1 / 10
第一話
しおりを挟む
とある王国に、エリヴィラ王女という、もうすぐ二十二歳になる美しい姫がいました。
祖母である前の王太后リュドミラや兄王ラドヴァンに大層可愛がられ、この国一番の貴族カーブルト公爵家の嫡男メトジェイと婚約していたのですが——満月の夜、舞踏会の席でエリヴィラはメトジェイをぶん殴ってしまいました。
小さいながらも格式高いきらびやかなホールの隅、バルコニーの前には自分の頬を押さえるメトジェイが尻餅をついていました。
その真ん前で、エリヴィラは腕を組み、胸を張り、王女としてははしたないほど怒りの表情をあらわにして、メトジェイへと啖呵を切ります。
「見損なったわ、メトジェイ! あなたにこの国の一部でも任せることは言語道断、ましてや民や兵の命を預けることなど絶っっっ対に許されるべきことではありません!」
前髪に祖父譲りの黒髪を一房混じらせた金髪の王女は、その威圧感たるや周囲の大人たちも震え上がっているほどです。床に尻餅をついたままのメトジェイは、誰かに反抗されることが今まで一度もなかったのでしょう、泣きそうな顔をして訴えます。
「そ、そんなに怒ることはないだろう! エリヴィラ、君は何も分かっていないだけだ」
「何を分かっていないと? 私はあなたよりもずっと国内政治に詳しいし、外交使節の接待役を担うことさえあるわ! この王宮の差配に関しても口出しを許されています! だからこそ、あなたが……何人ものメイドに手をつけた挙句に妊娠していると分かれば家から放り出してしまうような甲斐性なしだと聞いた瞬間、ダメ男だと確信したのよ! ダメ男との婚約なんて破棄よ、破棄! 私があなたと結婚なんてして仕舞えば、将来の王女たちがダメ男と結婚してもいい前例になってしまうもの! 浮気、不倫、養育放棄、心当たりがあるのに認知拒否、そんなものは神の教え以前に人としてあってはならないことです! そのくらいのこと常識的にお分かりでしょうに、カーブルト公爵はどうしてお叱りにならないのかしら! ねえ皆さん!?」
ホールのそこかしこから「ああ……」「まったくだわ」「ねえあなた、ご自分のことですわよ」「私も昔やられたわねぇ」などとしみじみ実感が伴う声が上がります。紳士たちは目を逸らして口をつぐみ、淑女たちは夫や婚約者へ冷ややかな目線を送って、ついでに主催者の国王ラドヴァンも人知れず目を泳がせていました
このエリヴィラ王女、正しいのです。品行方正、才気煥発、才徳兼備、秀外恵中——その上で王女というきわめて高い身分を持っています。加えて、祖母譲りの人徳があり、若いながらも人を見る目も備わっており、兄王ラドヴァンでさえエリヴィラ王女の助言を無視することはできないほど、彼女は優秀かつ真っ当な人間です。
とはいえ。
「こ、この……そんなだから、君は二十二にもなって結婚していないんだろうに!」
メトジェイのこの発言が、エリヴィラ王女の触れてはいけない逆鱗にやすりをかけたのは言うまでもないことでしょう。
この国の貴族の子女は大抵、幼少時に家同士が婚約を決めるものです。そして学校卒業や家督を継ぐタイミングを見計らって結婚に至る。つまり十五、六から二十歳くらいの間に大半の貴族は結婚しています。
この場にいる誰もが、それはエリヴィラ王女へ言ってはいけない言葉だと瞬時に察知し、どうにかしてくれと国王ラドヴァンに目で縋ったのですが、遅すぎました。
国王が最初の一音を発する前に、エリヴィラ王女が近くのテーブルにあった十枚以上積まれた皿を両手で持ち上げ、メトジェイの頭の上から思いっきり振り下ろしました。
皿が次々とメトジェイの頭にぶつかって粉々になっていきます。不思議と悲鳴はどこからも上がらず、床へ倒れこんだメトジェイが気絶している間に、エリヴィラ王女はさっさとホールから出ていってしまいました。
この日の出来事は『満月の舞踏会事件』と呼ばれ、次の日の新聞の一面を飾る大事件となったのです。
祖母である前の王太后リュドミラや兄王ラドヴァンに大層可愛がられ、この国一番の貴族カーブルト公爵家の嫡男メトジェイと婚約していたのですが——満月の夜、舞踏会の席でエリヴィラはメトジェイをぶん殴ってしまいました。
小さいながらも格式高いきらびやかなホールの隅、バルコニーの前には自分の頬を押さえるメトジェイが尻餅をついていました。
その真ん前で、エリヴィラは腕を組み、胸を張り、王女としてははしたないほど怒りの表情をあらわにして、メトジェイへと啖呵を切ります。
「見損なったわ、メトジェイ! あなたにこの国の一部でも任せることは言語道断、ましてや民や兵の命を預けることなど絶っっっ対に許されるべきことではありません!」
前髪に祖父譲りの黒髪を一房混じらせた金髪の王女は、その威圧感たるや周囲の大人たちも震え上がっているほどです。床に尻餅をついたままのメトジェイは、誰かに反抗されることが今まで一度もなかったのでしょう、泣きそうな顔をして訴えます。
「そ、そんなに怒ることはないだろう! エリヴィラ、君は何も分かっていないだけだ」
「何を分かっていないと? 私はあなたよりもずっと国内政治に詳しいし、外交使節の接待役を担うことさえあるわ! この王宮の差配に関しても口出しを許されています! だからこそ、あなたが……何人ものメイドに手をつけた挙句に妊娠していると分かれば家から放り出してしまうような甲斐性なしだと聞いた瞬間、ダメ男だと確信したのよ! ダメ男との婚約なんて破棄よ、破棄! 私があなたと結婚なんてして仕舞えば、将来の王女たちがダメ男と結婚してもいい前例になってしまうもの! 浮気、不倫、養育放棄、心当たりがあるのに認知拒否、そんなものは神の教え以前に人としてあってはならないことです! そのくらいのこと常識的にお分かりでしょうに、カーブルト公爵はどうしてお叱りにならないのかしら! ねえ皆さん!?」
ホールのそこかしこから「ああ……」「まったくだわ」「ねえあなた、ご自分のことですわよ」「私も昔やられたわねぇ」などとしみじみ実感が伴う声が上がります。紳士たちは目を逸らして口をつぐみ、淑女たちは夫や婚約者へ冷ややかな目線を送って、ついでに主催者の国王ラドヴァンも人知れず目を泳がせていました
このエリヴィラ王女、正しいのです。品行方正、才気煥発、才徳兼備、秀外恵中——その上で王女というきわめて高い身分を持っています。加えて、祖母譲りの人徳があり、若いながらも人を見る目も備わっており、兄王ラドヴァンでさえエリヴィラ王女の助言を無視することはできないほど、彼女は優秀かつ真っ当な人間です。
とはいえ。
「こ、この……そんなだから、君は二十二にもなって結婚していないんだろうに!」
メトジェイのこの発言が、エリヴィラ王女の触れてはいけない逆鱗にやすりをかけたのは言うまでもないことでしょう。
この国の貴族の子女は大抵、幼少時に家同士が婚約を決めるものです。そして学校卒業や家督を継ぐタイミングを見計らって結婚に至る。つまり十五、六から二十歳くらいの間に大半の貴族は結婚しています。
この場にいる誰もが、それはエリヴィラ王女へ言ってはいけない言葉だと瞬時に察知し、どうにかしてくれと国王ラドヴァンに目で縋ったのですが、遅すぎました。
国王が最初の一音を発する前に、エリヴィラ王女が近くのテーブルにあった十枚以上積まれた皿を両手で持ち上げ、メトジェイの頭の上から思いっきり振り下ろしました。
皿が次々とメトジェイの頭にぶつかって粉々になっていきます。不思議と悲鳴はどこからも上がらず、床へ倒れこんだメトジェイが気絶している間に、エリヴィラ王女はさっさとホールから出ていってしまいました。
この日の出来事は『満月の舞踏会事件』と呼ばれ、次の日の新聞の一面を飾る大事件となったのです。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
134
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる