愚者のオラトリオ

Canaan

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第1章 What's Going On?

07.カスみたいなプライドが

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 ベネディクトが復帰して数日後、ステラが机の前までやって来た。彼女は手のひらをダン、と机の上に乗せる。
「バーキン。貴様、明日出てこられるか?」
 スケジュールを確認すると、明日は休みになっている。いったいどんな用事を言いつけられるのだろう。
「え? えーと……無理っていったら、どうなるんすかね……」
「他の教官……そうだな。あの男、なんと言ったか……バ、バー……バークレイ? あたりに声をかけてみるが」

 ちょっと彼女を困らせてみたいだけだった。
 或いは断っても無駄で、彼女は自分の首根っこを捕まえて無理にでもどこかへ引っ張っていくのだと思っていた。
 それが、ヒューイの名を、あやしげではあったが間違えることなく口にした。
 なんだよそれ……。
 もとからムカつく女だが、彼女の対応にますますムカついてきた。

「ヒューイは休日出勤なんてしませんよ」
 ついつい、刺々しい言い方になってしまう。
「……そうなのか?」
「今はやつの嫁さんが身ごもってますからね。休日はつきっきり。心配で仕方ないみたいっすよ」
「ふーん……意外と家庭的なやつなんだな」
「そうっすね」
「ならば、別の教官……なるべく身体能力の高いやつを教えろ。明日、必要になるかもしれない」
 目的はまだ分からないが、ステラはベネディクトの身体能力が高いと推測して最初に声をかけてきたのだろうか。彼女も女とは思えない怪力の持ち主であるが、そのステラに認められたような気がして、傷ついていたカスみたいなプライドがむくむくと修復されていく気がした。
「あー……じゃあ、俺が行ってもいいですよ」
「……貴様、無理だと言わなかったか?」
「え? いえ、空けますよ」
 別に予定などなかったので、ベネディクトは取り繕った。取り繕いながらも、自分の言動はガキみたいだとも思った。

「教材室の話なんだがな。緑鷲騎士団の団長に掛け合ってみた」
「ああ……引っ越し作業っすか?」
 正直、なあんだと思う。身体能力というか、そこそこの体力があれば誰だって出来ることだ。しかしステラは腕を組み、首を振った。
「いや。条件があるらしい」
「条件?」
「うむ。『俺たちとの勝負に勝ったら明け渡してやってもいい』そうだ」
「……は? なんでそんな……物騒な話になってるんすか?」
「向こうの騎士団長のオットー・レミントンに話をつけにいったんだがな、」

 その部屋には現在のところ「緑鷲騎士団・準備室」というプレートがかかっている。
 もともとはすでに解散となったどこかの騎士団の所有する部屋だったらしい。そして解散後に空っぽになった部屋を、緑鷲騎士団が正式な書類を提出することなく乗っ取ったかたちになっていた。
 ベンチやテーブルには団員たちの上着や総菜屋の包みがぞんざいに転がっており、床には酒瓶まで落ちていた。所有権を主張するための団旗は窓際に掲げられっぱなしで、日焼けして色褪せている状態だった。ちなみに緑鷲騎士団の正式な詰所は別に存在していた。だからステラはここを「サボり部屋」と判断し、司令部新人教育課に明け渡すようオットー・レミントンに打診しに行った。
 もちろん、絶好の「サボり部屋」を失う訳にはいかないオットーはこれを断った。ステラは「騎士団にとって本当に必要な部屋ならば、用途を記した申請書類を提出しろ」と告げた。そんなことをしてしまったら、正式な許可は下りないどころかこれまで無認可で部屋を使っていたことも明るみに出てしまう。できるわけがないオットーは、そこで言葉に詰まる。ステラは追い打ちをかけた。

「とっとと明け渡さねば、貴様らの団旗を切り裂いてケツを拭く布に使わせてもらうぞ……と告げたら、怒らせてしまったようでな。オットーのやつ、勝負しろとぬかしやがった」
「そ、そりゃ怒るでしょ……」
 なんて喧嘩っ早い女なのだ。権威ある団旗を雑に扱っていたのは緑鷲騎士団のほうが先だが、切り裂いて尻を拭くなどと言われたらそりゃ怒るだろう。というか、ベネディクトとしてはいい加減尻から離れたいのだが。
「書類やら何やら用意するよりは手っ取り早いほうがいいだろう? それで承諾してきた」
「で、勝負って何やるんすか」
「わからんが、第十一訓練場でやると言われている」
 ベネディクトは第十一訓練場を思い浮かべた。王城とはやや離れたところにあり普段はあまり使わない場所だ。
「雑木林や崖があって……野戦や敵方の拠点攻略を想定した、実戦訓練向きの場所ですね」
「ふうん……それで『緑鷲騎士団』とは、普段は何をしている騎士団なんだ?」
「それも知らないでケンカ吹っかけたんですか!?」
「吹っかけたつもりはなかったのだが、結果的にそういうことになってしまったようだな」
「はぁあああ……」
 呆れてものも言えない。この女にも、自分にもだ。
 なんでこんな横暴で向こう見ずな女に男の矜持をくすぐられたり、頼られてみたいとか思ったりしてしまったのだろう。
 だが今さら「あんたには付き合ってられねえ。やっぱ他のやつに頼んで」とも言えなかった。カスみたいなプライドが邪魔をしているのだ。
 彼女が口にする「オットー・レミントン」というのも正式な名前なのかどうか怪しいところであるが、
「俺、資料室の鍵借りてきます」
 ベネディクトは立ちあがった。ステラが首を傾げる。
「人事課のほうの資料室の鍵ですよ。すべての騎士団のデータが見られるはずなんで」



 資料室の棚から「緑鷲騎士団」のファイルを見つけたベネディクトは、閲覧用の机にそのファイルを置いて、椅子に掛ける。するとステラがその隣の椅子に座った。
 緑鷲騎士団。名前だけならば耳にしたことはあるが、どういった任務に就いているのかはベネディクトも知らなかった。
 そして意外にも、団長のオットー・レミントンは正式な名前のようだった。
「あー……なんか、厄介そうですね」
 彼らの資料を読んだ限りでは「厄介」という感想しか出てこない。緑鷲騎士団には特に決まった任務がない。巡回するエリアも決まってはいない。ただ、ほかの騎士団の手助けという補欠的な役割を請け負っていた。
「たいしたこと無さそうなやつらではないか?」
「いや……」
 資料をざっと見ただけではそのように思える。しかし、データの細かいところまで読み込んでみれば、手助けしつつも手柄を横取りする形で実績をあげているのだ。
 だがあまりに手柄をあげすぎると目立つようになって、国王から表彰されることもある。結果的に大きな任務を正式に請け負うことになる。そしてサボり過ぎると役目を果たしていないとして、騎士団は解散に追い込まれる場合もあった。
 それを避けるため──普段はぶらぶらしながらも、解散に追い込まれない程度に功績を残すため──に、手柄の数も調整しているように窺えた。
「こいつら、タチ悪いっすよ」
「鷲どころか、獲物を掠め取っていくハイエナのようなやつらだな」
「第十一訓練場か……」
 どういう勝負をさせられるのかまだわからないが、雑木林で遊撃戦の真似事をするのが勝負だとしたら、かなり警戒しなくてはいけないと思った。落とし穴などの罠を仕掛けられている可能性もある。しかし、ただでさえ普段使わない場所なのに、訓練場全体のチェックを明日までにできるだろうか?
 いや、ステラとベネディクト二人だけの参加ならば、大掛かりな勝負ではないのかもしれない。
「向こうも二人なんっすか?」
「オットー・レミントン一人だ。部下は連れてくるそうだが」
「一人!?」
「ああ、一対一だそうだ」
「じゃあ、別に俺が参加しなくても」
「それもそうなのだがな」
 ステラが小さなため息をついた。ちょっとだけ自信が無さそうにしている彼女の様子が珍しくて、ベネディクトはまたその美しい輪郭に見入る。
「剣術や馬術の勝負となったら、私では勝ち目がない」
 ベネディクトが病欠した日、ステラはヒューイと一緒にベネディクトの研修生に授業を行ったはずだが、彼女が言うには「自分は新人騎士よりは多少マシ」くらいの腕前でしかないらしい。
「海軍に入ってから、馬などほとんど乗る機会がない」
「ああ、馬よりも船に乗ってるほうが多いっすもんね……けど、ヒューイが言ってましたよ。ハサウェイ代理のカットラスは勉強になったって」
「新人相手ならば、私のほうに技術や経験があるぶん互角に打ち合えるだけだ。鍛錬を重ねた男相手では、力も技術も及ぶまい」
 これまでのステラ・ハサウェイを見るに、握力だけならばベネディクトよりもありそうだと思う。だが全体のパワーやスタミナなどを考慮すると……やっぱり、その辺の男よりはずっと強そうな気がするのだが?
 それにしても、どうして急に謙虚なことを言い出したのだろう。引くに引けなくなって勝負に乗ったはいいが、「緑鷲騎士団」について考えれば考えるほど自信がなくなってきたのだろうか。ステラ・ハサウェイみたいな女でも不安に陥ることがあるのだろうか。
「それに、バーキン……付き合わせて悪い。貴様を危険な目に遭わせるかもしれない。本来ならば、黒鴎騎士団の私の部下を連れてくるべきなのだろうがな」
「え? いや……二階に教材室が欲しいのは新人教育課ですし。それに黒鴎騎士団は休暇中でしょう。俺ができることだったら、やれるだけやってみますよ」
「バーキン……」

 今の自分は、ちょっとカッコよかったのではないだろうか。
 なぜこんな女相手にカッコつけなくてはならないのだ? そう思う気持ちはもちろんあるが、以前ほど強いものではなくなっていた。
 それに何より、弱音を聞いて、フォローして……自分たちの関係は少し変わったのではないだろうか。変わったのは上官と部下としての関係なのか、それ以外の何かなのか。そこまではわからなかったが。

「あと……俺の姓、バーキンじゃないんすけど」
 なんとなく目を合わせづらくて、ステラの目元のほくろを見ながら告げた。
 呼び名を訂正するだけで、どうしてこんなにドキドキするのだろう。
 やっぱり、自分の最近の言動はガキみたいだと思った。ステラ・ハサウェイに対する言動は、特に。

 ステラはぼそりと「わかった」と言って立ち上がった。そして「緑鷲騎士団」のファイルをあったところに戻しに行く。
 彼女はそのまま資料室の扉に手をかけ、出ていく際にこちらを振り返った。
「では、ワトキンス。明朝、貴様の部屋へ迎えに行く。よろしく頼むぞ」
 そして扉は閉まり、ベネディクトだけが取り残された。

「全然わかってねえじゃん……」
 わかったどころか、ラスキンからどんどん遠ざかっていく。訂正すればするほど遠ざかっていく。
「あっ、あの女ァアア……!」
 腹立ちまぎれに大きく椅子の音を立てて立ち上がったが、でも、どこかで安心してもいた。あれでこそステラ・ハサウェイだ。謙虚でしおらしいなんて、まったく彼女らしくない。こんな風にベネディクトの怒りをかき立ててこそ、ステラ・ハサウェイなのだと思った。



 次の日、迎えにやって来たステラと一緒に第十一訓練場へ足を運んだ。
「休みの日に、悪いな」
「いえ、別に、いいっすけど……」
 歩きながら、ふと疑問に思ったことを問う。
「ハサウェイ代理って、家から通ってるんですか」
「いや、今は貴様と同じ宿舎で寝泊まりしている。黒鴎騎士団として活動しているときは、港にある海軍の宿舎を使っている……船に乗っている時間のほうが長いがな」
 彼女がハサウェイ侯爵家の娘だということは知っている。そしてハサウェイの屋敷は王城に通える範囲にあることも知っていた。
 わざわざ騎士たちの宿舎に寝泊まりしているのならば、家には誰もおらず、彼女の家族は普段は田舎の領地で過ごしているのだろうか。そして社交シーズンになると王都の屋敷を使う……よくあるパターンだ。
「いや、実家には両親のほかに兄家族も住んでいる。私がいると気を遣わせるだけだからな」
「ああ、俺と一緒ですね。俺も、家には両親と、兄貴とその家族がいるんで自分は宿舎使ってます」
 別に両親や兄家族と仲が悪い訳ではない。三男とはいえ二十八にもなった男が実家に入り浸っていては良くない気もするので、実家にはたまに顔を見せに行く程度だ。
 だがステラは女性である。それもその辺のだらしない男よりもずっとバリバリ働いている騎士だ。実家に帰って気を遣わせる相手なんているのだろうか。両親なんかは娘が傍にいれば喜ぶと思うのだが……それはベネディクトの勝手なイメージなのだろうか。或いは兄嫁と折り合いが悪いのかな、とも考えた。
「貴様にも兄がいるのか?」
「ええ。生まれはラスキン伯爵家です。ラ・ス・キ・ン伯爵家。俺は三男だし、一番上の兄にも息子がいるんで、まあ、気楽なもんっすよ」
 また間違えられてはたまらないので、「ラスキン」とはっきり発音したつもりだ。
「貴様の次兄は?」
「修道士になりましたよ」
 その時、歩く場所が敷石から外れたルートに入った。そこには若干水分を含んだ柔らかい地面が広がっていた。
 ベネディクトはステラの足跡を見て息を飲んだ。
 彼女の足の大きさは、普通の女性のものだ。自分に比べたらずっと小さい、かわいいものだった……大きさだけならば。
 しかしステラの踏みしめた跡は、やたらと深くへこんでいる。つまり、足の面積に対しての目方が重いのだ。
 ぶつかった時に自分のほうがよろめいたり、指懸垂が出来ることからして、ステラは見かけよりもずっと重いのだと、なんとなくわかってはいた。
 しかし、これは……と、彼女の足跡をじっと観察する。
 親指とその付け根部分に、とくに力がこもっているように見えた。たぶん、彼女の靴下は一番最初にその辺が破れるのではないだろうか。ベネディクトとぶつかった時も、その部位にぐっと力を入れて踏ん張っていた気がする。
 女の目方や靴下の一番最初に破れる場所を考えるだなんて、とんでもなくデリカシーの無い推測である。というか、二十八年生きてきてそんな推測をするのは初めてだった。
「おい、バーキン……どうした?」
「あ、いえ。なんでもないっす」
 そう答えはしたものの、考えずにはいられない。
 彼女の身体には、いったいどれだけの筋肉がつまっているんだ……? と。
 男の騎士には、筋肉をパンパンに膨らませて身体を大きく見せている者と、持久力や瞬発力に使う筋肉だけを徹底的に研ぎ澄ませた者がいる。後者は前者に比べてコンパクトな身体をしているが、体躯のわりに非常に重い。そしてステラ・ハサウェイは明らかに後者だと思った。
 それから──間違えているのは相変わらずだが──ワトキンスがバーキンに戻っていてちょっとだけホッとした。

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