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第四章 アルフォンサ
第一話
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カサレリア伯爵令嬢アルフォンサの目は、左右で色が違う。
右は母と同じ青灰色、左は父と同じ琥珀色をしている。そのことを別段気にしたことはなかったが、十八になったあるとき、王都のとあるサロンで見知らぬ老婦人に面と向かって罵られた。
「我が国の由緒正しい血筋の貴族であれば、金の髪と青い目を持つと決まっておりますわ。ご覧なさいな、周りの紳士淑女の誰が、それ以外の色をしていて? あなたの髪色はまあ金と呼べなくもないでしょうけれど、その左目でまさか、私たちと同じ身分だとおっしゃるおつもり? ご冗談はおよしになって。周囲をしっかり見て、ここはあなたのようなひとがいるべき場所ではないと自覚なさったなら、どうぞ領地にお帰りあそばせ。それがお互いのためですわ」
なるほど、と冷静に考えたアルフォンサは、それが侮辱であり罵倒の言葉だと即座に理解した。
周囲の貴婦人たちは、皆揃って金髪碧眼だ。たとえその色の濃淡や身長の差、ドレスのデザインの違いがあったとしても、ここにいるのは同族であると証明するかのように、同じ系統の髪の色、同じ目の色をしている。彼女たちの付き添いの紳士たちも、残らず同じだ。
その中では、青と琥珀色のオッドアイのアルフォンサは違う人間扱いをされる。同じ国の同じ貴族であっても、異質なもの。より悪辣に言うならば、『混ざりもの』なのだ。
周囲の貴婦人たちが、それに反論する声を上げる様子はない。であれば、老婦人と同じ考えを持っている、ということだ。
アルフォンサは顔色ひとつ変えず、老婦人へこう返した。
「ご忠告、確かに頂戴いたしましたわ、ご婦人。あなたが私を思ってくれていることは、十分に伝わりました。おっしゃるとおり、そのようにいたしますわ」
アルフォンサはドレスのスカートを摘んで完璧な一礼をしてみせる。老婦人はそれ以上アルフォンサを糾弾できないと知ると、ひとまず納得してみせた。
「お分かりになればよろしいの。これは」
「ええ、つまりはこうおっしゃりたいのでしょう? 私はこの国の貴族としてふさわしくない、まるでこの国の貴族のように振る舞うのはやめて、この国の貴族ではないように振る舞え、と。ええ、ええ。そのようにいたしますとも。では、ごめんあそばせ」
アルフォンサは直ちに踵を返し、サロンから出ていった。他の貴婦人たちが固唾を呑んでその様子を眺めていたのも束の間、老婦人は何事もなかったかのように他の貴婦人との会話を始める。
二度とお呼ばれしないサロンに興味などないアルフォンサは、思い切りのいい自分の性格を幸運に思った。なぜなら——。
「あんなところで、私だって仲間扱いされたくはないわ。すぐにでも領地へ帰って、二度と王都に来ずに済むようにしましょう」
それは強がりでもなんでもなく、老婦人の言葉は貴族たちの住まう王都の閉塞した空気を物語っていたからこそ、アルフォンサはその答えを出したのだ。
お世辞にも、この国は大国とは言えない。王侯貴族たちの歴史は古いかもしれないが、実力はさもありなん、軍事力も文化力も何もかもが二等国でしかない。その上、中央よりも他国と接する機会の多い辺境とされる国境地域の貴族——アルフォンサの実家、カサレリア伯爵家のような——のほうが豊かで、積極的に他国との交流を図っている。
となれば、古くからの慣わしとして王都の貴族と婚約のためにわざわざカサレリア伯爵領からやってきたアルフォンサは、これ以上の侮辱を受ける前に故郷へ戻らねばならない。サロンでの口論程度なら流せるが、家門と血筋を侮辱されては確実に血を見る争いとなる。それはアルフォンサとて本意ではないし、何よりも、そんな侮辱をせずにアルフォンサを迎え入れてくれた婚約者を巻き込みたくなかった。
鈍色の混じった金髪を翻し、アルフォンサはサロンからの帰りの足でトカイリナ伯爵家の屋敷へと向かう。都合よく婚約者であるベネディクトが在宅だったため、出迎えられた応接間で開口一番、アルフォンサは婚約破棄を切り出した。
「婚約を破棄しましょう、ベネディクト」
普段は穏やかな気性の好青年ベネディクトは、目を見開いて驚いている。彼もまた、御多分に洩れず、鮮やかな金髪碧眼だった。
「それは、どういう」
「ある老婦人が、私はこの国の貴族ではないとおっしゃったの。髪の色はさておき、目の色は両方青ではないから、と。今まであなたは優しいから、それを言い出せなかったのだろうとようやく察したの。由緒正しいトカイリナ伯爵家としては、私のようなオッドアイの娘と婚約するとは思ってもいなかったのだろうし」
思えば、半月前にアルフォンサがトカイリナ伯爵夫妻と初めて会った席で、彼らはアルフォンサの目を見て奇妙な態度を取っていた。しかし、オッドアイであることを好奇の視線で見られることに慣れているアルフォンサは、そのとき異変に気付かなかったのだ。
きっと、「なぜ彼女はこの国の貴族のはずなのに、金髪碧眼ではないのか」……彼らはそう言いたかったが、まだ常識的な人々だったから口には出さなかったのだろう。トカイリナ伯爵家嫡男のベネディクトはそんな態度をおくびにも出さず、婚約者アルフォンサを傍目にも分かるくらい好きになってくれていたからこそ、今の今までアルフォンサはそんなことを気にせずにいられたのだ。
だが、気付いてしまった以上、もう知らないふりはできない。アルフォンサの左目が琥珀色であることで、ベネディクトに、ひいては嫁ぎ先のトカイリナ伯爵家に予想外の迷惑がかかることは、簡単に想像ができてしまう。
ベネディクトは、突然の婚約破棄の申し出に戸惑いつつも、アルフォンサを引き止めようとした。
「待ってくれ、アルフォンサ。それはただの言いがかりだ。確かに、年老いた貴族の中にはそんな古臭く頑迷なことを考える人もいるかもしれない。だが、我が家は違う」
「どう違うの? 我が国の貴族は、金髪碧眼ばかり。それを誇りに思う人もいて、私のような違う髪の色と目の色を受け入れたくはない。もしあなたとの間に、私の左目の色を受け継ぐ子どもが生まれたとき、その子の未来にあなたは責任を持てる? 私は、その子がつらい思いをするのなら、それを防げないのなら……この国の貴族でいる必要はないとさえ考えているの」
キッパリと、アルフォンサは己の抱える不安ごと、婚約破棄の理由を示す。
今ここで、ベネディクトが「そんなことは今考えなくていい」だとか「必ずしも未来がそうなると決まったわけではない」などと無責任なことを言うのなら、それもまた婚約破棄するだけの十分な理由となってしまう。貴族に限らず、子孫に与えてしまうであろう責任を持てないならば子を持つ資格はない。それに、ベネディクトはトカイリナ伯爵家を継ぐ者として、アルフォンサとの結婚によって生じる『不利益』を真正面から受け入れるリスクを鑑みることができないような馬鹿ではない。
何より——王都で生まれ育った者として、金髪碧眼の貴族たちの同族意識の強さを、ベネディクトが知らないわけがないのだ。貴族たちの中に、もし琥珀色の目をした自分の子どもが入っていくとき、拒絶されてしまえば? その親として、ベネディクトもアルフォンサも本当に十分な対処ができるのか?
不幸にも、ベネディクトはそれらをしっかりと考えられるほどに、常識的で、何よりも正直だった。
「すまない。そうなったとき……俺は、君とその子を守れると、断言はできない」
ベネディクトがどんな未来の想像をしたのか、アルフォンサには知る由もない。
ただ、ベネディクトは嘘を吐かない。そういう人柄だと、アルフォンサは短い付き合いでも把握していた。
アルフォンサとベネディクトとの結婚は、今更ながら誰も幸せにならないのだ。それは愛があればどうにかなる話ではない、抵抗の姿勢を示せばいいわけでも、話し合いが通じるわけでもない。たかが伝統なんて、とのたまう人間には、貴族にとっての誇りや歴史がどれほど重要なのかを分かっていないだけだ。
だからこそ、実際にアルフォンサが差別を受けて、ようやく二人の婚約破棄に足る理由ができた。これを盾に、誰もが望まない婚約の解消が許されるだろうとアルフォンサは見ていた。
アルフォンサは故郷に戻って改めてこの国の貴族以外と婚約を結び、ベネディクトは金髪碧眼のの貴族の女性と結婚すれば、少なくとも今後問題はない。その先の未来がどうなろうと——カサレリア伯爵家はこの国を見限って他国と結びつきを強くし、未だ続く古い伝統に縛られてトカイリナ伯爵家は落日の国とともに生きる道を選ぶとしても、それは——二人に関係はないのだ。
「あなたは誠実だから、できもしないことをできるとは言わない。あなたのその美徳を、私はちゃんと知っているわ。だからこそ、私だけでなくあなたのためにも、別れましょう」
深刻な表情のままうなだれるベネディクトへ、アルフォンサが他にかけられる言葉はなかった。
アルフォンサはその横を通りすぎ、すみやかにトカイリナ伯爵家から去っていく。
(さようなら、ベネディクト。あなたが『この国の貴族』らしかったのなら婚約は続けざるをえなかったでしょう。でもそうじゃない、あなたは優しくて誠実だもの。そんな人や愛する子どもが私といることでああも悪し様に罵られるなんて……私には耐えられないわ)
アルフォンサが夢見がちな乙女であったなら、愛する二人は多くの苦難を乗り越えて幸せな結末を迎えた、という未来を信じられたかもしれない。
だが、現実はそうはいかない。長く戦場に立つ父の影響か、はたまたアルフォンサの性格が冷静すぎたのか、アルフォンサは都合のよい夢を見る才能がなかった。
アルフォンサのコートのポケットにある懐中時計は、午後三時を指していた。今から王都郊外にある駅へ向かえば、故郷であるカサレリア行きの最終列車に間に合うか。すでに荷物はまとめてトランクに詰め込み、外で待たせていた馬車に積んであるから、そのままアルフォンサも馬車へ乗り込んで半月前に王都へ来たときの道を逆順に辿るだけだ。
せめて故郷まで当家の使用人か護衛を付けましょう、と追いかけてきたトカイリナ伯爵家の執事が申し出てくれたが、アルフォンサは丁重に断った。トカイリナ伯爵家には無礼をしてしまった上にさらなる面倒をかけたくないし、そもそもカサレリアからアルフォンサは一人でやってきたから帰りも一人で十分だった。
しかし、来年の春に結婚式を挙げるために、無理して冬に入る前に王都へやってきたというのに——なんとも、王都にやってきたことは徒労のような、ただ嫌な思いをしただけ——そう思いかけたアルフォンサは、頭を横に振った。
(……ううん、ベネディクトはいい人だったわ。それにトカイリナ伯爵夫妻も戸惑ってはいても私をトカイリナ伯爵家へ迎えるつもりはあったから、私は初対面で追い返されなかった。彼らとの出会いは、良きものだった。ただ、私のせいでそれが続かなかっただけよ)
喉元まで出かかったため息を呑み込み、アルフォンサは前を向く。父と母から受け継いだ二色の瞳が悪いのではない、ベネディクトが悪いわけでもない。
貴族令嬢らしく、アルフォンサが幸せに酔いしれることができなかったから、悪いのだ——。
右は母と同じ青灰色、左は父と同じ琥珀色をしている。そのことを別段気にしたことはなかったが、十八になったあるとき、王都のとあるサロンで見知らぬ老婦人に面と向かって罵られた。
「我が国の由緒正しい血筋の貴族であれば、金の髪と青い目を持つと決まっておりますわ。ご覧なさいな、周りの紳士淑女の誰が、それ以外の色をしていて? あなたの髪色はまあ金と呼べなくもないでしょうけれど、その左目でまさか、私たちと同じ身分だとおっしゃるおつもり? ご冗談はおよしになって。周囲をしっかり見て、ここはあなたのようなひとがいるべき場所ではないと自覚なさったなら、どうぞ領地にお帰りあそばせ。それがお互いのためですわ」
なるほど、と冷静に考えたアルフォンサは、それが侮辱であり罵倒の言葉だと即座に理解した。
周囲の貴婦人たちは、皆揃って金髪碧眼だ。たとえその色の濃淡や身長の差、ドレスのデザインの違いがあったとしても、ここにいるのは同族であると証明するかのように、同じ系統の髪の色、同じ目の色をしている。彼女たちの付き添いの紳士たちも、残らず同じだ。
その中では、青と琥珀色のオッドアイのアルフォンサは違う人間扱いをされる。同じ国の同じ貴族であっても、異質なもの。より悪辣に言うならば、『混ざりもの』なのだ。
周囲の貴婦人たちが、それに反論する声を上げる様子はない。であれば、老婦人と同じ考えを持っている、ということだ。
アルフォンサは顔色ひとつ変えず、老婦人へこう返した。
「ご忠告、確かに頂戴いたしましたわ、ご婦人。あなたが私を思ってくれていることは、十分に伝わりました。おっしゃるとおり、そのようにいたしますわ」
アルフォンサはドレスのスカートを摘んで完璧な一礼をしてみせる。老婦人はそれ以上アルフォンサを糾弾できないと知ると、ひとまず納得してみせた。
「お分かりになればよろしいの。これは」
「ええ、つまりはこうおっしゃりたいのでしょう? 私はこの国の貴族としてふさわしくない、まるでこの国の貴族のように振る舞うのはやめて、この国の貴族ではないように振る舞え、と。ええ、ええ。そのようにいたしますとも。では、ごめんあそばせ」
アルフォンサは直ちに踵を返し、サロンから出ていった。他の貴婦人たちが固唾を呑んでその様子を眺めていたのも束の間、老婦人は何事もなかったかのように他の貴婦人との会話を始める。
二度とお呼ばれしないサロンに興味などないアルフォンサは、思い切りのいい自分の性格を幸運に思った。なぜなら——。
「あんなところで、私だって仲間扱いされたくはないわ。すぐにでも領地へ帰って、二度と王都に来ずに済むようにしましょう」
それは強がりでもなんでもなく、老婦人の言葉は貴族たちの住まう王都の閉塞した空気を物語っていたからこそ、アルフォンサはその答えを出したのだ。
お世辞にも、この国は大国とは言えない。王侯貴族たちの歴史は古いかもしれないが、実力はさもありなん、軍事力も文化力も何もかもが二等国でしかない。その上、中央よりも他国と接する機会の多い辺境とされる国境地域の貴族——アルフォンサの実家、カサレリア伯爵家のような——のほうが豊かで、積極的に他国との交流を図っている。
となれば、古くからの慣わしとして王都の貴族と婚約のためにわざわざカサレリア伯爵領からやってきたアルフォンサは、これ以上の侮辱を受ける前に故郷へ戻らねばならない。サロンでの口論程度なら流せるが、家門と血筋を侮辱されては確実に血を見る争いとなる。それはアルフォンサとて本意ではないし、何よりも、そんな侮辱をせずにアルフォンサを迎え入れてくれた婚約者を巻き込みたくなかった。
鈍色の混じった金髪を翻し、アルフォンサはサロンからの帰りの足でトカイリナ伯爵家の屋敷へと向かう。都合よく婚約者であるベネディクトが在宅だったため、出迎えられた応接間で開口一番、アルフォンサは婚約破棄を切り出した。
「婚約を破棄しましょう、ベネディクト」
普段は穏やかな気性の好青年ベネディクトは、目を見開いて驚いている。彼もまた、御多分に洩れず、鮮やかな金髪碧眼だった。
「それは、どういう」
「ある老婦人が、私はこの国の貴族ではないとおっしゃったの。髪の色はさておき、目の色は両方青ではないから、と。今まであなたは優しいから、それを言い出せなかったのだろうとようやく察したの。由緒正しいトカイリナ伯爵家としては、私のようなオッドアイの娘と婚約するとは思ってもいなかったのだろうし」
思えば、半月前にアルフォンサがトカイリナ伯爵夫妻と初めて会った席で、彼らはアルフォンサの目を見て奇妙な態度を取っていた。しかし、オッドアイであることを好奇の視線で見られることに慣れているアルフォンサは、そのとき異変に気付かなかったのだ。
きっと、「なぜ彼女はこの国の貴族のはずなのに、金髪碧眼ではないのか」……彼らはそう言いたかったが、まだ常識的な人々だったから口には出さなかったのだろう。トカイリナ伯爵家嫡男のベネディクトはそんな態度をおくびにも出さず、婚約者アルフォンサを傍目にも分かるくらい好きになってくれていたからこそ、今の今までアルフォンサはそんなことを気にせずにいられたのだ。
だが、気付いてしまった以上、もう知らないふりはできない。アルフォンサの左目が琥珀色であることで、ベネディクトに、ひいては嫁ぎ先のトカイリナ伯爵家に予想外の迷惑がかかることは、簡単に想像ができてしまう。
ベネディクトは、突然の婚約破棄の申し出に戸惑いつつも、アルフォンサを引き止めようとした。
「待ってくれ、アルフォンサ。それはただの言いがかりだ。確かに、年老いた貴族の中にはそんな古臭く頑迷なことを考える人もいるかもしれない。だが、我が家は違う」
「どう違うの? 我が国の貴族は、金髪碧眼ばかり。それを誇りに思う人もいて、私のような違う髪の色と目の色を受け入れたくはない。もしあなたとの間に、私の左目の色を受け継ぐ子どもが生まれたとき、その子の未来にあなたは責任を持てる? 私は、その子がつらい思いをするのなら、それを防げないのなら……この国の貴族でいる必要はないとさえ考えているの」
キッパリと、アルフォンサは己の抱える不安ごと、婚約破棄の理由を示す。
今ここで、ベネディクトが「そんなことは今考えなくていい」だとか「必ずしも未来がそうなると決まったわけではない」などと無責任なことを言うのなら、それもまた婚約破棄するだけの十分な理由となってしまう。貴族に限らず、子孫に与えてしまうであろう責任を持てないならば子を持つ資格はない。それに、ベネディクトはトカイリナ伯爵家を継ぐ者として、アルフォンサとの結婚によって生じる『不利益』を真正面から受け入れるリスクを鑑みることができないような馬鹿ではない。
何より——王都で生まれ育った者として、金髪碧眼の貴族たちの同族意識の強さを、ベネディクトが知らないわけがないのだ。貴族たちの中に、もし琥珀色の目をした自分の子どもが入っていくとき、拒絶されてしまえば? その親として、ベネディクトもアルフォンサも本当に十分な対処ができるのか?
不幸にも、ベネディクトはそれらをしっかりと考えられるほどに、常識的で、何よりも正直だった。
「すまない。そうなったとき……俺は、君とその子を守れると、断言はできない」
ベネディクトがどんな未来の想像をしたのか、アルフォンサには知る由もない。
ただ、ベネディクトは嘘を吐かない。そういう人柄だと、アルフォンサは短い付き合いでも把握していた。
アルフォンサとベネディクトとの結婚は、今更ながら誰も幸せにならないのだ。それは愛があればどうにかなる話ではない、抵抗の姿勢を示せばいいわけでも、話し合いが通じるわけでもない。たかが伝統なんて、とのたまう人間には、貴族にとっての誇りや歴史がどれほど重要なのかを分かっていないだけだ。
だからこそ、実際にアルフォンサが差別を受けて、ようやく二人の婚約破棄に足る理由ができた。これを盾に、誰もが望まない婚約の解消が許されるだろうとアルフォンサは見ていた。
アルフォンサは故郷に戻って改めてこの国の貴族以外と婚約を結び、ベネディクトは金髪碧眼のの貴族の女性と結婚すれば、少なくとも今後問題はない。その先の未来がどうなろうと——カサレリア伯爵家はこの国を見限って他国と結びつきを強くし、未だ続く古い伝統に縛られてトカイリナ伯爵家は落日の国とともに生きる道を選ぶとしても、それは——二人に関係はないのだ。
「あなたは誠実だから、できもしないことをできるとは言わない。あなたのその美徳を、私はちゃんと知っているわ。だからこそ、私だけでなくあなたのためにも、別れましょう」
深刻な表情のままうなだれるベネディクトへ、アルフォンサが他にかけられる言葉はなかった。
アルフォンサはその横を通りすぎ、すみやかにトカイリナ伯爵家から去っていく。
(さようなら、ベネディクト。あなたが『この国の貴族』らしかったのなら婚約は続けざるをえなかったでしょう。でもそうじゃない、あなたは優しくて誠実だもの。そんな人や愛する子どもが私といることでああも悪し様に罵られるなんて……私には耐えられないわ)
アルフォンサが夢見がちな乙女であったなら、愛する二人は多くの苦難を乗り越えて幸せな結末を迎えた、という未来を信じられたかもしれない。
だが、現実はそうはいかない。長く戦場に立つ父の影響か、はたまたアルフォンサの性格が冷静すぎたのか、アルフォンサは都合のよい夢を見る才能がなかった。
アルフォンサのコートのポケットにある懐中時計は、午後三時を指していた。今から王都郊外にある駅へ向かえば、故郷であるカサレリア行きの最終列車に間に合うか。すでに荷物はまとめてトランクに詰め込み、外で待たせていた馬車に積んであるから、そのままアルフォンサも馬車へ乗り込んで半月前に王都へ来たときの道を逆順に辿るだけだ。
せめて故郷まで当家の使用人か護衛を付けましょう、と追いかけてきたトカイリナ伯爵家の執事が申し出てくれたが、アルフォンサは丁重に断った。トカイリナ伯爵家には無礼をしてしまった上にさらなる面倒をかけたくないし、そもそもカサレリアからアルフォンサは一人でやってきたから帰りも一人で十分だった。
しかし、来年の春に結婚式を挙げるために、無理して冬に入る前に王都へやってきたというのに——なんとも、王都にやってきたことは徒労のような、ただ嫌な思いをしただけ——そう思いかけたアルフォンサは、頭を横に振った。
(……ううん、ベネディクトはいい人だったわ。それにトカイリナ伯爵夫妻も戸惑ってはいても私をトカイリナ伯爵家へ迎えるつもりはあったから、私は初対面で追い返されなかった。彼らとの出会いは、良きものだった。ただ、私のせいでそれが続かなかっただけよ)
喉元まで出かかったため息を呑み込み、アルフォンサは前を向く。父と母から受け継いだ二色の瞳が悪いのではない、ベネディクトが悪いわけでもない。
貴族令嬢らしく、アルフォンサが幸せに酔いしれることができなかったから、悪いのだ——。
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