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第十九話 『行方不明のクラリッサ嬢』事件の幕切れ
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夕方、マダム・マーガリーは人を遣わせてクロードを呼びつけた。ロロベスキ侯爵領都ゾフィア郊外の馬車停留所には真っ黒な四頭立て馬車が用意されており、ベージュの外套を羽織ったアンドーチェともう一人——顔上半分を隠すヴェールを被り、つま先から首元までしっかりと隠れるデイドレスとヴィジットコート姿の淑女が馬車の中で待っていた。
とにかく、一刻も早く国境へ向かわなければならない、というマダム・マーガリーの命令もあって、最後の乗客であるクロードを乗せて、馬車はすぐさま走り出す。はじめに馬のいななきが、次に馬蹄が地面を叩く音が、そして雨と風が次第に強くなってざあざあと本降りになっていく。
一方、馬車の中では、向かい合わせのベンチとなった前後の座席に、クロードとアンドーチェが並んで座り、見知らぬ淑女は一人静かに座っていた。静粛という言葉がふさわしい佇まいで、彼女は当然どこかの貴婦人だろうということは言われずとも分かる。
分かるのだが、クロードは彼女の正体について、散々思案した挙句、ついには話しかけることにした。
「あのー、レディ? 自己紹介をしましょうか?」
すると、見知らぬ淑女はわずかに微笑む。
「いえ、けっこうですわ。お二人のことは存じております」
「そうでしたか。僕はジルヴェイグ大皇国領内であれば多少は案内できます。アンドーチェとどこかへ行くご予定はおありですか?」
見知らぬ淑女は、ふるふると小さく首を横に振った。
クロードは確認のため、アンドーチェに問いかける。
「アンドーチェ、彼女とは知り合いかい?」
「いえ、初対面です。マダム・マーガリーの客人は多くて、すべてがすべて見習いの私は関知していないのです」
「そうか。まあ、そんなこともあるのか」
言葉とは裏腹に、いいや——そんなことがあるわけがない、とクロードは確信した。
ただ、クロードの口から話すのは邪推でしかないし、さてどうしようか、と思案していたところに、見知らぬ淑女は自ら語りはじめた。
「キルステンには、何度も謝られました」
見知らぬ淑女が口にした、その名を持つ人物を、クロードはすぐに特定する。
ジルヴェイグ大皇国元第二皇女、現サルタローグ公爵夫人キルステン。
続いて「あ」とアンドーチェが気付いたころには、見知らぬ淑女は話を進めていた。
「貶めたことに、その後の運命のことに、とにかく詫びるほかにないのだと謝罪の手紙をたくさんいただきました。だから、私はもうジルヴェイグ大皇国に対して悪感情は持っておりません。それに、たくさん支援をしていただきましたから、あなたを紹介してくださったことも含めて」
見知らぬ淑女の言う『あなた』とは、クロードを指すようだった。
元第二皇女キルステンから謝罪の手紙を受け取り、支援してもらえる人物。それが、今目の前にいる見知らぬ淑女の正体であるとするならば——。
さすがにそれは、想像の翼が飛躍しすぎている。そう思いつつも、クロードはそれがまだ想像の、実現可能な範疇にあるということを認めざるをえない。
「待ってください。まさか……あなたは」
見知らぬ淑女は、すっと右手人差し指を立てて自らの口元に当て、クロードを制する。
「この国を出るまでは、どうかただのレディとお呼びください。事情はこの国から遠ざかってから、お話しいたします」
ほんの少しだけ、見知らぬ淑女は楽しげだ。
クロードは天を仰ぐ。それを見て、アンドーチェはまだ現実が受け入れられないかのように、戸惑っていた。
「どういうことですか? 彼女は……?」
「君のお母さんだよ」
「え? ……え?」
アンドーチェがクロードと見知らぬ淑女の顔を何度も交互に見る。しかし、答えが書いているわけではない。
クロードは、推測の最後の一ピースがはまったことに納得し、同時に自らの依頼主の抜け目なさに感服した。
「そういうことか。マダム・マーガリーは、最近まで確信が持てなかったんだ。だから最後の一押し、確信を得るために僕を呼んで、ついでにジルヴェイグ大皇国内でアンドーチェの面倒を見させようとした」
そしてついに、クロードの意見やその後の展開から、マダム・マーガリーは認めたのだ。
今、ここにいる見知らぬ淑女は、皆が探し求めていたある女性——クラリッサなのだ、と。
ぽかんと呆気に取られたアンドーチェの横で、クロードはやれやれと胸を撫で下ろし、しょうもない『行方不明のクラリッサ嬢』事件の幕切れを(こんなものか)と独り受け入れていた。
「はあ、まったく。誰も彼もが、他人を利用する」
「ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
「いいえ、大丈夫ですよ、レディ。ただ、しばらくは僕と偽装結婚をしてください。そのほうが安全でしょう」
呆けていたアンドーチェも、その単語には敏感に反応する。
「ぎ、偽装結婚!?」
「そう。というわけで、アンドーチェ、しばらく君は僕の義理の娘だから、よろしく」
重ねて衝撃を受け、呆けて、もうアンドーチェは自分だけ仲間外れのように驚いてばかりのことに不満を持ったらしく、ちょっと怒っていた。
「……はあ、ちゃんと説明してくださいね」
「うん、国境を越えたらね」
その様子を見て、見知らぬ淑女——ある意味では誰もが親しみを持ち、その名を知る人物——は微笑みを絶やさない。
クロードは、翌日未明に国境を越え、ジルヴェイグ大皇国に戻ってきた。
アンドーチェという少女と、クラリッサという女性を伴って、帝立フローリングス大学のある東の土地までの旅は、一週間ほど。
その間に、クラリッサから聞かされた話は、時間の制約もあって事件のほんの一部にすぎなかった。
とにかく、一刻も早く国境へ向かわなければならない、というマダム・マーガリーの命令もあって、最後の乗客であるクロードを乗せて、馬車はすぐさま走り出す。はじめに馬のいななきが、次に馬蹄が地面を叩く音が、そして雨と風が次第に強くなってざあざあと本降りになっていく。
一方、馬車の中では、向かい合わせのベンチとなった前後の座席に、クロードとアンドーチェが並んで座り、見知らぬ淑女は一人静かに座っていた。静粛という言葉がふさわしい佇まいで、彼女は当然どこかの貴婦人だろうということは言われずとも分かる。
分かるのだが、クロードは彼女の正体について、散々思案した挙句、ついには話しかけることにした。
「あのー、レディ? 自己紹介をしましょうか?」
すると、見知らぬ淑女はわずかに微笑む。
「いえ、けっこうですわ。お二人のことは存じております」
「そうでしたか。僕はジルヴェイグ大皇国領内であれば多少は案内できます。アンドーチェとどこかへ行くご予定はおありですか?」
見知らぬ淑女は、ふるふると小さく首を横に振った。
クロードは確認のため、アンドーチェに問いかける。
「アンドーチェ、彼女とは知り合いかい?」
「いえ、初対面です。マダム・マーガリーの客人は多くて、すべてがすべて見習いの私は関知していないのです」
「そうか。まあ、そんなこともあるのか」
言葉とは裏腹に、いいや——そんなことがあるわけがない、とクロードは確信した。
ただ、クロードの口から話すのは邪推でしかないし、さてどうしようか、と思案していたところに、見知らぬ淑女は自ら語りはじめた。
「キルステンには、何度も謝られました」
見知らぬ淑女が口にした、その名を持つ人物を、クロードはすぐに特定する。
ジルヴェイグ大皇国元第二皇女、現サルタローグ公爵夫人キルステン。
続いて「あ」とアンドーチェが気付いたころには、見知らぬ淑女は話を進めていた。
「貶めたことに、その後の運命のことに、とにかく詫びるほかにないのだと謝罪の手紙をたくさんいただきました。だから、私はもうジルヴェイグ大皇国に対して悪感情は持っておりません。それに、たくさん支援をしていただきましたから、あなたを紹介してくださったことも含めて」
見知らぬ淑女の言う『あなた』とは、クロードを指すようだった。
元第二皇女キルステンから謝罪の手紙を受け取り、支援してもらえる人物。それが、今目の前にいる見知らぬ淑女の正体であるとするならば——。
さすがにそれは、想像の翼が飛躍しすぎている。そう思いつつも、クロードはそれがまだ想像の、実現可能な範疇にあるということを認めざるをえない。
「待ってください。まさか……あなたは」
見知らぬ淑女は、すっと右手人差し指を立てて自らの口元に当て、クロードを制する。
「この国を出るまでは、どうかただのレディとお呼びください。事情はこの国から遠ざかってから、お話しいたします」
ほんの少しだけ、見知らぬ淑女は楽しげだ。
クロードは天を仰ぐ。それを見て、アンドーチェはまだ現実が受け入れられないかのように、戸惑っていた。
「どういうことですか? 彼女は……?」
「君のお母さんだよ」
「え? ……え?」
アンドーチェがクロードと見知らぬ淑女の顔を何度も交互に見る。しかし、答えが書いているわけではない。
クロードは、推測の最後の一ピースがはまったことに納得し、同時に自らの依頼主の抜け目なさに感服した。
「そういうことか。マダム・マーガリーは、最近まで確信が持てなかったんだ。だから最後の一押し、確信を得るために僕を呼んで、ついでにジルヴェイグ大皇国内でアンドーチェの面倒を見させようとした」
そしてついに、クロードの意見やその後の展開から、マダム・マーガリーは認めたのだ。
今、ここにいる見知らぬ淑女は、皆が探し求めていたある女性——クラリッサなのだ、と。
ぽかんと呆気に取られたアンドーチェの横で、クロードはやれやれと胸を撫で下ろし、しょうもない『行方不明のクラリッサ嬢』事件の幕切れを(こんなものか)と独り受け入れていた。
「はあ、まったく。誰も彼もが、他人を利用する」
「ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
「いいえ、大丈夫ですよ、レディ。ただ、しばらくは僕と偽装結婚をしてください。そのほうが安全でしょう」
呆けていたアンドーチェも、その単語には敏感に反応する。
「ぎ、偽装結婚!?」
「そう。というわけで、アンドーチェ、しばらく君は僕の義理の娘だから、よろしく」
重ねて衝撃を受け、呆けて、もうアンドーチェは自分だけ仲間外れのように驚いてばかりのことに不満を持ったらしく、ちょっと怒っていた。
「……はあ、ちゃんと説明してくださいね」
「うん、国境を越えたらね」
その様子を見て、見知らぬ淑女——ある意味では誰もが親しみを持ち、その名を知る人物——は微笑みを絶やさない。
クロードは、翌日未明に国境を越え、ジルヴェイグ大皇国に戻ってきた。
アンドーチェという少女と、クラリッサという女性を伴って、帝立フローリングス大学のある東の土地までの旅は、一週間ほど。
その間に、クラリッサから聞かされた話は、時間の制約もあって事件のほんの一部にすぎなかった。
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