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最終話 ある夜の告白②
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「体制を築き、次に私は幕を引く支度をしました。黒髪緑目で生まれてしまったアンドーチェをどうにか安全な場所へ移そうと画策し、ドゥ夫人の名でマーガリー叔母様と内通して密かに事を進めたのです。マーガリー叔母様は実はとても道化師のふりをすることが上手いの、王都から脱出した私は——私を売ろうとしたメイドを殺害して古井戸に放り込み、他のドゥ夫人に『行方不明のクラリッサ嬢』発見と事件の終焉という状況を作り出してもらって、ロロベスキ侯爵領へ逃げ延びた。荷物に紛れ、時に占い師や老婆の変装をして、マーガリー叔母様の別荘の一つにメイドとして紛れ込んでいたのです。努力したおかげか、約三年間、私を疑う人はいませんでしたわ」
クロードは少しばかり感心した。クラリッサの協力者に、初めてマダム・マーガリーが名を現した。今までは部外者だとばかり思っていたが、実のところ、マダム・マーガリーは重要な役どころにいた、というわけだ。まんまとクロードは騙されてしまった気がした。
「マーガリー叔母様は私を信じてくれた一方で、どこか信じきれていなかったから、あなたを呼んで私とアンドーチェを国外へ逃す道を作ってくれました。もし万一、私がクラリッサでなかったなら、ドゥ夫人がいなくなったイアムス王国がそれ以降、クラリッサやアンドーチェを推戴する国になる可能性があった。だから、その可能性を潰したのです」
周到なクラリッサの計画は成功し、その恐れはなくなったといっていい。
間違いなく、これから数年以内にイアムス王国王室は滅ぶ。後世にもあの国に王が生まれるかは分からないが、『行方不明のクラリッサ嬢』事件は王室を守るための教訓として残るだろう。
とはいえ、クラリッサはすっきりした、やってやった、とばかりの顔はしていない。
むしろ、彼女の白い顔には、多くの悔恨が刻まれている。
「たくさんの人を粛清しました。たくさんの人を追放して、生活をすっかり変えて、落ちぶれさせて、あるいは繁栄させました。それはひとえに、私が私として逃げ出すためです。アンドーチェや王子たちの全員を連れ出すことはできません、だから……王と同じ金髪碧眼の目立つ第二王子は、捨てました。今後あの国でどんな目に遭おうと、私は関与しません」
「……」
「酷い女。悪女。母親失格だ、そう罵ってくださってもけっこうです。そのとおりだと、私も思いますから」
まるで、そう罵ってほしいとばかりだ。
自分の行いは悪である、自覚している、他人にもそう思われるだろう。その確証が欲しいのだ、と。
だが、クラリッサには大きな誤算がある。
生憎と、クロードの性分はその癖毛のようにひねくれているため、素直に認めたり、慰めたりといった常識的なことはしないのだ。
机に向かったまま、クロードは語気を若干強めて、これが返事だと言わんばかりに語る。
「僕はね、人が人を裁くなんておこがましいにも程がある、と思うんです。かといって法律がすべてを公正に裁けるとも思わないし、神が依怙贔屓をしないとも思わない。結局のところ、その人が正しく、あるいは善く生きたかという問いには、その人しか答えられないんですよ」
絶対の神をも恐れず、法律や裁判官さえも論外、神籤で指導者を選ぶ神中心の国に生まれながらの人間主義、生物中心主義。
それが元皇帝一族の人間であるクロードから生まれたことは、時代の流れかもしれない。
「『悪を裁け、正義を成せ』、なんとまあ傲慢なフレーズだ。人間は正義であろうとする、それがまず、土台不可能であると気付いていないあたりが最高に道化です。たった一文の法律の解釈さえ全員一致させられないのに、『正義』の意味なんて星の数ほど存在するのだから、重視する必要性がない。社会通念さえ他人と衝突しなければいいのに、なぜそこに『正義』を含ませるのか。馬鹿馬鹿しい、都合のよろしい『正義』は他人を殺す道具に最適だ」
だんだんと滑舌がよくなり、主張が激しさを増すクロードの弁論を、クラリッサは黙って聞いている。異論を挟むこともなく、ただじっと、耳を傾ける。
「死体を見れば分かるんですよ。所詮、この世に道理などない。生か死かがそこにあり、無惨に切り裂かれていようと、首を吊っていようと、四肢を奪われていようと、そこにどんな理由があれば正当化されるんです? 何をもってしても正当化などできない、する必要もないことこそが世界の真理ですよ。だから……あなたも自分の行いや人生を正当化しなくていい。悪が本性だと思うなら認めていればいいし、アンドーチェに優しくしたっていい。何をしても、最終的に人生の終わりであなたが納得すればいいんです。果たして自分は善く生きられただろうか、と問いかけてね」
善く生きられたか、という問いの中に、果たしてどれほどの正義が含まれているだろうか。
復讐が正義であるならば、なぜ人は後悔するのか。後悔せずとも、誰かがそれを悪だと罵るのであれば、それは正義ではないのではないか?
所詮、その程度のことだ。誰かが異論を唱えた瞬間にコインの裏表のように善悪が変わってしまうのなら、それを中心とした価値観はあまりにも脆弱だ。
だがもし、その価値観の中心に『己』がいるのであれば、そうはならない。
クロードは、一転して緩やかな口調で、クラリッサへ問う。
「クラリッサ、あなたは自分の行いを後悔しているから誰かに懺悔したかったんでしょう?」
「……そうかもしれませんね」
「後悔したっていいし、認めたっていい。人間、割り切れやしませんよ。その気持ちと生涯付き合っていくしかないんです。それこそが人の犯した罪に対する罰で、他人には決して許されないし、他人では許すことのできないものなんです」
すると、クラリッサは——ここまでのクロードの話を理解しきったのか——逆にクロードへこう言った。
「アーニー……もしかして、あなたもその罰を背負っているのですか?」
数秒間を空けて、クロードははにかんだ。
「元皇帝の一族だなんて、とんでもない恨みを買うんです。死ぬような目に遭わされました、でも死なせることもあった。でもまあ、それを一切合切僕のせいだと言われても、釈然としないもので」
クロードは、それ以上何があったかは言わない。どうせ話しても胸糞悪いことを思い出すだけだからだ。
そんなことよりもとクロードは両手を挙げて万歳のポーズを取る。
「しかし、やっとこの国とおさらばできる! その気持ちは、イアムス王国から逃げるときのあなたと一緒だったと思うんですが、どうです?」
おそらく、このときのクロードの目は、子どものように輝いていたのだろう。
クラリッサは初めは黙っていたが、そのうち笑いを堪えきれなくなったのか、小さく笑いをこぼし、ついには我慢できずに両手で口を抑えた。
「ふ、ふふっ……ふふふっ」
「笑うところかなぁ」
「おかしいわ、あなた。私もだけれど、あなたもそう」
「いいじゃないか。おかしくない人間なんていない、誰も彼もが道化師だ」
ふふふ、という上品な小さい笑い声がしばし続く。
クロードは、イアムス王国を脱出してから、クラリッサの笑い声を初めて聞いた気がした。
そのクラリッサは、何を思ったのか、笑うことをやめて、すっきりした表情で——クロードの額にかかる癖毛を手でかき上げ、唇を軽く当てた。
目の前をクラリッサの豊かな胸元が覆って、何だか釈然としないが、クロードはされるがままだ。クロードから離れたクラリッサの目が、愛おしそうにクロードを見つめていたことも、少し納得がいかない。
クロード自身、女性に好かれるようなことを一言たりとも言った憶えがないからだ。
「おやすみなさい、アーニー。また明日」
「ああ、おやすみ、クラリッサ」
クラリッサは、何事もなかったかのように、鉄扉をくぐって、部屋を出ていった。
残されたクロードは——自分の額に手を当て、予想以上に口紅がしっかりとくっついていることに気付き、慌てていた。
顔を赤らめて、こんな姿をアンドーチェに見られたらたまったものではない、と。
(了)
クロードは少しばかり感心した。クラリッサの協力者に、初めてマダム・マーガリーが名を現した。今までは部外者だとばかり思っていたが、実のところ、マダム・マーガリーは重要な役どころにいた、というわけだ。まんまとクロードは騙されてしまった気がした。
「マーガリー叔母様は私を信じてくれた一方で、どこか信じきれていなかったから、あなたを呼んで私とアンドーチェを国外へ逃す道を作ってくれました。もし万一、私がクラリッサでなかったなら、ドゥ夫人がいなくなったイアムス王国がそれ以降、クラリッサやアンドーチェを推戴する国になる可能性があった。だから、その可能性を潰したのです」
周到なクラリッサの計画は成功し、その恐れはなくなったといっていい。
間違いなく、これから数年以内にイアムス王国王室は滅ぶ。後世にもあの国に王が生まれるかは分からないが、『行方不明のクラリッサ嬢』事件は王室を守るための教訓として残るだろう。
とはいえ、クラリッサはすっきりした、やってやった、とばかりの顔はしていない。
むしろ、彼女の白い顔には、多くの悔恨が刻まれている。
「たくさんの人を粛清しました。たくさんの人を追放して、生活をすっかり変えて、落ちぶれさせて、あるいは繁栄させました。それはひとえに、私が私として逃げ出すためです。アンドーチェや王子たちの全員を連れ出すことはできません、だから……王と同じ金髪碧眼の目立つ第二王子は、捨てました。今後あの国でどんな目に遭おうと、私は関与しません」
「……」
「酷い女。悪女。母親失格だ、そう罵ってくださってもけっこうです。そのとおりだと、私も思いますから」
まるで、そう罵ってほしいとばかりだ。
自分の行いは悪である、自覚している、他人にもそう思われるだろう。その確証が欲しいのだ、と。
だが、クラリッサには大きな誤算がある。
生憎と、クロードの性分はその癖毛のようにひねくれているため、素直に認めたり、慰めたりといった常識的なことはしないのだ。
机に向かったまま、クロードは語気を若干強めて、これが返事だと言わんばかりに語る。
「僕はね、人が人を裁くなんておこがましいにも程がある、と思うんです。かといって法律がすべてを公正に裁けるとも思わないし、神が依怙贔屓をしないとも思わない。結局のところ、その人が正しく、あるいは善く生きたかという問いには、その人しか答えられないんですよ」
絶対の神をも恐れず、法律や裁判官さえも論外、神籤で指導者を選ぶ神中心の国に生まれながらの人間主義、生物中心主義。
それが元皇帝一族の人間であるクロードから生まれたことは、時代の流れかもしれない。
「『悪を裁け、正義を成せ』、なんとまあ傲慢なフレーズだ。人間は正義であろうとする、それがまず、土台不可能であると気付いていないあたりが最高に道化です。たった一文の法律の解釈さえ全員一致させられないのに、『正義』の意味なんて星の数ほど存在するのだから、重視する必要性がない。社会通念さえ他人と衝突しなければいいのに、なぜそこに『正義』を含ませるのか。馬鹿馬鹿しい、都合のよろしい『正義』は他人を殺す道具に最適だ」
だんだんと滑舌がよくなり、主張が激しさを増すクロードの弁論を、クラリッサは黙って聞いている。異論を挟むこともなく、ただじっと、耳を傾ける。
「死体を見れば分かるんですよ。所詮、この世に道理などない。生か死かがそこにあり、無惨に切り裂かれていようと、首を吊っていようと、四肢を奪われていようと、そこにどんな理由があれば正当化されるんです? 何をもってしても正当化などできない、する必要もないことこそが世界の真理ですよ。だから……あなたも自分の行いや人生を正当化しなくていい。悪が本性だと思うなら認めていればいいし、アンドーチェに優しくしたっていい。何をしても、最終的に人生の終わりであなたが納得すればいいんです。果たして自分は善く生きられただろうか、と問いかけてね」
善く生きられたか、という問いの中に、果たしてどれほどの正義が含まれているだろうか。
復讐が正義であるならば、なぜ人は後悔するのか。後悔せずとも、誰かがそれを悪だと罵るのであれば、それは正義ではないのではないか?
所詮、その程度のことだ。誰かが異論を唱えた瞬間にコインの裏表のように善悪が変わってしまうのなら、それを中心とした価値観はあまりにも脆弱だ。
だがもし、その価値観の中心に『己』がいるのであれば、そうはならない。
クロードは、一転して緩やかな口調で、クラリッサへ問う。
「クラリッサ、あなたは自分の行いを後悔しているから誰かに懺悔したかったんでしょう?」
「……そうかもしれませんね」
「後悔したっていいし、認めたっていい。人間、割り切れやしませんよ。その気持ちと生涯付き合っていくしかないんです。それこそが人の犯した罪に対する罰で、他人には決して許されないし、他人では許すことのできないものなんです」
すると、クラリッサは——ここまでのクロードの話を理解しきったのか——逆にクロードへこう言った。
「アーニー……もしかして、あなたもその罰を背負っているのですか?」
数秒間を空けて、クロードははにかんだ。
「元皇帝の一族だなんて、とんでもない恨みを買うんです。死ぬような目に遭わされました、でも死なせることもあった。でもまあ、それを一切合切僕のせいだと言われても、釈然としないもので」
クロードは、それ以上何があったかは言わない。どうせ話しても胸糞悪いことを思い出すだけだからだ。
そんなことよりもとクロードは両手を挙げて万歳のポーズを取る。
「しかし、やっとこの国とおさらばできる! その気持ちは、イアムス王国から逃げるときのあなたと一緒だったと思うんですが、どうです?」
おそらく、このときのクロードの目は、子どものように輝いていたのだろう。
クラリッサは初めは黙っていたが、そのうち笑いを堪えきれなくなったのか、小さく笑いをこぼし、ついには我慢できずに両手で口を抑えた。
「ふ、ふふっ……ふふふっ」
「笑うところかなぁ」
「おかしいわ、あなた。私もだけれど、あなたもそう」
「いいじゃないか。おかしくない人間なんていない、誰も彼もが道化師だ」
ふふふ、という上品な小さい笑い声がしばし続く。
クロードは、イアムス王国を脱出してから、クラリッサの笑い声を初めて聞いた気がした。
そのクラリッサは、何を思ったのか、笑うことをやめて、すっきりした表情で——クロードの額にかかる癖毛を手でかき上げ、唇を軽く当てた。
目の前をクラリッサの豊かな胸元が覆って、何だか釈然としないが、クロードはされるがままだ。クロードから離れたクラリッサの目が、愛おしそうにクロードを見つめていたことも、少し納得がいかない。
クロード自身、女性に好かれるようなことを一言たりとも言った憶えがないからだ。
「おやすみなさい、アーニー。また明日」
「ああ、おやすみ、クラリッサ」
クラリッサは、何事もなかったかのように、鉄扉をくぐって、部屋を出ていった。
残されたクロードは——自分の額に手を当て、予想以上に口紅がしっかりとくっついていることに気付き、慌てていた。
顔を赤らめて、こんな姿をアンドーチェに見られたらたまったものではない、と。
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