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第1章 Tempest Girl
03.ブライス伯爵邸の夜
しおりを挟む”夢を見た。故郷ネドシアの、美しい海の夢を。
ここルルザの街には川が流れている。でも、海は見えない。
私たちの会社は「タグリム商会」と名前を付けた。故郷の街の名前を貰ったのだ。
そしてタグリム商会は、このルルザの街において、軌道に乗ったと言っても良いだろう。
もうしばらくしたら、海の見える場所に旅行に出かけようと夫が言った。
旅行が楽しみで今から眠れない。
そう言うと、夫は笑いながら私の背中にキスをした。
──シャーロット・メイトランドの日記──”
***
「うーん……」
キャスは日記から顔を上げ、目を擦った。
何度も何度も読み返しているが、宝を仄めかす文章は、やはりあの一文だけだ。
この一冊目の日記から分かることは、曽祖父母はネドシア島からフェルビア王国にやってきて、ルルザの街で商売を始めたという事。それから、彼らは非常に仲睦まじい夫婦ということくらいだ。
「やっぱり、全部揃えないと分からないようになってるんだよ」
キャスが机に置いた日記帳を、今度はアンドリューが手に取った。
机に肘をついて、キャスはため息をついた。
「そもそも、全部で何冊あるのかしら……」
「それが分かればなあ。二十冊とかじゃなきゃいいんだけど」
すると、玄関の扉をノックする者がいる。
来訪者は叔父のジェレマイア・ミルトンであった。
「おじさま!」
「やあ、キャスリーン。それにアンドリュー。元気にしていたかい」
「ええ、二人とも元気よ。おじさまは?」
ジェレマイアはキャスの質問に「ああ、元気だとも」と頷きながら部屋へ入ってきた。それからアンドリューの読んでいるものを見て、肩を竦めた。
「おやおや。君たちは、まだ宝探しを諦めていないのかい」
「ええ。だって、財宝が見つかったら、生活だって楽になるし……」
「それはそうだけれど。あるかどうかも分からないものを」
「あら。おじさまにはロマンってものが欠けているわね。こういうのって、男の人の方が好きそうなのに」
「生憎私は現実主義者でね」
確かに叔父は現実的だ。
棚の裏に落ちていた一冊目の日記を発見したのは彼であるが、その中身には興味を示さなかった。
せめて書物や骨董品を売り払う際に、叔父が本類の分別をしてくれていたら……と口惜しく思わぬわけではないのだが、古い日記を見つけたからと言ってそれを特別視するような叔父でもない。
或いは財産の処理を自分たちでしていれば、とも考えたが、両親が亡くなった当初はキャスにもアンドリューにも、そんな心の余裕はなかった気がする。
日記がバラバラになってしまうのは、定められた運命だったのだ。
そしてキャスの手元に一冊だけ残ったのも、きっと運命。
「そんな私でも、姪っ子の宝探しに協力していない訳ではないだろう?」
叔父は封筒を取り出して、キャスにウインクして見せる。
「ほら。ブライス伯爵家のパーティーの招待状だ」
「まあ!」
キャスは封筒に飛びつき、さっそく中を確認する。
ブライス伯爵も何か古いもの──それが美術品なのか書物なのかまでは分からないが──を集めているという話だ。
ここのパーティーに参加できれば、書斎の中を調べられる。曾祖母の日記があるかどうかを確かめられる。
「やったわ、アンドリュー! ほら見て、ブライス家の招待状よ!」
キャスは軽く飛び跳ねつつ招待状にキスをし、それから叔父にハグをして、また弟に向かって飛び跳ねた。
「まったく。忙しいお嬢さんだ」
叔父は苦笑する。
ジェレマイア・ミルトンは今のキャス姉弟にとって、唯一の身内と呼べる人物である。
ただし、血縁関係はなかった。
キャスの両親が亡くなったのは、三年前。キャスは十八で、アンドリューは十六歳だった。
そして同じころにキャスの叔母──母親の妹で、ジェレマイアの妻──も亡くなっている。
なぜそんなことが起きたのかというと、伝染病が原因だ。
キャスの両親と叔母の三人が出かけた場所に、病気をもった人間がいたらしい。しかも、その発生源である人物は異国から帰ってきたばかりのようだった。
街の人間が次々に倒れて行ったが、いったい何の病気なのか、突き止めるまでに時間を要した。病気が異国から持ち込まれたものだとは、すぐには誰も分からなかったのだ。
原因が判明した後はよく効く薬が用意されたが、初動が遅れたせいでたくさんの人が亡くなった。
キャスとアンドリューは両親が倒れてすぐに「病名は分からない。が、たぶん、伝染するものだ」と言われ、父や母と会うことが出来なくなった。
訳が分からないうちに今度は「二人とも息を引き取った」と聞かされ、本当に参ってしまった。
三年前のあの頃は、街中が異様な雰囲気に包まれていた。謎の病気が蔓延しかけたことで皆が怯えていた。
それに、バリバリ働いている実業家たちの集うパーティーで病は発生した。そのせいもあり、街からは活気が消えてしまっていた。
両親が亡くなった後も、キャスにはどうすることも出来なかった。屋敷には大勢の使用人がいたはずなのだが、「主夫妻を襲った謎の病気は伝染し、しかも命まで奪うものらしい」と知った彼らは殆どが逃げ出してしまっていたのだ。
人のいなくなった屋敷の中で、キャスとアンドリューは途方に暮れるしかなかった。
そんな中でジェレマイアは、率先して葬儀の手配や後片付けをしてくれた。
両親の会社が実は傾いていたことが判明し、その借金を払うためにキャスたちの住んでいた屋敷を売り、会社を畳む手続きをしてくれたのも叔父だった。
キャスたちの今の住まい──中産階級層のエリアにある、こぢんまりとした家──を用意してくれたのも叔父だ。
叔父はキャスたちに住まいを用意した後に残ったお金で、投資を細々とはじめた。実業家としてなんとかルルザの街の社交界にしがみ付いてくれている。
何より、彼が両親のかつての縁故を取り持ってくれているから、パーティーなどに招かれる機会があるのだ。
キャスは招待状の中身を読んで、日時をもう一度確認した。
この日までにドレスや小物類の準備を済ませなくては。
出費のことを考えると頭が痛いが、これも日記の、そして隠された財産のためである。
そして、ブライス伯爵家のパーティーの日がやって来る。
叔父と弟と一緒に会場へ向かうと、すでにそこは招待客であふれかえっていた。
「見て。彼らがルルザ聖騎士団の新しいメンバーですって」
「まあ、素敵!」
「立派ねえ」
やたらと招待客が多いと思ってはいたが、今夜は社交界の人間に対して、ルルザ聖騎士団の新しいメンバーのお披露目があり、それをブライス伯爵が請け負っているらしい。
ルルザ聖騎士団とは、ルルザ大聖堂を拠点に活動している騎士団で、キャスには良く分からないが、とにかくエリートの集団だと聞く。
パーティーに参加している若い娘たちは、さっそく聖騎士団のメンバーたちに熱い視線を送っている。
聖騎士団の誰かが私にダンスを申し込んでくれないかしら、とはしゃぐ彼女らをよそに、キャスはアンドリューと一緒になって、こそこそと日記の捜索を開始した。
「いいこと、アンドリュー。スミッソンさんのお宅の時と、同じ流れでいくわよ」
二人は人ごみに紛れつつ階段をのぼり、二階へと移動する。スミッソン氏の時と違い、二階でも招待客がうろついていた。ブライス伯爵は屋敷全体を開放しているらしい。
ここからどうやってコレクションが置いてあるだろう書斎を探し出そうかと考えていると、階下からちょうど音楽が聞こえてきた。ダンスが始まったのだ。
今夜はルルザで一番有名な楽団を呼んだと聞いている。ダンスに参加しないつもりの人も、近くで演奏を聞いておこうと思ったのか、階下へと向かい始めた。
キャスはアンドリューと顔を見合わせつつアルコーブに身を潜め、二階に人の気配が無くなるまで待った。
それからまた頷き合って、廊下に並んだ扉を調べ始める。
「多分、書斎はこっちのドアか、その隣だよ」
何度かこの屋敷の前を通りかかったことがあるが、二階のこの辺に本棚が並んでいるのが道路の方から見えたとアンドリューは言う。
「分かったわ。じゃあ、こっちのドアから見てみるから、あんたは見張りを頼むわよ」
「うん。俺はここで見張ってる」
「誰か来たら、この前みたいに大声でお喋りするのよ」
アンドリューがキャスの入る部屋と、階段の下の方、両方見渡せる場所を陣取ったのを確認し、廊下の棚の上にあった燭台を手に取る。
そして、キャスは目の前の扉を開けた。
アンドリューの言ったように、中の部屋には本棚が並んでいた。通りに面した窓の近くに置いてある本棚、あれらがアンドリューの目に入ったものなのだろう。
なんとなくそちらへ歩いて行って、燭台で本棚を照らす。
だが中に詰まっている本は、書店で売られているものばかりだった。
それもそうだろう。仮にもコレクションの類を、こんな窓際の本棚に並べる訳がない。カーテンを閉め切っていない限りは、日に焼けて痛んでしまうのだから。
この部屋には置いてないのかもしれない。となると、隣の部屋だろうか……。
燭台を持ったまま踵を返したキャスだったが、
「あら?」
振り返った時に別の本棚が視界に入った。扉側、つまり窓から離れたところにある本棚が。
そちらに燭台を近づけると、ボロボロに痛んだ革表紙の本が並んでいる。背表紙にタイトルが記されているものは手書きの文字だ。タイトルが入っていないものも多い。
ここに、曾祖母の日記があるかもしれない。
そう感じたキャスは手を伸ばして本を引き出そうとし、そこで自分が手袋をつけたままだったことに気づいた。
安物ではあるが、買ったばかりのレースの手袋だ。古い本を触ったら汚れてしまうかもしれない。
キャスは手袋を脱いでから、改めて本を引っ張った。
それっぽい本は数冊あるようだし、一冊目に期待していたわけではない。だから適当な位置で本を開いた時に、見慣れた曾祖母の文字がパッと目に入って、呼吸が止まりそうになった。
これだ……!
一度閉じて表紙を確認し──擦り切れているが「ダイアリー」と書かれているようだ──今度は最初のページを捲る。
”旅行の準備を進めている最中、私のお腹に子供がいることが分かった。
海の見える場所への旅は延期になってしまった。
しかし、私たちはこれまでになく充実した日々を過ごしている。”
間違いなく曾祖母の日記だ。
キャスは深呼吸を繰り返してざっと先のページにも目を通す。
おそらくこれは二冊目の日記だ。
一冊目の日記は殆ど毎日綴られていたが、二冊目は日付が飛び飛びになっている。たぶん、妊娠中の悪阻や、出産、育児に追われて毎日は書けなかったのかもしれない。
じっくり読みたくてうずうずしたが、じっくり読むからには家へ持ち帰らなくては。
キャスはレティキュールからスカーフを取り出した。そしてスカーフで包んだ日記をレティキュールの中に入れる。
ちょっとごつい見かけになってしまったが仕方がない。あとはアンドリューと合流して、適当なところで夜会には暇を告げよう。
「君さあ……何やってんの?」
「……!」
背後から男の声がして、キャスは驚きのあまり悲鳴を上げそうになった。
見つかった。
どうしてだろう。アンドリューの合図はなかったのに。
キャスはゆっくりと声のする方を振り返る。
暗い部屋の奥に、背の高い男が立っているのが分かった。
そして、彼のいる位置からして……彼はキャスの後から部屋に入ってきたのではない、最初からここにいたのだと悟った。
男は一歩二歩とこちらへ近づいてくる。
いったい誰なのだろう。招待客だとしたら、こんな暗い部屋に潜んでいるのは不自然だ。では、ブライス伯爵家の住人なのだろうか。住人だとしても、やっぱりおかしい。
それよりも、泥棒した場面を見られた。彼は私を捕まえる……? その前に逃げなくては。いや、日記を手提げに入れただけで、まだ盗んだわけではない。何か、言い訳をすれば……。
いろんなことを考えているうちに、男はすぐ近くまでやってきてしまった。
部屋の中は真っ暗で、灯りはキャスの持ち込んだ燭台だけである。ぼんやりと男の姿が浮かび上がる。
彼は背が高くて、ひょろりと手足が長い。年齢は……自分と同じか、少し上くらいだろうか。髪の毛は、暗めの金色か薄い茶色……明るいところで見たら、もっとはっきりするだろう。
瞳の色を確認しようとして、青年の前髪がやや長いことに気付く。そのせいだろうか、彼はすこし陰のある雰囲気を纏っている。
青年の雰囲気に飲まれているうちにキャスは出遅れた。
彼の手が動いて、キャスのレティキュールを指さす。
「ひょっとして……それ、盗むつもりだった?」
キャスは目を泳がせた。
頷いてはいけない。でも……ここまでしておきながら「盗みではない」と言い張るのは苦しい。
早く答えないと、他の人を呼ばれてしまうかもしれない。どうにかしてごまかすことはできないだろうか。
そこでキャスは思い出した。
スミッソン氏の屋敷で、アンドリューが言っていたことを。
「コ、コホン!」
咳払いして、両手を下ろして胸を張る。
その上でちょっと腋を締めて、胸のふくらみを強調してみせた。
青年はというと、キャスの全身をざっと眺め、最後に顔を見た。
キャスが咳払いしたから、この後何か喋ると思っているのだろう。彼はキャスの言い訳を待っているに違いなかった。
胸を強調していれば男の人はそこばかりに目が行って、集中力が散漫になり、適当な言い訳にも頷いてしまう……とアンドリューは言っていたが、目の前の青年は別にキャスの胸ばかりに注目しているわけではなさそうだ。
あの説はアンドリューの思い込みなのか。それともスミッソン氏が特別にいやらしいだけなのだろうか。
もう一度だけ試してみて、ダメだったら別の方法を考えよう。
そう思ってキャスは青年を見上げ……そして、その場でジャンプした。
胸がゆさっと揺れる。
すると、さすがに青年はキャスの胸元を見た。
効果があったようだ。
追撃した方がいいだろう。
これでどうだとばかりに、キャスはもう二回飛んだ。
しかし青年はキャスがジャンプを終えると、腕を組んで後ろの机に寄りかかった。
「……で?」
「え。」
で、と言われても。何と答えればよいのだろう。
キャスがあたふたしているうちに、青年の方が口を開いた。
「ひょっとして、今の……色仕掛けのつもりだった?」
「え、ええと、あの。その……」
図星である。が、青年の口調は、なんだかキャスを小馬鹿にしたようなものだった。
「そんなことで、ぼくの気が逸れるとでも思ってるの?」
唇の端をくいっと皮肉げに持ち上げられて、キャスはちょっと頭にきた。
「そ、そんなこと? そんなことですって……?」
胸を強調してジャンプして見せるなんて、かなり大胆だし恥ずかしかったのに。そんなこととは。
「ああ。子供だましもいいところだね」
「ま、まあ……! あ、あれは……その、序の口というやつよ。貴方が子供かどうかを、ちょっとテストしてみただけなんですから」
「へーえ。じゃ、大人を騙すようなこともできるんだ」
「あ、あああ当たり前だわ。私だって、こ、子供じゃありませんからね」
青年の口車に乗せられて、とんでもないことを喋っているような気がしたが、彼は次のキャスの行動を待っているようだ。
今さら引っ込みがつかなくなったキャスは、深呼吸した。もっと大胆なことをしなくてはと考えてしまったのだ。
「え、ええと……」
色仕掛け……色仕掛け……。
大人の女性の色仕掛けとは、何をしたらよいのだろう。
胸を触らせるとか? 服を脱いでしまうとか……? そこまで大胆にはなれそうもない。
そこで思い出したのが、歓楽街の入り口にある大きな看板だ。色っぽい女性の絵が描かれていて、彼女は面積の少ないドレスの裾を持ち上げ、靴下留めまで見せていたのだ。
キャスは一歩下がり、ドレスを掴むと青年を見上げた。
青年の顔を見ながら、つつつとドレスを持ち上げていくと、彼の眉がぴくりと動いた。
これはいけるかもしれない。
ちょっと得意になったキャスはさらにドレスを持ち上げ、膝までを露わにする。
だが、青年の眉はそれ以降は動かなかった。腕を組んだまま微動だにせず、彼は小馬鹿にしたような視線をキャスに向けているだけだ。
まだ足りないのだろうか。
靴下を穿いているとはいえ、膝よりも上を見せるのは、キャスにとっては胸を揺らすよりも勇気が要った。
彼の様子を窺いながら、ゆっくりとゆっくりと裾を上げていき……それは、とうとう靴下の境目までたどり着いてしまった。
さすがに素肌まで見せるのは、ちょっと。
だが、青年は無表情のままだ。キャスの色仕掛けはまったく効いていないようだった。
キャスは歓楽街の看板をもう一度思い浮かべた。
色っぽい女性の隣に吹き出しがあって、彼女はなにか喋っていたような……。
ああ、そうだ。
「う、うふーん……」
ちょっと棒読みになったが、キャスは看板の女性の科白を真似た。
あれ? 「あは~ん」だったかも。
どっちだったか思い出そうとしていると、
「クッ……」
青年の肩が揺れた。揺れたかと思ったら、
「ハハハハ!」
しまいにはお腹を押さえて笑い始める。
キャスは呆然と青年を見上げた。
笑わせようとしたつもりはまったくなかったのにと、そう思いながら。
青年はなんとか呼吸を整え、キャスに向き直った。
「ああ。声出して笑ったの久しぶりだ」
「そ、そう……」
声を出して笑うのが久しぶりですって?
この人、ちょっと暗いんじゃないの。
彼はキャスと部屋の扉を見比べる。
「いいよ。面白かったから、見逃してあげるよ」
そう言って、キャスの肩をぽんと押したのだった。
キャスは廊下に押し出される形になる。
背後で静かに扉が閉まったのが分かった。
「な……」
なによ。なんなのよ。
そう言って部屋に押し入り、彼を問い詰めたい気分だったが、中からカチャリと掛け金の下りる音がした。
青年の、あまりに偉そうで他人を馬鹿にしたような振る舞いに、
「なっ……」
なによそれ! そう叫びそうになったが、ここはブライス伯爵邸で、今の自分は注目を浴びる訳にはいかないのだと思い出し、口を噤む。
アンドリューの姿を探すと、彼は最後に見た時と同じ場所に立っていたが、若い娘と話しているところだった。
あの水色のドレスと金の巻き毛は、たしかブライス伯爵の娘だ。
アンドリューと伯爵の娘はいったいどんな話をしているのだろうと不思議に思っていると、二人の会話はすぐに終わった。
「もう。グレン様ったら、どこに行ってしまったのかしらぁ……?」
彼女は誰かを探しているらしい。ぼやきながらふらふらと廊下を歩いていく。
「あ。姉さん」
話を終えたアンドリューが、こちらに気付いて小走りでやって来る。
「どうだった」
「あんたこそ、伯爵の娘と何を話していたのよ。ひょっとして、何か……怪しまれた?」
「いや。ルルザ聖騎士団の人を探してたみたい。どうやら意中の騎士と、ダンスをしたいようだね」
「ふーん」
キャスは愛とか恋とか素敵な殿方とかには興味が無い。
女学校に通っていた頃はそれなりに夢見たりしていたけれど、両親が亡くなり、自活しなくてはならないようになってからは、まるで興味が無くなってしまった。
まずは、曾祖母の日記である。
ここまで来るのに本当に苦労した。
両親が亡くなって暫くはバタバタしていて、環境が変わったと思ったら働かなくては食べていけない状況に陥っており、仕事を探して、労働をするようになって……でも、少しずつ夜会に出られるよう準備を整えてきた。
そして今夜。ようやく! ようやく行方不明の日記の一冊を見つけたというのに、あの男ときたら……。
「ああああ、もう!」
私、あの男に遊ばれた!(純粋な意味で) オモチャにされたのだわ!(純粋な意味で)
「ね、姉さん。姉さんこそ、大丈夫? 何かあったの?」
「ほら、これ、持って!」
キャスは日記の入ったレティキュールを弟の腕に押し付けた。
「えっ……ね、姉さん……これ!?」
「たぶん、見つけたわ。適当な理由をつけてさっさと帰りましょう」
アンドリューは押し付けられたレティキュールを手に取り、中に入っているものの形を確かめ、目をぱちぱちさせている。
キャスだって本来ならば弟と手を取り合ってはしゃいでいたであろうに。
あのひねくれた暗い男のせいで、気分は台無しである。
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