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第一章 フランチェスカ
第三話
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カップの中に残るホットチョコレートを見つめるフランチェスカは、意外にも落ち着いて振り返ることができていた。つい先ほどの衝撃の出来事をやっと直視して、何が起きたのかを語ることでもう一度確かめようという気になったのだ。
男性はエスプレッソカップを手に、フランチェスカの前へやってきた。
「隣、座っても?」
「ええ。ごめんなさい、やっぱりこんなこと話すなんて」
「それで、お嬢さんはそれだけのことをしたのかい?」
「していないわ! 神に誓って!」
フランチェスカはムキになって叫ぶ。
はっとして、フランチェスカは気まずそうに顔を下げた。男性は気にせず隣に座り、ざりざりと砂糖をティースプーンでかき出して食べている。
婚約破棄という不名誉、今でも怒りが湧かないわけではない。しかし、何があったのか、しっかりと考えなくてはならないのだ。貴族令嬢としての意地、プライドがフランチェスカの口を動かした。
「相手はセレーズ侯爵家の次男マクシミリアンで、舞踏会のホールの入り口で私へこう言ったの。「お前の悪事はもう我慢ならない、僕の従姉妹のウラノー子爵家令嬢フェリシアがすべて教えてくれたぞ」って」
フランチェスカは、グッと奥歯を噛み締めた。そうでもしなければ、思い起こされた怒りに振り回されそうだったからだ。
「マックスの隣には、そのフェリシアがいたわ。あの勝ち誇った顔、私を見下す目、それを見て私はすぐに察したわ。フェリシアがあらぬ噂をマックスへ吹き込んだのだ、って。でも、弁解の機会など与えられなかった。マックスは婚約破棄を公衆の面前で宣言するし、私を悪人だの悪女だの散々罵って……私は耐えられなくなって、無我夢中で逃げ出したの」
ほんの一時間前の出来事が、遠い昔にしでかしたことのようにフランチェスカには思えた。もう変えられない過去であるかのように、フランチェスカは悪女であると言い切った婚約者マクシミリアンとフェリシアの叱責がまるで正しいかのように錯覚してしまっていた。
男性は、フランチェスカが膝に乗せていたハンカチを指差す。
「お嬢さんの家は……そのハンカチの紋章を見るに、マレフツカ伯爵家かい?」
「分かるの?」
「客商売なんだ、そのくらい分かるさ。王国東の雄、数々の勇士を輩出した名家。その名と家柄の確かさくらい、誰だって知ってるよ」
あら、とフランチェスカは少しだけ喜ぶ。舞踏会での出来事は、誇りとする家柄さえも否定されていたように感じたが、それはあまりにも主観的な誤解だったのだと気付いた。
そのため、フランチェスカはその出来事をしっかりと分析するのだ、とばかりに思いつくことを次々と言葉に表す。
「フェリシアは横恋慕したけれど、それはきっとマックスが野蛮な東の田舎貴族と結婚なんて嫌だからとフェリシアの企みに乗ったのよ。そうでなければ、あんなに事が上手く運ぶものですか。だから、私は……何も知らずにのこのこ出ていって、馬鹿にされ、傷ついて、こんなところで寒さに身を縮こまらせている間抜けな女よ。泣いたってどうにもならないのに、涙が止まらなかったの」
今はもう止まったけれど、と言って、フランチェスカはホットチョコレートに口をつけた。そのまま一気に飲み干し、男性が差し出してきた手にカップを返した。
婚約者に気に入られようと、一生懸命、貴族令嬢としてのプライドにかけて賢しげに振る舞っていた自分が馬鹿みたいで、今度は別の意味で泣きたくなってくるのを必死で我慢する。
「マックスのために、いろんなことをしたわ。身分不相応に近づいてくる子女を追い払ったり、舞踏会用の燕尾服の仕立て費用を立て替えたり、彼の兵役の代役に兄を送ったり……」
「まあ、貴族ともなれば、婚約者の体面を保つことも必要だからな」
「それでも私はよかったの。マックスは、決していい人じゃなかったわ。でも、好きだった。親が決めた婚約でもこの人なら、って思うくらい。この人のためなら、体を張って守ってあげようと決めていた、はずなのに」
なのに——どうしてだろう。
フランチェスカは不思議だった。今はもう、すっかりそんな気持ちはかけらも残っておらず、好きだったはずのマクシミリアンの顔は朧げになりつつあった。あんなに好意を募らせ毎日想っていた相手が、今となっては魔法が解けたかのように何とも思わない。
エスプレッソを飲み干した男性が、それを指摘した。
「そうか。お嬢さんは失恋しちまったわけだ」
男性はエスプレッソカップを手に、フランチェスカの前へやってきた。
「隣、座っても?」
「ええ。ごめんなさい、やっぱりこんなこと話すなんて」
「それで、お嬢さんはそれだけのことをしたのかい?」
「していないわ! 神に誓って!」
フランチェスカはムキになって叫ぶ。
はっとして、フランチェスカは気まずそうに顔を下げた。男性は気にせず隣に座り、ざりざりと砂糖をティースプーンでかき出して食べている。
婚約破棄という不名誉、今でも怒りが湧かないわけではない。しかし、何があったのか、しっかりと考えなくてはならないのだ。貴族令嬢としての意地、プライドがフランチェスカの口を動かした。
「相手はセレーズ侯爵家の次男マクシミリアンで、舞踏会のホールの入り口で私へこう言ったの。「お前の悪事はもう我慢ならない、僕の従姉妹のウラノー子爵家令嬢フェリシアがすべて教えてくれたぞ」って」
フランチェスカは、グッと奥歯を噛み締めた。そうでもしなければ、思い起こされた怒りに振り回されそうだったからだ。
「マックスの隣には、そのフェリシアがいたわ。あの勝ち誇った顔、私を見下す目、それを見て私はすぐに察したわ。フェリシアがあらぬ噂をマックスへ吹き込んだのだ、って。でも、弁解の機会など与えられなかった。マックスは婚約破棄を公衆の面前で宣言するし、私を悪人だの悪女だの散々罵って……私は耐えられなくなって、無我夢中で逃げ出したの」
ほんの一時間前の出来事が、遠い昔にしでかしたことのようにフランチェスカには思えた。もう変えられない過去であるかのように、フランチェスカは悪女であると言い切った婚約者マクシミリアンとフェリシアの叱責がまるで正しいかのように錯覚してしまっていた。
男性は、フランチェスカが膝に乗せていたハンカチを指差す。
「お嬢さんの家は……そのハンカチの紋章を見るに、マレフツカ伯爵家かい?」
「分かるの?」
「客商売なんだ、そのくらい分かるさ。王国東の雄、数々の勇士を輩出した名家。その名と家柄の確かさくらい、誰だって知ってるよ」
あら、とフランチェスカは少しだけ喜ぶ。舞踏会での出来事は、誇りとする家柄さえも否定されていたように感じたが、それはあまりにも主観的な誤解だったのだと気付いた。
そのため、フランチェスカはその出来事をしっかりと分析するのだ、とばかりに思いつくことを次々と言葉に表す。
「フェリシアは横恋慕したけれど、それはきっとマックスが野蛮な東の田舎貴族と結婚なんて嫌だからとフェリシアの企みに乗ったのよ。そうでなければ、あんなに事が上手く運ぶものですか。だから、私は……何も知らずにのこのこ出ていって、馬鹿にされ、傷ついて、こんなところで寒さに身を縮こまらせている間抜けな女よ。泣いたってどうにもならないのに、涙が止まらなかったの」
今はもう止まったけれど、と言って、フランチェスカはホットチョコレートに口をつけた。そのまま一気に飲み干し、男性が差し出してきた手にカップを返した。
婚約者に気に入られようと、一生懸命、貴族令嬢としてのプライドにかけて賢しげに振る舞っていた自分が馬鹿みたいで、今度は別の意味で泣きたくなってくるのを必死で我慢する。
「マックスのために、いろんなことをしたわ。身分不相応に近づいてくる子女を追い払ったり、舞踏会用の燕尾服の仕立て費用を立て替えたり、彼の兵役の代役に兄を送ったり……」
「まあ、貴族ともなれば、婚約者の体面を保つことも必要だからな」
「それでも私はよかったの。マックスは、決していい人じゃなかったわ。でも、好きだった。親が決めた婚約でもこの人なら、って思うくらい。この人のためなら、体を張って守ってあげようと決めていた、はずなのに」
なのに——どうしてだろう。
フランチェスカは不思議だった。今はもう、すっかりそんな気持ちはかけらも残っておらず、好きだったはずのマクシミリアンの顔は朧げになりつつあった。あんなに好意を募らせ毎日想っていた相手が、今となっては魔法が解けたかのように何とも思わない。
エスプレッソを飲み干した男性が、それを指摘した。
「そうか。お嬢さんは失恋しちまったわけだ」
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