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本編
23話
しおりを挟む【三人称視点】
(※誰の視点でもありません)
クロヴィスの執務室に入ってきたのは、彼の妹に当たる第一皇女ソフィアだった。
兄妹仲はさほど悪くはないが、この執務室にアルマン以外の弟妹が訪れる事は滅多にない。アルマンの場合は執務に関する事項を色々と話さなければならないこともあるので、必要に駆られてこの執務室を訪れているといった感じだ。
初めは扉を叩くノックもアルマンのものだと思っていたクロヴィスは、執務用机の上に置かれた山積みの書類に目を遣りながら、顔も上げずに「どうぞ」と返事を返した。カチャリとドアが開いた後、カツン、カツンといつものアルマンよりも少し固く高い足音が耳に入る。アルマンのものとは違う足音に、入ってきた人物が想い描いていた人物ではないことに気が付いたクロヴィスは、ここで漸く顔を上げた。
アルマンでないことには気が付いていたが、まさかそれがソフィアだなんて誰が思うだろうか。少なくともソフィアが自分を訪ねるとは思っていなかったクロヴィスは、目をまんまるにさせてぱちぱちと瞬かせている。そんな兄の姿に彼女はくすりと笑った。
「なんて表情(をしているんですか?クロヴィス兄様」
驚いた兄の表情を見ながら楽しそうにくすくすと笑う。クロヴィスはふうと一つ息を吐き出してから、執務用デスクの前に置かれている応接用のソファの片方に腰を下ろした。そして反対側を指し示して、ソフィアにも座るように促す。
ソフィアはいつもの白衣のような格好ではなく水色の薄いドレスを纏っており、足元を隠す裾を翻しながら美しい所作で向かいのソファに腰を下ろした。ソフィアは後ろに控えていた侍従に向かって手を差し出すと、侍従はその手に持っていた数枚の紙を丁寧に置いた。
滅多にここには来ることのない妹の突然の訪問にクロヴィスは首を傾げながら、口を開いた。
「ソフィアが私を訪ねてくるなんて珍しいね……何かあったのかい?」
「まあ……そうですね。本当はリアムもここにくるつもりだったのですが、一目散にここを出て行ってしまいましたので私一人で兄様を伺った次第です」
「……?」
予想外の返事に再び目をぱちぱちと瞬かせる兄に苦笑が漏れる。ソフィアは侍従から手渡された数枚の紙を、間にあるテーブルの上にそっと置いた。クロヴィスは促されるがままに、ソフィアから置かれた紙に視線を移して左手で紙を持って目を通し始める。
読み始めてすぐはまだいつものように澄ました様子だったクロヴィスの顔は、読み進めていくほどに険しくなっていく。そうして最後まで読み終える頃にはその表情は驚いたものになっており、向かいでじっと兄の様子を見ていたソフィアは口角を上げた。
手渡された資料を一通り読み終えたクロヴィスは、ソファの背もたれに背中を預けるようにして天井を仰いだ。
「……これは、本当か?」
たったこれだけの言葉を紡ぐだけでも精一杯なほどに、クロヴィスは疲れを感じていた。呆然とする兄の姿に、予想通りといった表情を浮かべるソフィア。はいという言葉で肯定をすると、目の前でぐったりとソファに体を預けている兄の口からは、長い溜息が吐き出された。
クロヴィスは幼い頃から優秀であった。それはアルマンに関しても同じだ。しかし生まれた時から異彩を放っていたソフィアやリアムといった弟妹に比べると、その優秀さも霞んてしまう。周囲からすれば別に劣っているわけではないのだが、クロヴィスもアルマンもこのあまりにも優秀すぎる頭と人よりも多い魔力量がいつのまにかコンプレックスになっていた。
初めはリアムが生まれると同時に母親がいなくなったことに、幼い二人の心がついていけずにリアムとの関わりを避けていたが、いつの間にか避ける理由が変わっていった。クロヴィスが弟妹達に劣等感を抱いていることに気付いているものは恐らくアルマン以外はいないだろう。
しかし今まさに劣等感を感じざるを得ない状況が目の前にあった。
ソフィアは生まれた時から天才だった。特に魔道具に関しては天賦の才があったとしか言えないほど、今までも優秀な成果をいくつも出している。リアムほどとはいかないが魔力量も多く、そして何より聡明だ。精一杯の努力を重ねてきた結果、優秀と言われてきたクロヴィスとは反対の人間、それがソフィアだった。
「……これは二人で?」
「はい、そうです。とある仮説を元にリアムと私で幾つか実験を行いました結果、理論通りにいけば恐らくは解除が可能かと」
解除――それは、聖女の首についている金属の輪っかのことだった。教皇手ずから付けずとも作用するという所に注目して調べてみたのだと真剣な顔で説明する彼女の顔は、普段の彼女からは考えられないほど真面目な印象を受ける。
不意にソフィアは耳につけた雫の形をした透明な石が付いたイヤリングに触れた。石の部分に少量の魔力を注ぎ込むと石は僅かに青く光り、彼女は一つ咳払いをした。
「今すぐ馬車を用意して欲しいの、お願いできるかしら?」
そう言うとすぐにイヤリングから手を離して、目の前でぽかんとしている兄の顔を見てにっこりと笑った。手を離したと同時に光が消え、元の透明な石へと戻る。
最初は何をしているのかさっぱりわからなかったが、ふとアルマンの言葉を思い出した。クロヴィスは、なるほど、これがアルマンの言っていたソフィアが作ったという通信のための魔道具かと思いながら、笑顔の妹を窺う。
「今馬車を手配致しましたので大聖堂に向かいましょうか、兄様。……そう言えば教皇を捕縛する直前、不自然に動きを止めたという話をしていましたよね?もしかするとその答えがわかるかもしれません」
「……どういうことだ?」
「それは大聖堂に向かってからのお楽しみです」
茶目っ気たっぷりに微笑む妹に対し、クロヴィスは何のことか全くわからないと言った感じで眉を顰める。
それもそうだろう。突然やってきたかと思えば資料を見せられて、首輪の解除が出来るかもと言われ、馬車を手配したから大聖堂に向かうと言われた上に、答えがわかるかもしれないという意味のわからない言葉を告げられたのだ。これで混乱するなと言う方が無理という話である。
クロヴィスは怪訝な表情で自身の妹を見つめる。その顔はとても楽しそうな笑みに彩られており、クロヴィスはますます眉間に皺を寄せた。
ソフィアがクロヴィスの執務室を訪れてから数時間後、二人とその侍従達は大聖堂にいた。大聖堂に着くなり迷いなくずんずんと歩みを進めていくソフィアの背を、クロヴィスは戸惑いながらも追っていく。
そうしてたどり着いたのは礼拝室の近くにある一室だった。確かここは傷だらけのカミーユが運び込まれた場所だったかとクロヴィスは思う。
ぎぎぎ、と軋んだ音を立てながら開いていく扉。中にいたのはアルマン、リアム、そして聖女二人だった。
混乱した様子のアルマンとカミーユ、そしてラウルは、部屋に入ってきたクロヴィスを見るとすこしほっとしたような表情になる。対してリアムはなんとか隠そうとはしているようだが、ソフィア同様そわそわした様子が見て取れて、クロヴィスは思わず嘆息した。
「初めまして、聖女ラウル。私は第一皇女ソフィアでございます。貴方のことはリアムからよく伺っています。これからもリアムのことよろしくお願いしますね」
「え……あ、はい……こちらこそ、よろしくお願いします」
「……姉上、ラウルが困惑しているので普通にしてくれ。もう猫を被っているのはバレてる」
ソフィアが恭しく初対面のラウルに対して挨拶を行ったところで、ラウルの困惑を感じ取ったリアムが呆れたようにそう告げた。その内容に目を瞬かせながら周囲を見渡したソフィアは嘆息し、眉尻を降ろして笑う。
「なーんだ、バレてたのね」
「あの通信の時、ここにいる全員が聞いていたからな」
「もう少し兄様達にはお淑やかだと思われていたかったのだけど……残念ね」
「いや遅かれ早かれバレていたと思う」
テンポの良い弟妹の会話に、ラウル以外の三人の顔が困惑顔になる。特にクロヴィスは初めて見る妹と弟の気安いやり取りに驚きを隠せないようだ。
さて、とソフィアが声を上げると場の空気が一気に緊張したものに変わる。ラウルが不安そうな表情でごくりと喉を鳴らすと、すかさずリアムがその腰を抱いた。
「集まってもらった理由はリアムからも聞いていると思いますが、改めて説明しますね。今日集まってもらったのは他でもない、聖女達の首に付けられているその金属の首輪の解除を試させて頂きたいからです」
ソフィアの言葉にリアムとクロヴィス以外の三人がこくりと頷く。続いた、まだ机上の空論状態なので絶対ではないと言う言葉にも頷く三人。それからソフィアが具体的な方法を説明していくと、徐々にアルマンとカミーユ、そしてクロヴィスの三人の表情が曇っていった。
「ソフィア、それは少し危険ではないか?」
「ええ、危険を伴うことは承知です。しかし、恐らくですがそれ以外に解く方法はないかと思われます」
「しかしだな……」
アルマンが苦言を呈すると、その答えが返ってくることは想定内だったのかソフィアは顔色ひとつ変えずに淡々と述べていく。
教皇を拷問して吐き出させようともしたが、解除方法を知ることは終ぞできなかった。国の規定で拷問の回数上限が決まっているため、それ以上を行うことができなかったのである。因みに拷問回数の上限が決まっている理由は、過去に拷問のやり過ぎで精神が壊れてしまい、正しい供述を得られなかったりしっかりとした罰を与えられなかったことがあったためだ。
しかしソフィアは教皇が『誰にも解除出来ない』と言った裏に、正解が存在しているのだと疑っていた。つまり、『自分以外の誰にも解除し得ない』と言うことなのではないかと。つまりは解除の魔法がある、もしくは膨大な魔力量を利用しての解除方法があるのではと考えたのだ。
まずは膨大な魔力量を利用して解除しようと用意したレプリカで何度も試してみた結果、ある一定の魔力量で解除できることがわかったのである。しかしそれはあくまでも装着していない物に対してなので、実際に装着している物に関してはどうなるのか、想像がつかない。
危険性を伴う上で協力して欲しいと頭を下げたソフィアに、アルマン達は困惑するしかなかった。
「……わかりました。もし試すのであれば俺を使って下さい」
「……いいのか?ラウル」
「うん、だってリアムとソフィア皇女殿下が一生懸命考えてくれたんだから、俺だって協力したいし……何より、リアムがしてくれるんだろ?」
「ラウル……!」
眉を下げながらはにかむラウルを愛おしそうに見つめ、抱きしめるリアム。ソフィアはそんな二人の様子にほっと息を吐き出し、ありがとうと呟いた。
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