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最終話 ある夜の告白①
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東の砂漠に、丸い月が昇る。白い砂塵に青い光が照らされ、砂丘全体が輝く、旅人を魅了する幻想的な風景が広がっているころ。
砂漠の入り口にある交易都市フローリングスは、学問の都でもあった。砂漠の向こうにある東の国々からも知識人が集まり、議論の場を設け、交易の波に乗ってやってきた多くの書物を帝立大学巨大地下書庫が管理する。ジルヴェイグ大皇国有数の大学都市であり、またこの地を治める領主たるフローリングス辺境伯は代々ジルヴェイグ大皇国の大臣の一人である軍務卿が兼任するため、国内でも特に安全な土地としても有名だった。
強固な城壁の中に、日干し煉瓦の高塔が空へ伸び、ランプの灯りが煌々と人知の営みを照らす中、あるアパートメントで一人の法医学者が報告書を書いていた。
それは国から依頼された検死結果をまとめる定期報告のようなもので、十年以上書いてきたものだからあっという間に書き上げられてしまう。誰もが嫌がる仕事を黙々とこなしてきたが、その価値が認められるのはまだしばらく先だ。
ひと段落ついた法医学者が背伸びをしていると、部屋のカラフルな模様が描かれた薄い鉄扉が、穏やかにノックされる。
「アーニー、よろしいかしら」
「ああ」
部屋の主クロードの返事に応じて、鉄扉は開き、一人の貴婦人が現れた。
黒髪緑目の、三十代半ばほどの美しい女性だ。立ち居振る舞いからやんごとない身分の出だと分かるし、簡素なコットンドレスにエキゾチックな紋様の分厚めの生地のショールを羽織っているだけでは、彼女の艶やかさは隠せない。
かつて彼女は、クラリッサ・ジョセフィン・マーガリー・ヘイメルソンと名乗っていた。それがいつしかドゥ夫人となり、故郷を離れてただのクラリッサとなった。今となっては、クラリッサ・クロード、つまりクロード夫人、エルネスト・クロードの妻という身分にある。もちろん身分を偽るための偽装結婚なので、それがいつまで続くとしても、とりあえず今は男女の関係にはないのだが。
クラリッサはトレイに載せて運んできた、細いグラスに注いだ蜂蜜入り紅茶をクロードの向かっていた机にそっと置く。青い模様で色付けされた細身のグラスは、少量しか入らないものの砂漠地帯では一般的なコップだ。
甘ったるい紅茶で喉を潤してから、クロードはこう尋ねた。
「アンドーチェは?」
「自分の部屋に戻ったわ。まだよそよそしいけれど、私を気遣ってくれています」
クラリッサは微笑む。クロードは最近になって分かってきたが、クラリッサの微笑みには二種類ある。一つは愛想笑い、本心ではない誤魔化しの笑い。もう一つは、喜んでいるものの淑女として表現を控えめにしようとしている笑い方だ。後者は、クラリッサの緑の目も潤んでいることが多いから、すぐに分かる。
アンドーチェ、という名前をその耳に入れられることが、クラリッサは嬉しいのだ。一度は捨ててしまった娘と同居が叶い、離れ離れになっていた時間を埋めるように一歩一歩距離を縮めていっている真っ最中だからこそ、その目は潤む。
クロードは、机に放っぽりぱなしの懐中時計を開けて、時刻を確認する。午後十時、特に用もなければ寝ていてもいい時間帯だ。ジルヴェイグ大皇国にやってきてから、アンドーチェは女子学校に通っている。数学の宿題も裁縫の課題も終わったなら、何かとやかく言う筋合いはない。一丁前に、クロードは父親のようにそう思った。
しかし、クラリッサに対しては、いまいちどう接していいのか分からないままだ。妻でもなく、ましてや情婦でもなく、匿うためにわざわざ結婚証明書を役所に発行させて、クロードの給料で養っている。もっとも、金の話ならマダム・マーガリーにもらった絹のレティキュール内にたんまり金塊が入っていたため、クロードにとっては何ら負担ではない。同世代の異性とその娘という同居人が一気に二人も増えた、ただそれだけなのだ。
紅茶を置いたあと、クラリッサは椅子でだらけるクロードの隣に佇んでいた。何か話をしたいのではないかとも思うが、女性とそれらしい会話の経験が乏しいクロードはどう気遣えばいいのか考え込む。
考えて、考えて、クロードは悩みつつも、ついにクラリッサへ話を振った。
「クラリッサ。僕はね、別にイアムス王国王城でのことを話してほしいだなんて一切思っていません。それはもう過ぎたこと、今更真相が明らかになってもどうしようもないことだ。それに、真偽を確かめる手段がない以上、価値がないことなんです」
クラリッサは王城でのことを話したいのではないか、と思ったからこその話題だったが、クロードが見上げるとクラリッサは意外そうにしていたため、何とも拍子抜けの気分を味わってしまった。
「おかしいかな」
「いいえ。あなたらしい、と思ったのです」
「イアムス王国の人々であれば知ることに意味があったかもしれないが、ジルヴェイグ大皇国の東の果てまでやってくるかの国の人は少ない。僕はもうじき帝立大学を離れます、南のリセリナ=アンジェローニ女王国の女王威光大学で教鞭を取ってほしいと頼まれているから、来学期からはそちらに移住します」
「では、私もついていってよろしいですか? アンドーチェも、希望すれば連れていってあげたいのですけれど」
「いいですよ。もしジルヴェイグ大皇国に残りたいなら仕事を探すし、どこかへ行きたいならできるだけ融通します」
「ありがとうございます。明日、あの子に伝えますわ」
クラリッサの緑の目が潤み、微笑む。アンドーチェが関わることには、彼女は愛想笑いでは済まさない。
クロードがクラリッサを見定めようとしていたそのとき、クラリッサもまた、似たようなことを考えていた。
「アーニー。あなたは、私が悪女だとは思いませんか?」
唐突な質問だったが、クロードは即答する。
「思ったところで、何なんです? あなたは僕より頭脳明晰で、何年も王城での丁々発止のやり取りを続けられてきたほどの方だ。僕はそれに抵抗する力も術もないし、何よりもそれを咎められる立場にない。無論……自分が酷い目に遭ったからと、他人を酷い目に遭わせていいとは露ほども思いませんが、その程度の話ですよ」
気のない返答だが、クロードにはそうとしか言いようがない。
クラリッサは悪女か? ——婚約者のためにと完璧な令嬢としてあろうとしたにもかかわらず再三の侮辱を受け、婚約破棄されて、その存在は行方不明扱いになって、実際には王城で国王に囲われていた。子どもを産み、一人は捨てざるをえず、自分に報いもしない祖国のために散々努力して、ようやく逃げられた。
果たして、そんな女性を悪女と評するべきなのだろうか?
少なくとも、クロードはそうは思わない。もちろん、悪とは何か、その定義から認識の違いがあるため、万人に共通する答えとはならないだろう。
問題は、クラリッサ本人が、自分を悪女だと思っているか否かだ。
「復讐なんて行儀のいい話ではないけれど、私は多分、この心の奥に潜む本性をあらわにした結果が、『ドゥ夫人』だったと思うのです」
クロードは、ふう、と一つため息を漏らした。
クラリッサの告白は、いずれあるかもしれないと思っていた。罪を、行いの正誤を問い、誰かに胸のうちを吐露したくなるそのときが来るだろう、と。
だから、クロードは心構えをしていたつもりだ。鷹揚に頷き、机のそばにある丸椅子を引きずってきて、クラリッサへ勧める。
「大丈夫、僕は誰にも喋らない。アンドーチェにもね」
「ありがとうございます、アーニー。私の懺悔に、少しばかりお付き合いくださいませ」
「ああ」
音もなく、クラリッサはドレスの裾を払って、丸椅子に座った。
彼女の懺悔を聞く資格があるかと言われれば、おそらくは——クロードは単なる答え合わせのために聞くしかないのだ。それが、他国の機微な事件に関わってしまった人間の最後の責務だろう。
「私は王を誑かして、クラリッサという偶像を信じる人々に指図する立場を手に入れ、できるかぎりのことをしました。ドゥ夫人を務める女性たちを組織し、私がいなければ保たない国の体制を作り上げ、そして私はいなくなるように計画して、成功した」
重々しく、クロードは頷く。成功なのだ、確かに。クラリッサは、成功してしまった。
「その陰には、数多の犠牲者がいます。デルバート王子もその一人です、酒浸りにさせて薬を盛り、二度と正気に戻ることはないでしょう。王とあれの首には価値がありますから、処刑台なり何なりで皆がその価値を競って利用してくれます。その間、他のドゥ夫人たちは逃げおおせるだけの時間を稼げる。中にはドゥ夫人の権力を笠に着て放蕩していた者もいましたが、その程度は見逃してあげました。他のドゥ夫人たちは懸命に、国と私を支えてくれましたから」
クラリッサのやり方は、見事なものだ。人はそれを復讐だと言うかもしれないが、彼女にとってはただの後始末にすぎない。飛ぶ鳥跡を濁さず、ただそれだけだ。
クロードは答え合わせのため、クラリッサへいくつか質問をすることにした。
「一つ聞いても?」
「ええ、どうぞ」
「ヴェルセット公爵は、どの段階で君が生きていることに気付いていたんだい?」
「おそらく、初めから。私でなければあの体制は築けない、と確信していたようですから」
「とんだ親馬鹿だ」
「でしょう? でも、私は父を振り返るわけにはいかなかった。父を許すわけにもいかなかったから。王子だろうと国王だろうと、望む望まないとに関わらず、私が慰み者になることに嫌悪感を抱いて連れ戻しにきてくれたなら、今一度振り返ろうと思っていましたけれど……それはなかった。父は公爵としてあることを、私以外を優先したのです」
つまりは、クラリッサにとっても、国王の愛人、公妾になることは強制されてのことだった。選択肢はなく、拒否すればそれこそ『行方不明のクラリッサ嬢』事件程度では済まない影響が出ていたかもしれない。
貴族の女性として、望まぬ異性に嫁ぐことは、もう諦めるしかない。だが、相手は国王であり、クラリッサに拒否権はないようなもので、おまけに子どもは二人もいる。仲睦まじく、ではなかったことは一目瞭然だ。
ならば——クラリッサは、どれほどの悲痛さと嫌悪感を隠して、何夜も閨にいなければならなかったのか。考えるだに、おぞましい話だった。
貞淑な貴婦人然としたクラリッサの心の裡に隠された傷は、きっと彼女が死ぬまで抱えていくしかないのだろう。
砂漠の入り口にある交易都市フローリングスは、学問の都でもあった。砂漠の向こうにある東の国々からも知識人が集まり、議論の場を設け、交易の波に乗ってやってきた多くの書物を帝立大学巨大地下書庫が管理する。ジルヴェイグ大皇国有数の大学都市であり、またこの地を治める領主たるフローリングス辺境伯は代々ジルヴェイグ大皇国の大臣の一人である軍務卿が兼任するため、国内でも特に安全な土地としても有名だった。
強固な城壁の中に、日干し煉瓦の高塔が空へ伸び、ランプの灯りが煌々と人知の営みを照らす中、あるアパートメントで一人の法医学者が報告書を書いていた。
それは国から依頼された検死結果をまとめる定期報告のようなもので、十年以上書いてきたものだからあっという間に書き上げられてしまう。誰もが嫌がる仕事を黙々とこなしてきたが、その価値が認められるのはまだしばらく先だ。
ひと段落ついた法医学者が背伸びをしていると、部屋のカラフルな模様が描かれた薄い鉄扉が、穏やかにノックされる。
「アーニー、よろしいかしら」
「ああ」
部屋の主クロードの返事に応じて、鉄扉は開き、一人の貴婦人が現れた。
黒髪緑目の、三十代半ばほどの美しい女性だ。立ち居振る舞いからやんごとない身分の出だと分かるし、簡素なコットンドレスにエキゾチックな紋様の分厚めの生地のショールを羽織っているだけでは、彼女の艶やかさは隠せない。
かつて彼女は、クラリッサ・ジョセフィン・マーガリー・ヘイメルソンと名乗っていた。それがいつしかドゥ夫人となり、故郷を離れてただのクラリッサとなった。今となっては、クラリッサ・クロード、つまりクロード夫人、エルネスト・クロードの妻という身分にある。もちろん身分を偽るための偽装結婚なので、それがいつまで続くとしても、とりあえず今は男女の関係にはないのだが。
クラリッサはトレイに載せて運んできた、細いグラスに注いだ蜂蜜入り紅茶をクロードの向かっていた机にそっと置く。青い模様で色付けされた細身のグラスは、少量しか入らないものの砂漠地帯では一般的なコップだ。
甘ったるい紅茶で喉を潤してから、クロードはこう尋ねた。
「アンドーチェは?」
「自分の部屋に戻ったわ。まだよそよそしいけれど、私を気遣ってくれています」
クラリッサは微笑む。クロードは最近になって分かってきたが、クラリッサの微笑みには二種類ある。一つは愛想笑い、本心ではない誤魔化しの笑い。もう一つは、喜んでいるものの淑女として表現を控えめにしようとしている笑い方だ。後者は、クラリッサの緑の目も潤んでいることが多いから、すぐに分かる。
アンドーチェ、という名前をその耳に入れられることが、クラリッサは嬉しいのだ。一度は捨ててしまった娘と同居が叶い、離れ離れになっていた時間を埋めるように一歩一歩距離を縮めていっている真っ最中だからこそ、その目は潤む。
クロードは、机に放っぽりぱなしの懐中時計を開けて、時刻を確認する。午後十時、特に用もなければ寝ていてもいい時間帯だ。ジルヴェイグ大皇国にやってきてから、アンドーチェは女子学校に通っている。数学の宿題も裁縫の課題も終わったなら、何かとやかく言う筋合いはない。一丁前に、クロードは父親のようにそう思った。
しかし、クラリッサに対しては、いまいちどう接していいのか分からないままだ。妻でもなく、ましてや情婦でもなく、匿うためにわざわざ結婚証明書を役所に発行させて、クロードの給料で養っている。もっとも、金の話ならマダム・マーガリーにもらった絹のレティキュール内にたんまり金塊が入っていたため、クロードにとっては何ら負担ではない。同世代の異性とその娘という同居人が一気に二人も増えた、ただそれだけなのだ。
紅茶を置いたあと、クラリッサは椅子でだらけるクロードの隣に佇んでいた。何か話をしたいのではないかとも思うが、女性とそれらしい会話の経験が乏しいクロードはどう気遣えばいいのか考え込む。
考えて、考えて、クロードは悩みつつも、ついにクラリッサへ話を振った。
「クラリッサ。僕はね、別にイアムス王国王城でのことを話してほしいだなんて一切思っていません。それはもう過ぎたこと、今更真相が明らかになってもどうしようもないことだ。それに、真偽を確かめる手段がない以上、価値がないことなんです」
クラリッサは王城でのことを話したいのではないか、と思ったからこその話題だったが、クロードが見上げるとクラリッサは意外そうにしていたため、何とも拍子抜けの気分を味わってしまった。
「おかしいかな」
「いいえ。あなたらしい、と思ったのです」
「イアムス王国の人々であれば知ることに意味があったかもしれないが、ジルヴェイグ大皇国の東の果てまでやってくるかの国の人は少ない。僕はもうじき帝立大学を離れます、南のリセリナ=アンジェローニ女王国の女王威光大学で教鞭を取ってほしいと頼まれているから、来学期からはそちらに移住します」
「では、私もついていってよろしいですか? アンドーチェも、希望すれば連れていってあげたいのですけれど」
「いいですよ。もしジルヴェイグ大皇国に残りたいなら仕事を探すし、どこかへ行きたいならできるだけ融通します」
「ありがとうございます。明日、あの子に伝えますわ」
クラリッサの緑の目が潤み、微笑む。アンドーチェが関わることには、彼女は愛想笑いでは済まさない。
クロードがクラリッサを見定めようとしていたそのとき、クラリッサもまた、似たようなことを考えていた。
「アーニー。あなたは、私が悪女だとは思いませんか?」
唐突な質問だったが、クロードは即答する。
「思ったところで、何なんです? あなたは僕より頭脳明晰で、何年も王城での丁々発止のやり取りを続けられてきたほどの方だ。僕はそれに抵抗する力も術もないし、何よりもそれを咎められる立場にない。無論……自分が酷い目に遭ったからと、他人を酷い目に遭わせていいとは露ほども思いませんが、その程度の話ですよ」
気のない返答だが、クロードにはそうとしか言いようがない。
クラリッサは悪女か? ——婚約者のためにと完璧な令嬢としてあろうとしたにもかかわらず再三の侮辱を受け、婚約破棄されて、その存在は行方不明扱いになって、実際には王城で国王に囲われていた。子どもを産み、一人は捨てざるをえず、自分に報いもしない祖国のために散々努力して、ようやく逃げられた。
果たして、そんな女性を悪女と評するべきなのだろうか?
少なくとも、クロードはそうは思わない。もちろん、悪とは何か、その定義から認識の違いがあるため、万人に共通する答えとはならないだろう。
問題は、クラリッサ本人が、自分を悪女だと思っているか否かだ。
「復讐なんて行儀のいい話ではないけれど、私は多分、この心の奥に潜む本性をあらわにした結果が、『ドゥ夫人』だったと思うのです」
クロードは、ふう、と一つため息を漏らした。
クラリッサの告白は、いずれあるかもしれないと思っていた。罪を、行いの正誤を問い、誰かに胸のうちを吐露したくなるそのときが来るだろう、と。
だから、クロードは心構えをしていたつもりだ。鷹揚に頷き、机のそばにある丸椅子を引きずってきて、クラリッサへ勧める。
「大丈夫、僕は誰にも喋らない。アンドーチェにもね」
「ありがとうございます、アーニー。私の懺悔に、少しばかりお付き合いくださいませ」
「ああ」
音もなく、クラリッサはドレスの裾を払って、丸椅子に座った。
彼女の懺悔を聞く資格があるかと言われれば、おそらくは——クロードは単なる答え合わせのために聞くしかないのだ。それが、他国の機微な事件に関わってしまった人間の最後の責務だろう。
「私は王を誑かして、クラリッサという偶像を信じる人々に指図する立場を手に入れ、できるかぎりのことをしました。ドゥ夫人を務める女性たちを組織し、私がいなければ保たない国の体制を作り上げ、そして私はいなくなるように計画して、成功した」
重々しく、クロードは頷く。成功なのだ、確かに。クラリッサは、成功してしまった。
「その陰には、数多の犠牲者がいます。デルバート王子もその一人です、酒浸りにさせて薬を盛り、二度と正気に戻ることはないでしょう。王とあれの首には価値がありますから、処刑台なり何なりで皆がその価値を競って利用してくれます。その間、他のドゥ夫人たちは逃げおおせるだけの時間を稼げる。中にはドゥ夫人の権力を笠に着て放蕩していた者もいましたが、その程度は見逃してあげました。他のドゥ夫人たちは懸命に、国と私を支えてくれましたから」
クラリッサのやり方は、見事なものだ。人はそれを復讐だと言うかもしれないが、彼女にとってはただの後始末にすぎない。飛ぶ鳥跡を濁さず、ただそれだけだ。
クロードは答え合わせのため、クラリッサへいくつか質問をすることにした。
「一つ聞いても?」
「ええ、どうぞ」
「ヴェルセット公爵は、どの段階で君が生きていることに気付いていたんだい?」
「おそらく、初めから。私でなければあの体制は築けない、と確信していたようですから」
「とんだ親馬鹿だ」
「でしょう? でも、私は父を振り返るわけにはいかなかった。父を許すわけにもいかなかったから。王子だろうと国王だろうと、望む望まないとに関わらず、私が慰み者になることに嫌悪感を抱いて連れ戻しにきてくれたなら、今一度振り返ろうと思っていましたけれど……それはなかった。父は公爵としてあることを、私以外を優先したのです」
つまりは、クラリッサにとっても、国王の愛人、公妾になることは強制されてのことだった。選択肢はなく、拒否すればそれこそ『行方不明のクラリッサ嬢』事件程度では済まない影響が出ていたかもしれない。
貴族の女性として、望まぬ異性に嫁ぐことは、もう諦めるしかない。だが、相手は国王であり、クラリッサに拒否権はないようなもので、おまけに子どもは二人もいる。仲睦まじく、ではなかったことは一目瞭然だ。
ならば——クラリッサは、どれほどの悲痛さと嫌悪感を隠して、何夜も閨にいなければならなかったのか。考えるだに、おぞましい話だった。
貞淑な貴婦人然としたクラリッサの心の裡に隠された傷は、きっと彼女が死ぬまで抱えていくしかないのだろう。
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