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元婚約者は王子の安らかな眠りを祈る 中③
しおりを挟むそれから俺はなんとなく婚約者であるルークと顔を合わせづらくなってしまった。
この頃の俺は光属性魔法について個別に専門の教師から教えてもらうという特別授業が度々あったのだが、元々がルークを守りたい一心で頑張っていたからか、すっかりやる気をなくしてしまっていた。急に意気消沈した俺を心配してくれたのか、担当の教師は俺に特別な魔法の存在を教えてくれると言った。
それは、自己治癒魔法という魔法だった。
元々体に備わっている治癒力を高め、負傷をした際や毒を浴びた場合に自動的に治癒魔法を発動させる魔法だそうだ。自動的に発動する治癒魔法はそんなに強力なものではなく、ほんの少しの傷を癒す程度の力しか持たない微々たるものらしい。
この魔法はとても珍しいもののようで、知っている者は少ないという。それというのもこの魔法を使える人間自体がほとんどいないからだろう。光属性の魔力を持ち、かつ魔力量が多いなんて、俺も俺以外には知らない。教師も俺以外に使える人を知らないと言っていた。それほどに特別な魔法なのだと言う。
「貴方が一番大事だと思う方に使ってくださいね」
柔らかく微笑んだ教師に、俺はこくりと頷いた。
これをルークにかけてやれば傷も毒もある程度癒すことができる。そうすればきっとルークを助けることが出来るのではと、俺の心に希望の光が湧いた。
ひと月後のルークの誕生日に合わせて訓練し、なんとか発動出来るようになった魔法。後はルークにかけるだけだとそわそわしながら登校した誕生日当日、ルークが俺の前に姿を現すことはなかった。
学園内をくまなく探し回ったが俺が彼を見つけることは出来ず、気付けば一週間が経過していた。
ルークの誕生日から一週間、久々に現れたルークは以前と同じように――いやそれ以上に顔色が悪かった。袖から見える白くて滑らかな肌には幾つもの傷がついていて、その痛々しい姿に胸がぎしりと痛む。
俺は逃げようとするルークの腕を無遠慮に掴んだ。そして彼の意思も言葉も無視してずんずんと学園内を歩いていき、以前もお世話になった医務室にルークを連れ込んだ。
校医は今日も医務室にはいない。
俺はこれ幸いとルークをベッドの一つに座らせると、おろおろとしている彼に服を脱ぐように言った。するとびくりと身体を震わせたルークは、けれども何かを感じ取ったのか躊躇いながらも服を脱いでいく。そんな彼の姿に僅かながら興奮を覚えたが、あまりにも不謹慎に思えてぶんぶんと頭を振って邪な考えを無理矢理に叩き出した。
ルークは服を脱ぎ終えると、その不安気に揺れる黒い瞳を俺に向けた。俺はその彼の姿を捉えた瞬間、息を呑んだ。
案の定、身体は傷だらけだった。
前回見た時も酷いと感じたが、あれはまだましだったのだと思い知らせるような痣や傷の数々。白く滑らかだった肌は見る影もなく、全体が赤黒いもので覆い尽くされている。切られたような痕は酷く引き攣ったようになっていて、思わず眩暈がした。
「これは……」
「えっと……あ……その……ごめん、なさい」
「……なんでルークが謝るんだよ」
「だ、だって……ユベイルが……泣いてる、から」
そう言われ、俺は顔に手をやった。手に水滴が触れる感覚がして手を見てみると、確かに濡れているようだった。
……そうか、俺は泣いているのか。
このルークの痛ましい姿に俺は涙を流しているのだと、言われて初めて自覚した。
震えるルークをベッドに横たわらせ、前回のように治癒魔法で傷や痣を治していく。魔法では心まで癒すことはできない。だからせめて表面的な傷だけでも綺麗に治してやりたかった。
あまりに修復箇所が多かったため、前回よりも大分時間がかかってしまった。そうして長く時間をかけてやっと元の白く滑らかな肌に戻すことができた時、ルークはようやく落ち着いたというように、ほぅ…と息を吐き出した。
起きあがろうとするルークを俺は止めた。
待って、もう一つだけ魔法をかけさせてくれないかと言うと、彼はきょとんとその大きな夜空のような瞳を瞬かせる。
「本当は誕生日に贈りたかったんだけど」
「あ……ご、ごめんなさい」
「ううん、謝らないで。……もしよかったら、何だけど……今から贈ってもいいか?」
「……いいの?」
「ん、勿論」
ルークの表情が緩んだことを確認した俺は、開いた掌に光の魔力を集めていく。先程の治癒魔法でかなり消費したから足りるだろうかと不安だったが、どうにか足りそうだと安堵した。
今体内に残っている魔力のほぼ全てを掌に集中させ、それをルークの心臓があるあたりに翳す。すると柔らかな光がまるでベールのように優しくルークの全身を包み込んでいった。
これ以上ルークが傷付かないように、もし傷ついたとしても痛みが少しでも和らぎますようにと祈りながら、俺は魔法をかけ続ける。
ルークの全身を包み込んでいた光のベールが消え、俺はいつの間にか詰めていた息を吐き出した。魔力をかなり使った為、激しい疲労感が全身を襲う。しかし同時に満足感と達成感に満ち溢れていた。
「あの、ユベイル?今のは……?」
「……自己治癒魔法、だよ」
「自己……え?」
「自己治癒魔法。これは俺からの誕生日プレゼントだよ。ルークの痛みが少しでもましになりますようにって、おまじないだ」
疲労困憊だったがどうにか笑顔を浮かべつつ、ルークの頭を優しく撫でながらそう告げる。俺の言葉に、しばらくの間ルークは目をぱちくりとさせていたが、不意に表情を柔らかくさせて小さく「おまじない」と呟いた。緩く目を伏せ、その可愛らしい顔を綻ばせてありがとうと言う姿に胸が高鳴る。
正直に言おう。俺はもうそれだけで、ああやってよかったと思えた。ルークが幸せなら、笑っていられるならそれでいいんだ。
それにこの先一生ルークの中に俺の光の魔力があると思うと、とても満ち足りた気分になる。
俺の魔力がルークを守り続ける、それは俺にとってとても光栄なことであり、幸せなことだった。
どうしてもルークが王族であることから学園の中だけにはなってしまうけれど、その日以降俺は今度こそルークからひとときも離れないことを誓った。
授業を受ける時は勿論のこと、食事もトイレも全て離れなかった。流石にトイレの時は恥ずかしいと言われたが、婚約者なら連れ立ってトイレに行くことは普通だとさも当たり前のように言えば、世間知らずな彼は赤い顔で困惑しながらも一緒に行くことを許可してくれた。
やっぱりルークのそばは落ち着く。
一緒にいると心が満たされて、幸せな気持ちになれた。
ルークも同じ気持ちだったらいいなと隣で僅かに俯いている顔を覗き込めば、とても可愛らしい微笑みが返ってきたので余計に嬉しくなる。
「ルーク、好きだよ」
「……うん、僕も」
校舎裏でこうして寄り添いながら、二人だけの穏やかな時間を過ごすことが日課になり始めた頃、ルークが少しずつと話をしてくれるようになった。それは今まで俺が聞きたくても聞けなかったの怪我のことだったり、自分の生い立ちや家族についてのことだった。
「僕には二人の兄、それに弟と妹が一人ずついるんだ。兄……ええと第一王子は無口で表情もあまり変わらないけれど、昔は僕が一人でいるといつもそっと寄り添ってくれる人だったんだ。でも母上や弟が近くにいるとそれは出来なくて……いつも痛そうな表情で僕を見ていた」
「そうか……第二王子は?」
「とっても優しい兄上だよ。今は……会えないけど、でもずっとずっと優しくてあったかい、陽だまりみたいな人。――僕の、大切な家族だよ」
第二王子であるウィリアム王子のことを話す時のルークは少し寂しげで、でもとても大切に思っているのだろうなということが痛いほど伝わってくる。
そういえばウィリアム王子は隣国の第一王女と結婚して婿入りしたんだったか。確かに隣国に婿入りしたのならば気軽に会えないだろうから、その寂しそうな表情にも納得がいく。王族について詳しくはないが流石に二度と会えないわけではないだろうが、それでも会う機会はこれまで以上に少なくなるだろう。
「……家族、か」
俺は無意識にそう呟いていた。
するとルークは俺の方を見ながら不思議そうに首を傾げた後、はっと何かを思い出したように泣きそうな表情になった。多分俺が孤児だということを思い出したんだろう。
「ごっ、ごめん!ユベイルの事も考えずに僕……っ」
「あ……いや、気にするな……って言っても無理だよなぁ……」
「ごめん、なさい」
しおらしく項垂れるルークの頭にぽんと軽く手を乗せる。謝らなくていいという気持ちを込めながら滑らかな黒髪を優しく撫でながら、俺はルークの頭を自分の方に引き寄せた。
「あ、あの……ユベイル?」
「……本当に、何とも思ってないんだ。親がいない事、兄弟がいない事……だって孤児院には先生達がいたし、あいつらもいた。みんな親兄弟のいない孤児だったけど、孤児院にいればみんな兄弟みたいなもんだったしな。だからそんなに気にしないでくれ」
「ユベイル……」
俺の肩から頭を離し、上目遣いに見上げてくるルークに微笑みを向ける。うまく笑えているかどうかはわからない。けれどルークの黒曜石のような瞳に映る自分の表情はとても穏やかだった。
もっとルークのことを知りたいと伝えると、彼はほんの少し頬を染めながら照れ臭そうに笑う。さらりとした艶やかな黒髪が揺れ、綺麗な輪郭が姿を現した。
「妹のパメラはもうすぐ十一歳でね、とっても可愛いんだ。僕の所に来てはいけないと言われているだろうに、それでも隠れて会いに来てくれる……もう来ちゃだめだよって言っても、大丈夫って……」
「優しい子なんだな」
「……うん。僕なんかよりずっと賢くて、とても優しい子なんだ」
どこか遠くを見つめるルークの表情はやっぱり憂いを帯びていた。
ルークの所に行ってはいけないというのは、彼が忌み子だからだろうか。もしそうだとしたら何で残酷なんだろうと思う。ルークも第一王女であるパメラという子もお互い会いたがっているのに、それを忌み子だというだけで周りが禁ずる。そんな理不尽に立ち向かう二人の姿を想像して、胸がつきりと痛んだ。
「弟は……」
ルークの声が不自然に途切れた。どうかしたのかとルークを見れば、彼の顔色は血の気を失いもはや紙のように白い。言葉を紡ぐ途中だった唇がふるふると震え、つられて全身がカタカタと震え出す。大丈夫かとルークの肩に手を添えた時、耳が砂利を踏む音を捉えた。
「――中々興味深いお話をされていますねえ」
それは今一番聞きたくない声だった。
振り向かなくてもそれが誰かなんて嫌でもわかる。俺が一番会いたくなくて、さらに言えばルークに一番合わせたくなかった人物だ。
「ねえ……――兄上」
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