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第10章 魔王戦

魔王の封印、俺がこの世界にいる理由

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何度か角度を変えて流し込まれ、俺が全てのポーションを飲み干すと、ソルの唇が名残惜しそうに離れていった。艶やかな唇をソルが舌先でペロリと拭う。舌先に残る甘い痺れに、俺は自分の顔が真っ赤になるのが分かった。


「口直し。……それと、本当に無事でよかった……」

もう二度と、自分を置いて逃げろなんて言わないで、とソルが小さな声で呟いた。壊れ物を触るように大切に包み込む腕は微かに震えていて、ソルの声には心からの安堵と、苦しげな自責の念が込められてる気がした。俺は堪らず、ソルを背中に手を回して、強く抱きついた。


「うん……。ごめんな」

今生きていること自体が、奇跡のように思えてくる。生と死が紙一重で、愛する人を失ってしまうかもしれなかった恐怖が、今になって湧き上がってきて身震いした。こうやって触れ合って、お互いの存在を確かめずにはいられなかった。


「……それじゃあ、儀式を始めるよ」

ほんの僅かな休息をとった俺たちに、アヤハが少し離れるように忠告する。俺は頭上の大きく繊細な花模様の魔法陣に魅入っていた。

封印という重責を負う魔法にしては、青々とした葉の合間に、大小さまざまな花たちが咲き誇っているような、春の庭を思わせる優しい魔法陣だ。まるで、魔王を穏やかな眠りに導くための献花みたいだった。


「……彼の者に穏やかな眠りと、優しい夢を__ 」

アヤハが目を閉じて、魔力を身体に纏っていく。聖魔法の白金色の魔力は全てを洗い流すような、神々しく眩い光を放つ。両手を胸の前で組んだアヤハは、さながら祈るように目を閉じて静かに呟いた。


「 __ 安穏の吐息」

白金色の魔力が柔らかく漂い、中央に寝かされた魔王の元へ集まり出す。キラキラと瞬くように輝く粒子は、魔王の横で滞留すると一つの大きなものを形成した。

ほんの一瞬だけ眩しく光って姿を現したのは、大きな白色の両開き扉だった。金色の繊細な線で描かれた花と動物の扉が、人知れずゆっくりと内側へ開いていく。

扉の内から、金色に輝く蝶たちがふわりと部屋に舞い込んで魔王へ羽ばたいていく。蝶たちは魔王を立たせるように持ち上げると、背中から扉に運び込んだ。吸い込まれるように扉の内側に入っていく魔王を見送りながら、彼に安らかな眠りをと、祈りを捧げていた時だった。


ふいに、肌がぞくりっと粟立った。 

項に鋭く寒気が走って、例えようのない緊張と怖気が一気に駆け上る。ほぼ反射的に、俺は隣にいるソルを思いっきり突き飛ばしていた。


「うわっ?!…………えっ?」

俺が突き飛ばしたソルは、さらにソルの隣りにいたアヤハの身体も押した。よろめくアヤハの呆ける声が、いやに部屋に響いた気がした。それも無理はないな、と俺はどこか冷静に頭の片隅で呟いていた。


魔王の呪いが襲い掛かって来るタイミングは、本来なら魔王が命を落とす直前なのだ。心臓にトドメを刺すソルを、魔王が最期のあがきで体内に取り込むというシナリオだからだ。俺たちはゲームシナリオを事前に知っていて、ソルが魔王に成らないようにかなり警戒した。だから、最後に魔王へトドメを刺すのはヴィンセントと決めていたのだ。


そして、何よりも俺たちには自信があった。今のソルは、魔王になる条件を満たしていないのだ。ソルと俺が心を通わせているから。愛しい人と、結ばれているから。


だからこれは、本当に僅かな油断だった。
万全を期して、全てがゲームシナリオと同じように進み、俺たちの計画通りに事が運んだが故の、一瞬の隙。

俺たちはすっかり忘れていたのだ。
現世の知識を持つ俺やアヤハが、この世界に介入したことによる物語の改変の可能性を。


漆黒のローブが翻り、魔王の腕部分から漆黒の魔力が瞬き一つの間にこちらへ向かってきた。鉤爪のように鋭い指先の大きな手は、人一人なんて簡単に覆えるほどの大きさだった。


「……ああ、そうか」

俺の呟きは、闇の爪が襲い来る風切り音にかき消された。防御結界も、双剣を抜き出すのも間に合わない。そんな危機的状況だというのに、自分の頭の中はひどく冷静だった。

何よりも俺自身が納得してしまったのだ。物語に名前さえも出てこない、序盤で死ぬはずの勇者の幼なじみで、モブの俺が最終決戦の場に居る理由。


俺が、この世界に来た理由は……。
今、この時のためだったのか。


俺を喰らおうと影が覆いつくす隙間から、驚愕の表情で俺を見つめるアヤハと、目を見開いたままのソルが見えた。俺は2人の姿を見て、ひどく安堵した。


ああ、良かった。突き飛ばさなければ、2人もこの闇の巻き添えになっていたから。俺の大切な、あの2人は無事だ。心からの安堵で、俺は思わず口元に笑みが零れた気がする。

誰かの叫び声が聞こえたのを最後に、俺の視界が暗転した。






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