愚者の聖域

Canaan

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第2章 Eureka!!

04.我、発見せり!!!

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 ターナー家の夜会が行われる日、グレンは仕事が終わると辻馬車を停めてそれに乗り込み、キャスリーンを迎えに行った。

 ルルザ聖騎士団の宿舎には、騎士たちが使うための馬車が用意されていて、届け出れば私用で使うこともできた。しかし、キャスリーンは「宿舎の馬車は使わないでほしい」と言う。なぜならば、かつての不動産王の娘が働きながら──仕事はクビになってしまったが──細々と暮らしていることを、社交界の人間たちに知られたくないかららしい。
 聖騎士団の馬車が一般の民家に乗りつけたりしたら、近所の人は何事かと思うに違いない。近隣住民の注目を浴びたことで、キャスリーンの素性が暴かれていくことも充分に起こり得る。彼女はそれを用心しているようだった。

 窓の外の景色を眺めながらグレンは思う。用心深いのは結構だが、彼女の行動はまったくそれに伴っていない。グレンの顔を見るなり声を荒げてみたり、本棚に激突してみたり。あんなにドジで慌ただしい女性がグレンの前に現れたのは初めてのことだ。
 それから「ストロー」という言葉でやたらと動揺していた。
「……?」
 本当に彼女は理解不能である。
 グレンにとっての「女」とは、大抵は理解不能な生き物なのだが……でも、キャスリーンは「理解不能」の種類が違う。日記集めと謎解きに夢中になっていて、他の女性たちのようにグレンの資質や将来性に目をつけて、色目を使ってきたりにじり寄って来たりしないからだろうか。
「いや……」
 そこで首を振った。「色目」ならばキャスリーンも使ってきたではないか。勘違いも甚だしい、露ほども色っぽくない色仕掛けではあったが。
 また思い出し笑いをしそうになって、今馬車の中には自分一人だというのに、なんとなく襟と姿勢を正した。

 それから今のグレンには、キャスリーンのこと以上に理解に苦しむことがある。
 ターナー家の夜会にキャスリーンを連れて行くと申し出た時の、自分の頭の中である。
 いったい何がどうなってあんなことを言ってしまったのか、今になってもさっぱり分からないのだ。
 キャスリーンの曾祖母、シャーロット・メイトランドの日記を集め、読み解いていくのは面白そうだと確かに思う。こういった形での宝探しなんて、冒険小説でしか読んだことがなかった。
 しかし、日記を入手するためにやること──見つけた日記をこっそりと拝借し、ばれた時のために複製品を作っておき、実際にばれたら複製品の方を返すというやり方だ──が、危ないこと極まりない。騎士というグレンの立場を考えたらなおさらだ。
 これ以上関わるべきではないと思ったから、一度は「確証が得られないならば協力はできない」と宣言した。
 その後で背表紙に隠された地図を発見した訳だが……ただ、やはり地図だけでは「確証」と呼ぶには弱いと思う。描かれた範囲は広すぎるし、三冊目の日記に範囲を絞るヒントが隠されているのかもしれないが、その三冊目が見つかる保証はどこにもない。見つかったとしても、背表紙の隙間のものが無事だとは限らない。何より、隠した財産とは現金にしていくらになるのだろう。
 金貨や宝石ならば今も昔もそれほど価値は変わらないが、株券や、土地や建物の権利書などであれば、それは紙屑に変わっている可能性だってある。子孫への贈り物として用意したのならば、時代とともに価値が変化するものは避ける筈であるが……果たしてシャーロット・メイトランドにそういった思慮深さはあったのだろうか。

 極めつけは彼女の叔父ジェレマイアが持ってきた話である。ジェレマイアの仲介が入るとはいえ、キャスリーンとガラハー氏に面識はないようだった。危険すぎる。グレンが思うに、危険な目に遭うのはキャスリーンではなくて、ガラハー氏の方だ。
 キャスリーンがターナー家の書斎を物色している現場を誰かに見られでもしたら、ガラハー氏の社会的信用もがた落ちである。そういう出来事を防ぐために、自分が行くしかないではないか。
「……とでも思ったのだろうか、ぼくは……?」
 こういう時、ヒューイならばどうするだろうと考えようとし、やめた。ヒューイはもう自分の道標ではないのに、これまで彼に近づくことだけを考えていたから、癖になってしまっているのだ。ヒューイの行動をシミュレーションしてしまうことが。
 道標を失ったことで、自分の人生まで迷走を始めてしまったのだろうか。
 妻とイチャイチャベタベタして娘にデレデレして床に這いつくばって「おうまさん」までする男に成り下がったヒューイのことを思うと、本当に悲しくなってくる。自分が憧れたヒューイは、もっとギラギラして尖がっていて誰よりもカッコよかったのに。それが今は。
「……ぼくは、ヒューイみたいにはならない。絶対に」
 そう呟いたところで、馬車が止まった。



 キャスリーンは地味な外套を羽織った状態で現れた。
 この家に住む彼女は「病気の母親の薬代を稼ぐために働いている健気な女性、キャシー・バーズリー」ということになっている──ちなみに母親は療養所に入っている設定らしい──ため、夜会用のドレスを着て出かけるところを見られたくないようだった。
 彼女は馬車に乗り込むなり外套の留め具に手を掛け、それを脱ぎはしなかったが少しだけ前をくつろげる状態にした。
「グレン様。今日はどうもありがとう。私……私たち姉弟や、叔父だけの力では、今夜のパーティーに出席することはできなかったわ」
 こうも素直に礼を言われるとたじろいでしまう。グレン自身にターナー氏と面識はない。ターナー氏は「ルルザ聖騎士団に新しく入った団員」と、今のうちにパイプを作っておきたいだけなのだから。
「別に……ぼくも、隠し財産の話がどうなるのか……興味があるだけだから」
 そう。自分は知的欲求に駆られているだけだ、と思う。この件に関わるのは騎士としてあるまじき行為だが、この人騒がせな女性を野放しにする訳にはいかない。そういう意味では騎士道精神に則っての行動である……そう自分に言い聞かせた。

「そういえば、今日は弟さんは?」
「急な仕事が入ったみたい。たまに、あるのよね。朝までには帰ってくるとは思うけど」
 アンドリューは印刷屋で働いているという話だった。小さな印刷屋ではあるが、飛び込みの依頼や小口の依頼にも対応しているのが強みらしい。
「朝まで? 大変そうだね」
「ええ……でも、朝帰りしたその日は丸一日お休みを貰えるの。だから何とかなってるみたいだわ。騎士様だって夜勤とかあるんでしょう?」
「うん。確かに夜勤明けは休みを貰えるから、何とかなってる」
 ただ、夜勤明けは昼前まで眠ってしまうせいで、その日の夜は寝つきが悪くなるのが難点だ。
「そうそう! でも、お昼までに起きられるのならばグレン様は優秀だわ。アンドリューなんて夕方まで眠っている時があるんだから。その夜は眠れなくて、生活のリズムを取り戻すのが大変みたい」
「そうだね。夜勤明けの休日の、その次の日……ぼくも寝不足状態のことが多いかな」
「やっぱり夜勤があると大変なのねえー。大聖堂の門の警備をしている騎士様で、たまに立ったまま居眠りしてる人がいるみたいだけど、もうちょっと優しい目で見てあげた方がいいのかしらね」
「警備中の居眠りは、さすがに……まずいんじゃないかな」
 馬車の中でたわいない話を続けながら思った。キャスリーンは結構お喋りだし慌ただしい女性だが、彼女との雑談は苦痛ではない。自分に秋波を送ってこない女性との空間は、こんなにも気が楽なのかと、グレンは驚いてもいた。



「まあ、グレン様!」
 ターナー家に入ってすぐ、グレンに駆け寄ってくる女性がいる。リフィア・ブライスであった。
「グレン様もいらしていたの? 以前お会いした時、このパーティーに参加するなんて仰っていなかったわ! 今夜お会いできると知っていたら、私、もっと素敵なドレスを着て来たのに! 髪の毛だってもっと……」
「ああ。あの時は……まだ参加すると決めていなかったから」
「お手紙でもなんでも、知らせてくださったらよかったんだわ!」
「それは、ごめん」
 ただでさえリフィアの声は甲高くてよく通るのに、「自分とグレンは知り合いで、よく顔を合わせている間柄」だと周囲にアピールしたいのだろうか。余計大声になっていて、お陰でみんながチラチラとグレンの方を見ている。勘弁してほしかった。
「それで、その娘は誰ですの?」
 彼女はグレンの隣にいるキャスリーンをキッと睨みつけた。この場をどう切り抜けようかとグレンが考えていると、その前にリフィアは気づいたようだ。
「あら! お父様のコレクションを返しに、グレン様とうちに来た方じゃない! 小さいから、迷子の子供かと思ったわ。貴女も招待を受けていたのね。でも、どうしてグレン様と一緒にいるのかしら」
「彼女は……幼馴染なんだ。ぼくは子供のころルルザに住んでいたから、その時の知り合い」
 ここはこう言っておいた方がいいだろう。グレンは特定の女性を作るつもりはないし、誰かと噂になるのも困る。もちろん、リフィア・ブライスとも。
 リフィアはその説明にすっと目を細め、キャスリーンを見下ろした。
「そう……。でも、グレン様。ダンスが始まったら私と踊ってくださるんでしょう?」
 リフィアをダンスに誘うつもりはない。一度捕まったら最後、今夜はずっと付きまとわれそうだ。しかし伯爵の娘を邪険にするわけにもいかない。彼女の父親は、ルルザ聖騎士団にたくさんの貢献をしてくれているのだから。
「そうだね。君が予約でいっぱいじゃなければ、誘いに行くかもしれない」
「グレン様のぶんはもちろん最優先で空けておくわ!」
「うん、それじゃ……ぼくは、他の知り合いにも挨拶にいかないといけないんだ」
 グレンは曖昧に返事を濁して、キャスリーンをたくさん人のいる方へ誘った。人ごみに紛れて、リフィアの視線から逃れるためだ。

 二人で座れる場所を見つけたグレンは、先にキャスリーンを座らせ、自分は飲み物を取りに行く。自分にはミントの入ったお茶を、キャスリーンには果物を使った飲み物を選び、それを持って彼女の元へ戻る。
 キャスリーンにグラスを渡した時、ふと、悪戯心のようなものが芽生えた。
「ストロー」
「えっ?」
 案の定、彼女は「ストロー」という単語に反応して慌ててみせた。
「……ストロー、あった方がいいなら持ってくるけど」
「なっ、ななななぜ!? なぜそんなことを聞くの!?」
「なんでって……ストロー、あった方が飲みやすいんじゃないの」
 キャスリーンの肌がみるみる赤く染まっていく。盛り上がった胸元までもが薄く色づいた。
「わ、私はそんないやらしいものを使うつもりはないわ!」
「……だから、どうしてストローがいやらしいんだよ」
「まあ!」
 濃いグリーンの瞳が零れそうなくらい見開かれる。それからキャスリーンはきょろきょろと辺りを見回し、声をひそめた。
「こんな場所で、女性にそんなことを言わせるなんて……貴方、騎士としてどうかと思うわ!」
「別の場所ならいいの? たとえばどんな場所?」
「えっ? えっと、それは……」
 以前そう言って場所を移動しようとしたら、彼女は本棚に激突して鼻血を出した。キャスリーンを慌てさせるのは面白いのだが、付随してくるであろうアクシデントを考えると、彼女を追いこみ過ぎるのも良くない。
 それに……初めて会った時の、キャスリーンの「色仕掛け」を思うに、彼女は何かとんでもない勘違いや思い込みをしている可能性も充分にある。
「まあいいや。どうせ、大したことじゃないんだろう」
「たっ、大したことじゃないですって!? 人類の存亡にかかわる重大なことなのに!」
「じ、人類の……?」
 どうやったらストローが人類の存亡にかかわるというのだろう。こうなってくると、キャスリーンのアタマを分解して中を覗いてみたい気もする……と、グレンは彼女の胸の谷間を覗きながら考えていた。

「グレン様! ここにいらっしゃったのね!」
 すると突然背後でリフィアの声がした。
 グレンは慌ててキャスリーンの谷間から視線を外す。それから、気は進まなかったがリフィアを振り返った。
「もう! グレン様のお誘いを待っていたのに、ずっと姿が見えないんですもの! 探してしまったわ!」
「あ、ああ。ごめん。挨拶しなくちゃいけない人が、多かったから」
 誰にも挨拶などしてはいないのだが、ここはこう言っておくしかないだろう。さらに、こうして見つかってしまったからには、リフィアをダンスに誘わなくてはいけない。
 グレンはキャスリーンに「ちょっと待ってて」と告げると、リフィアを連れてダンスホールへと向かった。



「さっきの人のことだけれど」
 ダンスを終えた後、歩いている途中でリフィアはグレンの腕につかまり、しなだれかかってきた。グレンはちょっと距離をとろうとしたが、彼女は離れそうにない。
「あの人、『タグリム商会』の娘さんでしょう? ご両親が亡くなって、会社を畳んで遺産で生活しているそうね」
「うん、そうみたいだね」
 社交界においては、キャスリーンの立場はそういうことになっているらしい。遺産どころか借金のせいで会社を畳むしかなく、苦労を強いられているというのが本当のところだが。
 そこでリフィアは少し声をひそめた。
「あの。グレン様にお伝えして良いことかどうか分からないけれど……」
「うん?」
 言って良い事かどうか分からないけれど。この前置きから始まる会話は、大抵は耳を傾けて損をしたと思うような余計な話である。
「その、言い難いのだけれど……胸の大きな女性は淫らな性分だと、世間一般では言われているわ」
「……え?」
「だから……彼女と話すのはやめた方がいいと思うの。グレン様の評判まで落ちてしまうもの」

 思った通り、余計な、碌でもない話であった。
 胸の大きな女性が淫らだというのは……単に男同士の性的な会話に登場する機会が多いから、そんな印象を受けるのだろう。若しくは、単なる嫉妬。他の女性が異性の注目を浴びるのが面白くないのか、それとも大きな胸に憧れてのことかはグレンには判断がつかないが。
 しかし「男の視線が集まるからそういう印象を受けるだけだよ」なんて言ってしまうと、リフィアは気を悪くするだろう。キャスリーンに敵意を向けるかもしれない。
「彼女も、好きで大きくなった訳じゃないと思うけど」
「そ、それはそうだけれど……! それに、彼女は異国人の血を引いているじゃない」
「……それって、『タグリム商会』を興した彼女の先祖のこと?」
「ええ。ネドシア島から渡ってきたと聞いているわ。あの人は純粋なフェルビア人ではないのよ。それにネドシアなんて未開地じゃない。いくら幼馴染でも……そういう方とのお付き合いは考えた方がいいと思うの」
 リフィア・ブライスはちゃんとこの国の歴史を学んできたのだろうか。グレンは彼女との会話の退屈さにため息をつきたくなったが、なんとか耐える。
「ネドシアは二百年前にフェルビアの植民地になって、それで発展したんだ。未開地だったのは、もっとずっと昔の話だよ」
 今は国家として独立しているが、それでもフェルビア人も多く住んでいる。先住民と、純フェルビア人、彼らの混血の割合はだいたい等しいという話だ。況してキャスリーンもアンドリューも異国風の外見ではない。ネドシア人の血が混じっているとしても、ほんの僅かだろう。
「だから彼女の祖先も、ネドシアに渡る前はもともとフェルビアに住んでいた一族なんじゃないのかな」
「まあ。その話、私は知らなかったわ。グレン様は、とても物知りでいらっしゃるのね!」
「それはどうも」

 リフィアとの会話が本格的に苦痛になってきた。彼女はキャスリーンを貶めるような事か、表面的にグレンを褒める事しか言わない。
 こちらの気を引きたいだけなのかもしれないが、そんな内容の話でグレンがリフィアに興味を持つと、本気で思っているのだろうか。
 そしてリフィアは、こんなに中身のない会話を楽しいと思っているのだろうか?
 キャスリーンとの会話も中身がある訳ではなかったが、少なくともグレンは退屈ではなかったし、苦痛も覚えなかった。
 早く彼女のところに戻って、これからの計画を練らなくては。書斎の場所にあたりをつけたら、どちらかが見張り役ということになるのだろう。
 そう考えてキャスリーンを待たせていたソファに視線を移す。
 だが、そこに彼女の姿はなかった。

 ひょっとして、彼女は一人で実行しようとしているのだろうか。
 焦ったグレンは用を足しに行くと言って、なんとかリフィアから逃れたのだった。


*


 どうやらブライス伯爵の娘……リフィア・ブライスは、グレンにご執心らしい。しかも、彼と一緒にいたキャスに敵意を燃やしているようだ。
 グレンとダンスホールへ向かう際、彼女はご丁寧にキャスの足を踏んだ。さらにちらりとキャスを振り返り、キッと鋭い視線を向けて行くのも忘れなかった。
 そういうことなら、邪魔をするつもりはない。
 グレンはキャスが頼んだから、そして自分の知的欲求を満たすため、さらにキャスが財産を手に入れた後、今住んでいる家を引き払うと言ってあるから協力してくれているのだ。だからこの夜会にキャスを同伴させたのだし、キャスだって彼を、彼を……そう。目的のために、彼を利用しているのだ。それだけの関係である。
 だからリフィア・ブライスが気を揉む必要などない。
 キャスには今最優先しなくてはならない事案、日記集めがあるのだし、グレンがちょっとスタイルが良くて本を読む姿がセクシーだからといって、異性にかまけている暇は無いのだ。
 まずは日記を揃えて、隠し財産を見つけること。理想の男性を探すのは、お金持ちに戻った後でいい。

 キャスは人ごみを抜け、こっそりとターナー邸の二階へ上がった。
 時折振り返って後方を確認するが、皆ダンスやお喋り、そして美味しいお酒に夢中のようだ。
 廊下にあったランプを手に取って一つ一つ部屋を覗き、書斎らしき場所を見つけたキャスはそこへ身を滑り込ませる。
 本棚をざっと確認して思ったことは、曾祖母の日記はこの家には無さそうだということだ。ターナー氏のコレクションは殆どが小説──作家ではない人が趣味で創作した物語。ノートに筆者が直接書いたもので、出版などはされていない形態のもの──のようだったからだ。しかしこういった思い込みや決めつけは危険なので、念のため一つ一つの背表紙を確認する。
 今夜はアンドリューもいないし、グレンはあのお嬢様と一緒に行動しているようなので、見張り役がいない。誰かが来ないうちに急いで済ませなくてはならなかった。



「キャスリーン」
「ひゃあっ!?」
 書斎を出てランプを元の位置に戻したところで名前を呼ばれ、キャスは飛び上がった。誰かに見つかったのならば自分がなぜここにいたのかを説明しなくてはならない。いつかのように、「しつこい男性から逃げていたのだ」とでっちあげようとして顔を上げると、そこにいたのはグレン・バークレイであった。

「君、危ないことしてるって自覚はあるの? 一人で行動しないでよ」
「ご、ごめんなさい……だって、グレン様は戻ってこないと思っていたから」
「ぼくは『待ってて』って、言ったはずだけど」
「……ごめんなさい」
 謝りはしたものの、なんだか腹が立ってきたキャスだ。
 感じの悪いリフィア・ブライスとダンスホールに消えたのはグレンではないか。
 確かに彼は「待ってて」と言ったような気もするが、いつ戻ってくるかも分からぬ相手を待つ義理はない。しかもなぜ彼はちょっと怒っているのだろう。怒ってもいいのは、むしろこちらの方なのでは?
 良く分からない気分の悪さを覚えたキャスは、話を切り上げようとした。
「でも、調査はもう終わったの。このお宅には無いとみていいと思うわ」
「……本当に? ちゃんと確認したの?」
「え、ええ」
 なんとなく胸のむかつきの正体に思い当った。
 キャスを置いて感じの悪いリフィアとダンスしに行ったくせに、今はキャスの保護者ぶっているところが気に入らないのだ。
「無いと分かれば私はそれでいいの。グレン様、今夜はどうもありがとう」
「キャスリーン?」
「私は馬車を呼んでもらって、それで帰るわ。グレン様は、どうか今夜のパーティーを楽しんで」
「キャスリーン。ちょっと待ってよ」
「次に夜会の招待を受けた時に、また教えていただけるととても助かるわ」
 彼に腹を立ててはいるが、今夜のことを感謝もしている。あまり無礼な態度をとると次の機会が巡ってこないかもしれないので、お礼だけはきちんと言った。それだけ告げて彼に背を向けようとした時、
「グレン様~! どこにいらっしゃるのお?」
 甲高くて甘ったるいリフィア・ブライスの声が近づいてくる。
 彼女はグレンを探して二階へ向かっているらしい。そして階段をのぼり切ったら……このままでは、リフィアは二階の廊下にグレンとキャスがいる所を目撃することになるだろう。何故こんなところにあなたたちが二人きりでいるの、と、彼女は大騒ぎするのではないか。
 まずい、と思ったのはキャスだけではなかったようだ。
 グレンは一番近くの扉を開けて、そこにキャスを押し込んだのだった。



 押し込まれた場所は、キャスが一度覗いてあった部屋だった。
 廊下から覗いた限りでは使っていない調度品の類を無造作に積んで、物置部屋としているように見えた。
 そして、確かに物置部屋のようだった。グレンに押される形でキャスは後ずさりながらその部屋に入ったが、床にも何か様々なものが置かれていて、足を引っかけてしまったのだから。
 真っ暗な場所で、キャスは足を取られて後ろに倒れ込んでいく。
「きゃあっ……!?」
「キャスリーン!」
 グレンが小声でキャスの名を呼んだが、彼につかまろうにも何も見えない。
 でも、彼の方はキャスをしっかりとつかまえてくれた。が、やはり支えるには至らなかった。二人は暗闇の中で一緒に床に倒れ込む。

 キャスの身体の上に、グレンが乗っている。
 彼の片腕は、キャスの腋を通って背中に回り、後頭部を庇ってくれていた。どこに何があるのか分からない状態だから、こうしてキャスの頭を守ってくれたのだ。
 もう一方の手は、キャスを潰さないように床についているらしい。
 何という騎士道精神。
 彼はキャスにいやらしい言葉を説明させようとする変態男かもしれないが、こういう時はちゃんと守ってくれるのだ。
 キャスは守ってもらえたことにちょっとした感動を覚えたが、それよりも気になることがある。
「あ、あの……」
「しっ……」
 訴えようとしたがグレンに諫められてしまった。外の廊下からは未だに「グレン様?」とリフィアの声が聞こえているので、ここは静かにしなくてはいけないのだろう。しかし。しかし。

 キャスの足の間に、グレンの身体が挟まっている状態なのだ。
 不可抗力とはいえ、暗闇の中で互いの身体がぴったりと密着したまま息を殺す羽目に陥っている。見えないのが幸いだがキャスに至っては大股開きである。これはなんだかいけない事のような気がするのだ。
 今こんなにも胸がドキドキしているのは「リフィアや他の誰かに見つかるかもしれない」というスリルからではないのだろう。子供のころ、母親に「家族以外の男性と二人きりになってはいけませんよ」と言われた理由が、今、ようやく分かってきたような気がした。
「あのっ、で、でも……」
「静かに」
 どこに何があるのか分からない状態で体勢を変えるのは良くないのだろう。物音を立ててしまうかもしれない。でも。
「で、でも……」
 足の間に何か、硬くて熱いものが当たっているのだ。初めはグレンの腰骨かと思ったが、ちょっと違うのではないかと気づいたキャスだ。これは。これは……。
「でも、こ、これ……」
「……ごめん」

 グレンの発した謝罪の言葉に、キャスは確信した。
 自分の足の間に押し付けられているもの。これは、「ストロー」だ。
 男の人には、自前のストローがついていたのだ!
 おしっこをするところ……子種が出る場所は、ストローでもあった。
 今、「よいしょ」の方法が分かった気がする!!

「あ、あわ! あわわわわ……」
 真理の発見に、思わず声がうわずった。
 しかも、彼のストローが当たっている場所が妙に疼いている。
「キャスリーン。ちょっと、静かにしてくれないかな」
 彼もこの体勢はまずいと思っているのだろうか。でもグレンが少し身体を動かしたせいで、熱くて硬いものは、ますますキャスに押し付けられる形になる。感じていた微かな疼きは、痛みにも快感にも似た刺激となった。
「んう!」
「静かに……!」
 また妙な声が出たと思った途端、キャスの唇は何か柔らかいものによって塞がれた。



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