ドラゴン・サーカス

水瀬 文祐

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鎖を断ち斬る

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 テッテは剣を抱えて伏したエドゥアルトの翼の下に隠れると、息を殺し、隙間から誰が来るのか覗き見た。
「ああ、リオ。またあなたですか。勝手に檻を開けないよう何度も言ったはずですが」
 入ってきたのは燕尾服のすらりとした長身の男だった。手には朱塗りのステッキを携え、よく手入れされた口ひげはぴんと針のように伸び、こけた頬には影が落ちて、目は狐のように細く吊り上がっていて油断なく、一匹の獣を思わせた。
 リオが「団長」と口惜しそうに漏らすのを聞いて、テッテはあの男がこのサーカスの団長か、と改めて眺めた。
 柔和な笑顔を浮かべているようで、それはべったりと貼り付けられた仮面だ。目には煮えるような猜疑心が見える。足取りも無造作であるように見せながら、その実油断なくリオと距離を詰めている。確かに、手練れだな、とテッテは納得する。
「別にいいじゃない。鎖があれば逃げられないんだし。あたし興味があるの、ドラゴンに」
 リオは檻から出ると格子戸を閉め、意識をドラゴンから逸らすために檻とは反対方向に歩いていく。
「その興味がよろしくないんですがね。商売道具に同情するようじゃ、ピクシーは務まりません」
 団長は目でリオを追いながらも、意識はエドゥアルトの方に向いていた。
「大きなお世話よ。それより、ドラゴンの出番はまだ先でしょ。団長がこんなところで油を売っていていいの」
「お言葉、そっくりそのままお返ししますよ。なに、観客が待ちきれないというんでね、仕方なく繰り上げ当選というわけです」
 やれやれです、と団長は肩を竦め、「さあ、お目見えですよ!」と叫ぶと屈強な男たちがぞろぞろと部屋の中に入ってきて、エドゥアルトの入った檻の載った台車から伸びる綱を掴んで、力いっぱいに引っ張り始める。
「ちょ、ちょっと、そんなの聞いてないわよ。まだ待ってよ。いくらでもやる演目があるでしょう」
 男たちに掴みかかる素振りを見せたリオを、団長は風のように走って近づき、平手打ちを喰らわせた。
 リオは短い悲鳴を上げると尻もちをつき、叩かれて赤くなった頬を押さえながら、憎悪に満ちた目で団長を見上げた。
「言ったでしょう。商売道具に同情するようじゃ、ピクシー失格だと。あなたはもういりません。どこへでも行って野垂れ死ぬといいでしょう」
 団長は冷徹な刃のような目で見下ろすと、それっきりリオには興味を失って、綱を引く男たちに発破をかけ始めた。男たちもそれに応えておう、と叫ぶ。汗の臭いと密度が濃くなったようにテッテには感じられた。
 リオも心配だが、それ以上に問題なのは自分とエドゥアルトだ。鋼の鎖は太く強靭だ。こっそり斬るということはできない。このまま隠れてステージまで連れていかれて、突然テッテが飛び出せば虚を突けるだろう。一本目は斬れる。だが、そこで存在を察知され、魔法の剣を持っていることがバレたら、サーカス団は敵意をもってテッテを排除しようとするに違いない。団長だけでもリオより手練れときていれば、テッテ一人で相手にできるとは思えなかった。
 だが、手はそれしかない。できるかできないかじゃなく、やるかやらないかだ。
 テッテは心を決め、剣の柄を固く握りしめた。
「テッテ、君は一人じゃない。私もいる。できる限りのことはしよう」
 エドゥアルトの囁き声にテッテは頷く。綱を引く男たちの一人が振り返って首を傾げたが、釈然としない様子で再び綱を引く作業に全力を込めだした。
 大きな鉄格子の門が開き、そこを潜って行くと、世界は光に包まれ、興奮と恐怖に包まれた歓声がテッテに押し寄せ、声の奔流に押し流されるかと思うほどだった。
 舞台は目も眩むほどのスポットライトを浴びて、ライトの熱は体を焼くほどの、サーカスの中の太陽だった。
 テッテは男たちが綱を引き終えると台車の後ろ側に回り込んで腕組みして立つのを見届けて、舌打ちした。
(これじゃ一本目を斬る前に見つかる)
 どうしようか思案しあぐねていると、再び歓声が上がった。一方後ろの男たちは困惑の声を上げ、団長が「早く取り押さえなさい」と苛立たしそうに命じるのを聞いた。見ると、リオが細い曲剣を振り、エドゥアルトの前で剣舞を踊っているのだった。光と熱と喝采を浴びて、汗を光の雫に変えて舞うリオは美しかったが、見とれている場合じゃないぞとテッテは頬を叩いて立ち上がり、エドゥアルトの翼を叩いて合図をする。
「ドラゴンが動いたぞ!」
 エドゥアルトが翼でテッテを隠しながら腕を上げると、鎖がじゃらんと鳴って伸び、観客から悲鳴のような歓声が上がった。
 テッテは深呼吸して、エドゥアルトの肘の辺りに垂れた鎖目掛けて魔法の剣を斬り上げた。すると鎖はバターのようにするすると斬れ、そのあまりの切れ味にテッテは恐ろしさすら覚えたが、その興奮は後に取っておくとして、二本目を斬ろうとエドゥアルトの尻尾を飛び越えて反対側に回る。
「なんか変な音がしなかったか」
「ああ、聞こえたな。金属が割れるような……」
 観客の中に動揺が走ったが、テッテの存在を知らない団長はドラゴンの前で心配いらないとにこにこしながら繰り返した。
「特注品の鎖でつないでおりますので、暴れる心配はございませんよ」と舞台の最前列をなめる様に回りながら説明する。
 エドゥアルトは再び腕を上げ、テッテが鎖を斬る。二本目までは難なく斬れた。問題は最後の一本だ。首に括りつけられた首輪を繋いだ鎖。今まで斬った鎖の倍ほどの太さがあったが、この魔法の剣なら斬れる、とテッテは確信していた。ただ、エドゥアルトの正面に回るため、テッテの存在は今度こそ発覚する。それゆえに失敗は許されない。チャンスは一度。それを逃せば、自分は捕まって、恐らく衛士に引き渡され、また裏通りの生活に逆戻りだ。モルガン爺さんにも迷惑がかかる。
 それでもやらなきゃならない。いや、やりたかった。子どもを殺され、自分も囚われ見世物にされている。そのエドゥアルトの姿に、屈辱に、テッテは自分自身を見た気がした。
 苛烈な男だったとは言え、ガルアンは育ての親だった。その親を殺され、突然違う世界に放り込まれて、好奇の目に晒され、時に侮辱され、見世物にされていた自分。エドゥアルトを解き放つことは、自分自身を開放することと同じだと、テッテは思っていた。
「ん? 鎖が……」
 団長が気取ったのか、檻に近付いてくる。
 テッテは意を決してエドゥアルトの前に走り出た。一瞬舞台の眩さに目が眩み、立ち止まった。光の波の中で鎖がどこか見当たらない。剣を構えたまま目が慣れるのを焦りつつも待った。だが、その間が致命的だった。
 テッテの姿を視認した団長は檻の鍵を外して、檻の格子を引っ張り倒してばらばらにしてしまった。エドゥアルトとテッテの姿がはっきりと衆目に晒されるようになって、それがテッテだと悟ると何人かの観客が立ち上がった。ある者は走り出し、ある者は指さして「テッテだ!」と叫んだ。
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