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八
しおりを挟む俺、花坂正義はちんこを失って以来最大のピンチに陥っている。
背中にはスプリングの効いたベッドの感触。見上げる先には俺の身体を跨ぎ押し倒す恋人、柚木さん。
「選べ、俺の事を襲うか、襲われるか。それとも別れるか」
どうしてこんな事になったのか、俺はここに至るまでの出来事を思い出す。
無事にイルカショーを見た後、俺たちは水族館を堪能した。そして件の神社へ訪れ柚木さんと付き合えたことへのお礼参りとそしてちんこか元に戻る事を願った。
因みに柚木さんは帰り道にコンビニで購入した最中を祠の前に供えていた。こう言うお供物は饅頭なイメージがあるが、寄ったコンビニに和菓子系のお菓子はクリームどら焼きと3本セットのみたらし団子、そして最中位しか置いていなかった。
この中で一番和菓子っぽいからと柚木さんは最中を手に取っていた。
俺は特にお供物は買わなかったが、自分のおやつ用に薄塩味のポテトチップスを買った。
賽銭は奮発して千円札一枚を入れたので問題ないだろう。
ーーーお陰で柚木さんと付き合えました。なのでどうかちんこを俺の元へ返して下さい。何卒お願いします。
そう願う頭の片隅で、もしこれで俺の元にちんこが戻ったら柚木さんとの関係も終わりなのかと惜しむ感情があった。だけどこれ以上は迷惑を掛けられない。
水族館デートはハプニングもあったが、すごく良い思い出になった。この記憶があれば柚木さんと別れてもきっと必要以上に惜しむことは無い。
「よし、帰るか」
「はい」
にこりと笑う柚木さんの表情が、ほんの少し寂しそうに見えたのは俺の気のせいだろう。
家に帰ってからも特に俺の股間に変化は無く、何なら翌朝も俺のちんこが戻って来る事は無かった。
その事実にほっとしながら、戻って無い事にほっとしちゃ駄目だろうと自分自身に落ち込んだ。
メッセージアプリで朝の挨拶を交わし、やっぱり朝になっても元に戻ってなかった事を伝える。柚木さんの部屋の床もやはりそのままらしい。
神社でお礼参りをしても駄目なら、いよいよ元に戻す手段が分からない。
「出張ですか」
「そう、出張」
社食のおろしポン酢ハンバーグを食べながら柚木さんはそう言った。
「俺と、花坂二人で出張」
「ええ?」
別に営業の柚木さんが出張に行くのは分かるが、別部署の俺がそれに着いて行く必要があるのだろうか。俺的には柚木さんも一緒なら文句は全然無いのだが、その理由が気になる。
「お前一年目だけ営業だっただろ」
「え、はい」
「花坂が異動したタイミングで先方も一回担当変わってるんだけど、また元に戻るらしい。だからその担当さんがお前と久しぶりに話したいらしいんだよね」
「うーん?そんな風に言われるほど仲の良い得意先でしたっけ」
俺は湯気の立っている醤油ラーメンを食べながら疑問に首を傾げる。どんな時でも醤油ラーメンはうまい。社食とは言え侮れない味だ。煮卵が半熟な点も評価ポイントだろう。
ラーメンやうどんは社食の中でも値段が安いので財布にも優しくありがたい。
「何気に俺も最近引き継いだばかりだがら先方がどう出るか読めなくて。何やら今回大きめの仕事もらえそうだから部長も花坂と行ってこいと」
「あー、最近うちの部長と柚木さんの所の部長さんが話してたのその件ですかね」
大きな仕事をもらえるなら行かざるを得ないだろう。指名されている点に下手な事が出来ないと言うプレッシャーを感じるが、俺が仕事の足を引っ張る訳にはいかない。
それにしても柚木さんと家以外での初泊まりが仕事になるとは思わなかった。
「あ、そう言えば出張って言っても日帰りの距離だから」
「あ、そうなんですね」
「悪いな付き合わせて」
「いえ、そんな」
謝る柚木さんには申し訳ないが、俺は内心宿泊ありの出張じゃ無かった事に少しがっかりしていた。
ちなみにアポイントは今週の金曜日に先方へ伺う予定らしい。幸いその日俺が受け持つ仕事もそう無いので前日にある程度片付けておけるだろう。当日は柚木さんの運転で向かうとの事だ。
安全運転で行くから任せろと笑う柚木さんは今日も可愛い。
そして当日、宣言通り柚木さんの安全運転で無事先方の元へ到着した。
県を跨いだが、高速で二時間ほどの距離にあるその場所は、出張とは言え確かに泊まるほどの距離では無い。
「ようこそいらっしゃい!柚木君、花坂君」
「真嶋さん、ご無沙汰しております」
「お久しぶりです」
柚木さんか真嶋さんと呼んだ事で、かつての記憶が掘り起こされる。この時まで顔をぼんやりとしか思い出せていなかったのだが、今ならはっきりと思い出せる。
真嶋さんは俺が柚木さんの事を好きになるきっかけを作った人だ。正確には、会食でアルコールをぐいぐい勧めてきた人だ。
やたら絡んでくる人だと思ってはいたが、あれは俺が気に入られていたからなのだろうか。担当でも無い俺を指名するほどに。
「運転大変だったよね?遠かったでしょう」
「いえいえ!やっぱ高速乗ると一瞬ですね」
さりげない雑談を交わし、暫くしてから本題に入る。お互いに笑顔を一度消し、真面目な表情に変える。会話のメインはあくまで柚木さんと真嶋さんだ。俺も相槌を打ちながら重要な内容はメモを取るようにする。
「ーーーと言う事だからテーマはーーー」
「ーーーそれならいくつかの案を来週までに」
「予算はーーーでどこまで出来そうかな」
「その予算ですとーーー、なので」
元々訪れた時間が3時を過ぎていた事もあり、打ち合わせが終わる頃には日も暮れていた。真嶋さんはちらりと時計を確認すると、開いていたノートパソコンをシャットダウンし、広げていた書類をさっとまとめた。
「じゃあ、予約取ってあるから行こうか」
真嶋さんの言葉に俺と柚木さんは顔を見合わせる。今回挨拶を兼ねての打ち合わせだった筈だ。真嶋さんの口振りからすると会食の予約を取ってあるらしい。
本来の予定には無かった事だ。何より車でここまで来ている。
「なに、明日は土曜日だ。ビジネスホテルもこの辺りは結構空いてるし、泊まって行けば良いさ」
その時の真嶋さんの目は、獲物を決して逃がさない肉食獣のような光を帯びていた。
隣に座る柚木さんは愛想笑いを綻ばせはしなかったが、俺にはその芸当は難しかった。
頬の筋肉が引き攣るのを感じながら、これは逃げられないやつだと内心冷や汗をかく。
「かんぱーい!」
「乾杯」
「乾杯・・・」
真嶋さんが予約した店は、大手チェーン店の焼き鳥屋だった。
あの後すぐに柚木さんか会社に連絡した所、宿泊費は経費で落とすから兎に角仕事を取ってこいとの事だった。
柚木さんは覚悟を決めた顔で三人分のビールを注文していた。
先日とは違い、柚木さんは寝不足や体調不良というわけでも無いので今回悪酔いする事はないだろう。
それより問題なのは俺の方だった。
「花坂君、ビール進んでないよ~!ほらもっと飲んで!」
「はははっ、勘弁して下さいよ!」
「真嶋さんの方こそグラスが空ですね、花坂悪いけど追加で注文してくれるか?」
さり気無く俺のビールを柚木さんが自分の方へ引き寄せると、その代わりに注文用のタブレットを渡してくる。
画面はソフトドリンクのページが開かれていた。これも柚木さんの配慮だろう。俺は自分用の烏龍茶と、真嶋さんの分のビールを注文する。
飲み始めて一時間は経っただろうか。柚木さんは余裕そうだが、真嶋さんの方は随分と顔が赤くなってきている。粗方つまみも空いてきたのでそろそろ水かデザートのシャーベットでも頼んだ方が良いだろう。
「悪い、ちょっとトイレ」
「あ、はい。デザート注文しますけど何味にします?」
「んー、葡萄と柚木か。柚子でよろしく」
「はい」
結構飲んでいたが、トイレへ向かう柚木さんの足取りはしっかりしている。本当に強いなと改めて感心した。俺もあれくらい飲めれば酒の席を変に遠慮しなくて済むんだけど。
真嶋さんにもシャーベットの味を確認し、タブレットを操作する。
水と柚木シャーベットを三人分だ。
「はー、飲んだ」
「良い飲みっぷりでした。真嶋さんはお酒強いんですね」
「あー、普通だろ。特別弱くは無いってだけで。柚木君に比べたら」
「ああ」
「だって彼花坂君の分まで飲んでただろ」
真嶋さんの言葉に、店員から水を受け取る手が思わず止まる。
「バレていましたか」
「ははっ、そりゃな」
ジョッキに入った水に手を伸ばすと、真嶋さんは勢いよくそれを煽った。浮かんだ氷がカランと高い音を鳴らす。
「流石に今日こそ酔った姿見られると思ったんだけど」
「それって」
「花坂君も居ればその分を柚木君が飲もうとするだろ」
わざわざ俺を呼んだのも、その為か。
柚木さんが俺の分の酒を飲む事が分かっていたから。酔わせる為に。
「柚木さんを酔わせてどうするんです」
「いや?別に、ただ酒に強い奴の酔った姿見るのが好きなだけ。安心しろよ別に花坂君の相手に手を出したりしないって」
「はい?」
その言葉に思考が止まる。
「あれ違った?てっきり二人は付き合ってるもんだと思ったんだけど」
真嶋さんは水の入ったジョッキをテーブルに置くと、中途半端に残った枝豆の皿へと手を伸ばす。
「それは」
「安心しなよ、別に偏見とか無いし。俺既婚者だから手を出すとかも無いしね」
そう言って枝豆の皮を指先で弄ぶ真嶋さんの薬指には、確かに指輪がはまっている。
真嶋さんの言葉に嘘は感じられない。
嫌悪感を抱いている訳でも無く、単純に俺たちの関係を興味本位で突いているだけに他ならないらしい。
「でも意外だなぁ、以前見た時は柚木君にとって花坂君って可愛い後輩に過ぎない感じだったけど」
「それは!理由があって・・・柚木さんには半ば無理矢理付き合ってもらっていると言うか」
「ふぅん?」
「戻りました、何の話してるんてす?」
不意に聞こえた柚木さんの声に、ヒヤリと背筋か凍る。
隣に座ってくる柚木さんの顔を確認すれば、ほんのり頬が赤くなってはいるがいつも通りの様子だ。真嶋さんとの会話は聞かれていなかったらしい。
丁度良くシャーベットが運ばれてきたので、それを気に話を誤魔化す。
真嶋さんの方もこれ以上話を掘り下げるつもりは無いようだ。
内心ヒヤヒヤしながら、その後お開きとなった。
焼き鳥屋から駅の方角へ10分程歩いた場所に目的のビジネスホテルがある。
真嶋さんの部屋が空いていると言う話は本当らしく、当日予約でもすぐに部屋を借りれた。
至って普通の内装だが、一晩泊まるなら丁度良い狭さだろう。
「いやー、無事に仕事が決まって良かったですね。あ、シャワーよかったらお先にどうぞ」
「花坂」
「はい?」
「お前、俺に"無理矢理付き合ってるもらってる"って思ってるのか」
"ーーー柚木さんには半ば無理矢理付き合ってもらっていると言うか"
それは先程真嶋さんに俺が言った台詞だ。
俺は先程の話を聞かれていたと言う事実にざっと顔を青ざめさせる。
どこまで聞かれていた?
場合によっては俺が面白おかしく得意先に男同士で付き合っていると吹聴するように思われたのでは無いだろうか。
不意にそう思ったが、その懸念を跳ね飛ばすように柚木さんは俺の胸倉を掴んだ。
怒りに燃える目に射抜かれ、場違いにも胸が高鳴る。
「花坂お前、俺の覚悟舐めるなよ」
不意に掴まれていたシャツをぐっと引かれる。
目の前のギラギラと光を反射する柚木さんの目を綺麗だと思いながら、口元に触れた柔らかい感触に目を見開く。
「っ!?」
柚木さんの口が俺の口とくっついている!?
違う、これはキスだ。
胸ぐら掴まれてるし強引で色気もくそも無いが、確かにこれは柚木さんにキスされている。何なら至近距離の柚木さんの眉間には若干皺が寄っている。
だけど柚木さんとキスをしている事実に、ぶわっと頭に血が昇る。
「っは、」
「は、くそ、花坂もっとしゃがめ」
「ひぇ」
柚木さんも酔いの所為じゃなく頬が赤い。
照れているのだろうか、開いた目は僅かに潤んでいる。
初めて見るその表情を脳裏に焼き付けるべく柚木さんの顔を凝視していると、小さく舌打ちしたかと思うと両肩を力強く押された。
倒れ込んだ先にはベッドがある。ビジネスホテルらしい硬めのスプリングが効いたシングルベッドだ。
さらりとしたシーツの感触が伝わって来る。
一瞬ベッドへ意識を逸らすが、すぐに俺の上へ跨ってきた柚木さんに思考を戻される。
「選べ、俺の事を襲うか、襲われるか。それとも別れるか」
ネクタイを解きながら、僅かに息を荒くした柚木さんはそう言った。
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