルフィードは魔術師、あるいは魔術師見習い達がぞろぞろと目の前を歩いて正門をくぐる様子を眺めていた。たまに幼い子供もいる。予備校生だろう。
古代ルーン文字の読み書きは、第一級魔術師資格の合格判断基準のひとつになっている。言い換えれば、第二級以下の試験には含まれていない。つまり、第一級魔術師以外は、古代ルーン文字をまだ勉強しておらず、読めないのが普通。多少読めるというのであれば、第一級魔術師資格に受かるべく勉強している第二級の魔術師ぐらいだ。どちらにしろ“古代ルーン魔術”を扱うには第一級魔術師クラスの知識が“最低限”必要である。
アルフィードは、相手のわからない魔術合戦の翌日、確認して回った。王都ヒルディアム周辺の第一級魔術師達が、どこまで古代ルーン魔術を扱えるのかと。
古代ルーン魔術は難解なせいか、目的に対する知識量が現代ルーン魔術よりも膨大に必要となり、実用性に欠く。その為、現代ルーン魔術で十分だという認識が当たり前に広がった。
第一級の合格判断基準から古代ルーン文字の読み書きを外すべきではないかという議論もされ始めている。古代ルーン魔術が発展し、より使いやすくなったものが現代ルーン魔術なのだから古代ルーン魔術はもう用済みではないか、と。
アルフィードのみる限り、古代ルーン文字を最も理解していたのは、年季の入ったオルファース総監デリータ・バハス・スティンバーグだった。だが総監には“あの日”アルフィードが見たような、魔術を“連術”で起こし、展開させる程の知識があるようには思えなかった。何より、総監はその時、王城に詰めていた。
アルフィードは人がまばらになりつつある正門の横で、どっしりと腰を下ろしたまま思い巡らす。両膝に置いた両手を顎の下で組んだ。
──ヤツは、第一級魔術師ではない可能性がある。
第二級の連中も一通りあらったが、第一級の連中よりも酷い有様だった。
もし、他に可能性があるとすれば、ひとつ。
“潜り”の魔術師だ。
魔術師に多種多様な“仕事”を依頼する者は、困窮を極めた農民から上級の貴族まで、幅広い。
仕事を請け負えるのは正魔術師以上、つまり第五級以上の魔術師だ。
依頼を受けられる魔術師は第五級が最下級。依頼料が相場の最安である事が多く、これらには多種多様な依頼が持ち込まれる。
旅人や、未開の地やら旧跡を巡る冒険者らから、『ちょっとどこそこ行くのに手伝って、ついて来て』という依頼、商人などから『ちょっと街の外まであれそれを取ってきて欲しい』やら、地方の大地主などから『ちょっと沼を埋めて欲しい』など、様々な依頼が回ってくる。それらには、重箱の隅をつつくような深い魔術の知識を要求されるような事は、あまりない。一般にも知られた魔術師の能力が要求され、それらは第五級魔術師にとってたいして難しくないのだ。
とはいえ、有り体に言って実態は“何でも屋”である。
一方、上級魔術師になると金払いの良い貴族のみならず行政機関やゼヴィテクス教会、さらにはオルファース魔術機関からも直接依頼が来るようになる。
行政機関からの依頼の場合、魔術師としての力量よりも、手続きや格式が重視され、品格や権威を満たした魔術師であるかどうかの方が問われる。必要なのは信頼であり、より格式の高い──第一級により近い魔術師であるとか、貴族出身の魔術師であるとか──、依頼主にとっての誰々に依頼したという外聞である。
とはいえ、結局のところやはり、やってる事は“何でも屋”である。
“何でも屋”とはいえ、依頼の種類は二千年も続くヒルド国においては出尽くしている。それらの傾向は押さえられ、よくある多くの依頼ならば、第五級正魔術師資格所有者ならばこなせる。
この実力ならば十分だとオルファース魔術機関が太鼓判を押しているのが正魔術師、第五級魔術師資格なのだ。請け負えない場合には、正魔術師らは横の繋がりで別の魔術師を紹介する。
アルフィードなどは第一級の魔術師であるが故、行政機関やオルファース魔術機関、最近はあまりないが貴族らからの依頼はよく届いた。
基本的に依頼を他の魔術師に回すという事を好まない。──『その程度なら楽勝、俺に出来ないわけがない』と言って依頼を達成するのが、アルフィードの信条であり志だからだ。しかし、格式ばって偉そうな口をきく依頼人が現れた時などは、自分の師であるギルバートにあっさり回してしまう。
今回、古代ルーン魔術の使い手を探すのにキャンセルしきれなかった一部の依頼を、アルフィードは勝手に師ギルバートに回した。
ただの第一級魔術師であるアルフィードよりも、オルファース魔術機関総監直下の十名の副総監の一人、もちろん第一級魔術師の、ギルバート・グレイニーへ依頼する方が、依頼人らにとってはとても外聞が良い。依頼を回す事について、依頼人から拒まれる事は無かったが──。
きっとその事で、第二級魔術師のシャリーがアルフィードに『ギルバート様が話したがっている』と伝言してきたのだろう。
ギルバートは顔が広いので、シャリーとも話す機会があったのだろう。魔術師である事に誇りを持っているシャリー・ディア・ボーガルジュという娘は、自分が貴族である事をむしろ厭う節があって、庶民出身ながら第一級魔術師であるアルフィードに一定の敬意をちゃんと払って話しかけてくる。
それにしても、とアルフィードは思う。今まで師ギルバートにいくら依頼を回しても何か言われた事は無かったというのに、どうした事だろう。
ギルバートに回しているような、高圧的な、身分差別から“庶民出身の魔術師”をあからさまに蔑むようなうざったい依頼主の依頼を、受けたくない魔術師は何もアルフィードだけではない。
貴族連中と関わりあいになりたくないと感じる庶民出の魔術師らの中には、正魔術師たる第五級の資格をとってしまうと、それ以上級を上げない者も多い。
アルフィード自身、何度も級をあげていくか迷った。それをギルバートに言うと『お前な、オルファース史上最速で第一級魔術師なっといてナーニが迷っただ、そんな言葉信じられるか。76歳になっても第六級で頑張ってるノティックさんに謝れ』と、呆れられた。アルフィードはと言えば、ギルバートに対して『国内八千名の魔術師の内の、ノティックなんていう七千名の魔術師見習い内のたった一人をよくぞ知ってたな』と逆に感心したものだ。顔が広いにも程がある。
アルフィードが受けたがらない、それらの仕事はしかし、割りが良い。
ヒルド国でも総監副総監らを含めても十九名しかいない第一級魔術師が請け負う依頼は、依頼人らにとっては競争が激しく、大金が積まれ、結果、第一級魔術師は一件の仕事で受け取る収入が大きくなる。
また、“第一級魔術師”という看板はどこでも通用する。貴族様御用達の一流シェフの居る高級レストランに行っても、“ツケ”で食って何も言われない。魔術師らにとっては“憧れの存在”である、食い逃げなど出来ない立場だ。
レストラン側からすれば、第一級魔術師相手ならば彼らの仕事後に訪ねれば簡単に払えってもらえる確信がある。
仕事が終わるのを待たずとも、レストラン側は“ツケ”で食った魔術師に、その場で適当な石に魔力と魔術を込めた“紺呪石”を一個作らせれば、おつりでもう2、3回同じ食事を出せるのだ。
一般に、魔術道具店などで売っている“紺呪石”は、仕事がまだ軌道に乗らない駆け出しの第五級魔術師が作っている事が多い。“紺呪石”に込められた魔術は、作った魔術師の魔術精度がそのまま反映される。そうなれば、上級の魔術師が作った“紺呪石”程高値が付く。精度も違えば箔も違うのだから。
デメリットがあろうが、メリットを存分に利用してやればいいと、アルフィードは第一級魔術師まで一気に駆け上がった。
だが、行政機関の、あるいは貴族共の依頼は『死んでも受けたくない』、『絶対に嫌だ“上”は全員爆発してしまえ』などと感じる者や、上級の魔術師なら受け取って当たり前の報酬額というものを、それでは貧しい者を救えないと慈善家よろしく貧乏な村々を渡り歩き、無償で魔術をふるう者もいる。
そういう魔術師は、魔術で生計をたててもかまわないという資格が与えられる第五級正魔術師になった時から、昇給試験を受けるのをやめてしまう。本来ある実力を第五級魔術師資格に封じ、自らを安価な魔術師に貶めるのだ。
行政機関や貴族らは、前述の理由や、やっと見習いから皮一枚むけた程度の第五級魔術師に仕事を振らないので、それを良い事に昇級をやめた魔術師らは野に下りて貴族といえど金のない分家をまわったり、これから伸びようとする商人ら、土地を持たない農民らの困り事を聞いては、依頼として請け負い、少額の報酬や一夜の宿を得て、生計を立てる。
そうして昇級せずに最低限の生活や旅を続けながら、彼らは魔術師としての腕や経験をぐんぐんと積んで行くのだ。
過去の歴史書を紐解けば、ごく最近でも、都から遠く離れた海岸沿いの小さな町を突如襲った大津波から、第五級魔術師とその弟子の魔術師見習いごときが、強大な魔術で救ったという話がある。そのような真似、大小はともかく、町を覆う程の津波を押し消す魔術、第一級魔術師でも成せるか否か怪しいところだ。
──つまり、名誉も金もいらないと豪語できる連中は、級を上げない。彼らを人は“潜り”の魔術師と呼んだ。
アルフィードは見当をつける。
「一、あのガキの正体を知らずに助けたヤツだ」
最後に届いたいくつかの古代ルーン魔術によるメッセージに『なぜ子供をさらう』とあった。正体を知っていれば『なぜ』などと愚問だ。一国の姫君をさらって考えられる事といえばそれなりに数はあるが、いずれも国にとって良い事はまずない。『なぜエナ姫をさらったのか』などと、愚問だ。
「二、都に住むやつだ」
洞窟を飛び出して逃げた先は森だった。
一旦、場所を変え、追っ手であった自分をまいて遠ざけ、森で足止めしてから都へ戻る。それがあの地中にアルフィードを縛った術の意味のはずだ。
都で騒ぎを起こしたくない理由がある、あるいは壊したくないものがある。
戦った時の動きも思い浮かべる──コソコソと隠れやがって。正体を、アルフィードに悟らぬよう動いていた。つまり、都に住むか滞在予定であったか、あるいは住んでいたか滞在していた者だという可能性が高い。
アルフィードは顎の下で組み合わせてあった利き手の親指の爪を、ゆるく噛んだ。
「ガキの正体を知らないのは、会った事が無いからだ。……式典なんかに呼ばれてる上級の貴族じゃねぇな。下級貴族か、商人出身、または庶民や農民出の魔術師……」
ふと気づけば、眼前のオルファース正門をくぐる者達の足が速くなっていた。
当然の事ながら、オルファースにもきちんと時間が定められている。仕事に勤しむ時間と休憩時間がある。正門をくぐる足がさらに早くなった。朝一の始業時間が近付いているのだ。
このタイミングこそ、ヤツを探るのに最も適した時間だ。
魔術師が急ぐ時、高確率で風の魔術を使って飛んだり、足を軽くするなど身体を強化して走る。その魔力波動を読む。
魔力波動に、例えば声のように聞いてすぐわかるというような個人を識別するような要素は、ほとんど無い。あるとすれば、魔力出力レベルの安定性についての差だ。
風の術などは魔力を放出し続けて使う事が多い。一定のレベルで一定の魔力放出量を保てる事が、安定している事を示す。
風の魔術で有名なのはカイ・シアーズとその弟子達だが、それは彼らの魔力波動の安定性が抜きん出ている為だ。風の魔術が得意なように見えるが、どのような術も魔力が安定していればコントロールが容易くなり、結局彼らには、苦手な術がほとんど無い。風の魔術の難易度が高い為、どんな術も安定して打てる彼らが『得意としている』ように見えるだけなのだ。
あの日、最後に見た古代ルーン魔術は、アルフィードが土砂の術に捕らえられていた間に、地味に練られていた。
一定の魔力の安定した放出、それによって恐ろしいほどに長い古代ルーンの魔術は形を成していた。魔力の放出量に変動があればバランス共々術が崩れ、失敗する。だが、アルフィードは身を以て体感した。嫌味な程、成功していた。ヤツの魔力放出は、腹立たしい程、安定していた。
探すのは、上級貴族ではない。
級を上げていない“潜り”の魔術師。
さらに、術の安定性がとても高い者……。
アルフィードは、ポカポカと暖かい日差しながら、風にはまだほんのり冷たさの残る、しかし爽快な朝の空気の中、立ち上がった。
オルファース正門を抜け、正門からすぐの藤棚の下を走り、施設内へ飛び込んでいく魔術師達。アルフィードの眼前を、続々と通り過ぎていく。
アルフィードの予想通り、彼らは魔術を使っている。空から舞い降りて来る者、遠くから人ならぬ速度で駆けてくる者……。
その風景は、アルフィードがここに座っていた日から数日、特に変わりがない。
見つからない。
誰もが怪しく見えたり、誰もがヤツではないと、期待しているのにはっきり否定を──あの程度ではないと目を逸らしてしまったり、いや、ヤツこそそうかもしれない、と睨んでしまったり。二週間、それを続けていた。ギルバートが『馬鹿めいて』と言ったのは、この行動のせいだろう。
アルフィードが腕を組んで正門の横で睨み始めてから数分が経ち、施設内から鐘が聞こえ始めた。
すでに、この門をくぐる者はいない。
「今日も、駄目か」
諦めの溜息をこぼし、再びアルフィードがレンガに腰を下ろしかけた時、どたばたと落ち着きのない足音が門に近づいてきた。
顔を上げ、アルフィードは眉間に皺を寄せる。
「なんだよ、ありゃ……」
笑いそうになるのを堪えた。
寝坊をしたのか、寝起きのままだろう、ボサボサ頭の、十六、七歳の少女だ。着崩れが激しいのは、寝間着から着替えるのに慌てた為なのだろう。その少女は、黒い髪を振り乱し、どたどたと走って門をくぐった。くぐり終えた時には、鐘はすでに鳴り止んでいたが、少女はそのまま施設内へと駆けて行った。
アルフィードはくくくっと笑った。
十代終わりから二十代前半が、女性の結婚適齢期であるヒルド国で、お年頃の十代半ばより少し上の少女が、あれはない──。
あまりに可哀想で、アルフィードは見なかった事にしてやろうと唇をもごもごと動かして笑いを噛み殺そうとした。しかし、堪えるほど、思い出して逆にぷっと吹き出し、笑ってしまった。
──だが、ふっと笑みは消える。
アルフィードは表情を真剣なものに変えると、微かに掠れた声を漏らした。
「……何で遅刻するってのに、魔術を使わない……?」
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