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第二章 テオドラ

第三話

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 テオドラは、知己であるグーデルマン伯爵夫人のお屋敷で開かれるサロンに招待されていた。王都でも有数の規模を誇るグーデルマン伯爵夫人のサロンには、テオドラももはや常連となっていることもあって、情報収集と気晴らしにと出向いたのだ。

 最近、めっきりつれなくなった恋人——トレント侯爵エルキュールのせいで、テオドラは毎日が退屈だった。父からは婚約者のリストや肖像画を散々見せられ、友人知人の屋敷に遊びに行こうにも皆が皆もう結婚して子どもを持っているせいで邪魔になる。テオドラの周囲は子煩悩が多く、まるで父のようだと余計に裂ける原因となっていたのだ。

 仕方なしに、テオドラは王都各地のサロンに出席していたのだが、いちいちそれも父へ報告しなくてはならないし、もし報告しなかったとしてもサロンの主催者が伝えてしまう。とにかく父の圧力から逃げることばかり考えて、無事時間潰しに潜り込めるサロンがあればそれでよく、逐一どのサロンに誰が来るかまで調べようとは思わなかったのだ。

 だから、サロンの主催者であるグーデルマン伯爵夫人にとっても、青天の霹靂だっただろう。

 王宮にも引けを取らない特大シャンデリアが照らす大ホールに、多くのテーブルとソファが並べられ、貴族の紳士淑女だけでなく各界の著名人までもが集まっていた。給仕が忙しなく銀のトレイに酒とつまみを載せて運び、大演説をする哲学者もいれば、葉巻を燻らせ談話に耽る老紳士たち、それに恰幅の良いマダムたちが噂話に花を咲かせる。その中でもテオドラは一等若いレディだが、知識階級のいつもの顔ぶればかりで話に耳を傾けるだけで楽しいし、見知ったおじさまおばさまたちは美しいものの少し変わり者のテオドラへ人生の先達としていつでも熱のこもったアドバイスをしてくる。

「こんばんは、テオドラ。今日も美しいわね」
「ごきげんよう、おばさま。ここに来ると大変興味のあるお話ばかりが交わされていて、とても楽しいわ。知的好奇心が満たされる、というのかしら」
「あらあら、テオドラは頭がいいから、ゆくゆくはどこかの王妃殿下になってもおかしくないわね。我が国はだめよ、あんな女を見る目のない王太子にあなたはやれないわ」
「はっはっは! 王室批判かい? 私も混ぜてもらおうかな」
「ええ、どうぞ、パスヴィ公爵閣下。ここで反乱の企てでもいたしましょう、王太子殿下の浮気に泣かされた数々の令嬢のためにも」

 夜通し賑わい、よその舞踏会が終わって参加する者や、早めに切り上げる者もいて、サロンの人の出入りは午前〇時を回っても見受けられた。

 ホール奥にある金を散りばめた大きな柱時計が三度鳴って、少ししたころ。

 サロンの主催者であるグーデルマン伯爵夫人のもとに、茶髪の好青年がやってきたのだ。

「ごきげんよう。遅くなって申し訳ない、伯爵夫人」
「あら、トレント侯爵。来てくれるとは思わなかったわ」
「まさか、予定をやりくりしてようやくやってきましたよ。機嫌を直してください」

 グーデルマン伯爵夫人のいるソファ席のちょうど背後にいたテオドラは、聞き覚えのある声に心を弾ませて振り返る。

「久しぶり、エ——」

 もう半月以上会っていない恋人の声に、テオドラの待ち焦がれた心はただただ『会いたい』という気持ちばかりが先行していた。

「——え?」

 二十代半ばの好青年の顔は、テオドラにとって見慣れたものだった。

 しかし、その人物と片腕を組み、同伴者としてテオドラを不可解な表情で見てくる黒髪の妙齢の女性のことは、知らなかった。

 なぜ恋人の横に見知らぬ女性が、呆然としているテオドラへ、トレント侯爵エルキュールは素知らぬ顔で挨拶した。

「これはシーバート公爵家のテオドラ様。、私はエルキュール。そしてこちらがのセシリアです。先日、結婚したばかりなのでそう紹介するのは慣れておりませんが、どうかご寛恕を」

 エルキュールはセシリアを伴ってそつなくお辞儀をして、グーデルマン伯爵夫人への挨拶が終わると別のソファ席へと去っていった。挨拶回りに忙しい、とばかりだ。

 テオドラは、グーデルマン伯爵夫人が自分を心配そうに見ていることに気づき、誤魔化した。

「あ、ああ、違う方だったわ。失礼、間違えてしまったの」
「あら、そうなの。そういうこともあるわね」
「ええ、ごめんなさい。えっと……その」
「テオドラ……?」

 未だ戸惑いが残るテオドラを察してか、グーデルマン伯爵夫人は使用人を呼び、テオドラを休憩用の個室へと案内させた。

 それから二、三時間ほど、ランプひとつ灯った薄灯の部屋で、テオドラはソファに深く腰掛け、休むどころか自問自答を繰り返していた。あろうことか、テオドラは下手に頭脳明晰であるため、湧いてくる疑問に正確に答え、自身の気持ちを冷静に分析してしまう。

 つまるところ——自分はトレント侯爵エルキュールの遊び相手の一人に過ぎなかったのだ。この数ヶ月間恋人と浮かれていたのは自分だけ、そういえばいつも会うときは誰かの屋敷のパーティのときばかりで、恋人というよりも親しい友人程度の扱いだったのでは。だって、キスの一つもしていないのだから、そうだ、それはまあ、そうだろう。

 エルキュールはきちんと一線を見極めて、引き返せるときにさっさと引き返し、しばらく会っていなかったのはセシリアという女性との結婚のためだったからだ。

 そこまで考えれば、テオドラだってもう分かっている。自分が勝手にエルキュールへお熱を上げて、ちゃちな『恋人ごっこ』に浮かれ、どうにか婚約できないかと悩んでいたのは——すべて無駄だったのだ。馬鹿な一人相撲で、裏切られたと思っている。なんて愚かなのだろう。

 さらには、傷心のテオドラへ追い打ちをかけるような出来事まで起きた。

 午前三時を回ったころ、テオドラがいる休憩用の個室に、エルキュールの妻セシリアが乗り込んできたのだ。

 ノックもせず、扉を乱暴に開き、セシリアは黒髪を振り乱して叫びながらテオドラへと襲いかかる。

「この、泥棒! 私の婚約者を手に入れようとしていたなんて、なんて浅ましい! 公爵令嬢だかなんだか知らないけれど、エルキュールはもう私のもの! ざまぁみろよ!」

 セシリアの振りかぶった右手が、テオドラの左頬を打つ。テオドラは避けようとしてソファの背もたれに当たり、頬から唇までをセシリアの右手になぶられた。

 まもなくエルキュールを含めた男性たちがやってきてセシリアを取り押さえ、テオドラはそれ以上乱暴はされなかったのだが——テオドラはショックで居た堪れなくなり、衝動的に部屋を飛び出して、人目のあるグーデルマン伯爵夫人の屋敷からも逃げ出してしまったのだ。

 そして、行き着いた先は川縁で、鉄柵にもたれ、朝日を浴びていたのだった。
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