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第四十九話

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 今、私とベルはとても場違いなところにいるようだ。

 会議室には歴代軍務長官の肖像画が壁に高々と並び、功績のあった部隊の旗がずらりと立てかけられている。大きな円卓は二十人以上が席を並べられるだろう、実際そのくらい並んでいる。そう、私とベル——一応大兄様もこちらに入るかしら——以外は立派なおじさま方が、厳粛な雰囲気の中で至極真剣に向き合っている。

 その錚々たるメンバーは、ランプラセ軍務長官から始まり、ジュレ太公の右腕であり使者であるオートンヌ子爵、コンジェラシオン近衛兵隊長、ブルイヤール王都警備隊長、ジヴロン軍務参謀……と顔の知られている人もいれば、私の知らない人もいる。何にせよ、ここに集まっているということは貴族として軍人としてそれなりの身分なのだろう、と推測させられるだけのメンバーがいるのだ。

 一方、私は平静を装っているものの、当然緊張している。右隣のベルに至っては怖くて青い顔を上げられないほどだ。そのベルの向こう隣には大兄様がいるが、年上の上司や上官ばかりに囲まれていては一介の軍人らしく振る舞うほかなく、気遣いは要求できない。

 窓の外は季節外れの雨模様、何だか波瀾含みの空気が天気にまで影響しているかのようだった。

 用意されていた濃いめの紅茶に砂糖とクリームを入れつつ、私はベルへ声をかける。

「大丈夫? はい、甘い紅茶。あったまるわよ」
「うん、ありがとう、レティ」
「今すぐに私たちが何か言わなくちゃならないってわけじゃないから、落ち着いて。ここで私たちをいじめたって、お父様とおじ様とジュレ太公がお怒りになるだけだもの」

 そう言って、私はチラリと円卓の一番奥に座るランプラセ軍務長官を見やる。

 ランプラセ軍務長官は少し気まずそうな顔をして、こほんと一つ咳をした。無視したっていいのに反応したということは、私たちへの敵意はなく、私たちの存在を無視するつもりもないということだ。

 小太りのオートンヌ子爵がそれを見てニヤニヤと笑っている。

「いやはや、ここでまで大人げないことをする人間はいませんとも。宮廷の罵詈雑言や訓練場の殴り合いはひとまず忘れて、二人の淑女の前では大人しく。誰も彼もが自分はそんなことはしない紳士だ、と思っているでしょうが、念のため」

 オートンヌ子爵は若干の苦笑いを誘いながら、進行役のランプラセ軍務長官へ向き直る。

「さて、僭越ながらジュレ太公のお言葉をもう一度、皆様がたに周知させていただきたく。軍務長官、かまいませんかな?」
「どうぞ」
「では。ジュレ太公がお考えになった『プランタン王国国王名代としての世界一周外交および通商使節団の設立』の国王陛下への奏上——これに関しては、外交的意義はもちろんのこと、現時点での国際関係を踏まえれば避けては通れぬ将来への布石でもあります」

 淀みなく紡がれるオートンヌ子爵からの『ジュレ太公の提案』には、誰も彼もが険しい目を向けながらも、その奥に興味の色を隠せていない。

 人々の私とベルへの意識が和らいだことで、ベルはようやく紅茶に口をつけていた。両手でティーカップを持ってチビチビ飲む姿は可愛く、とても癒される。ベルをチラチラ見ている殿方たちも同じ気持ちのようで、その目は慈しみに溢れていた。

 しかしせっかくのオートンヌ子爵のご説明を聞かないわけにもいかず、さりとてオートンヌ子爵も「聞け」と無理強いすることなく穏やかに話しつづける。

「我が国が他国に先んじて異郷の友好国をより増やし、同盟を結ぶ。一応付け加えるならば、はるか海の向こう、大地の先端にまで軍を差し向ける余裕は、我が国はおろかどこの国にもございません。なので、軍事的意義については一旦棚上げいたしましょう。考えるなというわけではございません、それよりも優先すべき事項があるというだけです。それに、外交交渉は武力の背景があってこそ成立する、これは古今東西あらゆる土地での鉄則でございます。かのジュレ太公がそれを忘れることは断じてない、と申し上げておきましょう」

 ベルが私へ、小声でこう尋ねてきた。

「えっと、どういうことかしら……?」
「他国へ行くけど、戦争はしないということね。使節団の目的は外交と通商関係の樹立だから、確かに軍人を連れてはいくけれどそれはあくまで護衛。でも、言葉も文化も習慣も違う人々とすぐに話し合いはできない可能性が高いから、威圧というか……こちらもある程度は軍事力を見せないといけないの。相手に弱く見られてまともに話をしてもらえることはないと思っていいわ」
「そう、なのね。すごいわ、レティ。私、全然分からなかった」
「気にしないで、分からないほうが貴族令嬢として正しいから……」

 私はそう自分で言っておいて泣けてきた。そして大兄様、無言で頷かないで。

 我がヴェルグラ侯爵家は武門の家系。すなわち、敵を倒すための手段を学ぶことに長けており、子女教育もそういった系統のものが大半を占める。武器で直接的に戦うことから策略を練って戦略的に勝つことまで、とにかく勝利か死かという場面において必要十分に戦える力と、何よりも心構えを学ばなくてはならない。それは男女の別なく、己の命と家の名誉を守るために必要だと考えられているからこそ、ヴェルグラ侯爵家は代々子女に教育を施してきたのだ。無駄ならやっていないはずである。

 そう、ヴェルグラ侯爵家の人間にとってはダンスよりも重要な、戦うための心構えは死なないためにある。

 私と同じく大兄様も、このオートンヌ子爵の話の重要性を理解しているはずだ。

 すなわち——使節団へ軍の協力が欠かせず、しかしてお飾りになることをよしとしない尚武の気風を上手く説得するためには、使節団に参加する魅力を説かねばならない。また、参加する軍人などに使節団を乗っ取られる危険性も排除しなくては困る。

 そこのところをジュレ太公、ひいてはオートンヌ子爵はどう説得材料を並べるのか。

 オートンヌ子爵は笑みを浮かべ、聞かせる語り口を続ける。

「しかしながら、武力制圧が目的と勘違いされることは避けねばなりません。ゆえに、ジュレ太公は信頼のおける、我が国もジュレ太公の期待も決して裏切らず、大変意欲ある若者を送り出そうとなさっておられます。その人選の結果——ブランモンターニュ伯爵家令嬢ベルティーユ嬢およびヴェルグラ侯爵家令嬢レティシア嬢、この二名を代表に指名なさったのです。皆様がた、それにこれから選出する外交官や事務官よりも外交使節団代表にふさわしい、能力と将来性に満ちたお嬢様がたでございます」

 ざわっと、明らかに部屋が騒つき、いくつもの視線が私とベルへ刺さるように向けられてくる。作り笑いで視線を受け止めつつ、私は心の中で弱音を吐く。

 ——ジュレ太公、大見得を切ったなぁ。私たちただの貴族令嬢なので、そういう能力はないですし、実績もないですよ。

 しかし、そう訴えることはできない。見得を切ったのであれば、そのままやり抜かなくては意味がない。

 実際問題、私とベルに使節団を率いるに足る能力があるか、将来性があるか、と尋ねられても、「分かりません」としか口にできない。ないとまでは言わない、しかし確定しないものをあるかのように見せる……それこそ外交官や商人のやることを完遂できるか、と言われれば、無理だ。流石に私にもベルにもその能力や度胸はない。

 どうしよう。とりあえず、私は円卓の下で、周りから見えないように震えるベルの手を握る。ベルもだんだん話の流れが分かってきたようで、自分がジュレ太公をはじめたくさんの人々に期待されていると分かると恐ろしくなってきたらしい。

 幸いにして、ここにはそんな私たちへ直接挑んでくるような不躾な人間はおらず、話は無難な方向へさっさと進んでいく。

 この中では珍しく伊達男風のジヴロン軍務参謀が、挙手してこう言った。

「ふむ、ジュレ太公がそこまでおっしゃるなら……その決定自体には異論はない。だが、色々と調整が必要なこともあろう。そこは追い追い詰めるとしてだ」

 あら、軍の頭脳派による色良い返事——などと思ったことが大間違いだった。

 ジヴロン軍務参謀は、標的をより叩きやすいものへと変更しただけだったのだ。

「アレクサンデル・ヴェルグラ。貴殿はなぜここにいるか、自分の口から納得いく説明をできるか?」

 いつになく難しい顔の大兄様を、私は見ていることしかできない。

 いくらヴェルグラ侯爵家次期当主であろうとも、軍においてはただの一竜騎兵隊長にすぎない大兄様がなぜこの場にいるのか。とりあえず私の兄でありベルの婚約者候補としてだが——つまりは縁故にすぎないのか、と軽く探りを入れられているのだ。

 これは、答え方が少々厄介だ。

 私は大兄様にどう助力すべきか必死で考えつつ、ベルの手もしっかり握っておかなくてはならない。

 ——どうしよう。大兄様、ジヴロン軍務参謀を上手くいなせる!?
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