ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?

ルーシャオ

文字の大きさ
19 / 22

第十九話 『行方不明のクラリッサ嬢』事件の幕切れ

しおりを挟む
 夕方、マダム・マーガリーは人を遣わせてクロードを呼びつけた。ロロベスキ侯爵領都ゾフィア郊外の馬車停留所には真っ黒な四頭立て馬車が用意されており、ベージュの外套を羽織ったアンドーチェともう一人——顔上半分を隠すヴェールを被り、つま先から首元までしっかりと隠れるデイドレスとヴィジットコート姿の淑女が馬車の中で待っていた。

 とにかく、一刻も早く国境へ向かわなければならない、というマダム・マーガリーの命令もあって、最後の乗客であるクロードを乗せて、馬車はすぐさま走り出す。はじめに馬のいななきが、次に馬蹄が地面を叩く音が、そして雨と風が次第に強くなってざあざあと本降りになっていく。

 一方、馬車の中では、向かい合わせのベンチとなった前後の座席に、クロードとアンドーチェが並んで座り、見知らぬ淑女は一人静かに座っていた。静粛という言葉がふさわしい佇まいで、彼女は当然どこかの貴婦人だろうということは言われずとも分かる。

 分かるのだが、クロードは彼女の正体について、散々思案した挙句、ついには話しかけることにした。

「あのー、レディ? 自己紹介をしましょうか?」

 すると、見知らぬ淑女はわずかに微笑む。

「いえ、けっこうですわ。お二人のことは存じております」
「そうでしたか。僕はジルヴェイグ大皇国領内であれば多少は案内できます。アンドーチェとどこかへ行くご予定はおありですか?」

 見知らぬ淑女は、ふるふると小さく首を横に振った。

 クロードは確認のため、アンドーチェに問いかける。

「アンドーチェ、彼女とは知り合いかい?」
「いえ、初対面です。マダム・マーガリーの客人は多くて、すべてがすべて見習いの私は関知していないのです」
「そうか。まあ、そんなこともあるのか」

 言葉とは裏腹に、いいや——そんなことがあるわけがない、とクロードは確信した。

 ただ、クロードの口から話すのは邪推でしかないし、さてどうしようか、と思案していたところに、見知らぬ淑女は自ら語りはじめた。

には、何度も謝られました」

 見知らぬ淑女が口にした、その名を持つ人物を、クロードはすぐに特定する。

 ジルヴェイグ大皇国元第二皇女、現サルタローグ公爵夫人キルステン。

 続いて「あ」とアンドーチェが気付いたころには、見知らぬ淑女は話を進めていた。

「貶めたことに、その後の運命のことに、とにかく詫びるほかにないのだと謝罪の手紙をたくさんいただきました。だから、私はもうジルヴェイグ大皇国に対して悪感情は持っておりません。それに、たくさん支援をしていただきましたから、あなたを紹介してくださったことも含めて」

 見知らぬ淑女の言う『あなた』とは、クロードを指すようだった。

 元第二皇女キルステンから謝罪の手紙を受け取り、支援してもらえる人物。それが、今目の前にいる見知らぬ淑女の正体であるとするならば——。

 さすがにそれは、想像の翼が飛躍しすぎている。そう思いつつも、クロードはそれがまだ想像の、実現可能な範疇にあるということを認めざるをえない。

「待ってください。まさか……あなたは」

 見知らぬ淑女は、すっと右手人差し指を立てて自らの口元に当て、クロードを制する。

「この国を出るまでは、どうかただのレディとお呼びください。事情はこの国から遠ざかってから、お話しいたします」

 ほんの少しだけ、見知らぬ淑女は楽しげだ。

 クロードは天を仰ぐ。それを見て、アンドーチェはまだ現実が受け入れられないかのように、戸惑っていた。

「どういうことですか? 彼女は……?」
だよ」
「え? ……え?」

 アンドーチェがクロードと見知らぬ淑女の顔を何度も交互に見る。しかし、答えが書いているわけではない。

 クロードは、推測の最後の一ピースがはまったことに納得し、同時に自らの依頼主の抜け目なさに感服した。

「そういうことか。マダム・マーガリーは、最近まで確信が持てなかったんだ。だから最後の一押し、確信を得るために僕を呼んで、ついでにジルヴェイグ大皇国内でアンドーチェの面倒を見させようとした」

 そしてついに、クロードの意見やその後の展開から、マダム・マーガリーは認めたのだ。

 今、ここにいる見知らぬ淑女は、皆が探し求めていたある女性——、と。

 ぽかんと呆気に取られたアンドーチェの横で、クロードはやれやれと胸を撫で下ろし、しょうもない『行方不明のクラリッサ嬢』事件の幕切れを(こんなものか)と独り受け入れていた。

「はあ、まったく。誰も彼もが、他人を利用する」
「ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
「いいえ、大丈夫ですよ、レディ。ただ、しばらくは僕と偽装結婚をしてください。そのほうが安全でしょう」

 呆けていたアンドーチェも、その単語には敏感に反応する。

「ぎ、偽装結婚!?」
「そう。というわけで、アンドーチェ、しばらく君は僕の義理の娘だから、よろしく」

 重ねて衝撃を受け、呆けて、もうアンドーチェは自分だけ仲間外れのように驚いてばかりのことに不満を持ったらしく、ちょっと怒っていた。

「……はあ、ちゃんと説明してくださいね」
「うん、国境を越えたらね」

 その様子を見て、見知らぬ淑女——ある意味では誰もが親しみを持ち、その名を知る人物——は微笑みを絶やさない。

 クロードは、翌日未明に国境を越え、ジルヴェイグ大皇国に戻ってきた。

 アンドーチェという少女と、クラリッサという女性を伴って、帝立フローリングス大学のある東の土地までの旅は、一週間ほど。

 その間に、クラリッサから聞かされた話は、時間の制約もあって事件のほんの一部にすぎなかった。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

婚約破棄に乗り換え、上等です。私は名前を変えて隣国へ行きますね

ルーシャオ
恋愛
アンカーソン伯爵家令嬢メリッサはテイト公爵家後継のヒューバートから婚約破棄を言い渡される。幼い頃妹ライラをかばってできたあざを指して「失せろ、その顔が治ってから出直してこい」と言い放たれ、挙句にはヒューバートはライラと婚約することに。 失意のメリッサは王立寄宿学校の教師マギニスの言葉に支えられ、一人で生きていくことを決断。エミーと名前を変え、隣国アスタニア帝国に渡って書籍商になる。するとあるとき、ジーベルン子爵アレクシスと出会う。ひょんなことでアレクシスに顔のあざを見られ——。

婚約破棄されました。

まるねこ
恋愛
私、ルナ・ブラウン。歳は本日14歳となったところですわ。家族は父ラスク・ブラウン公爵と母オリヴィエ、そして3つ上の兄、アーロの4人家族。 本日、私の14歳の誕生日のお祝いと、婚約者のお披露目会を兼ねたパーティーの場でそれは起こりました。 ド定番的な婚約破棄からの恋愛物です。 習作なので短めの話となります。 恋愛大賞に応募してみました。内容は変わっていませんが、少し文を整えています。 ふんわり設定で気軽に読んでいただければ幸いです。 Copyright©︎2020-まるねこ

【完】隣国に売られるように渡った王女

まるねこ
恋愛
幼いころから王妃の命令で勉強ばかりしていたリヴィア。乳母に支えられながら成長し、ある日、父である国王陛下から呼び出しがあった。 「リヴィア、お前は長年王女として過ごしているが未だ婚約者がいなかったな。良い嫁ぎ先を選んでおいた」と。 リヴィアの不遇はいつまで続くのか。 Copyright©︎2024-まるねこ

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。

なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。 本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

酒の席での戯言ですのよ。

ぽんぽこ狸
恋愛
 成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。  何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。  そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

婚約破棄で見限られたもの

志位斗 茂家波
恋愛
‥‥‥ミアス・フォン・レーラ侯爵令嬢は、パスタリアン王国の王子から婚約破棄を言い渡され、ありもしない冤罪を言われ、彼女は国外へ追放されてしまう。 すでにその国を見限っていた彼女は、これ幸いとばかりに別の国でやりたかったことを始めるのだが‥‥‥ よくある婚約破棄ざまぁもの?思い付きと勢いだけでなぜか出来上がってしまった。

処理中です...