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第3章 WILD CARD
11.二人の旅路(最終話)
しおりを挟む──そして一年後、王都フェルビア近郊──
「ああ、王都の城壁が見えてきたよ、ジェーン」
「また去年みたいに城門では並ばなくちゃいけないのかしら」
「この馬車に乗っていれば大丈夫さ」
一年前、初めて王都にやって来た時は城門で身元のチェックが行われた。王都に入るためにたくさんの人が並んでいて、ジェーンはドキドキしながら自分の順番を待っていた筈だ。
しかし、今年はそんなことは無いとランサムは言う。
二人はソレンソン伯爵家の紋章が刻まれた馬車に乗っているので、それが何よりの身分の証明になるし、貴族の馬車は専用通路に案内してもらえるはずだと。平民として育ったジェーンとしては、それはそれで気後れしてしまうのだが、会いたい人たちがいるので早く街の中へ入りたいという気持ちもある。
一年前の剣術大会が終わったあと、ジェーンとランサムはモルディスに向かい、結婚した。
ランサムの父も母も、とても良くしてくれている。ジェーンは自分の出自──血筋ではなく、育ちの方──を気にした時期もあったが、義母となったヴァイオラは「王都で暮らして社交界にどっぷり浸かるのならばともかくとして、多くの時間を田舎の領地で過ごすのだから、気にすることは無い」と言う。
ジェーンは乗馬を覚え、ランサムと一緒に領地を回ったり、薬草を摘んできては城の兵士たちの怪我の手当てをしたり、とても充実した日々を送っている。
そしてランサムは、師匠のルドルフをモルディスに招いて剣の稽古を積極的に行った。それは、剣術大会に再び参加する為であった。
ルドルフ・アンテス男爵について、ジェーンはランサムから話を聞いてはいた。そして話の通り、風貌についてはどこかの洞窟から出てきた山男のようだったが、立ち居振る舞いは貫禄があって立派なものであった。
素人のジェーンが見てもルドルフの剣には迫力があって、稽古において、ランサムは常に追いかけ回されてこてんぱんにやられていた。
ジェーンが思うに、ルドルフは剣が強いからといって、教えるのが上手い訳ではないのだろう。まして少年時代のランサムは、サボり魔であったそうだから。
だが今回のランサムには目標がある。次の剣術大会では二回戦まで進んでみせる、と。目標が優勝や準優勝でないのは、もちろん謙虚さからではない。ランサムには単にそこまで進む自信が無いのだ。ランサムが稽古をしているのだから、前回優勝したヘインズ卿は二連覇を、ヒューイは次こその優勝を狙って、さらに腕を上げた状態で参加してくるに違いない。
「彼らと戦う事を思うと、緊張するなあ」
「もう? まだエントリーもしてないのに」
「ああ、一回戦で……いや、予選で無様に負けてしまったら、ジェーン。私はどうすれば」
「どうすればって。そうならないようにたくさん稽古したんでしょう」
縋る様に手を握られたが、ジェーンは軽く突き放した。
ランサムが無様に負けたとしても──その可能性は否定できないところがまた、何とも──それでランサムを嫌いになる訳ではないし、勝っても負けても強くても弱くても、ジェーンにとってはランサムは誰よりも素敵な夫……彼に呆れることは多々あるが、憎めなくて愛しいただ一人の男性だ。
「……どうしたんだい、ジェーン。私の顔に、何かついているのかい」
「いいえ、何でもないわ」
正直にそう告げてしまうと、彼は調子に乗ってしまうに違いないので、大会が終わるまでは黙っておこうとジェーンは決めている。
馬車は貴人用の入り口に通され、ランサムが門番からの質問に一つ二つ答えると、また進み出す。二人は『金獅子亭』に宿泊の予約をとってあるが、一番最初の目的地は西地区の三十八番地、バークレイ邸である。
二人の乗った馬車が屋敷の敷地内へ入ると、玄関から少年が二人、飛び出してくる。
「姉ちゃん、ランサム!」
「姉さん、ランサム!」
ロイドとグレンである。
「きゃあっ、二人とも大きくなったわね! 元気にしてた?」
ジェーンとランサムの結婚において、一つだけ思い通りにならなかったことがある。
ランサムはジェーンを弟たちと一緒にモルディスへ連れて行こうとしたが、それは叶わなかったのだ。伯父や従兄の反対があったからではない。
あの日──二人が『金獅子亭』で結ばれた日──、ランサムはジェーンと結婚したいと伯父のレジナルドに申し出た。その次に、双子たちにも。ランサムはロイドとグレンにモルディスでの快適な生活を約束してくれた。勉強を続けたいならば、街の学校へ通ってもいいし、家庭教師をつけてもいいと。
グレンはたっぷりと考えた後、なんと首を振ったのだ。王都の学校に通って、さらに上を目指したいからと。
彼の夢はたくさん勉強して偉い人になることである。王都の学校の、高度で良質な教育を受け続けたいと思っているらしかった。確かに、田舎の学校では同じようにはいかない。
ロイドは──モルディスに行く気満々であったようだが──グレンが残るならおれも、と言った。
こんな形で弟たちが自分の手を離れるとは思ってもみなかったので、ジェーンは愕然とした。しかし弟たちに教育を受けさせるのは、ジェーンの願いでもあったのだ。だめだとは言えなかった。
「おや。グレンはかなり背が伸びたようだね」
身長が伸びたのは二人ともなのだが、確かにグレンの方が少し大きい。すると、ロイドが唇を尖らせた。
「そうなんだよー。おれの方がいっぱい食べてんのにさあ。悔しいったらないぜ。グレン、お前まさか、隠れ食いとかしてないよなあ」
「し、してないよ。三か月くらい前から、急に伸び始めたんだ」
成長を見越して用意したはずの制服や靴もすぐに合わなくなって、伯父が新しいものを買ってくれたそうだ。
それに、なんとなくグレンの声が掠れている。たぶん、声変わりの時期を迎えたのだ。まさかグレンの方が先にそうなるとは。
十二歳となった二人は、今はこの屋敷から学校に通っている。そして十三になったら寄宿学校へ入り、そこで騎士を目指すことになるのだ。
「姉ちゃん、ランサム。中で伯父さんが待ってる。早く入ろうぜ」
「ヒューイも今日は早く帰って来るって言ってたよ」
弟たちはジェーンを屋敷の中へ招き入れた。弟たちと離れるにあたって、ヒューイの元でどうなることかと気を揉んでいたのだが、二人の目はきらきらしているし、髪や肌にも艶がある。手紙のやりとりはしているが、実際に見てみないと分からないことも多い。だが、どうやら、弟たちは幸せに暮らしているようだ。そのことにジェーンは安堵した。
その日はバークレイ邸で、みんな揃って夕食を食べた。
食事中にお喋りは良くないというのがヒューイの考えだが「今日だけは特別に許可する」と、相変わらずの上から目線で言った。賑やかで良いねと伯父は笑う。
そういえば、ジェーンが現れなければどこぞの令嬢にアプローチする筈だったという話であったが、ヒューイは未だに独身らしい。あの性格では、大抵の女の子は逃げ出してしまうのではないかとジェーンは思う。極悪人というわけではないが、尊大で感じが悪すぎる。せめてもうちょっと融通が利いて柔らかい雰囲気になれば、もてるかもしれないのに、と。もちろん口にはしなかったが。
大会当日。
ジェーンと双子、そして伯父は、前から三列目というかなり良い座席をとることが出来た。去年と同じように、試合の始まる前からすでに満席で、飲み物やお土産を売る人たちが、座席の間を練り歩いている。
離れた場所で行われている予選を勝ち抜いた者の名前が、大きな黒板のトーナメント表に順に書きこまれていった。そこに夫の名を発見し、ジェーンは弟たちと抱き合って歓声を上げる。ヘインズ卿の名も書きこまれ、去年の優勝者だということで観客たちが盛り上がった。ランサムと当たるとしたら、準々決勝の位置であったので、少しホッとする。かなり離れたところ──ランサムと当たるとしたら、決勝──に、ヒューイの名も記される。これには一応、予選勝ち抜けおめでとうと言っておいてやろう。心の中で。
舞台の上に進行役の騎士が現れて、大会の始まりを告げた。
「いい? ランサムが舞台に上がったら、せーの、でいくからね?」
ジェーンは弟二人に言い聞かせる。
この大会が終わったら、ジェーンとランサムは王都からさらに南下してヘインズ卿の領地を訪れることになっている。去年この大会を通じて知り合ったヘインズ卿とランサムは交誼を結び、度々手紙を交わしているのだ。
そこからモルディスへ戻るとなると、かなりの長旅になるが、ランサムと一緒にいろんなものを見て、いろんなことを話して。そう考えるとかなり楽しみだ。いつか……二人に子供が出来て、さらに孫にまで恵まれた頃、あの旅は楽しかったねと、振り返ることのできるようなものになればいいと思っている。
進行役が、ランサム・ソレンソンの登場を告げる。
彼がこちらを見つけられるよう、弟たちと一緒に大きな声で叫んだ。
「ランサム、頑張ってー!!」
ジェーンの、そしてランサムの二人の旅路は、まだまだ先へと続いている。
(愚者の旅路 了)
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