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第一章 封印の書

【1.12】ミルキー川の戦い(後)

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 ゆったりと流れる白い大河で両軍がにらみ合っていた。いや、両軍というのは語弊がある。
 こちら側には龍一匹と魔女と黒猫とオレしかいないからだ。一方向こう側は真っ白な衣装の軍団で埋め尽くされていた。数千対四人という戦力を考えるとこちらが圧倒的に不利だ。
 もちろん負けるつもりは一切ないが、念には念が必要だ。パセリたちに危害があってはならない。そう思い、まず仲間をこの場から遠ざけることにした。

「バジルよ。パセリと猫を連れて上空に退避せよ」
「はっ、かしこまりました!」
 オレの威圧的な口調に、龍の姿のバジルは嬉しそうに答えた。
「レイモンド君、無理しないでね」
 そう言ってパセリは頬っぺたにキスをしてきた。
「最凶の邪神と呼ばれたお主の戦い、しかと見届けさせてもらうぞ」
 黒猫はオレの肩を肉球でポンと叩く。そんな三人、否一人と二匹からの信頼が、ムズ痒い。
「そんな期待されるほどの戦いはできないんだけど」
 恰好いい戦いはまだできない。今回は勝てばいいのだ。戦い方は一つじゃない。そう思った。

 バジルが飛び立ったのを確認して、オレはカメレオン大佐の方に歩を進めた。
 先ほどオレに”リキュール呼び”されたカメレオン大佐は、初めて狼狽えた。擬態を解除して元の化け物の姿に戻っている。計算通りだ。
「貴様、なぜその名を知っている」
 これまで丁寧語だったカメレオン大佐の口調が汚くなる。そんな敵の様子を見て、オレの別人格は悪人のようにクックと笑った。
「動揺したか? リキュールよ」
「黙れ! その名前で呼ぶのを許されるのは、ミカエル様だけだ」
 カメレオンは鮮やかな赤に染まっている。
「オレを見忘れたか。お前の創造主の顔を」
「創造主? まさかサイデル……さま? ありえない。あのお方は完全消滅されたはず」
 完全消滅、か。たしかに三千年前オレは死んだ。だが、魂は残ったおかげで「無」にはならなかったのだ。
「オレが復活したその答えは『封印の書』、とでも言っておこうか」
「封印の書?」
 カメレオンは何それ? という顔をした。本当に分かりやすいやつだ。
「無学だな。まぁ『封印の書』が何であるか、お前には関係はないがな」
 バカにされたと思ったのか、カメレオンの顔はさらにピンクに変化する。
「おのれ、オレ様を愚弄してただで済むと思うな」
 あまりのザコセリフに哀れみすら覚える。戦いは冷静さを欠いた方が負ける。
 この時点でオレの勝ちはほぼ確定だが、敢えて油断はしない。
「いいことを教えてやろう。オレの力は全盛期の十万分の一ってところだ」
 本当のことだ。封印はほんの一部しか解けていない。力と力のぶつかり合いだったら、勝てないだろう。
「貴様、本気で言っているのか? お前がサイデル様だったとしても、十万分の一の力で何ができる」
「クックックッ。貴様を倒すこと、かな」
「このガキが、戯言を!」

 ブチ切れたカメレオンは、こぶしに魔力を織り交ぜて向かってくる。当たったら即死だろう。当たればの話だが。
「お前の弱点その一は、すぐに感情が顔に現れることだ」
 攻撃の瞬間、目が攻撃対象を向いている。ゆえに動きを読みやすい。
 間合いさえ掴んでいれば当たらないのだ。ただし、人間や並みの転生者レベルでは逃げ切れないだろう。魔術職のパセリでは、相性が悪い。ヤツの魔術耐性は高いからだ。万が一を考えて退避させたのは正解だろう。

「弱点その二は、攻撃全振りで物理防御が弱いことだ」
 オレはヤツのお腹に踏み込むとニ、三発のジャブをかませてやった。すぐにお腹を抱えるカメレオン。
 ほとんど効いていないだろうが、心の余裕を奪うには十分だろう。

「最後の弱点。それは暗示にかかりやすいところだ」
「暗示? そんなものにこのカメレオン大佐様が……」
「カメレオン大佐? 何を言っている。お前は単なるカエルではないか」
「お、おれがカエル? いやいやそんなわけ……」
「リキュールよ。余の目を見よ!」
 オレはヤツの首をぐっと掴んで、瞳の奥の奥までのぞき込む。
「お前はカエルだ。勘違いした、ただの醜いカエルなのだ」
「お、オレ、カエル? いやそんなはず」
「くっくっ。自信がなくなってきたか。それでいい」
「カエル? ミニクイカエル?」
「そうだ。カエル。試しにゲコゲコ言ってみろ」
「ゲ、ゲコ? いやいや違う、オレはカメレオン……」
「そうか。その努力に免じてトノサマガエル、ということにしてやろう。さあ」
 オレはさらに強力な魔力をカメレオンの目から注ぎ込む。
 カメレオン大佐の体はどんどん小さくなり、握りこぶしほどの大きさに収まった。
「ゲコ。オレ、トノサマガエル。ゲコゲコ」

 こうして一匹のトノサマガエルが完成した。カメレオン大佐はそのままピョンピョンと跳んで行ってしまう。
 創造主であるオレが解除しない限り、二度と暗示は解けないだろう。カエルとしてこのまま一生を終えるのだ。

 カメレオンという種族は、自己暗示で形態を変える。色、姿だけでなく、実はその強さまで変化させられるのだ。元は強くなくとも、「オレはこいつ等よりも強い」と自己暗示をかけることで、本当に強くなってしまうのだ。これは非常に厄介だ。
 その弱点を知らない人間がカメレオンと敵対した場合、自分が強くなればなるほどかえって厄介な敵を作り出してしまう。
 なお、暗示は相手の名前を知っていると掛けやすい。リキュールが本名を言われるのを嫌がるのは、自身の被暗示性が高いことを本能的に知っていたからだろう。

「さて、と」
 オレは数千人の軍団に向かってスピーチする。
「貴様らの大将はカエルに成り果てた。お前たち不純な軍団に残された道は三つだ。一つ目はこのままオレと戦い、全滅する道。二つ目は大佐と同じようにカエルとなって一生を過ごす道。そして三つめは……」
 タメを作って話を続ける。
「この場をあきらめ、引き返す道だ」
 敵軍はがやがやしている。指揮官がやられたのだから、もはや烏合の衆だ。ここでダメ押しに脅しの一発でも放っておけば、話の流れを誘導できるだろう。

《爆発的発光(イルミネーション)》

 そう叫ぶと大きな光で地域一帯が包まれる。その光は白いミルキー川の反射も加わって、一層強力になった。

「うげっ。まだこんな力を」
「敵わない。こんな化け物に敵うわけがない」
「これがミカエル様も恐れる、転生者の力だというのか!」
 兵士たちは口々に叫ぶ。

「まっ、ただのまやかしなんだけど」
 オレは呟く。正直なところ、今のオレに数千の敵をやっつける力などない。全員同時で襲われたら敵わない。だが、幸いにもブラフは成功した。

「おのれ。覚えていやがれ!」
「次こそはやっつけてやるからな」
「オレたちを逃がしたことを、後悔するんじゃないぞ」
 敵兵は恨み節をまき散らしながら、退散していく。数千という数だけあって動きは遅いが、ミルキー川から一歩一歩引き挙げていく。
 オレはその様子を満足げに眺めつつ、「これでは終わらないだろうな」と危機感を新たにするのだった。
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