愚者の聖域

Canaan

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第2章 Eureka!!

09.我ら、発見せり! 2

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 書物の束を四つほど調べ、五つ目の束に手を掛けた。
 この束の検分が終わったら幌馬車から降りて外の空気を吸おうと決めつつ、紐を解いてバラバラにする。そこでキャスは手を止めた。
 傷み具合、色の褪せ具合に見覚えのある革表紙のものが目に入ったからだ。

 ハッと息を吸い込み、明るいところで確かめるために外に出る。
 表紙には「ダイアリー」と記されていた。震える指でページを捲ると、そこには曾祖母の文字が並んでいた。
「あっ……あわぁ、あっ、ああっ」
 あった。そう叫ぼうとしたのだが胸はいっぱいだし頭は真っ白だしで、上手く言葉にならない。
「……どうしたの」
 グレンも外に出てきたので、キャスは口をぱくぱくさせながらたった今見つけたものを掲げた。彼の表情もさっと変わる。
 一緒に中身をざっと見てみると、息子が結婚したことや、孫が生まれたことも書かれている。最後の方では夫が亡くなり、まもなく自分も夫のところへ行くだろうと、そういったことが記されていた。
「これが最後の日記ということかしら……」
「たぶん。……背表紙の中身は?」
 そうだ。それが重要である。今ここで取り出す術はないが、確認するだけならば簡単だ。キャスは本を広げて、浮いた背表紙の隙間を覗いてみる。
「何か……詰まってるように見えるわ」
 そう言ってグレンに日記を渡すと、彼も同じことをして「うん」と頷いた。



 王都の古物商にお礼を言って、別れを告げる。
 幌馬車が見えなくなっても、キャスは立ち尽くしていた。早くどこか落ち着ける場所に行って、中身を確認したいのは山々なのだが、まずは気持ちを鎮める必要がある。奇声をあげてはしゃぎ倒してしまいそうなのだ。背表紙の中身が読み取れなかった場合とか、そういった悪いことも想定しつつ、深呼吸を繰り返した。

 やがて幌馬車の消えた方角から別の馬車がやって来るのが見えた。
 あの馬車が通り過ぎたら自分たちも街へ戻ろうと決め、街道脇の岩に座って馬車が通り過ぎるのを待つ。
 すると、その馬車はキャスたちのいる所で止まった。
 窓が開いて、上品そうな金髪の男性が顔を出す。
「何かお困りですか? もしかして、妹さんの具合が悪いとか?」
 こんなところで座り込んでいるから、トラブル発生だと思われたようだ。しかもやっぱり自分はグレンの妹だと思われている。親切な男性に「いいえ、大丈夫です」と返事をしようとした時、
「あっ、オリヴィエさん……?」
 グレンが言った。なんと、知り合いらしい。
 ではオリヴィエさんとやらは、王都の人なのだろうか。それとも、ルルザで過ごしていた子供時代の知り合いなのだろうか。
「あれ? もしかしてグレン君!?」
 オリヴィエと呼ばれた男性がグレンの名を叫ぶ。その一瞬後に、馬車の中から別の声が聞こえた。
「……グレンだって?」
 驚いたことに、オリヴィエの同行者までグレンを知っているようだ。馬車の扉が開いて、オリヴィエが降りてくる。続いて、グレンと同じような色合いの、薄茶の髪をした男性も降りてきた。グレンの知り合いならば当たり前かもしれないが、どちらも身なりが良い。
「グレンではないか。驚いたな……こんなところで会うとは」
 グレンの姿を確認した薄茶の髪の男性は、しみじみと言う。
 キャスはその男性とグレンを見比べた。二人はなんだか似ているのだ。顔貌もだが、放つ雰囲気も。血縁関係があるのではないだろうかとキャスは思った。
「……ヒューイ。どうしてここに」
 グレンはやや呆然と、薄茶の髪色の男性……ヒューイを見つめていた。



 街に戻ったキャスはアンドリューと合流した後、宿屋「月の果実」の客室にいた。

「僕はルルザの学校の視察にやって来た。いくつか講演を行う予定もある。オリヴィエ殿もルルザの街に用事があると言うので、一緒に旅をしてきた。二、三週間ほどの滞在になる見込みだ」
 ヒューイ・バークレイはグレンの従兄で、普段は王都に住んでいるらしい。なんと子爵だという。
 ということは、グレンは子爵家の血を引いていることになる。
 そりゃあ貴族でもない没落した家の貧乏娘なんか、「お遊び」程度にしかならないよなあ……と、キャスは改めて思う。

 そしてオリヴィエ・グラックは王都で美術店を営んでいるらしい。彼の妻とヒューイの妻は仲が良く、家族ぐるみの付き合いをしていると言った。
 ルルザに用事があるというのは、自分のお店のこと……つまり、美術品の取引か何かのようだ。
 ヒューイとオリヴィエの二人は、ルルザにいる間はこの「月の果実」に滞在するつもりだとも言った。

 ヒューイ・バークレイは、硬い表情やその口調から、厳しい人間性が窺えた。だが彼がグレンを見つめた時、ふとその厳しさが和らいだ気がした。
「グレン……暫く見ない間に、ずいぶんと大人の表情になったな」
「そんな。たぶん、気のせいだよ」
「仕事の方はどうだ。慣れたか」
「うん……」
 一方でグレンの放つ雰囲気が、なんだか幼くなった気がした。
 彼らはいとこ同士だというけれど、きっとそれだけでは表せない関係なのだろう。でも、兄と弟、父と子……そういうものとも違う気がした。

「さて。君たちは何か作業があるのだったな。こちらの部屋を使いたまえ」
 ヒューイはそう言うと、大きな窓とテーブルのある豪華な部屋を、キャスたちに明け渡してくれた。
 キャスとしてはゆっくりじっくりと日記を調べるために、一刻も早く家に帰りたかったのだが、これまでの経緯からしてグレンがいないと調査が進まない可能性もある。しかしグレンはグレンで従兄と積もる話があるのかもしれないし、どうしたものかと考えていると、「月の果実」の部屋を使えばよいとヒューイ、オリヴィエの二人が申し出てくれたのだ。彼らは王都を出る前に、予約という形でこの宿の部屋を押さえていたらしい。
 この宿屋はキャスの家よりもずっとルルザ大聖堂に近い。夕方から仕事があるグレンの移動も楽になるので、ヒューイの提案はとても良い考えに思えた。



 借りた部屋の中には数種類の酒壜が置いてあった。宿泊客が気軽に調合して飲むためのものらしい。背表紙の中のものを取り出すのには、そこにあったマドラーを使った。
 そして出てきた紙を慎重に広げる。

 ”ネドシアから持ち込んだ財産の一部。それから、この国にやって来てから増やしたものの一部。合わせるとかなりの額になった。これを私と夫で守って行こうと思う。子孫たちがそれを必要とするまで、私と夫の間で、ずっと。J-10。”

 紙には曾祖母の文字でそう書かれていた。さっそく「Jの10」に値する場所を調べてみると、そこは地図の端の方に近い場所で、ルルザの街の外であった。
「ここって……湖の他に何かあった?」
 地図を指さしながらグレンが考え込む。そのエリアには、小さな湖──大きな池と呼ぶ人もいる──しか確認できないのだ。
 キャスも考え込んだ。小さな湖があることは知っているけれど……何かの目印になりそうな建物なんてあっただろうか。ひょっとしたら、地面のどこかに埋まっているだけなのでは。考えたくはないが、水の底に沈んでいるのでは。途方もない作業を想像してしまい、気が遠くなりかけた。

 すると、アンドリューがガタッと音を立てて立ち上がった。
「ああああ! 分かった!! お墓だよ、お墓!」
「お墓?」
 キャスの両親は確かに墓地で眠っているが、墓地はメモが示すエリアにはない。
「だから、ひいおばあちゃんたちの墓地だって! 一回だけ行ったことがあるの覚えてる! だって俺、ボートに乗れて嬉しかったから覚えてるんだ! 姉さんは覚えてないの?」
「ボート……」
 それを言われたら、これまで思い出しもしなかった記憶がいきなり引っ張り出された。子供のころ、両親と一緒にボートに乗ったことがあった。湖の真ん中に浮かぶ小さな島を目指して。父がボートを漕いで、母はアンドリューが身を乗り出したがるので彼を捕まえていた。その間、キャスは母から大きな花束を預かって……。
「あっ……ああああ!」
 一度思い出したら、どんどん記憶が溢れ出してくる。
 キャスは四、五歳で、ボートに乗って何をしに行くかなんて深く考えちゃいなかった。でも、あの花束はお墓に供えるためのものだったのだ。
 両親と祖父母の墓地は別の場所にあるから「墓地」と言われてもピンと来なかったが、「ボート」でようやく繋がった。

「なるほど……建物や土地よりもずっと動かし難いものだ。何かを埋めて保管しておくには、絶好の場所かもしれないな」
 グレンが頷きながら呟いた。
 しかし、あることに気づくとキャスの興奮は瞬く間に鎮まった。
「もしかして……私たち、お墓を暴かなくちゃいけないの……?」
「いや……『私と夫の間で、ずっと』ってことは、二人の棺の間に埋めてあるんじゃないかな」
「あっ。それも、そうよね」
「この湖の墓地がどんなものなのか、ぼくは見たことがないけど……でも、そういうことだと思う」
 というか、キャスもそう思いたい。子孫が掘り起こすこと前提で埋めたのだとしても、お墓そのものを暴くのは抵抗があるからだ。

 でも、探し求めていた財産が眠る場所はこれで分かった。街の外にある、小さな湖の真ん中に浮かぶ島。曽祖父母の墓地。どうして祖父母や両親の墓地とは別の場所にあるのか、それは分からないが、とにかくそこに埋まっているらしい。ここまで判明したら、後は掘り起こす作業である。
 島へ渡るのにボートが必要になる訳だが、キャスもアンドリューも、両親がどうやってボートを手配したのかは覚えていなかった。両親たちが自分で手配したのか、それとも湖畔に貸しボート屋があるのか。
 それから墓守はいるのか。いるのだったら、たとえ夜中だとしても発掘は難しいし、昼間に行うとしても湖を渡る墓参りの人間は普段どれくらいいるのか、彼らの目を盗んで作業することはできるのか……そういった調査が必要になってくる。
「私たち、ジェレマイアおじさまにも聞いてみるわ」
 叔父ならば、キャスたちが覚えていないことを知っているかもしれない。次回の会合までに各々が湖の墓地について調べておこうと決めたところで、解散することにした。



 ヒューイが使わせてくれたのは、続き部屋になっている二つの部屋の、奥の方だった。使わせてもらった部屋を出ると、手前の部屋ではヒューイとオリヴィエが何やら話し込んでいる。オリヴィエは額縁を手に持って、難しい顔をしていた。
「子爵様、オリヴィエ様。お部屋を貸してくださって有難うございました」
 取り込み中らしいので簡潔に礼を言って宿を出ようとすると、アンドリューが「あれ?」と言って足を止めた。オリヴィエの持っている額縁の中身に興味があるらしい。アンドリューは美術学校に通っていたし、オリヴィエは美術商である。二人には大きな共通点があるのだ。

「おや。この絵が気に入ったのかい?」
 アンドリューが見入っていることに気づいて、オリヴィエはふわっと微笑んだ。
「あ。え、ええ。その絵って……ショーン・ケンジットの『夕暮れの礼拝堂』ですよね……」
 普段ははきはきと喋るアンドリューだが、今はなんだか物怖じしているように見えた。「夕暮れの礼拝堂」とやらはすごく有名な絵なのだろうか。それで畏れ多いのだろうか。キャスが不思議に思っていると、オリヴィエの顔から笑みが消えた。
「ショーン・ケンジットの『夕暮れの礼拝堂』……うん。そういうことになっているんだけどね。実はこの絵、贋作かもしれないんだ」
 オリヴィエ・グラックは数か月前にこの絵を購入した。そして自分の店に並べていると、購入を希望する人間が数人いた。彼は競りにかけるかどうかを検討し始めた。が、店にやって来た客の一人が言った。「つい最近、ルルザの美術館でまったく同じ絵を見たことがある。どちらかが偽物なのではないか」と。
「私はこの絵をウィンドールの街の業者から買ったんだけれど、その業者もまた、ルルザの業者から買ったという話なんだ。それで、ちょっとルルザで調査をしてみようと思ってね」
「が、贋作、ですか」
「うん。あまり信じたくはないんだけれど、確かめなくてはいけないからね」
「そ、そうなんですか……」
 アンドリューも動揺しているようだが、キャスも驚いた。贋作──自分たちの作った日記の複製品も贋作になるのかもしれないが、もっと大きなお金が動く有名なもの──なんて、小説や芝居での出来事だと思い込んでいたから、現実においてそんな問題が起こるとは思っていなかったのだ。



 グレンたちに別れを告げ、アンドリューと二人で家に向かう。弟は俯いたまま無言であった。隠し財産の在処がはっきりしそうになったことで、キャスも驚きと動揺を隠せない。だから弟が無口なのも頷ける。そう思っていた。家に到着するまでは。

「姉さん」
 家の中に入り、玄関の鍵を閉めたところでアンドリューがやっと口を開く。
「まずは、何か温かいものを飲みましょうか。私も、落ち着いて話せそうにないから」
 キッチンに向かおうとすると、アンドリューに手を引っ張られた。
「……アンドリュー?」
「姉さん。さっきの絵のことだけど。オリヴィエさんが持ってたやつ……」
「ああ、『礼拝堂のなんとか』?」
「『夕暮れの礼拝堂』だよ」
「そうそう、それ! 贋作かもしれないなんて、びっくりよね」
「あれ、贋作だよ」
「……え?」
「オリヴィエさんの持ってた方が偽物」
「……。」
 アンドリューは美術をやっていたから、真贋を見極める術にも長けているのだろうか……ふと思ったが、でも彼の表情は切羽詰まっている。
「あれ、俺が描いた絵なんだ」
「は?」
「三年くらい前……学生の頃、課題で描いたんだよ」
「え? え……? どういうこと?」
「俺にもさっぱりだ!」

 アンドリューは課題で『夕暮れの礼拝堂』の模写をした。普段は美術館に置いてある絵画だが、課題のために学校が一定期間だけ借りたものらしい。
 彼は作者であるショーン・ケンジットのサインまでそっくりに描く自信があったが、さすがにそれはやめておいたという。
「オリヴィエさんの持っていた絵には、ケンジットのサインがあった。誰かが俺の描いた絵に描き足したんだと思う。贋作っていうのはさ、大抵は……画風を真似たものなんだよ。とっくに死んじゃった有名な画家のタッチを真似て、『あの有名画家の未発表作です!』ってでっちあげるんだ。でも、俺は……俺の課題は寸分違わず描けた自信があった。ケンジットのサインまで真似て描いてたら、本当にどっちが本物か気付く人はまずいなかったと思う」
「ちょ、ちょっと待ってよ。あの絵、本当にあんたが描いたものなの?」
「うん。自分が描いたものだって、わかるんだ。自分が描いたからこそ、わかる」
 アンドリューには、模写や模造の才能がある。一から創造するのはてんでダメなのだが、手本さえあれば何でもそっくりに真似することが出来た。だからこそ、自身の作品かそうでないかも瞬時に分かってしまうらしい。
「それって、まさか、美術学校の先生があんたの作品に手を加えて、絵を売ったってこと……?」
「いや……あの課題……返却されたような……あれ? どうだったかな……」
 彼の記憶はおぼろげだ。でも、致し方ないことだ。その課題を終えた時期に、疫病がルルザの街を襲い、両親が亡くなっているからだ。キャスも自分がどうやってあの時期を乗り切ったのか、よく覚えていないのだから。

 ただ確実なのは、誰かがアンドリューの絵にサインを描き足し、「課題」を「贋作」に変えた。そしてまっとうとはとても言えないやり方で儲けを出したのだ。


*


 キャスリーンたちを見送った後で、グレンも宿を出る準備をする。
「さっそく友人が出来たのだな。安心したぞ」
 上着のボタンを留めていると、ヒューイが言った。彼はアンドリューとキャスリーンのことを言っているのだ。職場の外でグレンに友人が出来たことを。
「うん……」
「しかし、君が異性の友人を作るのは珍しいな」
「……彼女は、」
 グレンはそこで言葉を切った。
 アンドリューのことは好きだ。裏表がないし話しやすい、気のいい男だと思う。でも、キャスリーンはどうなのだろう。「知り合い」に留めておくには彼女のことを知り過ぎたし、かといって「友人」と呼ぶのは……なんだか違う気がした。



(第2章 Eureka!! 了)


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