愚者の勲章

Canaan

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第2章 Viva! Stupid People

04.金、銀、童貞プレゼント

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「おかえりなさいませ、ロイド様」
 キドニスの街へ出かけていた二人が戻ってきたのは、日が暮れる直前であった。

「シドもお疲れ様でした。夕食が出来ているから、手を洗って食堂へ行くといいわ」
「はい、デボラ様!」
 シドの外套を外してやり、彼が井戸のある方へ駆けて行くのを見守る。それからロイドに向き直った。

「ロイド様。ご無事で、何よりです……」
「あ、ああ。変わったことは無かった?」
「はい、特には」
 昨日、今日は戻って来てくれた領民たちと錆びた農具の手入れをし、枯れてしまった農作物や雑草を引き抜き、土をならした。それから家畜小屋の補修も行った。
 ロイドの方もこれといった問題はなく用事は済んだらしい。
「書簡も出してきたけど……」
 王都までの距離が距離だから、現状確認の騎士たちがやって来るにしてもひと月ほどかかるだろうとのことだ。
 デボラが頷くと、ロイドは街で買い込んできた荷物を差し出す。これは司祭殿に、これはベティ殿に、と言って、最後に菓子店の包みをデボラに見せた。
「これはデボラ殿に」
「私に、ですか?」
「シドから、君はここの菓子が好きだって聞いたから」
「まあ……」
 キドニスへ出かけた人がよく買って来てくれていたものだ。デボラはこの地を離れることが殆どないから、かつてはこの菓子をお土産にもらうことを楽しみにしていたものだ。
 出立前のロイドに「買ってきてほしいものはあるか」と訊ねられたとき、一瞬だけこの菓子のことが頭を過ったが……今は個人の楽しみを優先する時ではないと、結局口に出すことは無かった。
「君だって個人的な楽しみは許されるだろ。煩悩に塗れた司祭殿に比べたら、このくらいは可愛いもんだよ」
「あ、ありがとうございます……」
 デボラは菓子の箱を受け取った。
 ロイドは自分を気遣ってくれている。嫌われているわけではない。ただ、愛されていないだけで。
「ロイド様に、お食事をお持ちします。少々お待ちください」

 厨房へ行くとベティがかまどの前にいて、フライパンからロイドの分の肉を皿に移す。
「あの。ベティ、これ……」
 超少ない。キドニスまで行って帰ってきた成人男性の、栄養補給とするには超少ないのだ。
「……フン!」
 だがベティは鼻を鳴らした。
「他に女がいる男がデボラ様の夫としてここで食事しようなんて、図々しいったらない!」
「ベティ……!」
 厨房と食堂はそれほど離れていないから、ロイドに聞かれてしまうかもしれない。デボラは慌てて人差し指を唇に当てた。
「庇うんですか?」
「夫になって欲しいと頼んだのは私の方だわ。私はロイド様に感謝の気持ちしかない、本当よ」
「どうですかねえ。領民が帰ってきたら、マキシムのように甘い汁吸って生きようとするかもしれませんよ。それどころか、シラカのお金を他の女に貢ぐかもしれない!」
「そ、そんなことは……」
 領地を経営してみたいという男の人はたくさんいるらしいが、甘い汁を吸いたいだけならば、シラカのような先行き不透明な土地は選ばないと思う。そして領民たちが全員帰ってきたとしても、領主が特別な贅沢を出来るわけでもない。
 マキシムのように領民をこき使って税を搾り取るなら話は別だが……ロイドがそんな事をするとは思えない……というのはデボラの甘い希望でしかないのだろうか。

「デボラ様は優しすぎるんですよ!」
 ロイドの皿に肉や芋、野菜を足していると、ベティが嘆いて首を振った。
 デボラもまた、彼女の言葉を否定するように首を振った。
 自分が優しいだなんてとんでもない。
 デボラは、シラカのためにロイドの心を犠牲にした。ロイドにはシェリー様という想い人がいるのに、人の好い彼の騎士道精神に訴えるような真似をしたのだ。
 そして自分とロイドの結婚はシラカのため、愛が無くても構わないのだと思いながらも、ロイドの心が他の女性にあることを実は悲しんでいる……。

 デボラはロイドに食事を運んでいく。彼は先に食事を始めていたシドと向かい合って座っていた。
「ロイド様、お待たせいたしました。シド、パンのお代わりがあるわよ」
 するとシドは野菜を頬張りながら頷く。
 シドは成長期だし、ロイドは身体が大きいからたくさん食べなくてはいけない。デボラはお代わりのパンを取りに再び厨房へ戻った。
 作ってあったパテを小皿に移しながら、ちらりと食堂の様子を窺う。
 ロイドとシドは何か一言二言交わしつつも、目の前の皿を空けることに夢中になっているようだった。思わずその様に見入る。
 男の人たちが一日の業を終えて、お腹を満たしている……シラカが平和だったころから何度も目にした光景ではあるが、それが自分の夫となると、なんとも特別なものに思えた。
 もっとロイドのお腹をいっぱいにしてあげたい。彼が自分の作ったものを頬張るところを見ていたい。そんなことを思う。
 それから。
 シェリーという女性は、彼の食事姿をこんな気持ちで見つめたことがあるのだろうかと。

 シェリー様。
 ロイドの想い人。
 彼女の存在を知らされた時、デボラは頭の中が真っ白になってしまったが……昨日、今日をロイドと離れて過ごし……色々と想像をめぐらせた。
 彼がデボラとの結婚に頷いたのは、シェリー様は決して結ばれぬ恋の相手だからである。ロイドが不義を働くとは思えないから、完全な片恋なのだろう。
 それに、宮廷愛について書かれた本を読んだことがある。貴婦人に献身的な愛を捧げる騎士の在り方だ。それは飽く迄もプラトニックなもので、不義や姦淫とは全く別の純愛だと世間からは捉えられている。
 ロイドは上官の妻に献身しているのではないだろうか。
 そのことに思い当たると、モヤモヤとしていて実体のなかったデボラの中の「シェリー様」は、次第に形を成していった。

 きっとシェリー様は田舎娘の自分とは違う、洗練された都会の美しい女性。上官の妻ならば年上の人かもしれない。
 シェリー様は素朴な人柄のロイドを憎からず思っていて、王宮で開かれる武術大会の折には、こっそりとロイドを応援する。
 見事勝利を収めたロイドは仲間たちに囃し立てられながらも、あの優し気な茶色い瞳で観客席を見渡す。
 ロイドとシェリー様の視線が絡む。密やかに、だが情熱的に……。

 ……いや!
 そこまで考えたところでデボラは首を振った。
 愛してくれなくても構わないと言ったのは自分なのに、彼に想い人がいると知ってしまうのがこんなに辛いものだったなんて。



 床に就く時間になっても、先日のように彼を何とか──デボラに出来る範囲で──その気にさせようとは、とても思えなかった。

「ロイド様。今日は本当にお疲れ様でした」
「あ、うん……あの、」
「ではゆっくりおやすみになって、疲れを癒してくださいませ」
 デボラはロイドが何かを言う前にさっと告げ、彼に背を向け、眠ったふりをした。

 想い人がいるからデボラを抱けないなどと言われたら……自分はどうなってしまうかわからない。
 それに彼が何かするつもりになったとしても……自分をシェリー様の代わりに抱こうとするのだろうか。
 他の女性の代わりなんて嫌だ。
 結婚は領地のためだと割り切っていたはずなのに。

 それから、幼いころに亡くなった母の姿を思い起こした。
 ずっと昔の記憶はおぼろげだけれど、肖像画があるからなんとか彼女の姿を忘れずに済んでいる。
 母が生きていたら、自分はどうすべきなのかを相談できたのに。
 彼女は今のデボラをみたらなんと言うのだろう。
 領主としての義務をまっとうせよと叱咤するだろうか。それとも……。


*


 デボラは、城の裏手の滝のところにいた。
 そこでは修業中のロイドが滝に打たれながら精神統一を行っている。
 いつか見た光景だ。が、
 突然ロイドの姿が消えた。

『ロイド様!?』
 小さな滝壺は大人の男が溺れるほどの深さはない。
 だがロイドが顔を出す様子もない。
 どうしてしまったのだろう。デボラは水辺に近づいていく。
 彼がいなくなった地点まで確認しに行った方がいいだろう。靴を脱いでドレスをたくし上げていると、ゆっくりと水面に姿を現すものがある。

『あ……』
 その神々しさに、デボラは一歩二歩と後ずさり、座り込んでいた。
 そうするしかなかった。女神のような女性……いや、女神そのものが現れたのだから。
 穏やかで優し気な女神の表情は、デボラの母に少しだけ似ている気がした。
 デボラは神々しい女性を呆然と見上げていたが、

『デボラ……デボラや……』
『は、はい!』
 頭の中に響く凛とした声は、女神が自分に呼びかける声だ。それが分かったので、慌てて両膝を整えて跪き、頭を垂れる。

 そんなデボラに女神は訊ねた。
『お前が探しているのは、この金のロイドですか』
『……え?』
 驚いて顔を上げると、女神は黄金でできた、等身大と思われるロイドの像を抱えていた。あれが本物の黄金だとしたら、女神はすごく力持ちである。だが人間とは違う神様なのだからそう不思議なことでもない。

 デボラは首を振った。
『いいえ。金のロイド様ではありません』
『そうですか。では……こちらの銀のロイドですか』
 女神は今度、銀でできたロイドの像を水中から取り出した。
 やはりデボラは首を振った。
『いいえ。いいえ……私が探しているのは……私が欲しいのは、普通の人間のロイド様です!』

 あれだけの量の金や銀があったならシラカも潤うであろう。しかし領民たちが帰ってこないことには意味のないものだし、ロイドの存在無くしてシラカの繁栄はあり得ない。
 跡継ぎのことを言っているのではない。明るくて素朴で正直、彼のような統率者が必要なのだ。シラカにも、デボラにも。

 すると、女神の周囲がぱあっと輝きだした。
『デボラや……よくぞ正直に言ってくれました。正直者のお前には、童貞のロイドを差し上げましょう』
『えっ?』
 予想外のことにデボラは狼狽えた。
 女神は水中から易々とロイド──普通の人間のロイドに見えた──をつまみ上げ、デボラの目の前にかざす。
 なおロイドは素っ裸で、股間を両手で隠して決まり悪そうに身体を縮こまらせていた。

『さあ、デボラや……受け取りなさい』
『あ、あの。でも……』

 次第に女神の放つ光は激しいものとなり、デボラは目を開けていられなくなる。
 目を閉じてしまう瞬間、光の中に、何か……細長い物体のシルエットが見えたような気がした。
 デボラはその形に覚えがある。
 ロイドが持っていた石に似ていたのだ。
 もう一度確認しようとしてなんとか目を開けたが、すでに女神の姿はなかった。


*


 雄鶏が鳴いたような気がして、デボラは目を覚ました。
 カーテンの隙間からはうっすらと朝日が差し込んでいる。

 隣にロイドはいなかった。
 腕を伸ばして彼の寝ていたであろう部分に触れる。彼は早起きしたようだが、少しだけぬくもりが残っていた。

 ゆっくりと起き上がり、たった今見た夢について考えた。
 金のロイド、銀のロイド、童貞のロイド……ずいぶんと妙なラインナップである。


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