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8:波乱のレクリエーション
しおりを挟む臨海学校二日目。
今日は合同班によるレクリエーションが行われることになっており、俺たち生徒は朝食後に昨日昼食を食べた芝生広場に集まっていた。
学年主任がレクリエーションの内容と注意事項を説明している間、俺はしゃがんだままこっくりこっくりと船を漕いでいた。結局昨日もあまり眠れなかったため、こうして今睡魔が襲ってきているのである。
ふらりと倒れそうになった身体に誰かの手が添えられ、びくりと身体が跳ねた。驚いて目を瞬かせながら慌てて小声でごめんと謝って顔を上げると、そこにいたのは真央だった。てっきり直だと思っていた俺は、あまりの驚きにぽかんと間抜けな顔をして呆然と真央の顔を見つめる。
久々にこんなに近くで真央の顔を見たな、なんて感想を頭の隅で抱いていると、真央の端正な顔が歪んだのが見えて咄嗟に身体を離した。
「あっ……えっと、ごめん」
気まずさに顔を逸らしながら謝ると、俺の腕を掴んでいた真央の手に力が籠った。あまりの強さに顔を歪ませると少し和らいだが、一体どうしたと言うのだろうか。
「……聡、お前大丈夫か?」
内心首を傾げていると突然そう問われ、睡眠不足で思考が鈍っていた俺はすぐに頷くことが出来なかった。
少し冷たい真央の指先が俺の頬に触れる。最近は触れることは愚か話すことすらもなかったからか、心臓がどっどっと大きく音を立て始めた。
「顔色も悪いし、お前……」
「だっ……大丈夫だからっ」
そう言って身体を捻って真央の手から離れると、丁度学年主任による話が終わったところだったようだ。周囲に倣って立ちあがろうとしたが、真央が俺の腕を引っ張ったことでそれは叶わなかった。ぐらりとバランスを崩して傾いだ身体は真央の胸に凭れ掛かるようにすっぽりとおさまる。すんっと息を吸うと真央の香りが肺いっぱいに広がり、顔が熱くなった。
とくとくと高鳴る胸を押さえながらちらりと真央の顔を盗み見ると、眉間に皺を寄せた端正な顔がそこにはあった。それを視界に入れた瞬間、直前まで高鳴っていた筈の鼓動がどくりと嫌な音を立てて跳ねる。
「聡」
怒ったような声音で俺を呼ぶ真央から視線を逸らす。
学年主任の話が終わったと同時に騒ぎ出した周囲から切り離されたかのように、俺の耳には真央の声しか聞こえなくなる。
俺は真央の匂いや声に反応してしまう自分の身体に気付いて、なんとか腕の中から逃げ出そうと踠くが、一向に抜け出せそうにない。寧ろ俺を抱く腕は強さを増している気さえする。
「あ……っ、ちょ、もう大丈夫だから離して」
「嫌だ。離したら逃げるだ――」
ろ、と続けようとしたのだろう真央の声は不自然に途切れた。何があったのかと真央の視線を追って振り向こうとするが、それは叶わなかった。
あれだけ頑なに離れなかった真央の腕が、すんなりと身体が俺から離れていく。驚いて真央の顔を見ると、真央は苦虫を噛み潰したような顔をした後、大きな溜息を吐いた。
「……ごめん」
そう言って去っていく真央の背中を呆然と見送ると、こちらに近づいてこようとしていた人影が真央の前に来てぴたりと止まった。
ああ、そういうことかと妙に納得している自分がいる。
大方俺と抱き合っているのを彼女の姫川さんに見られたくなかったのだろう。その証拠に、今まさに真央は姫川さんと何かを話しているのである。
つきんと胸が痛む。それ以上仲の良さそうな二人を見ていたくなくて、その場から離れるようにふらりと足を踏み出した。
「大丈夫?」
そう声をかけられて振り向くと、そこにいたのは同じ班になった金谷くんだった。相変わらず長い前髪で目元は見えないが心配してくれているのだろう雰囲気だけは伝わってくる。
「その……顔色が良くないみたいだけど、大丈夫?……あっ、その、昨日会ったばかりでこんなこと言われても……困りますよね、ごめんなさいっ」
心配そうにこちらを伺っていた金谷くんだったが、突然慌てたようにオロオロとしながら早口で捲し立てて謝罪をしてきたので、あまりの変わりようにぽかんとしてしまった。
俺よりも十センチは高く、体格も良い金谷くんだが、あわわわ……と身体を震わせる姿はまるで小動物のようだ。それがあまりにもちぐはぐに感じて、思わずくすりと笑みが溢れた。そして心配してくれてありがとうと伝えると、ぴたりと金谷くんの動きが止まった。
どうかしたのかと金谷くんの顔を見ようとするが、やはり前髪に隠れて表情はあまり窺えない。しかし唯一見える口元はあわあわと小刻みに震えていた。
「金谷くん?」
「あっ……その、だ……大丈夫なら、よかった、です」
「うん、ありがとう」
昨日の自己紹介の時に、人見知りで人と話すことが苦手だと言っていたが、どうやら本当に苦手なようだ。自分の裾をきゅっと握りしめる金谷くんが小さい頃の妹の姿と重なって、自然と笑みが溢れる。
「あ、そろそろ始まるみたいだね」
「えっ……あっ、そ、そうですね」
学年主任によって集められていた各班のリーダー達がちらほらとそれぞれの班へと戻っていくのが見え、当然ながらその中には俺たちの班のリーダーである直もいた。俺達に気づいた直がちょいちょいと手招きをしている。早く来いと言っているようなそれにこくりと頷いて、俺は金谷くんに手を差し出した。
「へっ……!?」
金谷くんは驚いたのか、上擦った声を上げた。何に驚いたのかはわからなくて首を傾げながら「集まるみたいだから俺達も行こうか」と言えば、すん、と動きを止めてこくこくと頷く金谷くん。どうしたのだろうか。
班員達の元に戻ると、そこにはすでに真央がいた。相変わらず他校の女子達に囲まれている。男としては羨ましいんだろうけど、恋人としては正直どうとも言えない気持ちだ。
直は俺と金谷くんが来たことを確認すると、全員に持っていた紙と冊子を配っていく。
レクリエーションは十分後に開始するようで、それまでにこのレクリエーションに関する冊子に一通り目を通しておかなければならないそうだ。パラパラと捲ってみると確かにこれは目を通しておかないと後々面倒なことになるなという感じである。
レクリエーションの内容は、指定のチェックポイントを通過しながらこの施設の敷地内を班で自由に散策し、与えられたキーワードについてのレポートを書いて提出するというものだ。
キーワードは全部で10あり、一人一つ選んでレポートを作成する。作成したレポートは明日の朝に提出することになっているので、午前中は散策し、午後からは集めた情報からレポートを作成することになりそうだ。時間の配分も各班に任されているので、もし情報が足りなければ再度散策に出掛けても良いらしい。ただし夕飯の時間までのことだ。
俺達はそれぞれキーワードを選び、散策に出発した。
まずはチェックポイント回りから始まる。指定のチェックポイントは全部で5つ、その全てを班員全員で通過しなければならない。通過すると冊子にスタンプが押されるので、これが通過した証となるそうだ。
俺と直、そして金谷くんがチェックポイントについてあらこれ話していると、なんだか後ろが騒がしい。何かあったのだろうかと振り向いて――すぐに後悔した。
「……誰?」
金谷くんの小さな呟きは俺と直の耳に届いたが、俺たちはあまりの驚きに応えることができなかった。
「あんた、ずっと真央くんの近くにいて目障りなのよ!」
「なんだお前ら!姫川さんに近寄るな!」
正直言って、この状況はカオスである。
合同班の市原と藤以外の女子二人と何故かいる姫川さんの取り巻きの男子達が言い合いをしているこの光景は想像していなかった。その中心にいる筈の二人の姿が少し離れたところにあるのも、この状況のおかしさに拍車を掛けている。
真央と姫川さんは寄り添いながら親しげに話している。何を話しているのかはわからないが、どうやら少なくとも姫川さんにとっては楽しい話よようだった。
「……これ、止めなきゃならないのか?」
「ほっといても良いでしょ」
直が呆然と呟いた言葉に反応したのは市原だった。彼女の隣に立っている藤も首を縦に振って同意している。
そうだよなぁ、と遠い目をしながら俺たちも止めなくても良いかなと思い始め、背を向けて階段を降りようと足をかけた時だった。
「姫姫ってうるっさいわねえ!」
「なんだとっ?!」
「あっ、おい!?」
近くでそんな叫び声が聞こえた瞬間、背中に衝撃が襲った。足がずるりと滑り、ふわりと浮く身体。一瞬時が止まったように感じた。誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。
――あ、落ちる。
そう思った瞬間、俺は次に来るであろう痛みに備えて目を閉じた。
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