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第二幕
VS化け猫③
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まるでボールのように手足を無理やり捻じ曲げられた、地面に転がる歪な肉の塊。
それが人間の死体だと気がついた瞬間、恒雄さんの口から鋭い悲鳴が上がった。
「ひぃぃぃっ……!?」
恒雄さんはその場で尻餅を付いたまま、落ちてきた球体から逃れるように四本の手足で後ずさった。
「な、何で……!? ちゃんと埋めたはずなのに! こ、んな……本当に!?」
さらに甲高い悲鳴を上げ、恒雄さんは何とか立ち上がると、そのまま転がるように森の中を引き返し始めた。後ろの木陰に身を潜めていた櫻子には、気づく様子もない。櫻子は彼の背中を見届けた後、数メートル先にある空から降ってきた球状の死体に視線を戻した。
「……!」
辺りに警戒しながら、櫻子は慎重に死体に近づいて行った。
団子のように四肢を丸められた死体は、奇妙な形をしていた。もしかしたら、近づいたら爆発すると言ったような小細工がしてあるかもしれない。
「いや……」
櫻子は流れる汗を拭い、独り言ちた。それよりも、この死体を上から落とした人物がまだ付近でこちらの様子を伺っているかもしれない。自然と緊張感が高まっていく。周囲には誰の姿も見えないが、この世に棲まうのは姿の見える相手だけではないことを、彼女は知っていた。
「こりゃひでぇな……!」
櫻子は慎重に球体に顔を近づけて、思わず鼻を摘まんだ。肉の腐りかけた強烈な匂いが、彼女の鼻腔を容赦無く襲う。彼女は球体の表面に埋もれた死に顔を覗き込んだ。その顔は確かに、先ほどコテージで会ったばかりの山之上家の長女・彼方さんだ……先ほど会った時とはまるで別人のように、その皮膚は爛れ目は濁っていた。櫻子はハンカチで顔を覆いながら、さらに慎重に死体に顔を近づけた。
「マズイな……」
櫻子の頬を、冷んやりとした空気が撫でた。櫻子が死体を食い入るように見つめた。この気温で、既に死後硬直が溶け始めている。つまり、少なくとも彼方さんが殺されてから、一日ないし二日は経っていることになる。
「つーことは……コテージにいたのが”でいどろ”か!」
櫻子は弾かれたように立ち上がった。
人間に変身する、この山に棲むと言われる化け猫、”でいどろ”。死後硬直の経過から見て、彼方さんが昨日以前に殺されていたのだとすると、朝食の時には既に彼女と入れ替わっていたことになる。
「坂本がマズイ!」
コテージに置いてきた探偵のことを思い出し、天狗少女は背中の翼を広げ、文字通り宙を駆けながら急いでブナの森を舞い戻った。
□□□
「坂本ォ!!」
コテージに戻るなり、櫻子は宿泊していた部屋に飛び込んだ。扉を壊す勢いで帰ってきた櫻子に、部屋の隅で寝袋に包まっていた坂本が何事かと飛び起きた。
「な、何!?」
「彼方さんは!? 恒雄さんも、こっちに帰ってきたはずだけど……!」
「み、見てないよ。僕、ずっと寝てたし……」
坂本は芋虫のように寝袋の隙間から顔だけ出し、目を丸くした。櫻子は歯噛みした。確かに彼女が戻ってきた時、彼方さんは既にリビングにはおらず、二人の姿はどこにも見当たらなかった。
「何があったの?」
「とにかく、来い! 殺人事件だ!」
「さ、殺人!?」
櫻子はまだ眠そうな坂本を強引に寝袋から引っぺがした。それから彼とともに、ブナ林の例の死体の場所まで走った。
「こっちだ!」
「はぁ、はぁ……! 待ってよ、一体……!?」
「”でいどろ”だよ! あいつが出たんだ!」
「でいどろ!? でいどろって、例の化け猫……!?」
「ああ!」
何が何だか分からない、と言った顔で目を白黒させる坂本の手を引っ張って、櫻子は生い茂る木々の隙間を器用にすり抜けて走った。もうすぐだ。森の中を漂う濃い血の匂いが、櫻子を死体の場所にまで誘ってくれた。
彼方さんの丸まった死体は、程なくして見つかった。現場に到着するなり、坂本がその場にへたり込み、森の中に転がっていた肉塊を見て絶叫した。
「ぎゃああああああああああ!!!」
「うるさい!」
「ぎゃああああああああああああああ!!! あああ、あれ……あれ人間なの!?」
「ああ……間違いなく、な」
坂本が声を上ずらせた。櫻子は再び慎重に死体に近づき、その顔を覗き込んだ。そして彼女が坂本を振り返った、その瞬間。
どさり。
「!」
二つ目の球体が、今度は坂本の真横に落ちてきた。
「う……うわあああああああああ!!」
坂本が森全体に響くような大きな叫び声を上げた。歪な形の球体はごろごろと地面を少しだけ転がって、櫻子の足元で止まった。櫻子は絶句したまま、新たな球体の表面に張り付いている顔を確認して目を見開いた。
その顔は、恒雄さんのものだった。
先ほど一つ目の死体を発見し、森から逃げて行った恒雄さんの顔が、生気のない濁った目で櫻子を見つめていた。今度は自らが、二つ目の球体になって。
「ぎゃああああああああああ!!」
「バカな……!」
「でいどろだよ! やっぱり化け猫は本当にいるんだ! ヒィイ……!!」
「落ち着け、坂本!」
櫻子は足元に転がる二つ目の死体を睨んだまま、鋭い声を飛ばした。坂本はと言うと、既に恐怖の臨界点を突破し、手足をバタつかせ今すぐにでも逃げ出そうとしていた。
「落ち着いてられる訳ないだろ!? こんな意味の分からない死体!! 早く逃げなきゃ……!!」
「いいから落ち着いて、私の話をよく聞け坂本」
櫻子はゆっくりと坂本のそばまで歩み寄ると、仰向けのまま後ずさる彼の上にのしかかって、その顔を両手でわしづかみにした。
「!」
それから額と額をくっつけて、怯える坂本の目をじっと覗き込んで、櫻子は八重歯を剥き出しにして彼に尋ねた。
「どうしてお前、”でいどろ”が”化け猫”だって知ってるんだ?」
それが人間の死体だと気がついた瞬間、恒雄さんの口から鋭い悲鳴が上がった。
「ひぃぃぃっ……!?」
恒雄さんはその場で尻餅を付いたまま、落ちてきた球体から逃れるように四本の手足で後ずさった。
「な、何で……!? ちゃんと埋めたはずなのに! こ、んな……本当に!?」
さらに甲高い悲鳴を上げ、恒雄さんは何とか立ち上がると、そのまま転がるように森の中を引き返し始めた。後ろの木陰に身を潜めていた櫻子には、気づく様子もない。櫻子は彼の背中を見届けた後、数メートル先にある空から降ってきた球状の死体に視線を戻した。
「……!」
辺りに警戒しながら、櫻子は慎重に死体に近づいて行った。
団子のように四肢を丸められた死体は、奇妙な形をしていた。もしかしたら、近づいたら爆発すると言ったような小細工がしてあるかもしれない。
「いや……」
櫻子は流れる汗を拭い、独り言ちた。それよりも、この死体を上から落とした人物がまだ付近でこちらの様子を伺っているかもしれない。自然と緊張感が高まっていく。周囲には誰の姿も見えないが、この世に棲まうのは姿の見える相手だけではないことを、彼女は知っていた。
「こりゃひでぇな……!」
櫻子は慎重に球体に顔を近づけて、思わず鼻を摘まんだ。肉の腐りかけた強烈な匂いが、彼女の鼻腔を容赦無く襲う。彼女は球体の表面に埋もれた死に顔を覗き込んだ。その顔は確かに、先ほどコテージで会ったばかりの山之上家の長女・彼方さんだ……先ほど会った時とはまるで別人のように、その皮膚は爛れ目は濁っていた。櫻子はハンカチで顔を覆いながら、さらに慎重に死体に顔を近づけた。
「マズイな……」
櫻子の頬を、冷んやりとした空気が撫でた。櫻子が死体を食い入るように見つめた。この気温で、既に死後硬直が溶け始めている。つまり、少なくとも彼方さんが殺されてから、一日ないし二日は経っていることになる。
「つーことは……コテージにいたのが”でいどろ”か!」
櫻子は弾かれたように立ち上がった。
人間に変身する、この山に棲むと言われる化け猫、”でいどろ”。死後硬直の経過から見て、彼方さんが昨日以前に殺されていたのだとすると、朝食の時には既に彼女と入れ替わっていたことになる。
「坂本がマズイ!」
コテージに置いてきた探偵のことを思い出し、天狗少女は背中の翼を広げ、文字通り宙を駆けながら急いでブナの森を舞い戻った。
□□□
「坂本ォ!!」
コテージに戻るなり、櫻子は宿泊していた部屋に飛び込んだ。扉を壊す勢いで帰ってきた櫻子に、部屋の隅で寝袋に包まっていた坂本が何事かと飛び起きた。
「な、何!?」
「彼方さんは!? 恒雄さんも、こっちに帰ってきたはずだけど……!」
「み、見てないよ。僕、ずっと寝てたし……」
坂本は芋虫のように寝袋の隙間から顔だけ出し、目を丸くした。櫻子は歯噛みした。確かに彼女が戻ってきた時、彼方さんは既にリビングにはおらず、二人の姿はどこにも見当たらなかった。
「何があったの?」
「とにかく、来い! 殺人事件だ!」
「さ、殺人!?」
櫻子はまだ眠そうな坂本を強引に寝袋から引っぺがした。それから彼とともに、ブナ林の例の死体の場所まで走った。
「こっちだ!」
「はぁ、はぁ……! 待ってよ、一体……!?」
「”でいどろ”だよ! あいつが出たんだ!」
「でいどろ!? でいどろって、例の化け猫……!?」
「ああ!」
何が何だか分からない、と言った顔で目を白黒させる坂本の手を引っ張って、櫻子は生い茂る木々の隙間を器用にすり抜けて走った。もうすぐだ。森の中を漂う濃い血の匂いが、櫻子を死体の場所にまで誘ってくれた。
彼方さんの丸まった死体は、程なくして見つかった。現場に到着するなり、坂本がその場にへたり込み、森の中に転がっていた肉塊を見て絶叫した。
「ぎゃああああああああああ!!!」
「うるさい!」
「ぎゃああああああああああああああ!!! あああ、あれ……あれ人間なの!?」
「ああ……間違いなく、な」
坂本が声を上ずらせた。櫻子は再び慎重に死体に近づき、その顔を覗き込んだ。そして彼女が坂本を振り返った、その瞬間。
どさり。
「!」
二つ目の球体が、今度は坂本の真横に落ちてきた。
「う……うわあああああああああ!!」
坂本が森全体に響くような大きな叫び声を上げた。歪な形の球体はごろごろと地面を少しだけ転がって、櫻子の足元で止まった。櫻子は絶句したまま、新たな球体の表面に張り付いている顔を確認して目を見開いた。
その顔は、恒雄さんのものだった。
先ほど一つ目の死体を発見し、森から逃げて行った恒雄さんの顔が、生気のない濁った目で櫻子を見つめていた。今度は自らが、二つ目の球体になって。
「ぎゃああああああああああ!!」
「バカな……!」
「でいどろだよ! やっぱり化け猫は本当にいるんだ! ヒィイ……!!」
「落ち着け、坂本!」
櫻子は足元に転がる二つ目の死体を睨んだまま、鋭い声を飛ばした。坂本はと言うと、既に恐怖の臨界点を突破し、手足をバタつかせ今すぐにでも逃げ出そうとしていた。
「落ち着いてられる訳ないだろ!? こんな意味の分からない死体!! 早く逃げなきゃ……!!」
「いいから落ち着いて、私の話をよく聞け坂本」
櫻子はゆっくりと坂本のそばまで歩み寄ると、仰向けのまま後ずさる彼の上にのしかかって、その顔を両手でわしづかみにした。
「!」
それから額と額をくっつけて、怯える坂本の目をじっと覗き込んで、櫻子は八重歯を剥き出しにして彼に尋ねた。
「どうしてお前、”でいどろ”が”化け猫”だって知ってるんだ?」
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