55 / 66
第6話『王女のお仕事』
(053)【4】王女のお仕事(4)
しおりを挟む
(4)
ギルバートの言葉を聞いてから後のことをユリシスはよく覚えていない。
冷静になったつもりで話を聞く態勢を整えたものの、さっぱり──ギルバートの声を聞いているフリをするのに飲んだ紅茶の味も思い出せない。どうやって自宅に帰ったのかも、いまいちはっきりしない程だ。
気付けばいつも通り『きのこ亭』の自室で朝を迎えていた。例の如く早くに目を覚まして、ごく普通の日常が始まっていたのだ。
ベッドから身を起こし、寝巻きのままで丸窓から白い朝陽を浴びた。
思い返しても細かには蘇らない記憶の中で、鮮明に浮かび上がるギルバートの微笑と「弟子にならないか」という声。
衝撃が大きかった。
多分、返事は保留にして帰ってきたと思う。
嬉しくて卒倒しそうな気持ちと──なぜ? どうして?──という疑問。さらには、黒装束の連中とグルであるという事はないだろうか、だとしたらそれはとても恐ろしい──罠の予感。
魔術を使える事はバレていないはずだ。そんな節は見せていない。だが、以前魔術戦をしてしまったアルフィードが何か気付いていたら? それを告げていたら?
素直に嬉しいと思っていたいのに──。
魔術師を目指す者、つまり第九級魔術師資格を受験する予備校生が、正魔術師に弟子入りする事は実はそう珍しくない。
ただし、この場合、お金を払って弟子になる、という不思議な形をとる。これは予備弟子と呼ばれている。
本来、魔術を使用する資格を得た第九級から第六級で弟子になった場合、師の仕事を手伝う労働対価として生活費を面倒みてもらいながら、魔術を学ぶ。
魔術師が弟子を取るという事は、砕いて言ってしまえば、仕事の助手──雑用係りを魔術指導と衣食住を提供する事で雇っているのだ。
魔術師の仕事を手伝うという行為は、第九級魔術師以上の資格が無ければ出来ない。資格が無ければ特定の書物や薬品の扱委が禁止されているからだ。この資格が無い予備校生が弟子になる場合、生活の雑用をこなしつつ第九級魔術師資格取得の為の勉強をさせてもらうという形になる。
魔術師の仕事は特殊だ。
そもそも魔術の基本たるルーンなど古代語から魔術に即して変化したため、口語など文化の面で変遷を辿った日常の言語と異なってしまった。
古代メルギゾーク言語とほぼ同じである魔術語と、現代ヒルド国の言語は違うものになった。今の魔術師は言うなればヒルド語を読み書きしながら、古代メルギゾーク話で魔術をおこす特殊な人類。
魔術を使えるか使えないかの能力格差は言うまでもなく大きい。
資格が無ければ出来ない事が多いのは当然。
従って、予備校生の弟子に出来る事はせいぜい家事手伝いというレベルに留まる。そうなると弟子としては役立たず……結局、予備校生側が魔術師にお金を払ってでも予備弟子となり、資格試験に受かるように先行者に学ぶというのが一般的だ。
予備校生は衣食住を自分で負担しつつ、魔術師が自分に勉強を教えてくれる時間分の賃金を払う──魔術師を家庭教師として雇っているようなものである。
魔術師は第九級以上の資格を持たない者に、実践的な魔術指導、知識を伝える事をオルファースによって規制されている。魔術は魔術師のもの──という意味だ。
魔術師は予備校生に魔術を教える事は出来ない。
教えられるのは第九級魔術師資格試験出題範囲の魔術概論や歴史など輪郭部分の学術的な内容に限られる。
ユリシスの記憶が正しければ、ギルバートはこう付け加えていた。
──予備弟子料はいらないから……と。
ユリシスにはお金がない。
第九級魔術師資格試験の受験資格が、オルファースの予備校での全授業出席。この予備校の授業料も馬鹿にならない。これと生活費だけでユリシスは一杯一杯なのだ。服なんてずっと常連さん周りからお古を頂いたり、教会主導の貧民救済の施しを分け与えてもらったものだ。
成長が止まった三年前からは少ない服を着まわして買い換えていない。
見えない部分でツギハギなほどの貧乏ぶりだ。
だから、ギルバートの申し出には素直に嬉しいと、思いたかった。
──朝陽が眩しい。
毎日変わらず昇る太陽。見回せば何も変わらない日常なのに……。
どうしてこうも、眺める自分の気持ちが揺らいでるだけで、陽光は刺す程痛いものに感じられるのだろう。
後ろめたい気持ちになるのだろう。
「……なんでこんなに隠し事ばっかり……」
魔術を使える事を言えたらどんなにいいだろう。
おそらく命を狙われていると打ち明けられたら、どんなに心は楽になるだろう。
赤みがかる紫紺の瞳に影がさす。
気持ちとともに自然とうつむき、髪がぱらぱらと流れた。
まるで太陽を、光を避けて生きていかねばならないような気がして悲しかった。堂々と魔術師になりたいのに、今はこんなにも追い詰められている。
どうしたらいいのだろう。誰に言えばいいのだろう。
誰にも言えないし、どうしたらいいのかなんてわからない。
ユリシスは窓の枠に両手をかけたまま、しゃがんだ。窓枠にぶら下がるような態で額を壁にコツンとつけた。壁が冷くて気持ち良かった。二、三度、そのまま壁に額をコツンコツンとそっとぶつけた。
太陽の光の届かない窓の真下で、ユリシスは怯んで身動きが取れなくなってしまっていた……。
ユリシスが困惑の朝を迎えていた頃、王城は王の広い私室で、寝巻きに大きなガウンを肩にかけたギルソウ国王が天蓋付きのベッドの脇に立っていた。
窓はなく、天蓋の周りにある久呪石のうっすらとした灯りが皺の刻まれたギルソウの横顔を照らす。
この部屋には彼ともう一人、彼の忠実な僕がいる。
「ゼット……」
王は暗がりに呼びかけた。すぐ、一際濃い闇の塊が浮かび上がる。次第にその影が──人が跪いるものだとわかる。
「ここに」
影はそう言った。
「マナの動きを見逃すな──あれは……」
王の眼差しに闇が揺れる。眼裏には、笑顔に溢れていた十六歳までの愛娘の姿が蘇る。あの頃に戻れたならば──などと、最早考える時ではない。
感傷を振り切り、王は言葉を続ける。
「多くを忘れすぎている。二十四になるというのにあまりに危うい。何をしでかすかわからん」
影は深く頭を垂れ、微かな声で返事をした。王は小さく頷き、左足を下げて体を影に向けた。
「昨夜の件だが……副総監ギルバート・グレイニーの動きも追っておくように。どうやら、あの男が一番近い」
「──はっ」
はっきりとした声で影は応えた。その脳裏にはギルバートと対峙した時の光景でも蘇っているのだろう。
「再度問うが、『例の娘』……目覚めておるのか?」
「……はっきりとは申し上げかねます。ただ、現段階では、目覚めてはいないように思われます」
暗がりに声だけが空気を震わせた。
「そうか。どちらにせよ、その娘には酷だが、極秘裏に私の下へ連れてくるように──生死は問わぬが、必ずマナよりも先であるように」
「かしこまりまして」
やがてゼットと呼ばれた闇の塊、ギルソウ国王の隠し忍びにしてその一族の長、ゲドの父は気配ないままに姿を消した。
「ああ──ゼット」
付け足すように王が呼び戻す。
「ここに」
姿を見せぬままゼットの返事がある。
「“あれ”の具合はどうか──?」
「……先日の国民公園での大火以来、大変お元気でらっしゃいますよ」
「やはり、勘付いたか」
「私にはわかりかねる部分ですが、『あれほどの魔力波動は間違いない』と。王妃の高笑いなど初めて拝見しました」
「……そうか……──もうよい……」
沈んだ声で独りごちる国王を置いて、ゼットは静かに去った。
それからしばらく、王は思考の闇に身を捕らわれていた。
朝、侍女達が訪れるまでじっとして動かなかった。
侍女達が扉を開き、部屋に朝陽が注がれてやっとギルソウは動き始めたほどだ。
赤いストレートの長い髪は美しく、整った顔立ちとピンと伸びた背筋が五十歳という年齢を感じさせない。見る者をうっとりとさせる。ただ、国王の瞳にもまた、憂いの影が落ちているのだった。
マナの私室でもやはり同じように密談があった。マナは隠し忍びのゲドと二人きりで対話していた。
「──父に先んじなければ意味がありません」
静かな口調にも決意めいた力が秘められている。
「紫の瞳の少女がこの現世にある事を知れば、父は必ず動きます。なんとしても父より先に……」
「はっ」
「……父が……“力”を前に愚かな道を選ばぬよう……外さぬよう、私が見届けなくては……」
「……」
引き締めていた唇をふっと緩め、マナはゲドを見下ろす。
「いつもながら侍女達は母の容態については応えてくれません。父が口止めしているのはわかるけれど……病状はどうなのかしら? もし探る事が出来たら、そっと、そっとで構わないから様子を見て、私に教えて」
「かしこまりまして」
短く答え、ゲドは姿を消した。
部屋は、降り注ぐ眩しい朝陽を浴びて白く輝いていた。
父と同じように寝巻きにガウンを着てマナは立っていた。
赤く豊かな髪は結い上げずに垂らしている。父譲りの髪の色だが、長さは父よりもずっとある。容貌もまた、男女の違いはあれ、父に似ていた。
母である王妃は、妹姫エナが生まれた頃から体を崩して王城のどこかでひっそりと治療にあたっているという事だった。これは国民には伝えられていない。
うつるひどい病という事で母は隔離され、マナでさえ会わせてもらえないのだ。
どんな治療も薬も、魔術もその病に抗する事はできなかったと聞かされた。
母の代わりに父をしっかりと見ておかなくてはとマナは思うのだ。
代々、国王の一番の相談役が王妃だった事を思えば、マナは第一位王位継承者としても、母の代わりにその役目を果たしたいのだ。が、それを父は拒まれているのが現状。こうして自らが敵──とまでは行かなくともそれに近い存在としてでもって彼を監査する事は、とても重要……王女である自分の仕事であると認識していた。
だから、いくら縁談を勧められようと、母が戻るまではとマナは思うのだった。
時の流れはいたずらに父と子に溝を作り、本音と建て前が混同し、いつしかマナのギルソウを敵視する眼差しは本物となった。あるいは、始めから憎むべき理由をすり替えた結果であったかもしれない。
思いはやがてねじれ、いつの間にか抜き差しならぬ敵対関係になっていたという事実から、マナは目を逸らしたかった。逸らす為、自ら己の仕事であると、言い聞かせていた。
全てを明かさぬ父と己にすら心を隠すマナ、姿を見せない母の三者は平行線をたどる。
それが『紫紺の瞳の少女』の存在が発覚した事から交差を始め、それまでにない血生臭い香りが少しずつ、王城に染み込みはじめるのだった──。
ギルバートの言葉を聞いてから後のことをユリシスはよく覚えていない。
冷静になったつもりで話を聞く態勢を整えたものの、さっぱり──ギルバートの声を聞いているフリをするのに飲んだ紅茶の味も思い出せない。どうやって自宅に帰ったのかも、いまいちはっきりしない程だ。
気付けばいつも通り『きのこ亭』の自室で朝を迎えていた。例の如く早くに目を覚まして、ごく普通の日常が始まっていたのだ。
ベッドから身を起こし、寝巻きのままで丸窓から白い朝陽を浴びた。
思い返しても細かには蘇らない記憶の中で、鮮明に浮かび上がるギルバートの微笑と「弟子にならないか」という声。
衝撃が大きかった。
多分、返事は保留にして帰ってきたと思う。
嬉しくて卒倒しそうな気持ちと──なぜ? どうして?──という疑問。さらには、黒装束の連中とグルであるという事はないだろうか、だとしたらそれはとても恐ろしい──罠の予感。
魔術を使える事はバレていないはずだ。そんな節は見せていない。だが、以前魔術戦をしてしまったアルフィードが何か気付いていたら? それを告げていたら?
素直に嬉しいと思っていたいのに──。
魔術師を目指す者、つまり第九級魔術師資格を受験する予備校生が、正魔術師に弟子入りする事は実はそう珍しくない。
ただし、この場合、お金を払って弟子になる、という不思議な形をとる。これは予備弟子と呼ばれている。
本来、魔術を使用する資格を得た第九級から第六級で弟子になった場合、師の仕事を手伝う労働対価として生活費を面倒みてもらいながら、魔術を学ぶ。
魔術師が弟子を取るという事は、砕いて言ってしまえば、仕事の助手──雑用係りを魔術指導と衣食住を提供する事で雇っているのだ。
魔術師の仕事を手伝うという行為は、第九級魔術師以上の資格が無ければ出来ない。資格が無ければ特定の書物や薬品の扱委が禁止されているからだ。この資格が無い予備校生が弟子になる場合、生活の雑用をこなしつつ第九級魔術師資格取得の為の勉強をさせてもらうという形になる。
魔術師の仕事は特殊だ。
そもそも魔術の基本たるルーンなど古代語から魔術に即して変化したため、口語など文化の面で変遷を辿った日常の言語と異なってしまった。
古代メルギゾーク言語とほぼ同じである魔術語と、現代ヒルド国の言語は違うものになった。今の魔術師は言うなればヒルド語を読み書きしながら、古代メルギゾーク話で魔術をおこす特殊な人類。
魔術を使えるか使えないかの能力格差は言うまでもなく大きい。
資格が無ければ出来ない事が多いのは当然。
従って、予備校生の弟子に出来る事はせいぜい家事手伝いというレベルに留まる。そうなると弟子としては役立たず……結局、予備校生側が魔術師にお金を払ってでも予備弟子となり、資格試験に受かるように先行者に学ぶというのが一般的だ。
予備校生は衣食住を自分で負担しつつ、魔術師が自分に勉強を教えてくれる時間分の賃金を払う──魔術師を家庭教師として雇っているようなものである。
魔術師は第九級以上の資格を持たない者に、実践的な魔術指導、知識を伝える事をオルファースによって規制されている。魔術は魔術師のもの──という意味だ。
魔術師は予備校生に魔術を教える事は出来ない。
教えられるのは第九級魔術師資格試験出題範囲の魔術概論や歴史など輪郭部分の学術的な内容に限られる。
ユリシスの記憶が正しければ、ギルバートはこう付け加えていた。
──予備弟子料はいらないから……と。
ユリシスにはお金がない。
第九級魔術師資格試験の受験資格が、オルファースの予備校での全授業出席。この予備校の授業料も馬鹿にならない。これと生活費だけでユリシスは一杯一杯なのだ。服なんてずっと常連さん周りからお古を頂いたり、教会主導の貧民救済の施しを分け与えてもらったものだ。
成長が止まった三年前からは少ない服を着まわして買い換えていない。
見えない部分でツギハギなほどの貧乏ぶりだ。
だから、ギルバートの申し出には素直に嬉しいと、思いたかった。
──朝陽が眩しい。
毎日変わらず昇る太陽。見回せば何も変わらない日常なのに……。
どうしてこうも、眺める自分の気持ちが揺らいでるだけで、陽光は刺す程痛いものに感じられるのだろう。
後ろめたい気持ちになるのだろう。
「……なんでこんなに隠し事ばっかり……」
魔術を使える事を言えたらどんなにいいだろう。
おそらく命を狙われていると打ち明けられたら、どんなに心は楽になるだろう。
赤みがかる紫紺の瞳に影がさす。
気持ちとともに自然とうつむき、髪がぱらぱらと流れた。
まるで太陽を、光を避けて生きていかねばならないような気がして悲しかった。堂々と魔術師になりたいのに、今はこんなにも追い詰められている。
どうしたらいいのだろう。誰に言えばいいのだろう。
誰にも言えないし、どうしたらいいのかなんてわからない。
ユリシスは窓の枠に両手をかけたまま、しゃがんだ。窓枠にぶら下がるような態で額を壁にコツンとつけた。壁が冷くて気持ち良かった。二、三度、そのまま壁に額をコツンコツンとそっとぶつけた。
太陽の光の届かない窓の真下で、ユリシスは怯んで身動きが取れなくなってしまっていた……。
ユリシスが困惑の朝を迎えていた頃、王城は王の広い私室で、寝巻きに大きなガウンを肩にかけたギルソウ国王が天蓋付きのベッドの脇に立っていた。
窓はなく、天蓋の周りにある久呪石のうっすらとした灯りが皺の刻まれたギルソウの横顔を照らす。
この部屋には彼ともう一人、彼の忠実な僕がいる。
「ゼット……」
王は暗がりに呼びかけた。すぐ、一際濃い闇の塊が浮かび上がる。次第にその影が──人が跪いるものだとわかる。
「ここに」
影はそう言った。
「マナの動きを見逃すな──あれは……」
王の眼差しに闇が揺れる。眼裏には、笑顔に溢れていた十六歳までの愛娘の姿が蘇る。あの頃に戻れたならば──などと、最早考える時ではない。
感傷を振り切り、王は言葉を続ける。
「多くを忘れすぎている。二十四になるというのにあまりに危うい。何をしでかすかわからん」
影は深く頭を垂れ、微かな声で返事をした。王は小さく頷き、左足を下げて体を影に向けた。
「昨夜の件だが……副総監ギルバート・グレイニーの動きも追っておくように。どうやら、あの男が一番近い」
「──はっ」
はっきりとした声で影は応えた。その脳裏にはギルバートと対峙した時の光景でも蘇っているのだろう。
「再度問うが、『例の娘』……目覚めておるのか?」
「……はっきりとは申し上げかねます。ただ、現段階では、目覚めてはいないように思われます」
暗がりに声だけが空気を震わせた。
「そうか。どちらにせよ、その娘には酷だが、極秘裏に私の下へ連れてくるように──生死は問わぬが、必ずマナよりも先であるように」
「かしこまりまして」
やがてゼットと呼ばれた闇の塊、ギルソウ国王の隠し忍びにしてその一族の長、ゲドの父は気配ないままに姿を消した。
「ああ──ゼット」
付け足すように王が呼び戻す。
「ここに」
姿を見せぬままゼットの返事がある。
「“あれ”の具合はどうか──?」
「……先日の国民公園での大火以来、大変お元気でらっしゃいますよ」
「やはり、勘付いたか」
「私にはわかりかねる部分ですが、『あれほどの魔力波動は間違いない』と。王妃の高笑いなど初めて拝見しました」
「……そうか……──もうよい……」
沈んだ声で独りごちる国王を置いて、ゼットは静かに去った。
それからしばらく、王は思考の闇に身を捕らわれていた。
朝、侍女達が訪れるまでじっとして動かなかった。
侍女達が扉を開き、部屋に朝陽が注がれてやっとギルソウは動き始めたほどだ。
赤いストレートの長い髪は美しく、整った顔立ちとピンと伸びた背筋が五十歳という年齢を感じさせない。見る者をうっとりとさせる。ただ、国王の瞳にもまた、憂いの影が落ちているのだった。
マナの私室でもやはり同じように密談があった。マナは隠し忍びのゲドと二人きりで対話していた。
「──父に先んじなければ意味がありません」
静かな口調にも決意めいた力が秘められている。
「紫の瞳の少女がこの現世にある事を知れば、父は必ず動きます。なんとしても父より先に……」
「はっ」
「……父が……“力”を前に愚かな道を選ばぬよう……外さぬよう、私が見届けなくては……」
「……」
引き締めていた唇をふっと緩め、マナはゲドを見下ろす。
「いつもながら侍女達は母の容態については応えてくれません。父が口止めしているのはわかるけれど……病状はどうなのかしら? もし探る事が出来たら、そっと、そっとで構わないから様子を見て、私に教えて」
「かしこまりまして」
短く答え、ゲドは姿を消した。
部屋は、降り注ぐ眩しい朝陽を浴びて白く輝いていた。
父と同じように寝巻きにガウンを着てマナは立っていた。
赤く豊かな髪は結い上げずに垂らしている。父譲りの髪の色だが、長さは父よりもずっとある。容貌もまた、男女の違いはあれ、父に似ていた。
母である王妃は、妹姫エナが生まれた頃から体を崩して王城のどこかでひっそりと治療にあたっているという事だった。これは国民には伝えられていない。
うつるひどい病という事で母は隔離され、マナでさえ会わせてもらえないのだ。
どんな治療も薬も、魔術もその病に抗する事はできなかったと聞かされた。
母の代わりに父をしっかりと見ておかなくてはとマナは思うのだ。
代々、国王の一番の相談役が王妃だった事を思えば、マナは第一位王位継承者としても、母の代わりにその役目を果たしたいのだ。が、それを父は拒まれているのが現状。こうして自らが敵──とまでは行かなくともそれに近い存在としてでもって彼を監査する事は、とても重要……王女である自分の仕事であると認識していた。
だから、いくら縁談を勧められようと、母が戻るまではとマナは思うのだった。
時の流れはいたずらに父と子に溝を作り、本音と建て前が混同し、いつしかマナのギルソウを敵視する眼差しは本物となった。あるいは、始めから憎むべき理由をすり替えた結果であったかもしれない。
思いはやがてねじれ、いつの間にか抜き差しならぬ敵対関係になっていたという事実から、マナは目を逸らしたかった。逸らす為、自ら己の仕事であると、言い聞かせていた。
全てを明かさぬ父と己にすら心を隠すマナ、姿を見せない母の三者は平行線をたどる。
それが『紫紺の瞳の少女』の存在が発覚した事から交差を始め、それまでにない血生臭い香りが少しずつ、王城に染み込みはじめるのだった──。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる