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第四章 アルフォンサ
第三話
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挽きたてのコーヒー豆の粉が、細長い百合の花を思わせるドリッパーにセットされる。静かに沸きっぱなしのケトルからその中心へとお湯が注がれ、下で待ち構えている陶磁器のコーヒーカップへぽたりぽたりと染み出ていく。あまりにもスムーズに、魔法のように濃いめのコーヒーが生み出されると、ソーサーに乗ったカップの上に、不思議な形のスプーンが引っ掛けられた。
本来楕円形をした皿部分は四角く深く、その先端に縁へ引っ掛ける爪のついた、少し柄の長いスプーン。コーヒーカップにすっかりまたがって、さらに麦色の角砂糖が二つ、ことんと皿に置かれた。
まるで儀式か何かのようだ。アルフォンサは首を捻り、目の前のコーヒーが意味するところを読み解こうとする。
「コーヒーに……角砂糖、このスプーンは?」
「ロワイヤルスプーンという、角砂糖を燃やすためだけの専用スプーンですよ」
「燃やす!?」
思わず声を上げてしまい、慌ててアルフォンサは口元を押さえた。
(角砂糖って燃えるの? えぇ……? どういうこと?)
砂糖が水に溶け、鍋で焦がしてカラメルソースが作られることは知っていても、砂糖そのものが燃えるとはどういうことか分からないアルフォンサには、もはやお手上げだ。
すると、店主は炭コンロの隣に置かれていた可愛らしい鉄製のミルクピッチャーをミトンを付けた手で持ってきて、楽しそうな表情でゆっくり種明かしする。
「百聞は一見に如かず。ちょいと温めたスプーンに角砂糖を載せて、ブランデーを染み込ませ、火を着けると」
鉄製ミルクピッチャーに入っていたのはミルクではなく、ほんのりアルコールの香り立つ琥珀色の液体、ブランデーだった。ロワイヤルスプーンの角砂糖がわずかに浸る量を注ぎ、今度はマッチを擦ってスプーンの先へと近づける。
勢いよく生まれた赤い火は、ブランデーの湿気を帯びた角砂糖へと瞬く間に移った。それは赤色の中に沈む——かと思いきや、アルフォンサはまたしても声を上げる。
「わあ……! 綺麗な色ね」
スプーンで燃え上がる赤色は、すぐさま青へと変化していた。青い炎は穏やかに角砂糖を包み込み、ブランデーのアルコールを頼って燃える。
「ちょうど夜に入る今頃に映えるんですよ。少し眺めを楽しんでください」
いつの間にか大型ランプが遠ざけられ、アルフォンサは薄闇のテーブル上で青い火のかたまりを見つめていた。そっと店主が風除けとなっていて、生き物のようにふわりと揺れる青い火を守っている。
ランプや蝋燭、暖炉の薪がくべられた火まで、火というものはおおよそ赤い。もちろん青い火が存在することはアルフォンサも知っている。鍛冶場の炉のような高温の火力が必要とされるところでは、火炎とは赤であり青なのだ。
そのはずが、ぼんやりと灯るスプーンの上の角砂糖の火は、青い。幽玄ささえも感じさせる青い火は、儚くも角砂糖を少しばかり焦がして、消えていく。
アルフォンサは名残惜しさのあまり、ため息を漏らした。
「ああ、火が消えちゃった。でも、思った以上に楽しめたわ」
「次はそいつをコーヒーに入れて、味を楽しんでください」
「ええ、それじゃあ」
今度は大型ランプを近づけてもらい、アルフォンサはスプーンごと角砂糖だったものをコーヒーの海へとゆっくり沈めていった。二、三度スプーンを前後に振り、すっかり溶けてしまった角砂糖を偲びながら、アルフォンサはカップに口付ける。
アルフォンサは忘れていた。これはコーヒーであり、ブランデーを添えたものなのだ。飛びきっていないアルコールのくらりとする香り、ブランデーの寝かされていた樽の木の香り、薄く残る果実にも似た香り。それでもコーヒーは負けずに味を主張し、溶けた角砂糖も甘味を引き出され、まるで「これはあくまでコーヒー、ブランデーじゃあないんだ」とおふざけをしているようだ。
そこへ、さっきとは違う、ちゃんとミルクの入った小さなミルクピッチャーが店主から差し出される。
「半分くらい飲んだら、味を変えてみても美味いですよ」
なるほど、とアルフォンサは素直におすすめの飲み方に従ってみる。これもまたカフェラテに似たまろやかな味わいとなり、何ともはや、コーヒーとブランデーとミルク、という贅沢な飲み物になってしまった。
知らず知らず笑ってしまうほどに、アルフォンサはすっかりカフェ・ロワイヤルに満足していた。
「ふふっ、ふふふ……こんな味もあるのね。意外だわ、コーヒーとブランデーなんて」
「紅茶とウィスキーよりは健康的ですからね」
「あれはせっかくの紅茶が台無しよ。コーヒーなら全然、ブランデーに風味も負けないものね。実家へ戻る前に、いいことを教えてもらったわ」
——あら? 実家、だなんて口走るとは思ってもみなかったわ。
——でも、そこまで言ってしまったのなら。
アルフォンサは、自分の口が軽くなったのはカフェ・ロワイヤルのせいにしてしまえ、とばかりに、心のどこかに引っかかっていた思いを、カップの中に残った水面を見つめながら、吐露した。
「今日の夜行列車で、カサレリアの実家へ戻るの」
「そりゃまた、お若いのに」
「ああ、結婚まで行かなかったから、婚約の破棄を申し渡してきただけよ。いいの、この国の古い貴族に私は歓迎されない、って早く気付けたし」
そう、それだけのことだ。アルフォンサはこれからをざっと考えてみる。
婚約の破棄については、カサレリア伯爵家からトカイリナ伯爵家にいくらか賠償金を払うことになるだろうが、トカイリナ伯爵家もそれほど求めてはこないだろう。ベネディクトの婚約者はオッドアイだと先に確認しなかったのだし、金髪碧眼でなければ貴族ではないという考えを表立って持ち出すような真似はしないはずだ。
一方、アルフォンサの実家カサレリア伯爵家としては青天の霹靂かもしれないが、当事者であるアルフォンサがきちんと説明をすれば父母ともに婚約破棄に至った事情を理解してくれるだろう。すでに婚約をしていた二人が納得しているのだ、ことここに至って状況をひっくり返そうとする邪魔者はひとまずいない。少なくとも、カサレリア伯爵家側でアルフォンサを再度王都の貴族へ嫁がせようとする人間はいないと見ていい。
ならば、もうアルフォンサはベネディクトとの婚約を忘れてしまっていい。
そのはずだが、やはりつい二時間前の出来事だと思うと、まだアルフォンサは終わったことだとは思えないままなのだ。これではいけない、故郷に帰る前に気持ちの整理をつけなくてはならない。だから、このことについて誰かと話したかった。
店主は、そんなアルフォンサを拒むことはなく、逆にこんな核心に迫ったことを尋ねてきた。
「失礼ながら、婚約破棄はその左目の色が原因で?」
「あら、目敏いわね」
「こんな場末のカフェでも、貴族相手の商売もするんですよ。ご令嬢らしい水色の目かと思いきや、琥珀色の目もしてらっしゃるから、もしかしてと思ってね」
「そう。まあ、そういうことよ。私の母はカサレリア伯爵家の一人娘で、父は東の隣国から来た人だった。父は故郷では相当位の高い軍人だったけれど、同盟相手のカサレリア伯爵家に気に入られて婿入りしたの。そして生まれたのが、オッドアイの私。父と母にはとても喜ばれて、両国の架け橋になるだろうと言われて育ったから、まさかここに来るまで嫌われる要素になるとは思ってもみなかったわ」
結局、色々と理由をつけていても、アルフォンサとしては純粋に『嫌われた』ことがショックだったのだ。
今まで自分が誇りに思っていた特徴が、王都では嫌われることだった。
それだけならまだよかった。好きになっていた人までもがそれを否定しきれない立場にあって、苦悩していると知れば、もうアルフォンサは別れを決断しなくてはならない。
それに——アルフォンサだって貴族の端くれだ。アルフォンサの琥珀色の左目を嫌う人々を、伝統を持ち出した人々を軽々と否定はできない、してはいけなかった。アルフォンサだって、あの老婦人の咎だとばかり責められないのだ。
それをようやく飲み込めた今、アルフォンサは言葉として紡いで、その気持ちをそっと放り出す。
「この変化の激しい時代には、そういう古い伝統に縋りたい人もいるんでしょう、きっと。それを否定する気はないわ、誰しも信じたいものがある。たとえ、誰かを貶めたとしても」
アルフォンサはカップの残りを飲み干し、ソーサーごと店主へ手渡す。金縁の丸眼鏡の店主はアルフォンサの不幸を嗤うこともなく、ただ頷いた。
「それは何とも、ご苦労しましたね。往々にして、そういうのはさらに別の、もっと偉大な伝統を持ってきたらすぐに鞍替えするでしょうけどねぇ」
「分かっているじゃない。そういえば、さっきの逸話。皇帝の話はどう?」
「ああ、とある辺境生まれの軍人が、革命の中で成り上がって皇帝になったんですよ。そいつがそのカフェ・ロワイヤルを好んでたんです」
「そんなこともあるのね」
「はたまたもう一つ、その皇帝が尊敬していたはるか昔のある英雄は、ブラウンとブルーの目をしていた、とかもね」
店主はさらっと、アルフォンサがとんでもなく気になる情報を口にした。
ブラウンとブルーの目をした英雄。アルフォンサにとって、自分と同じオッドアイの、古の英雄がいたことは初耳だった。いや、もしかすると自分を慰めようと嘘を吐いているのか、と半信半疑でアルフォンサは店主の様子を窺う。
「初めて聞いたわ」
「そんなこともありますよ。帰ったら、お父上にそんな英雄はいるかどうか聞いてみたらどうです? ご存じかもしれませんよ」
「そう……そうね、うん。いい話を聞いたわ。ありがとう、私もそんな英雄になれるかしら」
「なりたいなら、なれるんじゃないですか」
「なんだか適当な答えね」
「英雄かどうかを決めるのは、俺じゃないしあなたでもないですからねぇ」
「なぁに、それ。ふふっ、変なの」
「ま、験担ぎくらいに思っといてください。カフェ・ロワイヤル、お味はどうでしたか?」
してやったりの店主へ、アルフォンサは微笑み返す。
「そんなの、聞くまでもないじゃない。これで、私は晴れやかな気持ちでカサレリアへ帰れるわ」
アルフォンサは、お礼とばかりに小銭入れの入ったレティキュールごと店主に押しつけ、もう一度駅員に次の列車の時刻を聞くために駅舎へと戻っていく。
夜空の下、遠くで汽笛が鳴っていた。
本来楕円形をした皿部分は四角く深く、その先端に縁へ引っ掛ける爪のついた、少し柄の長いスプーン。コーヒーカップにすっかりまたがって、さらに麦色の角砂糖が二つ、ことんと皿に置かれた。
まるで儀式か何かのようだ。アルフォンサは首を捻り、目の前のコーヒーが意味するところを読み解こうとする。
「コーヒーに……角砂糖、このスプーンは?」
「ロワイヤルスプーンという、角砂糖を燃やすためだけの専用スプーンですよ」
「燃やす!?」
思わず声を上げてしまい、慌ててアルフォンサは口元を押さえた。
(角砂糖って燃えるの? えぇ……? どういうこと?)
砂糖が水に溶け、鍋で焦がしてカラメルソースが作られることは知っていても、砂糖そのものが燃えるとはどういうことか分からないアルフォンサには、もはやお手上げだ。
すると、店主は炭コンロの隣に置かれていた可愛らしい鉄製のミルクピッチャーをミトンを付けた手で持ってきて、楽しそうな表情でゆっくり種明かしする。
「百聞は一見に如かず。ちょいと温めたスプーンに角砂糖を載せて、ブランデーを染み込ませ、火を着けると」
鉄製ミルクピッチャーに入っていたのはミルクではなく、ほんのりアルコールの香り立つ琥珀色の液体、ブランデーだった。ロワイヤルスプーンの角砂糖がわずかに浸る量を注ぎ、今度はマッチを擦ってスプーンの先へと近づける。
勢いよく生まれた赤い火は、ブランデーの湿気を帯びた角砂糖へと瞬く間に移った。それは赤色の中に沈む——かと思いきや、アルフォンサはまたしても声を上げる。
「わあ……! 綺麗な色ね」
スプーンで燃え上がる赤色は、すぐさま青へと変化していた。青い炎は穏やかに角砂糖を包み込み、ブランデーのアルコールを頼って燃える。
「ちょうど夜に入る今頃に映えるんですよ。少し眺めを楽しんでください」
いつの間にか大型ランプが遠ざけられ、アルフォンサは薄闇のテーブル上で青い火のかたまりを見つめていた。そっと店主が風除けとなっていて、生き物のようにふわりと揺れる青い火を守っている。
ランプや蝋燭、暖炉の薪がくべられた火まで、火というものはおおよそ赤い。もちろん青い火が存在することはアルフォンサも知っている。鍛冶場の炉のような高温の火力が必要とされるところでは、火炎とは赤であり青なのだ。
そのはずが、ぼんやりと灯るスプーンの上の角砂糖の火は、青い。幽玄ささえも感じさせる青い火は、儚くも角砂糖を少しばかり焦がして、消えていく。
アルフォンサは名残惜しさのあまり、ため息を漏らした。
「ああ、火が消えちゃった。でも、思った以上に楽しめたわ」
「次はそいつをコーヒーに入れて、味を楽しんでください」
「ええ、それじゃあ」
今度は大型ランプを近づけてもらい、アルフォンサはスプーンごと角砂糖だったものをコーヒーの海へとゆっくり沈めていった。二、三度スプーンを前後に振り、すっかり溶けてしまった角砂糖を偲びながら、アルフォンサはカップに口付ける。
アルフォンサは忘れていた。これはコーヒーであり、ブランデーを添えたものなのだ。飛びきっていないアルコールのくらりとする香り、ブランデーの寝かされていた樽の木の香り、薄く残る果実にも似た香り。それでもコーヒーは負けずに味を主張し、溶けた角砂糖も甘味を引き出され、まるで「これはあくまでコーヒー、ブランデーじゃあないんだ」とおふざけをしているようだ。
そこへ、さっきとは違う、ちゃんとミルクの入った小さなミルクピッチャーが店主から差し出される。
「半分くらい飲んだら、味を変えてみても美味いですよ」
なるほど、とアルフォンサは素直におすすめの飲み方に従ってみる。これもまたカフェラテに似たまろやかな味わいとなり、何ともはや、コーヒーとブランデーとミルク、という贅沢な飲み物になってしまった。
知らず知らず笑ってしまうほどに、アルフォンサはすっかりカフェ・ロワイヤルに満足していた。
「ふふっ、ふふふ……こんな味もあるのね。意外だわ、コーヒーとブランデーなんて」
「紅茶とウィスキーよりは健康的ですからね」
「あれはせっかくの紅茶が台無しよ。コーヒーなら全然、ブランデーに風味も負けないものね。実家へ戻る前に、いいことを教えてもらったわ」
——あら? 実家、だなんて口走るとは思ってもみなかったわ。
——でも、そこまで言ってしまったのなら。
アルフォンサは、自分の口が軽くなったのはカフェ・ロワイヤルのせいにしてしまえ、とばかりに、心のどこかに引っかかっていた思いを、カップの中に残った水面を見つめながら、吐露した。
「今日の夜行列車で、カサレリアの実家へ戻るの」
「そりゃまた、お若いのに」
「ああ、結婚まで行かなかったから、婚約の破棄を申し渡してきただけよ。いいの、この国の古い貴族に私は歓迎されない、って早く気付けたし」
そう、それだけのことだ。アルフォンサはこれからをざっと考えてみる。
婚約の破棄については、カサレリア伯爵家からトカイリナ伯爵家にいくらか賠償金を払うことになるだろうが、トカイリナ伯爵家もそれほど求めてはこないだろう。ベネディクトの婚約者はオッドアイだと先に確認しなかったのだし、金髪碧眼でなければ貴族ではないという考えを表立って持ち出すような真似はしないはずだ。
一方、アルフォンサの実家カサレリア伯爵家としては青天の霹靂かもしれないが、当事者であるアルフォンサがきちんと説明をすれば父母ともに婚約破棄に至った事情を理解してくれるだろう。すでに婚約をしていた二人が納得しているのだ、ことここに至って状況をひっくり返そうとする邪魔者はひとまずいない。少なくとも、カサレリア伯爵家側でアルフォンサを再度王都の貴族へ嫁がせようとする人間はいないと見ていい。
ならば、もうアルフォンサはベネディクトとの婚約を忘れてしまっていい。
そのはずだが、やはりつい二時間前の出来事だと思うと、まだアルフォンサは終わったことだとは思えないままなのだ。これではいけない、故郷に帰る前に気持ちの整理をつけなくてはならない。だから、このことについて誰かと話したかった。
店主は、そんなアルフォンサを拒むことはなく、逆にこんな核心に迫ったことを尋ねてきた。
「失礼ながら、婚約破棄はその左目の色が原因で?」
「あら、目敏いわね」
「こんな場末のカフェでも、貴族相手の商売もするんですよ。ご令嬢らしい水色の目かと思いきや、琥珀色の目もしてらっしゃるから、もしかしてと思ってね」
「そう。まあ、そういうことよ。私の母はカサレリア伯爵家の一人娘で、父は東の隣国から来た人だった。父は故郷では相当位の高い軍人だったけれど、同盟相手のカサレリア伯爵家に気に入られて婿入りしたの。そして生まれたのが、オッドアイの私。父と母にはとても喜ばれて、両国の架け橋になるだろうと言われて育ったから、まさかここに来るまで嫌われる要素になるとは思ってもみなかったわ」
結局、色々と理由をつけていても、アルフォンサとしては純粋に『嫌われた』ことがショックだったのだ。
今まで自分が誇りに思っていた特徴が、王都では嫌われることだった。
それだけならまだよかった。好きになっていた人までもがそれを否定しきれない立場にあって、苦悩していると知れば、もうアルフォンサは別れを決断しなくてはならない。
それに——アルフォンサだって貴族の端くれだ。アルフォンサの琥珀色の左目を嫌う人々を、伝統を持ち出した人々を軽々と否定はできない、してはいけなかった。アルフォンサだって、あの老婦人の咎だとばかり責められないのだ。
それをようやく飲み込めた今、アルフォンサは言葉として紡いで、その気持ちをそっと放り出す。
「この変化の激しい時代には、そういう古い伝統に縋りたい人もいるんでしょう、きっと。それを否定する気はないわ、誰しも信じたいものがある。たとえ、誰かを貶めたとしても」
アルフォンサはカップの残りを飲み干し、ソーサーごと店主へ手渡す。金縁の丸眼鏡の店主はアルフォンサの不幸を嗤うこともなく、ただ頷いた。
「それは何とも、ご苦労しましたね。往々にして、そういうのはさらに別の、もっと偉大な伝統を持ってきたらすぐに鞍替えするでしょうけどねぇ」
「分かっているじゃない。そういえば、さっきの逸話。皇帝の話はどう?」
「ああ、とある辺境生まれの軍人が、革命の中で成り上がって皇帝になったんですよ。そいつがそのカフェ・ロワイヤルを好んでたんです」
「そんなこともあるのね」
「はたまたもう一つ、その皇帝が尊敬していたはるか昔のある英雄は、ブラウンとブルーの目をしていた、とかもね」
店主はさらっと、アルフォンサがとんでもなく気になる情報を口にした。
ブラウンとブルーの目をした英雄。アルフォンサにとって、自分と同じオッドアイの、古の英雄がいたことは初耳だった。いや、もしかすると自分を慰めようと嘘を吐いているのか、と半信半疑でアルフォンサは店主の様子を窺う。
「初めて聞いたわ」
「そんなこともありますよ。帰ったら、お父上にそんな英雄はいるかどうか聞いてみたらどうです? ご存じかもしれませんよ」
「そう……そうね、うん。いい話を聞いたわ。ありがとう、私もそんな英雄になれるかしら」
「なりたいなら、なれるんじゃないですか」
「なんだか適当な答えね」
「英雄かどうかを決めるのは、俺じゃないしあなたでもないですからねぇ」
「なぁに、それ。ふふっ、変なの」
「ま、験担ぎくらいに思っといてください。カフェ・ロワイヤル、お味はどうでしたか?」
してやったりの店主へ、アルフォンサは微笑み返す。
「そんなの、聞くまでもないじゃない。これで、私は晴れやかな気持ちでカサレリアへ帰れるわ」
アルフォンサは、お礼とばかりに小銭入れの入ったレティキュールごと店主に押しつけ、もう一度駅員に次の列車の時刻を聞くために駅舎へと戻っていく。
夜空の下、遠くで汽笛が鳴っていた。
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