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ドラゴン、エドゥアルト
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入った瞬間、熱湯の中に落とされたようなむっとした熱気に襲われた。これがドラゴンの発するものか、サーカス団の天幕だからかは分からなかった。熱気の中には汗や香水の匂いが入りまじり、テッテは頭がくらくらとした。
木の骨組みに布を張っただけの、細い通路を右に左に抜けていくと、大きな広間に出た。そこには様々な動物が収容された檻が並んでおり、部屋の中央には天井のない、一際大きな檻があった。
そしてそこにいた。全身純白のドラゴンが。翼や爪、鱗の一枚一枚に至るまで白だった。絵物語の中のドラゴンは赤であることが多く、その姿に恐れを抱いたものだが、この高貴な白のドラゴンから感じるのは畏れだった。
白のドラゴンは身を横たえて眠っていた。体が微かに上下している。
リオは部屋の隅にあったガラス製の蓋がついた箱を開けて剣を一振り取り出すと、それをテッテに差し出した。
「これが魔法の剣よ。でも、鎖も特別製の鋼だから、魔法の剣といっても何回もの使用には耐えないかもしれない。確実に、鎖を斬って」
リオはそう言って剣を手渡すと、檻に近付き、鍵束から鍵を選び出して扉を開け、中に入ってドラゴンに向けて呼びかけた。
「エドゥアルト! 鎖を斬ってくれる人を連れて来たわ。待ってて。あなたはもうすぐ自由よ」
テッテは魔法の剣の重みを確かめるように持ち、剣の鞘を払う。水が滴るような美しく滑らかな刀身だった。湖底のように青白く、ほのかに発光している。孤児の自分が、一生で一度振るえただけでも過分な幸福だと言える剣だった。
だが、ドラゴンを解き放つ意味が分からないテッテではなかった。リオの後に続いて入ったテッテは、リオに向かって問いを投げかける。
「鎖を斬った後、ドラゴンが意趣返しに街の人を襲わない保証はあるのかい」
エドゥアルトはそんなことしない! とやや感情的になってリオが叫ぶ。
「あんたがそう思ってるだけだろう。そいつが暴れれば、どれだけの街の人が犠牲になるか分からない」
テッテの言葉に、リオの目が憎悪を帯びる。ぞくっと背筋に冷たいものを感じた瞬間、テッテは剣を握る手に力を込め、リオが襲い掛かってくるのを覚悟したが、それを別の声が押し留めた。
「やめなさい。リオ。その少年の言っていることは正しい。だが、そいつ呼ばわりは心外ではあるがね」
ドラゴン、エドゥアルトの声だった。まだ若い、よく透る青年のような声。テッテは唖然として彼を見上げ、そして「そいつはすまなかった」と非礼を詫びた。
「あんたは、街の人を襲う気はないんだな」
テッテにはそこにいるのが、死の象徴であるドラゴンではなく、不当にも鎖に繋がれた、痛々しい姿の青年に見えた。だから怖くなかったし、相手が人の言葉を発したことも、不思議と反発なくすんなりと受け入れられた。
「保証は私の言葉しかないが。人々を襲う意思はない。私を捕らえた者と、そうでない者の区別はできるつもりだ」
「つまり、エドゥアルトさん、あんたを捕まえた人間たちには復讐したいと思うのかい。たとえばこのドラゴン・サーカスの人間とか、ドラゴン・ハンターとかにさ」
エドゥアルトはおもむろに首を振り、「復讐とは人間の考え方だ。不毛だと私は思う」と嘆息した。
「そうか。じゃあたとえば、あんたを捕らえたドラゴン・ハンターの子どもが目の前にいるとしたらどうだい」
テッテ、とリオが窘めるように声を上げるが、テッテは首を振ってそれを拒絶する。
「同じことだ。それに、親がドラゴン・ハンターであるからといって、その子どもが責を負うことはない」
「人間とは違うんだな。たとえば、子どもを殺されたら、相手の子どもまで憎くなって殺すのが人間だからね。エドゥアルトさん、ドラゴンは違うんだな。子どもを殺されても、それでも復讐を望まないのか」
エドゥアルトが首をもたげる。首を絞めつける首輪に繋がった鎖がじゃらじゃらと鳴り、彼は両手の爪を剥き出しにしてテッテの前に突き立てる。リオを一瞥し、彼女が首を振ると、彼は値踏みするようにテッテをその白い竜の眼で眺めまわす。
「なぜ知っている。我が子がドラゴン・ハンターに殺されたことを」
「さあな。何だかそんな景色があんたの体に見えたんだ。だから試しに言ってみただけだけど、間違ってなかったみたいだな」
ふう、とエドゥアルトがため息をつくと、テッテの髪が逆立つほどの風が彼を襲った。彼はその中でも平然として剣を片手に立っていた。
「まさかこんなところで出会えるとは」と呟くと、エドゥアルトは顔を上げ、「君の名を訊いてもいいだろうか」と訊ねた。
「テッテ。おいらはただのテッテだ」とすかさず答える。
「ではテッテ。君には私の名、エドゥアルトを贈ろう。これより先はテッテ・エドゥアルトを名乗るといい。すべてのドラゴンが、君を尊重してくれるはずだ」
エドゥアルトの申し出に、テッテは首を振った。
「家名を勝手に名乗ることは重罪だよ。それにおいらに家名なんかあったって、宝の持ち腐れさ」
「なら、ドラゴンの前でだけ名乗るといい。私の名はドラゴン相手には随分と役に立つはずだ」
テッテは苦笑して、「まるで今後ドラゴンと関り合いになるとでも言いたそうだね」と肩を竦めた。
「まさしくその通りなんだが……。待て、誰か来る。テッテ、私の体の下へ」
木の骨組みに布を張っただけの、細い通路を右に左に抜けていくと、大きな広間に出た。そこには様々な動物が収容された檻が並んでおり、部屋の中央には天井のない、一際大きな檻があった。
そしてそこにいた。全身純白のドラゴンが。翼や爪、鱗の一枚一枚に至るまで白だった。絵物語の中のドラゴンは赤であることが多く、その姿に恐れを抱いたものだが、この高貴な白のドラゴンから感じるのは畏れだった。
白のドラゴンは身を横たえて眠っていた。体が微かに上下している。
リオは部屋の隅にあったガラス製の蓋がついた箱を開けて剣を一振り取り出すと、それをテッテに差し出した。
「これが魔法の剣よ。でも、鎖も特別製の鋼だから、魔法の剣といっても何回もの使用には耐えないかもしれない。確実に、鎖を斬って」
リオはそう言って剣を手渡すと、檻に近付き、鍵束から鍵を選び出して扉を開け、中に入ってドラゴンに向けて呼びかけた。
「エドゥアルト! 鎖を斬ってくれる人を連れて来たわ。待ってて。あなたはもうすぐ自由よ」
テッテは魔法の剣の重みを確かめるように持ち、剣の鞘を払う。水が滴るような美しく滑らかな刀身だった。湖底のように青白く、ほのかに発光している。孤児の自分が、一生で一度振るえただけでも過分な幸福だと言える剣だった。
だが、ドラゴンを解き放つ意味が分からないテッテではなかった。リオの後に続いて入ったテッテは、リオに向かって問いを投げかける。
「鎖を斬った後、ドラゴンが意趣返しに街の人を襲わない保証はあるのかい」
エドゥアルトはそんなことしない! とやや感情的になってリオが叫ぶ。
「あんたがそう思ってるだけだろう。そいつが暴れれば、どれだけの街の人が犠牲になるか分からない」
テッテの言葉に、リオの目が憎悪を帯びる。ぞくっと背筋に冷たいものを感じた瞬間、テッテは剣を握る手に力を込め、リオが襲い掛かってくるのを覚悟したが、それを別の声が押し留めた。
「やめなさい。リオ。その少年の言っていることは正しい。だが、そいつ呼ばわりは心外ではあるがね」
ドラゴン、エドゥアルトの声だった。まだ若い、よく透る青年のような声。テッテは唖然として彼を見上げ、そして「そいつはすまなかった」と非礼を詫びた。
「あんたは、街の人を襲う気はないんだな」
テッテにはそこにいるのが、死の象徴であるドラゴンではなく、不当にも鎖に繋がれた、痛々しい姿の青年に見えた。だから怖くなかったし、相手が人の言葉を発したことも、不思議と反発なくすんなりと受け入れられた。
「保証は私の言葉しかないが。人々を襲う意思はない。私を捕らえた者と、そうでない者の区別はできるつもりだ」
「つまり、エドゥアルトさん、あんたを捕まえた人間たちには復讐したいと思うのかい。たとえばこのドラゴン・サーカスの人間とか、ドラゴン・ハンターとかにさ」
エドゥアルトはおもむろに首を振り、「復讐とは人間の考え方だ。不毛だと私は思う」と嘆息した。
「そうか。じゃあたとえば、あんたを捕らえたドラゴン・ハンターの子どもが目の前にいるとしたらどうだい」
テッテ、とリオが窘めるように声を上げるが、テッテは首を振ってそれを拒絶する。
「同じことだ。それに、親がドラゴン・ハンターであるからといって、その子どもが責を負うことはない」
「人間とは違うんだな。たとえば、子どもを殺されたら、相手の子どもまで憎くなって殺すのが人間だからね。エドゥアルトさん、ドラゴンは違うんだな。子どもを殺されても、それでも復讐を望まないのか」
エドゥアルトが首をもたげる。首を絞めつける首輪に繋がった鎖がじゃらじゃらと鳴り、彼は両手の爪を剥き出しにしてテッテの前に突き立てる。リオを一瞥し、彼女が首を振ると、彼は値踏みするようにテッテをその白い竜の眼で眺めまわす。
「なぜ知っている。我が子がドラゴン・ハンターに殺されたことを」
「さあな。何だかそんな景色があんたの体に見えたんだ。だから試しに言ってみただけだけど、間違ってなかったみたいだな」
ふう、とエドゥアルトがため息をつくと、テッテの髪が逆立つほどの風が彼を襲った。彼はその中でも平然として剣を片手に立っていた。
「まさかこんなところで出会えるとは」と呟くと、エドゥアルトは顔を上げ、「君の名を訊いてもいいだろうか」と訊ねた。
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「ではテッテ。君には私の名、エドゥアルトを贈ろう。これより先はテッテ・エドゥアルトを名乗るといい。すべてのドラゴンが、君を尊重してくれるはずだ」
エドゥアルトの申し出に、テッテは首を振った。
「家名を勝手に名乗ることは重罪だよ。それにおいらに家名なんかあったって、宝の持ち腐れさ」
「なら、ドラゴンの前でだけ名乗るといい。私の名はドラゴン相手には随分と役に立つはずだ」
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