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第5話『……だから』

(026)【2】愚かなる(5)

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(5)
 そこで魔術師同士の魔術戦が行われているならば、ネオは席を立ち、その場へ赴いて仲裁をしなければならない。それは、上級の魔術師、第一級の魔術師の役目だから。
 都や人の住む場所での魔術師同士の争いは禁じられている。
 禁じられる代わりとばかりに、ヒルディアムから馬車で半日のミルアという街の闘技場で、定期的に魔術師の大会が行われているのだが。
 特に第一級魔術師の私闘における魔術の使用は禁止されている。これには罰則が伴う。第一級魔術師同士が戦うのであれば、仲裁がひどく困難なのだ。
 第一級魔術師を止めるのは、例え同じ第一級魔術師であろうとも至難の業、互いに死を覚悟しなければならない。彼らが本気になれば、建物の一つ二つ、簡単に崩落させる事が出来る。魔術師同士の争いとなると、その力が人に及ぶという事。
 また、第一級魔術師という資格は、第二級魔術師よりも上の力を持つ、という定義で、第二級魔術師同士の力の差に大きな開きは無い。
 一方、第一級魔術師、こちらは力に幅があるのだ。戦闘型の魔術師として有名な第一級魔術師は、アルフィード、ヘリティア、ギルバートの三名だが、彼らに対して、同じく第一級魔術師であり研究会など派閥を持って机に張り付くタイプのドリアムでは、魔術戦となると全く歯が立たない。一定レベルを超えた後の、力の差を当てはめる基準が、第一級以降は無いせいだ。
 死罪が適用されるのに有名なのは、魔術師でない者が魔術を使った場合と、第一級魔術師同士の私闘。
 第一級魔術師が魔術で他者と戦って良いのは、自分や他者を守る時だが、それでも決して殺してはならない。第二級以下は、結果加害者側を殺してしまっても正当防衛が認められる場合がある。第一級魔術師には、重罪にならないとはいえ、許されない。その力で、全員を守れというのだ、被害者も、加害者をも。第一級魔術師であるという力には、どのような精神状態であっても規律を守りきる精神力が課せられるのだ。
 いずれであっても、人の住む場所で戦いに魔術が使われるているのならば、止めなければならない。一般人のただの殴り合いとは話が異なる。被害が拡散するのが魔術。
 すぐに争いの場へ行き、仲裁しなくてはならない。第一級魔術師ならば、ほとんどを力づくでも止められるし、止めなくてはならない。こういった時こそ、私的利用を好まないネオは魔術を使う。誰かを救う為に魔術が戦いに使われているならば、ネオはそちらに加勢する為、魔術を使う。それが、第一級魔術師の務めだと、ネオは思っている。魔術師見習いが、夜になると都内の紺呪棒に明かりの魔術をかけてまわるように、第一級魔術師のネオは、その戦いの場へ行かなければならない。
 だが……。
 彼女は口を開かない。
 彼女も気付いたはずだ、その殺意ある魔術に。
 彼女にも自分と同じだけの魔力波動の属性を読み取る力があるのなら。
 なぜ、答えない。
「…………ごめん……」
 彼女はうつむいて言った。
 なぜ謝るのかわからず、ネオはユリシスの顔を覗き込んだ。
 ユリシスはぱっと勢いよく顔を上げると、ネオを見た。微かに、その紫紺の瞳が揺らいでいるように見えた。いつか、その瞳の色に鳥肌をたてた自分がいた。どうしてそうなったのかはよく思い出せないが、揺れた波紋は一気に鎮まり、今、透き通るアメジストの瞳は、澄み切って迷いがない。
「ごめん、何言ってんだかわかんないんだけど」
 えへへとユリシスは笑顔で答える。
「…………」
 ネオは、表情を殺してこっそりと息を吐き出した。
「──わかった。ちょっと席を外すよ。シャリーには適当に伝えておいて」
 疲れたように言って、ネオは立ち上がった。
「うん、伝えておくね」 
 ネオの背中をユリシスは笑顔で見送った。
 その姿がテントから出て行ったのを確認してから、ユリシスは前かがみになって自分の膝につっぷした。膝の間から、真っ暗な足元が見えた。
 テントは相変わらず熱気に満ちていて、大きな拍手と歓声が上がる。テントに入っている客は三百人近い。それらの楽しげな息遣いと、驚きと、笑い声と、感嘆の声がテントの中を行き交う。派手な太鼓の音、時折、火を使った演目があるのか、炎の爆ぜる音が聞こえてくる。近く、遠く、それらは歓びに満ちたもので埋め尽くされている。
 ──それら全てが、別の世界の音のように聞こえていた。
 膝に顔を埋めて下唇を強く噛んだ。
 錆びた鉄に似た味が滲んでようやく口を開き、ついでに小さな声で呟いた。
「……嘘を、平気でつけるようになっちゃってる、私」
 顔を上げて、開いた隣の席を見た。
「嘘なんてつきたくないって気持ちで、いっぱいなのにな」
 震えるつぶやきは、歓声に埋もれて消える。
 アメジストの瞳に映る世界が、うっすらとにじむ涙で、揺らぐ。
 ──自分にも、友達にも…………いやだ……。
 嘘をつかなきゃならない事が、その選択をしている自分が、悲しかった。


 ヒルド国の都、ヒルディアムの夜には月が二つある。
 一つは遥か空高く、闇を裂くように浮かび上がる空の月。また一つは、王城に隣接する魔術機関オルファースが本部のドーム状の建物の屋根。その屋根は夜間になると、オルファースの魔術師の手により、明かりがともされ、地上の月となる。
 贅をつくしたその建物の最上階、ドーム部分にも、部屋がある。部屋の主は、国王の右腕として国を支えるオルファース魔術機関、最高責任者である総監デリータ・バハス・スティンバーグ。
 デリータ・バハス・スティンバーグは七十三歳の第一級魔術師で。彼女は、同じく第一級魔術師ラヴィル・ネオ・スティンバーグの祖母でもある。
「待っていましたよ、ギルバート・グレイニー」
 大理石の床の上に、だだっ広いばかりの空間。
 あるのは、大きすぎる椅子と、そこに埋まるように座る老婆。天井は煌々と明るい。屋根の、地上の月の明かりが漏れているのだろう。
 ギルバートは部屋の奥へ進み、その大きな椅子から十歩程離れた場所で恭しく一礼した。昼間、テラスでアルフィードに見せていた彼からは想像し難い程、凛とした空気を辺りに打ち払い、その辺に転がってる程度の貴族風情なら簡単に気後れさせるだけの気品を見せた。
「お呼びに従い参上しましたが、如何なる用事でございましょう?」
 老婆は椅子から立ち上がると、一歩、二歩と、ギルバートに近づいた。その歩みは年齢を思わせない。背筋はピンとして、所作もはっきりとしている。三十歳は若く見えた。
 オルファース総監はギルバートと一歩の距離まで来ると、彼を見上げた。
「貴方に、伝えておきたい事があるのです」
「伝えておきたい事、ですか……」
「貴方はとても優秀な人。私はそれをよく知っているわ」
「……」
 ギルバートは、呆気に取られた。
 十人の副総監の内、手数だけかかる閑職の、発言力の無い資料部門に回されているのに。ギルバートはこっそりと驚きを隠す。
 ふと考えれば、このオルファース総監と二人きりで話をする事など初めてだ。会うのは式典や副総監十人を集めての会議など、公の時のみだった。初めて直接聞かされた、オルファース総監のギルバートの評価である。
「二〇〇〇年前、滅びを目前にした国を捨て、身分の上下なく同じ立場でこの地に辿り着いた祖先が、今、この国を見れば悲しむ事でしょう。書物に残された貴族というものは、毅然とした態度で良いものは良い、悪いものは悪いと言い、貴賎別け隔てなく接していたそうです。当時の貴族とは、人格も尊ばれる人々でした。家柄が貴族を決めたのではないのです、立ち居振る舞い、行動が貴族と呼ばせたのです。今は、どうかしら。権力欲、物欲にまみれ、他を食いつぶす者ばかり。民の意を反映する為にと庶民院もあるけれど、皆貴族の息がかかっているのは、誰もが知っている事。世襲制をとる長い貴族院優勢の状況から、魔術師に恵まれ豊かと言われる大国とは思われない程、今日明日の飲食にも困る地域があるわ。王都ではあまり目立ちませんが」
 やはりギルバートは総監の言葉に対し、耳を疑う。このオルファース総監は、有数の貴族でもあるのだから。
「同時に、魔術師になれる者も貴族に枠を取られ、才能ある者が埋もれる始末。いずれ、魔術大国なんて呼ばれるのも恥ずかしい国になってしまうかもしれない……」
 日頃、ギルバート自身も感じている事だ。まさか、総監からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。
「あなたも知っていると思いますが、戦乱のある国からヒルド国、この王都ヒルディアムに流れてくる難民は多い。でもそれ以上に、ヒルド国民でありながら虐げられて、低すぎる所得の為ヒルド国を生き抜く事が出来なくて、山野に姿を消す民が後を絶たない。まともな税収を見込めない貧困層の管理が杜撰なせいもあるけれど、世の中が歪んでいる気がしませんか。貴族の私が言う事ではないかもしれないけれど」
 そう言ってオルファース総監は自嘲気味に笑った。
「陛下のお力だけでは、貴族たちだけでは、民だけでは、覆す事が出来ない時代の流れを、私は感じてやまないの。ならばと、それらを縦割り区分け無く力を振るえるオルファース魔術機関が踏み込むべきなのでしょうが、悲しい事に私の力が足りず、十人の副総監らの意見も押し曲げる事が出来ない……。オルファース魔術機関は、特に昔から“実力”を重視してきていたのに、こちらもいつの間にか庶民層が排除され、その分貴族らが台頭している。台頭? “実力”も無いのに──」
 声はそれほど乱れる事は無いが、吐き捨てられる言葉は辛らつだ。
「貴族、綺麗な言葉。ただ庶民層を押しつぶすばかりの支配者層だわ。そして、教会、我が国の国教であるゼヴィテクス教にはびこる古すぎる思想……」
 ギルバートは、息を飲み、慌てて口を開く。
「総監……もう、お止め下さい。貴女ともあろう方がそのような事、おっしゃっては──」
 オルファース魔術機関総監の愚痴なのか、そうだとしても立場上それは誰にも言ってはならない事のはずだ。ギルバートはこれ以上聞いてはならないと止めようとするが、総監は目を細める。
「お願い、ギルバート。最後まで聞いてちょうだい」
「…………はい……」
「今、この国には大きな歪みがあります。詳しく語る事は出来ませんが、奥深いところで、既に始まっています」
「……──突然、何をおっしゃるのです? この国は、他国の誰もが羨む程に平和ではありませんか?」
「偽りにすぎません。先延ばしにされたものに過ぎません。国は、変わらねばなりません。昔のままでは、欲深い人を治める事は出来ないのです。人は物を思い、考える事の出来る存在です。新たな事を発見し、さらに先を目指す生き物です。欲深い事、生きる事は、性なのです。さらに先へ先へと進む生物の住む場所を、何百年も変わらぬ支配体制で治めきる事が出来るとお思い?」
 微かに怒りさえ滲んで聞こえた。その鋭い迫力は、女性でありながら国王の右腕となるに足るもの。ギルバートはたじろいで言葉が出てこなかった。
「ギルバート・グレイニー。現在、十名の副総監の内、貴族出身でないのは貴方だけです。私は、いつかは貴方に、今私の居る位置に立って欲しいと願っています。貴方の魔術師としての力、そして、身分を越えて対話し、調和を導ける、貴方に……」
「総監…………」
「伝えたかったのは、それだけです。遠からず、この国には、滅びの風が吹き荒れます。その時、私が生きている保障はありません。ですから、貴方にお願いしておきたいのです」
 次期オルファース総監は、十人の副総監の中から国王によって選出される。慣例では、前期総監の推薦が九割以上通っている。
「…………」
「この国は、私達魔術師の力で変えなければならない。──そして、貴方はそれに必要な人。その事を、心に留めておいて下さい」
 第1級魔術師にして、オルファース総監。ラヴィル・ネオ・スティンバーグの祖母、デリータ・バハス・スティンバーグはギルバートの手を握って、強く語った。


 自分の部屋に戻ったギルバートは、観葉植物に囲まれ、外に向けたソファーに深く腰を下ろし、窓の外を眺めていた。
 昼間は汗のにじむ季節になってきているが、夜間はひんやりとした風が吹いて心地よい。肘掛にもたれ、ギルバートは外を、明るく輝くオルファース本部のドーム状の屋根を見た。オルファースの頂点、総監──。
 そうして、考えをまとめようと溜め息をついた瞬間だった。
 空の月、地上の月とも異なる赤い光が空に満ちたのは。
「──んなっ!?」
 ギルバートは慌てて立ち上がりバルコニーに身を乗り出した。
 光源は部屋よりも南側、国民公園の方。
「くっそう! 人がまじめに考え事しようって時に!!」
 バッと右手をひるがえし、サラリと魔術を書いた。風の術で三階のバルコニーから飛び出して夜空に舞い、まばゆい光が溢れてくる国民公園を見た。
 公園内の森から、空高く炎が巻き上がっている。
 ここまで熱風が届いて来そうだ。
 ギルバートは眉根に皺をくっきりと寄せた。
「……よりによって、魔術の火かよ。一体、ドコのアホだ、厄介な……!」
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