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第三章 オフェリア
第一話
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春。雪は溶け、あちこちで草木の芽吹きが感じられる。
移動の障害となっていた雪がなくなれば人の行き交いが多くなり、河川の桟橋には荷物を積んだ船が多く浮かびはじめ、王都は賑やかだ。
しかし、ひっそりとした片隅の公園のベンチに浮かない顔の貴族令嬢がいることも事実であり、彼女にとっては慣れない大都市で所在なさげに俯くだけの理由がある。
大きなベージュコートに身を包むトッド子爵家令嬢オフェリアは、珍しいピンクブロンドの長髪を腰よりも伸ばし、毎日櫛でしっかり梳いている。透き通るような白い肌はここよりも北の、未だ多く雪の残る土地から来た証であり、春先の強い日差しが苦手であるため、明るい時間帯は寒々しい日陰から出られない。そのことを知ったのはつい先ほどであり、鼻先と頬が少々赤く焼けてしまっている。
はあ、とオフェリアは小さな口で大きなため息をついた。
オフェリアにとっては、たとえ同じ国の中であろうと片田舎の故郷に比べれば王都は異邦同然であり、公園に植えられている木々さえも故郷のものとは種類が異なる。素朴な石積みの家なんて、王都には一軒もない。整備された道、区画ごとに建つ洗練された建物、遠くでは子どもの追いかけっこの叫び声が聞こえ、どこからか春を祝う合唱も耳に届く、まるで別世界だ。
それに——いつの間にかベンチの隣にいる、奇妙なカンカン帽の男性もオフェリアには怪しさ満点だ。金縁の丸眼鏡、ライトブラウンのチェック柄フランネルシャツとエプロン、水色のチーフ……おおよそ、オフェリアの故郷では見ない格好をしていた。都会にはこんな人がたくさんいるのかしら、とオフェリアは何となく自分を納得させる材料を探すが、王都に着いてからはまるで嫌な思い出しかないため、さっぱりだ。
とはいえ、男性はベンチに座るわけではなく、ベンチ横で自転車を整備していただけだった。それに気付かずオフェリアがベンチに座り、やっと先客だった男性に意識が向いたのだ。
小さなカウンターがくっついた移動式店舗、それが男性の水色の自転車を見た感想だ。前カゴの上にはガラスで囲まれた炭コンロがあり、細長い口のコーヒーケトルが鎮座している。前輪を隠す両側の板には、店名とメニュー表の文字が踊っていた。
オフェリアはそれをそっと読む。
「『カフェ・ド・カグラザカ』……カフェ……?」
オフェリアの頭の中には、表通りでちらりと見た街角のカフェ店舗が思い浮かぶ。道路に並べられたテーブルと椅子、暖かいコーヒーと甘いお菓子の匂い、貴族ではなくても豊かな人々が男女問わず集って談笑する様子。
ただ、ここは王都片隅の公園だ。客など一人もおらず、かすかにコーヒー豆の炒った香りはするが、どうやって淹れるのかはオフェリアには見当もつかない。カフェの一軒もない田舎育ちのオフェリアにとって、王都は未知で溢れ返っていた。
すると、男性がくるりとオフェリアのほうへ振り返った。意図した様子ではなく、オフェリアを視界に収めるやいなや、驚いて手に持っていた工具を落としそうになっていた。
「うわ、びっくりした。全然気付かなかった」
思わず、オフェリアは頭を下げる。
「も、申し訳ございません。私も、あなたに気付かずここに座ってしまっていて、今気付いたばかりなのです」
「ああ、そうか、なるほど。いやいや、気にしないで。集中しすぎるとすーぐこれだ、まったく」
男性はぶつくさ言って、自転車の輪留めを固定し、前方カゴのカウンターを広げていく。
「ところで、お嬢さんはコーヒーは好きかい? 新しい豆が入ったんだが、試飲してくれないか?」
「え……あ、その……」
「怪しくない怪しくない。まだ春とはいえ寒いし、せっかくだから一緒に飲もうって話さ」
「お誘いはとても嬉しいのですけれど……私、コーヒーは飲んだことがなくって」
「それならちょうどいい。すぐに淹れるから、待っててくれ」
男性はさっさと小さなマグカップを二つ取り出し、コーヒーを淹れる準備を始めた。なんとなく断りづらく、オフェリアは流されるままに待つことにする。
元々、オフェリアはそれほど自己主張が出来る性格ではない。のろまでぼんやり、ぐずぐずして嫁の貰い手も逃しそう、なんて年の離れた兄たちには馬鹿にされてきた。故郷にいた時分からこれではいけないと思いつつも、性格なんてそう簡単に変わりはしない。
でも。
オフェリアは、もう変わらなければならない、と覚悟を決めて、男性へ話しかけてみた。初対面の男性に自分一人で話しかけるなんて今までなら考えられなかったが、王都に来たことや同道してくれた使用人たちと別れたことと同じ、勢いでやってしまえるのだ、と少しだけオフェリアには自信がついていた。
移動の障害となっていた雪がなくなれば人の行き交いが多くなり、河川の桟橋には荷物を積んだ船が多く浮かびはじめ、王都は賑やかだ。
しかし、ひっそりとした片隅の公園のベンチに浮かない顔の貴族令嬢がいることも事実であり、彼女にとっては慣れない大都市で所在なさげに俯くだけの理由がある。
大きなベージュコートに身を包むトッド子爵家令嬢オフェリアは、珍しいピンクブロンドの長髪を腰よりも伸ばし、毎日櫛でしっかり梳いている。透き通るような白い肌はここよりも北の、未だ多く雪の残る土地から来た証であり、春先の強い日差しが苦手であるため、明るい時間帯は寒々しい日陰から出られない。そのことを知ったのはつい先ほどであり、鼻先と頬が少々赤く焼けてしまっている。
はあ、とオフェリアは小さな口で大きなため息をついた。
オフェリアにとっては、たとえ同じ国の中であろうと片田舎の故郷に比べれば王都は異邦同然であり、公園に植えられている木々さえも故郷のものとは種類が異なる。素朴な石積みの家なんて、王都には一軒もない。整備された道、区画ごとに建つ洗練された建物、遠くでは子どもの追いかけっこの叫び声が聞こえ、どこからか春を祝う合唱も耳に届く、まるで別世界だ。
それに——いつの間にかベンチの隣にいる、奇妙なカンカン帽の男性もオフェリアには怪しさ満点だ。金縁の丸眼鏡、ライトブラウンのチェック柄フランネルシャツとエプロン、水色のチーフ……おおよそ、オフェリアの故郷では見ない格好をしていた。都会にはこんな人がたくさんいるのかしら、とオフェリアは何となく自分を納得させる材料を探すが、王都に着いてからはまるで嫌な思い出しかないため、さっぱりだ。
とはいえ、男性はベンチに座るわけではなく、ベンチ横で自転車を整備していただけだった。それに気付かずオフェリアがベンチに座り、やっと先客だった男性に意識が向いたのだ。
小さなカウンターがくっついた移動式店舗、それが男性の水色の自転車を見た感想だ。前カゴの上にはガラスで囲まれた炭コンロがあり、細長い口のコーヒーケトルが鎮座している。前輪を隠す両側の板には、店名とメニュー表の文字が踊っていた。
オフェリアはそれをそっと読む。
「『カフェ・ド・カグラザカ』……カフェ……?」
オフェリアの頭の中には、表通りでちらりと見た街角のカフェ店舗が思い浮かぶ。道路に並べられたテーブルと椅子、暖かいコーヒーと甘いお菓子の匂い、貴族ではなくても豊かな人々が男女問わず集って談笑する様子。
ただ、ここは王都片隅の公園だ。客など一人もおらず、かすかにコーヒー豆の炒った香りはするが、どうやって淹れるのかはオフェリアには見当もつかない。カフェの一軒もない田舎育ちのオフェリアにとって、王都は未知で溢れ返っていた。
すると、男性がくるりとオフェリアのほうへ振り返った。意図した様子ではなく、オフェリアを視界に収めるやいなや、驚いて手に持っていた工具を落としそうになっていた。
「うわ、びっくりした。全然気付かなかった」
思わず、オフェリアは頭を下げる。
「も、申し訳ございません。私も、あなたに気付かずここに座ってしまっていて、今気付いたばかりなのです」
「ああ、そうか、なるほど。いやいや、気にしないで。集中しすぎるとすーぐこれだ、まったく」
男性はぶつくさ言って、自転車の輪留めを固定し、前方カゴのカウンターを広げていく。
「ところで、お嬢さんはコーヒーは好きかい? 新しい豆が入ったんだが、試飲してくれないか?」
「え……あ、その……」
「怪しくない怪しくない。まだ春とはいえ寒いし、せっかくだから一緒に飲もうって話さ」
「お誘いはとても嬉しいのですけれど……私、コーヒーは飲んだことがなくって」
「それならちょうどいい。すぐに淹れるから、待っててくれ」
男性はさっさと小さなマグカップを二つ取り出し、コーヒーを淹れる準備を始めた。なんとなく断りづらく、オフェリアは流されるままに待つことにする。
元々、オフェリアはそれほど自己主張が出来る性格ではない。のろまでぼんやり、ぐずぐずして嫁の貰い手も逃しそう、なんて年の離れた兄たちには馬鹿にされてきた。故郷にいた時分からこれではいけないと思いつつも、性格なんてそう簡単に変わりはしない。
でも。
オフェリアは、もう変わらなければならない、と覚悟を決めて、男性へ話しかけてみた。初対面の男性に自分一人で話しかけるなんて今までなら考えられなかったが、王都に来たことや同道してくれた使用人たちと別れたことと同じ、勢いでやってしまえるのだ、と少しだけオフェリアには自信がついていた。
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