愚者の旅路

Canaan

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第3章 WILD CARD

03.ジェーンの婚約

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 ──今後は、僕のやり方でやらせてもらう

「遅い! 朝食は七時だと言ってあるだろう」
 ヒューイは手にした懐中時計と、二分ほど遅刻して食堂へやってきたロイドを見比べている。
「ごめんなさあい」
「謝罪は歯切れよく、遅刻してすみませんでした、だ」
「すみませんでした……」

 ジェーンはハラハラとしながら二人を見守っていた。ヒューイのやり方とは、なによりも先ずは時間厳守である。
 最初の朝こそはダラダラと食堂に現れるジェーンたちを、ヒューイはこめかみをピクピクさせながらも何も言わずにいてくれたが、双子の学校の手続きを済ませると、途端に厳しくなった。

「グレンは十分前には席につき、ジェーンが現れると立ち上がって彼女のために椅子を引いてやったぞ。ロイド、少しは弟を見習いたまえ」
「ヒュ、ヒューイ。あの、二人を比べるのは……」
 ジェーンが少し意見しようとすると、ヒューイはくわっと目を見開いた。
「君は弟たちに甘すぎる! どうせ今まで好き放題させていたんだろう。家長の言いつけを守れぬようでは立派な騎士にはなれないんだぞ」
「まあまあ、ヒューイ。朝からそんなに怒らなくても……」
「父上は黙っていてください!」
 ジェーンたちが王都のバークレイ家にやって来てから、朝はこのように気まずい空気の中で朝食をとっている。
 弟たちが学校へ通うのは来週からとなった。それまでの間に少しでも勉強をしろと、ヒューイは二人のために家庭教師を雇ってくれた。家庭教師が言うには、グレンはまったく問題ないが、ロイドはもう少し学力を上げなくては後々苦労することになるらしい。彼らを学校に通わせてもらえるのは非常に有難いが、ヒューイのやり方はものすごく息苦しい。傍から見ているジェーンがそう思うのだから、当事者である弟たちが心配である。

 しかも、勉強の時間以外は弟たちは運動をさせられている。ヒューイが昼休みを長めに取り、屋敷に帰ってきて二人を鍛えているのだ。勉強とは違って、グレンは身体を動かすことが得意ではない。すぐに息切れして休んでしまう。
「グレン。君はもっと体力をつけろ。まず、君は食が細い。たくさん食べてたくさん身体を動かすんだ。騎士となるには頭脳も必要だが、健康な身体が一番大事だからな」
「あの、ヒューイ……」
 グレンはぜえぜえと息を吐きながらヒューイを見上げる。
「どうした」
「ぼく、騎士じゃなくて、勉強して偉い人になりたいんだ」
「……なんだと。」

 彼らのやりとりを物陰から窺っていたジェーンは気が気ではない。あのヒューイのことだ、「騎士以外は認めん」などと怒鳴りつけて、グレンは引っ叩かれてしまうのでは……。ヒューイが腕を振り上げる素振りでも見えたら、飛び出していこうとジェーンは構えた。

「偉い人とは、具体的に何を指すのだ。学者か、それとも王宮で行政に携わるということか」
「……よく分からないけど、勉強して偉くなってお金を稼ぎたい。早く稼げるようになって、姉さんのこと助けてあげたいし」
「ジェーンのことなら君は心配しなくともよい。だが、そうだな……それでも稼ぎたいというのならば、学者はやめておけ。稼いでいるのはほんの一握りだ。そして王宮で文官をするにしても、騎士の称号は得ておいた方がいい。出世と昇給のスピードが上がるぞ」
「そうなんだ……」
「さらに爵位ある家の娘を娶れば盤石だな」
「……そ、そうなんだ……?」
「そうとも。この国でのし上がりたいのならば、まずは騎士になるための体力をつけたまえ」
「は、はい」
「……よろしい」

 ジェーンはホッとして顔を引っ込めた。
 ヒューイはいやな奴だけど、根っからの悪人というわけではないようだ。子供相手にあそこまで現実的な話をしなくても……とは思うが。
 同じ年頃の娘たちと違って、ジェーンは結婚に夢見てはいなかった。普通の娘たちのように色恋沙汰で騒いでみたいとは思っていたが、無理なことだと分かっていたからだ。姉弟三人だけの暮らしになる前……父親がお酒のせいで病んでしまって以来。
 仕事を辞めた父は、昼間から酒場に入り浸るか、家で酔っ払っている。物理的な暴力こそ振るわなかったが、急に怒鳴りだすこともあればいきなり泣き出したりもした。逆に妙に機嫌の良い時もあった。
 この国では、若い娘の将来はその父親の地位や職業によって大きく左右される。父親がこの状態では、自分には碌な仕事もまともな嫁ぎ先もないとジェーンには分かっていた。まして父が亡くなった時は職場を去って久しかったし、後見人になろうとしてくれる人間の伝手もすでに無かった。
 だから、ヒューイ・バークレイはジェーンの結婚相手としてかなりまともな男──人間性は別にして──と言えよう。王宮騎士で、立派な屋敷もある。衣食住の心配などしなくてよいし、何より弟たちに教育を受けさせてやれる。

「ジェーンお嬢様! ここにいらしたのですか!」
 神経質そうなキンキン声に振り向くと、そこには白髪をきっちりと結い上げた初老の女性が、腰に手を当てて厳しい表情で立っていた。
「あ、ご、ごめんなさい。ウィルクス夫人」
「午後から仕立て屋が来ると言ってありましたでしょう! 採寸の後は、歩き方のお稽古と、詩の朗読です!」
 ウィルクス夫人は、ジェーンがバークレイ家の名に恥じぬ淑女となるよう、ヒューイが呼び寄せた教育係である。
「えっ……仕立て屋さんが来るんですか。だって昨日も……」
 ジェーンは自分の着ているドレスのスカート部分に触れた。昨日も仕立て屋が来て、既製服をいくつか置いていった。簡単な寸法直しをして今身に着けているが、充分に上等なものだし、替えはまだ何着もある。
「まあ! それは間に合わせの既製服でしょう。良家の子女というものは、身体のサイズに合わせたドレスを一から作るものです。まず、布の色と素材! 自分を引きたてるもの、自分に似合うものを選び、身につける時と場合を考えて、何着も作っておくものですよ。いつまでも田舎娘の気分では困りますね!」
「ルルザはそんなに田舎じゃなかったですけど……」
「良家の子女は口答えしない!」
「は、はぁい……」
「返事は簡潔に、はい、でしょう!」
「はい……」

 この生活、いつまで続くのだろうか。
 なんか、息苦しいなあ……。
 ランサムの、あのゆるい感じが懐かしくなった。彼は剣術大会が終わったら王都から去ってしまうのだろう。きっと、故郷へ戻るのだ。
 弟たちを置いて彼に「私を連れて行って」など言えるわけがないし、そんな事を口走ったらランサムは怖気づくに違いない。そもそも自分はランサムにここから連れ出して欲しいというのだろうか。多分、ヒューイの元があまりに窮屈だから気持ちが弱くなってしまっているのだ……。
 伯父はヒューイから婚約の話を受けると驚いていたが、「お前たちの決めたことならば」と、その場では反対することは無かった。しかし、ヒューイとジェーン、互いに不本意な婚約である。まるで葬式の参列者のような表情をしたジェーン──それと、ヒューイ──から何かを感じ取ったに違いない。後になってこっそりとジェーンに「無理をしているのではないかね」と聞いてくれた。
 ヒューイと結婚なんてしたくないと訴えれば、伯父は頼みを聞いてくれるかもしれない。だがそれではジェーンは本格的にバークレイ家のお荷物的存在となってしまう。伯父は、妻と母親を立て続けに亡くし、ここ数年気落ちしたままだという。そんな彼にこれ以上の迷惑をかける訳にはいかない。
 それに、そう。ヒューイは自分の結婚相手としては上々過ぎる地位と立場の男ではないか……。自分に言い聞かせたが、なぜか嘘つきでいい加減なだめ男の顔がちらついた。
 ジェーンはウィルクス夫人にばれぬようこっそりとため息を吐き、とぼとぼと彼女の後についた。




「なあなあグレン。姉ちゃんがヒューイと結婚するって、ほんとなのか?」
 夕食の後、ロイドとグレンは家庭教師の置いていった課題に取り掛かったところだった。
「うん、そうなるみたいだね……」
 どうやら、二人はそうなってしまうらしいのだ。

 グレンは、大抵の人はいつか結婚するものだと思っている。グレンの中では姉も例外ではない。ルルザにいた頃、姉と恋人関係にある男性はいないようであったが、グレンとロイドが独り立ちしたら姉も結婚するのだと、漠然と思っていた。
 両親がおらず、自分たちには多大なハンデがあることをグレンは承知していた。兄はともかく自分は肉体労働では稼げそうにない。勉強して偉い人になって、社会的地位のある仕事に就いて、そのハンデを克服したいと思っていた。
 だから王都に伯父がいて、しかも裕福なのではないかという期待が生まれた時……同時に伯父を頼れば学校へ行かせてもらえるのかもしれないと思った。実際、グレンの見たところ、王都のバークレイ家はかなり裕福である。そこでグレンが今まで考えたこともなかった問題が持ち上がった。家柄。世間体。
 なんと、両親を亡くし、どこで何をしていたか分からぬ時期のある娘は、バークレイ家にとってお荷物的存在らしいのだ。
 貧しいながらも姉はまっとうに暮らしていた。自分たちの世話をしてくれた。それなのに、姉が一番苦労した時期が足枷となるという。親を亡くしたのも生家を追い出されたのも姉のせいではないのに。

「ええー。姉ちゃんが結婚かあー。なんかおれ、実感ってやつがあんまりないんだけど」
「うん、ぼくも……」
 ヒューイが姉と結婚を決めたのはバークレイ家のためだろう。それに対して姉が頷いたのは……自分たちのためだ。グレンとロイドを学校に通わせるため、弟二人の未来を拓くために。
「けどさあ。姉ちゃんって、ヒューイのこと好きなのかあ?」
 好き合った男女が結婚するのだと思っているロイドは、首を傾げながらインクペンをくるくると回した。
 姉とヒューイが好き合っている訳はない。バークレイ家と、グレンとロイドのための結婚なのだ。どう答えて良いか分からず、グレンは曖昧に言葉を濁した。
「さあ。ど、どうなのかな……」
「姉ちゃんとヒューイが結婚したら、ヒューイはおれたちの兄貴ってことになるんだろ」
「そうだね」
「おれ……兄貴はランサムがよかったなあ……」
 ロイドが肩を落とす。
 ランサム。ロイドは彼を慕っていた。もちろんグレンもだ。カナルヴィルの闘技場で庇ってもらったことは一生忘れないだろう。優しくて大らかで、なんだか……色々な意味で自由な人だった。一緒にいて居心地がよかった。ランサムがお兄さんになってくれたらなあと、グレンも思う。
 でも、ヒューイも悪い人ではない。彼はちょっと怖いが、グレンたちのことを考えて厳しくしてくれているのだし、とても向上心のある人だと思う。
 でも、結婚して夫となり、姉の事を守ってくれたらいいなあと思うのは……。

「あーあ。姉ちゃんとランサムが結婚してくんねえかなあー」
 ロイドは頭の後ろで手を組み、椅子に掛けた状態で仰け反った。
「ロイド……後でヒューイが進み具合を見に来るって言ってた。課題、ちゃんとやろうよ」
「げっ。おれ、ぜんぜん進んでねえー。グレン、お前の見せてよ」
「だ、だめだよ。ちゃんと、自分の力でやらないと……」
 ヒューイは厳しいが、ルルザにいた頃は高価すぎて手の出なかった書物や紙をふんだんに与えてくれる。それに家庭教師に任せきりにする事なく、グレンたちの勉強を見てくれる。そう、ヒューイは悪い人ではない。ないのだが……。
 学校は来週から始まる。まずはこの屋敷から通い、十三歳になったら寄宿舎へ入って、そこで騎士となるべく本格的な教養を身につけることになっている。
 学校へ通いたい。勉強して偉い人になりたい。思い描いていた未来は目の前に用意されているというのに、グレンも、無性にランサムが懐かしかった。


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