愚者の聖域

Canaan

文字の大きさ
上 下
20 / 29
第3章 Nameless Hero

01.湖の墓地へ

しおりを挟む


 ルルザの街の外にある湖の墓地。
 大きな花束を抱えてボートに乗った、キャスの朧げな記憶。
 この墓地について調べているうちに、分かってきたことがある。

 曽祖父母はルルザに居を構えてわりと早いうちに、この墓地を……自分たちの棺を埋める場所を購入していたらしい。
 なんでも、湖の真ん中に浮かぶ島、そこにある静かな墓地は当時人気を博したのだとか。しかし、静かなだけに場所が不便過ぎた。墓地ができた当初はちゃんとした渡船場などもあったのだが、墓参り客は年々減っていき、寂れてしまった。静かな場所は、淋しい場所にもなってしまった。
 墓地は他にもあるのだから、わざわざ不便で淋しい場所で眠りにつきたいと思う人間も殆どいなくなり、新しく墓が作られることも無くなってしまったらしい。
 墓参りの人間が減ったせいで渡し船のシステムも廃止され、湖の墓地を訪れるには自分でボートを手配しなくてはなくなった。そして、ますます訪れる人間がいなくなった……そういうことだった。

 さらに廃れた墓地は、密輸団が品物を隠したり会合したりする場所にうってつけだった。犯罪行為に使われることが多くなったため、一時期墓地は封鎖され、面倒な手続きを行わなくては墓参りも出来なくなってしまったのだ。
 封鎖が解除されたのはほんの数年前。ルルザの街周辺で暗躍していた密輸組織の親玉が、やっと捕まったからであった。しかし封鎖が解除されても、墓地は最盛期のような賑わいを見せることはすでになかった。



「本当に貸してもらってもいいの?」
「ああ。小さなボートでも良ければ、使ってもいいという話だった」
「ええ。真ん中の島まで行けたら、小さくたって構わないわ!」

 キャスとアンドリューはジェレマイア・ミルトン叔父の家を訪れていた。
 高級住宅街の一角にある三階建ての屋敷だが、叔父は殆どの区画を封鎖して、ほんの数人だけ使用人を雇って暮らしている。叔父は投資の他、いくつかのビジネスに手を出しているが、そんなに余裕がある訳ではないらしい。だがあまりみすぼらしい住まいだと、信用度が落ちて仕事のチャンスを逃してしまうかもしれない。そういう理由から、ちょっとばかり見栄を張って暮らしているのだ。
 周囲に見栄を張って暮らしているのはキャスとアンドリューも同じだ。でも、隠し財産を見つけることが出来たら見栄を張る必要なんてなくなるし、叔父にもこれまで協力してもらった分のお礼をしたいと思っている。

 三冊目の日記が見つかったこと。曽祖父母の墓地に財宝が埋まっているであろうこと。その墓地に向かう手段が欲しいこと。それらを叔父に告げると、彼はさっそくボートを手配してくれた。叔父の友人が所有するボートで、やはりその人の亡くなった家族も湖の墓地に眠っているらしい。わりと頻繁に足を運ぶのでボートを購入したという話だが、墓参り用のボートを用意できるなんて、叔父の友人はそれなりに裕福な人なのだろう。
「ほら。これが鍵だよ。西側の桟橋に鎖で繋いであるという話だ」
「まあ! もう鍵を借りてくださったの!? 有難う!」
 キャスは叔父の差し出した錠前の鍵を受け取り、何度もお礼を言ってミルトン邸を後にした。



 自分たちの家に着いた後は、テーブルの上に日記と地図を広げて今後の相談である。
「これで湖の墓地へ行くことが出来るわ! 小さなボートだと言っていたけれど……」
 自分とアンドリューとグレン、三人が乗って、さらに掘り出したお宝を積み込む余裕はあるのだろうか。一度で済めばよいのだが……お宝の量や大きさによっては二度、三度と往復しなくてはいけないかもしれない。いやいや、お宝はたくさんあるに越したことはない。何度でも往復してやろうではないか。
「あとは、グレン様の予定を聞いて、日時の相談もしなくてはね! ね、アンドリュー、聞いてる?」
「うん……」
 ここのところ、アンドリューは言葉少なだ。
 でも無理もない。課題で行った模写が、贋作として出回っていたのだから。
 このことは、今のところキャスとアンドリューだけの秘密だ。贋作をつかまされたオリヴィエ・グラックに伝えるべきかどうか、自分たちだけでは判断ができないのだ。
 でも、調査が進んでアンドリューが描いたものだと突き止められてしまう前に、白状した方が良いのだろうか。「贋作」を作ったつもりは全くなかったのだと、アンドリューの意志を他所に出回ってしまったものだと信じて貰えるのだろうか?
 アンドリューが法廷に引っ張られていったり、地下牢に放り込まれたりしたらと思うと、やはりオリヴィエに言い出すことはできなかった。
「おじさまに相談してみればよかったかしら」
 彼ならば、こういった場合──アンドリューの絵が意図せぬところで贋作として扱われている場合──の身の処し方を知っているかもしれない。



 グレンの休日を確かめた後は、暗くなってから掘り起こし作業を行うことに決めて、キャスはそわそわとしながら決行の日を待った。
 曾祖母たちが墓地に財産を埋めてから何十年も経過しているのは分かっている。あと数日埋まったままだとしても、何かが変わる訳ではないとも知っている。でも、早く確かめたくて仕方がなかった。

 当日、残念ながらアンドリューは夜遅くまで仕事が入っていた。
 しかし借りられるのは小さなボートだから、人数は少ない方が良いのかもしれない。
 キャスは動きやすくて丈夫なシャツを身に着け、ぴったりした革のズボンを穿いた。男装ともいえるこういった服装は、女学校の運動の時間以来だ。
 自分の姿を鏡に映して確認してみたが、尻や足の形がはっきり出てしまう服装というのはどうも落ち着かない。キャスはズボンの中からシャツの裾を引き出した。こうすれば取り敢えずはお尻が隠せる。ウエスト部分をサッシュベルトで引き絞ると、冒険小説の登場人物のような格好になった。最後に、焦げ茶色のくるくるした髪の毛をバンダナで一本に縛る。
「これでよし……と」
 自分の姿にうんうんと頷きながら、今度は持ち物の確認に入った。
「手袋とロープと、シャベルでしょ。それから、ランプと……」

 家の外に出て用意した持ち物を小さな荷車に積み込んでいるところに、グレンが現れた。
「その格好……」
 彼はキャスの全身を見つめ、何かもの言いたげな表情になったくせに最後まで言わなかった。キャスもまた自分の姿を見下ろし──といっても、そこには胸のふくらみがあるだけなのだが──この格好はダメだっただろうかと考えた。
「動きやすさ重視で選んだんだけど……ダメだった?」
 お尻は隠れているが、足はほぼ全体が見えている。グレンからしたら、これは品のない服装なのだろうか。
「いや、そういうことじゃなくて……君のそういう格好は初めて見たから」
「あっ、そうよね! こういうの、私も女学校の時以来だもの」
 ずっとしまったままだったがこうして使う機会があったのだから、前に住んでいた家から引っ越す時に捨ててしまわなくてよかった、というような事を続けると、
「……そういうことでもないんだけど」
 彼はそう呟いて、唇を引き結んでしまった。
 じゃあ何なのよ。と問い詰めたくなったが、そんなことをしたら彼はますます押し黙りそうだ。
 そこでふと気づく。彼はもともとお喋りでもないし自分の心の内を率直に口にするタイプでもないようだが……こんなに面倒くさい人だったっけ? と。そして「じゃあ何なのよ」と問い詰めたいのにそれができない自分も、こんなに面倒くさい人間だったっけ? と。
 それから最後の日記を発見したことによりうやむやになっていたが、調理台の上でグレンと及んだ行為を思い出した。ケネス──もう、この名前を思い出すだけで気持ちが悪い──に襲われそうになってパニックに陥っていたとはいえ、よくもグレンに「同じことをやってみて」などと言えたものだ。
 またあんな状況になったら止められる自信はないし、その前に、彼に「やって」と申し出る勇気は、キャスの中にはもうない気がした。彼のお遊びの相手に立候補するつもりはないし、なにより、断られた時のことを思うと、物凄く傷つきそうな気がしたからだ。
「……?」
 でも、どうして傷つくんだろう? と、自分の気持ちに戸惑っていると、グレンが荷車を指さした。
「荷車なんて持ってたの」
「ええ。おじさまのところから借りてきたの」
 発掘作業に必要な道具を運ぶためでもあるし、掘り起こしたお宝を持ち帰るためでもある。何よりグレンとの間に新しい話題が生まれたのが有難い。
「……おじさんは随分と協力的なんだね」
「ええ! でも、おじさまは隠し財産の話は信じちゃいなかったのよ。私とアンドリューが夢中になってるから、初めのうちは呆れながら付き合ってくれていただけみたい。財産の話が信憑性を帯びてきて、一番驚いているのはおじさまだったりしてね」
「そうなんだ。そうかもしれないね」
 叔父についての話をしながら荷物の最終確認をし、キャスたちは湖へ向けて出発した。



 湖の傍には朽ちかけた小さな建物があった。看板が掲げられていた形跡はあるから、一般の民家ではない筈だ。
「たぶん、ボートの管理小屋……だったんじゃないかな」
 現在桟橋に括りつけられているボートは個人所有のものだけだが、人の行き来が盛んだった頃、墓参りの客たちを島まで送り届けたり、彼らにボートを貸したり、そういった商売が成り立っていたはずだからとグレンは言った。

 叔父の友人が所持するボートは西側の桟橋に繋いであるという話だった。桟橋を歩きながら目当てのボートを探す。
 桟橋に並んだボートは、いくつかは水が入って沈みかけていた。墓参りのために買って用意したはいいが、結局足が遠のいて維持できなくなってしまったのだろう。手入れされることのないボートはそのまま朽ちて水が入ってしまったのだ。
「わあ、もったいない……」
「本当だ。辺鄙な場所だから足が遠のくのも分かるけど……でも、もったいないな……『ヨーク商会』、あった。これだ」
 グレンは「ヨーク商会」とタグが付けてある錠前のところでしゃがみ込んだ。ボートの所有者の会社名なのだろう。比較的新しいボートで、錠前も錆び付いてはおらずピカピカだった。こまめな手入れを行っているのだと窺えた。鍵を差し込むと、それはすんなりと回転して錠前が開く。
 ボートに乗り込むと体重差のせいかグレンの側が沈んで斜めになったので、シャベルやら何やらをキャスの方において何とかバランスをとった。

 湖の小島には申し訳程度の桟橋が設置されており、乗ってきたボートはそこにつないだ。
 島に降り立つとすぐのところにボロボロのアーチがあって、それをくぐれば墓地となる。
 キャスがここを訪れたのは十年以上前のことで、父親に手を引かれて芝生の上を歩いたことをぼんやりと覚えている。昼間だったし、墓参りの意味をよく分かっていなかったうえ、あの頃は墓地の手入れもまめにされていたのだと思う。子供だったキャスは、訪れた場所を薄気味悪いとは感じなかった。
 しかし今は日が暮れていて、草木はぼうぼうに茂っていた。おまけにここは殆ど顧みられない墓地だということを、二十一歳のキャスは理解している。
 見上げると、生い茂った樹木が影絵みたいに星空の中に浮かび上がっていた。生温かい風が吹いて、葉っぱがざわざわと揺れる。
「……。」
 自分は今からここに入らなくてはならない。曽祖父母のものとはいえ、彼らの棺の間をザックザックと掘り進めなくてはならないのだ。そう考えたら、背中の骨がぶるっと震えた。
 挙句、後ろの方でガランと大きな音がしたので、キャスは飛び上がった。
「ひええ!」
「ごめん。シャベル落とした」
 驚いた。心臓がバクバクいっている。しかも今の自分は恐怖に顔をひきつらせているだろう。

 シャベルを拾い上げたグレンは、そこでキャスの様子に気付いたらしい。彼は弱い者いじめをする悪ガキのような表情になった。
「あれ……もしかして、怖いの」
「な! ま、まままさか、そんな訳ないでしょう! わ、わわ私は大人なんですからね。ゆゆ、幽霊とかは信じません!」
「……幽霊、信じてるんだ」
「ですから、私は幽霊なんて、」
 信じていないと言っているでしょう。そう続けたかったのだが、キャスは悲鳴を上げてしまった。肩に何かがパサっと触れたからだ。
「ウギャアアア! い、いやっ! 何!? 取って、取ってぇええ!」
 肩に乗ったものを払いのけたかったが、「この世のものでない何か」かもしれないので手で触れるのは怖かった。キャスは身体を捩りながら「それ」を振り落とそうと試み、慌てるあまり足がもつれて転びそうになった。
「ごめん」
 グレンがキャスの腕を支え、肩に乗っていたものを摘んだ。それは家から持ってきた革の手袋だった。どうやら彼がふざけて乗せたらしかった。
「そんなに驚くと思わなかった。ごめん」
「な、なっ……」
 グレン・バークレイは出会った当初からキャスをからかったりしてはいたが、まさか……まさか、ここまで子供じみた真似をするとは。
「貴方ねえ!」
 グレンに向き直ったその時、胸元で「プツン」というくぐもった音が聞こえた気がした。それが何かを確かめる間もなく、グレンが頬を押さえた。
「つっ……!」
「えっ。な、何? どうしたの!? 歯が痛いの!? 大丈夫!?」
 こんな時に虫歯が痛み出したのだろうか。痛み止めの類も荷物に入れておけばよかった。そう思ったが、違った。グレンが屈み込んで、足元に落ちている小さなものを拾い、それをキャスに見せたのだ。
 それは、見覚えのあるボタンであった。というか、今日着ているシャツのボタンのような気がした。キャスは胸元を見る。胸のところがパカッと開いてしまっていた。
「こんな形で仕返しされると思わなかった……」
「あっ。や、やだ! なんでえ!?」
 さっきの小さな音は、ボタンがはじけ飛んだ音だったのだ。それがグレンの顔を直撃したらしい。
「なんでって……そのシャツ、サイズが合ってないんじゃないの」
 差し出されたボタンを受け取りはしたが、もちろん裁縫道具なんて持って来ていない。キャスは胸元を押さえて俯いた。

 このシャツは女学校時代、運動の時間に使うために作ったものだ。ちょっとばかり胸が窮屈かもしれないと気づいた時は卒業を控えており、あと二、三回しか着ないことが分かっていた。そして新しくシャツを用意するのに時間がかかることも分かっていた。胸に合わせると袖や肩幅がまったく合わなくなるし、その逆も然り。
 キャスの場合、既製品をちょっと直して着るというのが不可能だから、一から作ってもらわなくてはならない。一から作ったとしても着る機会が殆どないから、キャスはサイズの合わないシャツをそのまま卒業まで使うことにしたのである。
 今日になってこれを数年ぶりに着てみた時、やはり胸のあたりが窮屈な気はしていた。しかしそれは自分にはよくあることだし、前は窮屈なまま着ていたのだから、と勝手に納得していたが……たぶん、卒業してからも胸は成長を続けていたのだ。身長は十二、十三歳のころから伸びるのをやめてしまっているというのに。

「ぼくの上着、着る?」
 グレンが自分の着ているものを手で示す。
 だが、その上着の一番上のボタンは、彼の胸より下についている。貸してもらったところでキャスの胸が隠れる訳ではないから常にかき合わせておかなくてはならないし、袖を何度も何度も捲らなくてはならない。これから墓の間を掘るというのに、動きにくいったらない。
「ありがとう。でも、あんまり意味がないと思うの」
「まあ……そうだよね。あ。これはどう」
 グレンは屈み込んで、持ってきた荷物を漁り、袋の中から大きな布を引っ張り出した。掘り出したものによっては布で包まなくてはいけないかもしれないと、準備してきたものである。
 彼はその布を広げると、キャスに巻き付け、首のところで結んでくれた。
 確かにこれならはだけた胸を隠せる。が、今の自分は墓場でお化けの仮装をしている子供のように見えるのではないだろうか。ちょっと恥ずかしくなったが、でも胸が見えてしまう方が恥ずかしい。
「首、苦しくない?」
「え、ええ。ありがとう……」
 グレンの目にも滑稽な姿に映ったのだろうか。彼は何かもの言いたげな表情になったが、結局は何も言わなかった。
「へ、へんな恰好って思ってるんでしょ」
「思ってても言わないよ」
 つまり、思ってはいるらしい。

 彼は地面に置いてあった作業道具を持ち上げて抱えると、墓場の入口へ向かって歩き出した。そしてぼそりと呟いた。
「また、あんな仕返しされちゃ敵わない」
 別に仕返しのつもりでやった訳ではないが、そんなに痛かったのだろうか。キャスは不思議に思った。


*

 グレンが荷物を持ち、キャスリーンはランプを持って半歩前を歩いている。まるで、お化けの仮装をした子供みたいな彼女の姿をちらりと見ながら、グレンは思った。

 キャスリーン・メイトランドほど扱いに困る女性はいない。

 まず、彼女の服装だ。日が暮れる前キャスリーンの家に行くと、彼女は珍しく男がするような格好をしていた。それは別にいい。ボートに乗ったり穴を掘ったりするのによそ行きのドレスで来られちゃ迷惑だし、女騎士の稽古着だって似たような感じのものだから、男装自体は見慣れている。
 しかし、キャスリーンのシャツは今にもはち切れそうな状態であった。
 サイズが合っていないのではないか。そう思いはしたものの、キャスリーンほど胸の大きな女性が前をボタンで留めるような服を身に着けると、皆ああなるのだろうか、とも考えた。胸のところの生地が左右に引っ張られて、ボタンがなんとか耐えているような状態に。
 それが普通なのか、そうでないのかがグレンには判断ができなかったので、何も言わないことにしておいた。

 湖につくとだいぶ陽が落ちていて、島に到着する頃にはランプの灯りを頼りにしなくてはいけないほど暗くなっていた。キャスリーンの胸は、意識して見ようと思わなければ見えないくらいに目立たなくなっていたので、かろうじて耐えているように見えるボタンのことを、グレンはすっかり忘れていたのだ。
 ボタンのことを忘れていたグレンは、幽霊が怖いくせに強がりをいうキャスリーンを、つい、からかってみたくなってしまった。
 ちなみにこの時グレンが忘れていたのはボタンのことだけではない。「徒にキャスリーンをからかうと、何かとんでもないが起きる」ということである。

 案の定、強烈なしっぺ返しを食らった。
 闇の中で自分に向き直ったキャスリーンの胸のあたりが一瞬で白っぽくなったのだ。ボタンがはじけ飛んで肌と下着が露わになったのだと理解したと同時に、そのボタンはグレンの顔を直撃した。
 挙句、彼女は「歯が痛いのか」と言って心配そうにグレンの顔を覗き込もうとした。
 以前も似たようなことがあった。下半身の充血が治まらないグレンに向かって「お腹が痛いのか」と、彼女は訊ねてきたのだ。

 キャスリーンは本当に分かっていないし、だからこそたちが悪い。
 こういう時、いつものグレンならば。君、バカなんじゃないの? そう言って冷めた視線を浴びせ、当人とは距離を置いているはずだった。
 でもなぜかキャスリーンを突き放すことが出来ない。おかしい。いつもの自分はこんな風ではなかった。

 そこで初めてグレンは理解した。
 これ以上キャスリーンと一緒にいたら、自分はヒューイみたいになってしまうのではないか、ということを。


しおりを挟む

処理中です...