婚約破棄された令嬢の前に現れたのは、移動式屋台カフェ。

ルーシャオ

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第四章 アルフォンサ

第二話

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 とっくに陽の落ちた午後五時を回って、うら寂しい王都郊外の駅には、ひとけもまばらだった。

 トランク片手のアルフォンサは、今度こそため息を吐いた。

 駅のエントランスに掲げられた黒板の時刻表には、大きく白いチョークで遅延ディレイと記されている。つまり全体的に遅れているのだが、アルフォンサが窓口の駅員へ「カサレリア方面へ向かう列車はいつ来るのか?」と尋ねたところで「急ぎではないなら明日以降の出発にしてください」と呑気に言われただけだった。

 致し方ない。最近ようやく王都から東西南北の都市を結ぶ線路ができたばかりで、王都でさえ一日にやってくる便は十本に満たない。この国で旅客鉄道を使うのは新しいもの好きな王侯貴族か裕福な商人くらいで、庶民の旅の足は未だに馬車か徒歩だ。もっとも、王都・カサレリア間にはそこそこ広い渓谷地帯があるため、アルフォンサとしては十日近くかけて遠回りの馬車に乗って帰るくらいなら、せいぜい一日二日の我慢で済む鉄道一択となる。

 とはいえだ、最低限の用途しか持たせられなかった駅舎に留まるのはなかなかに厳しい。煉瓦造りの駅舎は狭いエントランス部分だけは雨風をしのげるが、ホームや駅前には屋根さえない。郊外に建てられたせいでホテルやレストランのような食事を頼める場所もなく、待ち合いの馬車がときどき王都中心部へと行き来するだけ、駅舎警備の警察官もドラム缶の心もとない焚き火に当たって暇そうだ。

(王都に来るまでは、こんなに不便で遅れたところだとは思いもしなかった。お父様の国許くにもとはとっくに鉄道を全土に敷設していたし、カサレリア伯爵領もそれにならったおかげで栄えていた……少なくとも、この王都よりは。はあ、やっぱり実際に来てみないと分からないこともあるものね。高くついたけれど勉強になったわ、本当に)

 アルフォンサはコートの襟元にしっかりマフラーを入れて、隙間をなくして寒さに耐える。父からもらった頑丈なグレーのウールコートは元は男性用なのだが、洗練されたデザインで何より暖かい。女性にしては背の高いアルフォンサにはピッタリだ。それに、飴色のベルトを腰に巻けば、十分に女性用のファッションとして成り立つ。

 ただまあ、思えばそうやってアルフォンサの父は実用的なものばかり娘に贈り、可愛がるあまり仕事先——戦場一歩手前にも連れていくような人だったから、自身が貴族令嬢らしからぬ性分になってしまったのではないか、とアルフォンサは疑っている。とりあえず、ドレスを着た人々よりも軍服を着た人々と長く過ごしてきた自覚は、アルフォンサにもあった。

 そうして、ひとまず寒風吹き込む場所を避け、駅舎の表口あたりで一息つける場所を探していたアルフォンサは、予想だにしなかったいいものを見つけて口角が上がる。

 それは近づくと、アルフォンサの期待どおりの——屋台だったのだ。壁際に停めた水色の自転車の前輪上、カゴ部分に大きく箱型の木製台座と大型ランプが設置され、少し曇ったガラス張りの炭コンロに載るコーヒーケトルからは湯気が漏れている。その横には半円形のカウンターが広げられ、シュガーポットがあるのだからもう間違いない、それに壁に立てかけられた看板にはメニューとともにしっかりと『カフェ』の文字が踊っていた。

 アルフォンサが風の噂で聞いた、カーゴバイクという荷台の大きな自転車に小さな屋台を載せる、移動式屋台。外国では都市部で店舗を持たずに営業できるからと流行っているらしく、冬の風物詩である焼き栗やカフェの移動式屋台が人気だそうな。

(こんなところにもあったのね。よかった、一度使ってみたいと思っていたの。コーヒーのいい香りがするし、変な店ではなさそう……うぅん、一人で買い食いなんて初めてだわ。小銭を出さなきゃ、ええと)

 異国の流行ものにちょっとした憧れを抱いていたアルフォンサは、もう使わないレティキュールに用意していた小銭入れを取り出して、いそいそと屋台へ近づく。こんなこともあろうかと、ほんの少しだけ小銭を持っていたのだ。貴族令嬢が財布を持つこと自体ありえないが、やはり王都だと目新しい買い物もできるのだろうかと密かに期待していた名残だった。

 屋台の自転車のそばで、店主と思しき一人の壮年の男性がカンカン帽キャノチエを目深にかぶって、金縁の丸眼鏡を曇らせて、小さなカップを傾けていた。先ほどから漂うコーヒーの香りは、どうやらそれが元らしい。

 分厚いツイードのジャケットを羽織り、ライトブラウンのチェック柄フランネルシャツとエプロン、首元にはお洒落なのか水色のチーフ、というこの国ではあまり見かけない格好だが、みすぼらしい身なりというわけではない。むしろ清潔感さえあり、これならばと安心感を覚えたアルフォンサは、ちょっとだけ勇気を出して店主へ声をかけた。

「ねえ、あなた。温かい飲み物はあるかしら?」

 その言い方だと少し偉そうだったかもしれない、とさっそく後悔と反省しきりのアルフォンサだったが、店主はにこやかに応えた。

「ありますよ。こちら、メニューをどうぞ」
「ありがとう。次の列車までけっこう時間があるらしくて、我慢できなくなって」
「でしょうねぇ。大抵のものは作れますからお気軽にどうぞ」

 ペラ紙のメニューを渡されたアルフォンサは、見慣れないカフェの品目名たちを真剣に読んでいく。カフェではコーヒーか紅茶、と思っていたら、コーヒーひとつとっても種類がずらりと、紅茶には茶葉と淹れ方がまたずらりと並んでいる。中にはアルフォンサの聞いたことのないメニューまであるとなれば、知ったかぶりで選ぶとさらに後悔しそうだ。

 アルフォンサは、とりあえず目を引いたものについて、おずおずと店主へ尋ねてみる。

「この、カフェ・ロワイヤルって何かしら?」

 その名を口にしてみると——品目名からしてなんだか聞いたことのある語感だと思ったら、どうやら西の大国の言葉だ、とアルフォンサは気付いた。カフェという言葉自体も西の大国のものだが、はて、そこに付く『ロワイヤル豪華な』とはどういうことだろうか?

 いまいち、その完成品が想像できない。悩むアルフォンサへ、店主は気軽にこう言った。

「試してみますか? アルコールの香りが苦手でなければ」
「そう、なの? お酒は大丈夫だけれど」
「ああ、アルコール自体は飛びますから酔いませんよ。ある国の皇帝がお気に入りだったという逸話もある、見た目も華々しいコーヒーです」
「へえ……じゃあ、それをお願いするわ」
「はいよ」

 店主は飲んでいた小さなカップを屋台の端に置き、注文の品を作りはじめる。

 そこからは、あっという間の出来事だった。
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