愚者の勲章

Canaan

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第2章 Viva! Stupid People

03.童貞エレジー

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 キドニスは、フェルビア王国北西部において最も活気のある街と言って良いだろう。
 街の大通りは石を敷き詰めて舗装されていて、大型の馬車が余裕ですれ違うことも出来る。

 ちょうど昼時という事もあって、広場や通りは人と馬車でいっぱいだった。
「シド。食いたいモンはあるか?」
「おれ『空の屋根亭』のシチューとミートパイが食べたい!」
 空の屋根亭とは、食事も提供している宿屋の名前だったはず。利用したことは無いが、看板を目にしたことがあった。
 シドの話では、旅行者の宿としてよりも、地元民の食堂としての方が有名らしい。

 空の屋根亭に入り、食事が運ばれてくるのを待つ間、この街にはしょっちゅう足を運んでいるのかとシドに訊ねる。
「村の人に、何度か連れてきてもらったことがあるんだ」
 それはもちろん、シラカから村人が消えてしまう前の話だ。収穫した農作物や、余分に作った石鹸や蝋燭を荷車に積んで、ここへ売りに来ていたらしい。
 それらの売上金でシラカに必要なものを購入し、村へ帰る。余ったお金は領主へ渡すのだという。

「ふうん、なるほど……」
 領主はそのお金を上手く使って、領内の設備を整えたり有事の際に備えたりするものだ。
 そう言えば、デボラとはまだ領地の経営に関わるような話を殆どしていない。
「それで、村に物を売りに行った後は、お城の前に貼り紙を出すんだ」
 何がいくらで売れて、日用品をいくらで買いこみ、余ったお金はどれくらいになったか。デボラはそれを領民たちに知らせるのだという。字が読めないもの、計算が出来ないものには口頭でも説明する。
「まあ、あんまり分かってない人も多いみたいだけどさ……でも、」
 これまでシラカの村において、日々の糧に困ることは無かった。さらに年に数度、領地の儲けに応じて村人たちにこれまでの働きを労う日があるのだという。それは現金だったり、状況によっては小麦や家畜、嗜好品で還元される。
 だからお金の流れが理解できない領民が、何かを不満に思うこともなかったようだ。

 シドの話を聞く限りでは、かなり良心的な領地経営に思えた。規模が小さいからこそできる事も多いのだろうが、デボラはよくやっている。
 ロイドはデボラに初めて出会った時、彼女のことをお姫様だと思ったが──王族という意味ではなく、高貴な女性という意味だ──デボラは贅沢に着飾ったりする女性ではなかった。
 領地の規模が大きく領民をたくさん抱えていたとしても、彼女は他人に経営を任せたりせず、領地と関わって生きることを選ぶ気がする。
 ……そのデボラ殿を守って助けるのが、自分の役目なんだよな……。
 まずは王都に書簡を出して、シラカの現状を伝える。領民たちが帰ってきたら、協力し合って荒れた畑の手入れをする。それから……夫としての役目を全うする。
 今の状況で可能なものは最後の項目だけなのに、なんと、ロイドの身体の事情がそれを許してくれない。



 食事を終えた後で書簡を出す手続きをし、頼まれていた買い物をする。
「えーと、司祭殿の酒とタバコと……ベティ殿の……なんだっけ」
「胡椒とシナモン」
「ああ、そうだそうだ」
 商店街を歩いていると、薬種屋っぽい看板が目に入った。

 ……下半身が元気になるような薬は無いだろうか。
 ふと思う。
 しかしシドが一緒なので入りにくい。彼にはどこかで待っていてもらう事にして……と、ここまでは良いのだが、キドニスの街の規模を考える。フェルビア北西部で最大の街とはいえ、王都はもちろん、ロイドが子供の頃住んでいたルルザよりもずっと小さい。
 シラカでの生活を続けていれば、キドニスへ足を運ぶ機会も増えるだろう。そしてシラカの女領主の夫だと、ロイドの顔も覚えられるかもしれない。
 それでデボラの夫がインポの薬を買っていたなどと噂になったら……うわあああ、だめだだめだ!

「……ロイド様? タバコ屋はあっちだよ」
「えっ? お、おう!」
 ロイド個人がインポというだけならば、まだ良い──いや、全然良くはないのだが──しかし、デボラの夫が不能だと噂が立ったりしたら……彼女に魅力がないんじゃないかとか、夫を奮い立たせることも出来ない女なのかとか、下世話な妄想をした挙句、ぺらぺらと周囲に言いふらす者が出てくるかもしれない。
 特に色恋や性の話になると人は興味津々だ。デボラの女性としての魅力を疑問視されたり、夫婦の営みについてあれこれ噂されるのは避けたい。

 沈んだ気持ちで自分の身に起きた問題を考える。
 シラカに戻ってきた十二人の領民のうち、男は五人だった。皆妻がいたり或いは先立たれていたりで、結婚した経験のある男だ。
 つまり、シラカ領内で童貞の成人は自分だけ──表向きにはブラッドベリ司祭も童貞でなくてはいけないのだが、あれはかなり怪しい──という事になる。
 ……自分だけ童貞。既婚者なのに童貞。

 今度はキドニスの雑踏を眺める。
 同じくらいの年齢の男には特に注目し、あいつらは童貞なのだろうかと考えた。

 しかし、ロイドは童貞だが、女性の裸を見たしおっぱいも触った。指も入れた。童貞の中でも、かなり非童貞に近い童貞とみなしてよいのではないだろうか。
 それに、あれだ。
 非童貞でも包茎だったりすると、それはレベルの低い非童貞なのではないだろうか。少なくともロイドは剥けている。
 包茎の非童貞と、非童貞に近い童貞の境界はとても曖昧なものになるのでは?
 だが、非童貞に近い童貞でも、ロイドにはインポという難点がある。これは、相殺されるどころか差し引きマイナスとなるくらいの難点ではないのか。……となると、自分の童貞レベルは如何なものか。

「……。」
 そこでロイドは一人、首を振った。
 男には二種類しかない。童貞と非童貞、それだけだ。
 それぞれにレベルを設けてこの身分制度を曖昧かつ複雑にしようなどと、あってはいけないことだ。
 追いつめられるあまり、ロイドは禁忌を犯すところであった。



 結局薬種屋に寄ることはせず、必要なものを買い込んで一泊し、帰路についた。
 街の外に出てすぐのところは荷馬車などの行き来が多いので、馬はゆっくりと歩かせる。
 道の状態を確かめようとして顔を上げると、前方からくる馬車が、何かを避けるために少し大回りしたのが分かった。何を避けたのだろうと不思議に思ったが、
「ウッ……!」
 道の真ん中で、犬が交尾をしていたのだ。
 茶色い犬の後ろから黒い犬が覆いかぶさっている。
 シドを振り返ると、彼もその様子を見つめていた。

 こういう時、ロイドは何と言ってよいのか分からない。あはは、お盛んだな~とか言ってやればよいのだろうか。十二歳の少年に? 自分が十二歳の頃って、そういった性の知識はどんなものだっただろうと考える。
 いや、そんなことより。そんなことより……あの黒い犬。あいつも非童貞なのか……。ロイドはため息を吐いて天を仰いだ。

 二人が犬のいる辺りに差し掛かったとき、先程とは体位が変わっていた。互いのお尻をくっつけるようにして、動かずにじっとしている。
 これまでロイドは雄が雌に圧し掛かるような形の交尾しか目にしたことが無かったため、首を傾げそうになった。何をやっているんだろうと。

 すると、シドが言う。
「ロイド様、知ってた? 犬の交尾って、一回くっついたらしばらく外れないんだって」
「え……? あ、そ、そうなんだ……」
 十二歳の少年に、犬の交尾について教えてもらってしまった。
 まあ、こういうのは農村部で育った人間の方がずっと詳しいものだ。
「ちんちんが膨らんで、抜けなくなるんだってさ」
「へ、へーえ……」
 無邪気なシドの言葉が、ちんちんが膨らまないロイドの胸に突き刺さった。
 さらに、

「たった! たったよ!」
 どこからか嬉しそうな声が聞こえてきて、ロイドはビクッとなった。
 声の出どころを探せば、道から外れた草むらに家族連れがいる。両親と小さな男の子、それからもっと小さな子供だ。
「立った、クララが立ったよ!」
 男の子は妹が立ち上がったことを喜んでいる。両親も拍手をして歓声を上げていた。

 日差しの中、子供の成長を喜ぶ家族たちは眩しかった。
 ……俺は勃たないよ……。
 対照的に、ロイドの心はどんよりと沈む。
 幸せそうな家族連れのところを通り過ぎた後も、
「ほら、クララ! あんよがじょうず! あんよがじょうず!」
 手拍子とはしゃぎ声が聞こえてきて、馬鹿にされたような気にさえなる。

「ロイド様、大丈夫? お腹痛いの!?」
「えっ?」
 俯いた状態で無言を貫いていたせいで、異変を感じ取ったシドがロイドに馬を並べた。
「休憩する?」
「ああ、いや。平気だよ」
 十二歳の少年に気づかってもらうとは……。
 自分が十二の頃はどんな風だったかな、と再び考えた。

 そういえば、ランサムと知り合って王都までの旅をした時。あの頃のロイドは十一歳であった。シドとそれほど変わらない年齢だ。
 隣を行くシドに当時の自分を重ね……それから今の自分にあの頃のランサムを重ねて考えてみた。
 十一のロイドよりもシドはずっと落ち着いている気がするし、当時のランサムも、今の自分よりずっと大人だったような気がした。

 騎士になってお姫様を助けるのが夢だった。
 子供が憧れるようなヒーローになるのがロイドの夢だった。

 それが現実はどうだ。
 既婚者のくせに童貞でインポ。
 そんなヒーローはどんな絵本にも登場しない。


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