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第六話
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翌日午前、グレーゼ侯爵邸本館前にある広い庭を、ジョヴァンナは駆け足で走り回っていました。花壇に植えられていた秋の草花はすでに咲き終わり、じきにサフランやシクラメンといった冬の花が控えめに咲くことでしょう。
太りはじめたことを自覚してから、ジョヴァンナも痩せるための努力をしなかったわけではありません。あまり外出はできないため、心持ち多めに庭内の散歩はしていたのですが——脂肪の増加速度はとんでもなく、あれよあれよという間にジョヴァンナの体重はかつての二倍になったのです。その結果、有酸素運動に熱心に取り組むべきだとの領内にいる教導騎士からの助言どおり、特注の大きなシャツと大きなズボン、それにしっかりとした布靴を着用して、走り込みに勤しむことになりました。
もちろん、運動など優雅と気品を尊ぶ侯爵夫人として褒められた行動ではないので、庭の広大な花壇と植木の外周をぐるぐると回るだけです。それに、走るといっても常人の早歩き程度の速さでしかなく、一周目後半で早くも息が上がっています。
「ほあああ~」
嘆きとも悲鳴とも似つかぬ声を漏らしながら、ジョヴァンナは息苦しさに耐えて二周目に突入します。太った体はただただ重たく、子どものころあちこちを駆け回った記憶よりもずっと手足は上がらなくなっており、振動で身体中の脂肪が揺れる感触は気持ち悪くてたまりません。
ジョヴァンナを見守っていた若いメイドの一人は、いつの間にかジョヴァンナと並走しながら応援していました。
「奥様、頑張って! もう少しですよ!」
「うぅーん」
ジョヴァンナは軽やかに付いてくる若いメイドを羨ましく思いながら、三周目に入ろうとしたところで、ついにレンガ道へへたり込みました。息も絶え絶えに今の気持ちを吐き出します。
「だめ、無理、運動、苦手」
他の若いメイドたちがジョヴァンナへ駆け寄り、ジョヴァンナへ各々休憩アイテムを差し出しました。
「はい奥様、冷やしたタオルです! お飲み物はこちらのお茶です!」
「熱っ、苦っ!」
「シェフが昔飲んでいた痩身効果があるお茶です!」
「お腹が、空い、た」
「はい、大豆と鳥ささみで作った特製タルトです。これを食べたら筋力トレーニングですよ」
「うわああん、美味しいー!」
弱音とは別腹とばかりに、お茶と特製タルトはジョヴァンナのお腹に吸い込まれていきます。火照った体は首元の冷たいタオルで回復していき、息が整ってきたころには泣きそうな顔でよろよろと立ち上がりました。
それでも、やはり本音は漏れます。
「凍菓とココアプリン食べたいよぅ」
「今作るとなると、もれなくシェフに砂糖抜きのダイエット仕様にされますよ!」
「いやー、甘くないー」
「そういえば、シェフから聞いたんですが、いい豚肉が入ったそうでお夕食は豚薄切り肉の卵衣付きソテーですよ」
ぴくり、とジョヴァンナの耳が好物の名前を捉え、少しだけ笑みが浮かびました。
ポークピカタ。本来はたっぷりのバターを使うものの、脂っこすぎるのであえてオリーブオイルで焼き揚げた卵の薄衣に、しっかり叩いて伸ばした柔らかく薄い豚肉、隠し味にちょっとだけこってりなチーズ、ソースよりも岩塩と数種類のスパイスをミックスした塩胡椒を振って食べるのがジョヴァンナ流です。
グレーゼ侯爵家の筆頭料理人であるシェフは、南のダーナテスカから来たジョヴァンナの好みに合わせた料理を苦もなく作ってくれるので、見知らぬ土地に嫁いだジョヴァンナは郷愁に負けることなく随分と助けられました。美味しいものは、人を救うのです。
ジョヴァンナは、涙を拭いて、ぐっと力強く頷きました。
「頑張る。もっと走らなきゃ」
「その調子です! 私たちもおやつを抜いてますから、一緒ですよ!」
若いメイドたちの声援を背に、痩せたい気持ちと休みたい気持ちのせめぎ合いを制したジョヴァンナは、ゆっくりと走り出します。
その姿にかつての貴族令嬢らしさは微塵もなく、貴族の目に見つかればみっともないと後ろ指を差されるであろう有様ですが——ジョヴァンナはそれらを飲み下した上で、前に進みました。
ただただ、愛するベレンガリオにもう一度振り向いてもらうために。
太りはじめたことを自覚してから、ジョヴァンナも痩せるための努力をしなかったわけではありません。あまり外出はできないため、心持ち多めに庭内の散歩はしていたのですが——脂肪の増加速度はとんでもなく、あれよあれよという間にジョヴァンナの体重はかつての二倍になったのです。その結果、有酸素運動に熱心に取り組むべきだとの領内にいる教導騎士からの助言どおり、特注の大きなシャツと大きなズボン、それにしっかりとした布靴を着用して、走り込みに勤しむことになりました。
もちろん、運動など優雅と気品を尊ぶ侯爵夫人として褒められた行動ではないので、庭の広大な花壇と植木の外周をぐるぐると回るだけです。それに、走るといっても常人の早歩き程度の速さでしかなく、一周目後半で早くも息が上がっています。
「ほあああ~」
嘆きとも悲鳴とも似つかぬ声を漏らしながら、ジョヴァンナは息苦しさに耐えて二周目に突入します。太った体はただただ重たく、子どものころあちこちを駆け回った記憶よりもずっと手足は上がらなくなっており、振動で身体中の脂肪が揺れる感触は気持ち悪くてたまりません。
ジョヴァンナを見守っていた若いメイドの一人は、いつの間にかジョヴァンナと並走しながら応援していました。
「奥様、頑張って! もう少しですよ!」
「うぅーん」
ジョヴァンナは軽やかに付いてくる若いメイドを羨ましく思いながら、三周目に入ろうとしたところで、ついにレンガ道へへたり込みました。息も絶え絶えに今の気持ちを吐き出します。
「だめ、無理、運動、苦手」
他の若いメイドたちがジョヴァンナへ駆け寄り、ジョヴァンナへ各々休憩アイテムを差し出しました。
「はい奥様、冷やしたタオルです! お飲み物はこちらのお茶です!」
「熱っ、苦っ!」
「シェフが昔飲んでいた痩身効果があるお茶です!」
「お腹が、空い、た」
「はい、大豆と鳥ささみで作った特製タルトです。これを食べたら筋力トレーニングですよ」
「うわああん、美味しいー!」
弱音とは別腹とばかりに、お茶と特製タルトはジョヴァンナのお腹に吸い込まれていきます。火照った体は首元の冷たいタオルで回復していき、息が整ってきたころには泣きそうな顔でよろよろと立ち上がりました。
それでも、やはり本音は漏れます。
「凍菓とココアプリン食べたいよぅ」
「今作るとなると、もれなくシェフに砂糖抜きのダイエット仕様にされますよ!」
「いやー、甘くないー」
「そういえば、シェフから聞いたんですが、いい豚肉が入ったそうでお夕食は豚薄切り肉の卵衣付きソテーですよ」
ぴくり、とジョヴァンナの耳が好物の名前を捉え、少しだけ笑みが浮かびました。
ポークピカタ。本来はたっぷりのバターを使うものの、脂っこすぎるのであえてオリーブオイルで焼き揚げた卵の薄衣に、しっかり叩いて伸ばした柔らかく薄い豚肉、隠し味にちょっとだけこってりなチーズ、ソースよりも岩塩と数種類のスパイスをミックスした塩胡椒を振って食べるのがジョヴァンナ流です。
グレーゼ侯爵家の筆頭料理人であるシェフは、南のダーナテスカから来たジョヴァンナの好みに合わせた料理を苦もなく作ってくれるので、見知らぬ土地に嫁いだジョヴァンナは郷愁に負けることなく随分と助けられました。美味しいものは、人を救うのです。
ジョヴァンナは、涙を拭いて、ぐっと力強く頷きました。
「頑張る。もっと走らなきゃ」
「その調子です! 私たちもおやつを抜いてますから、一緒ですよ!」
若いメイドたちの声援を背に、痩せたい気持ちと休みたい気持ちのせめぎ合いを制したジョヴァンナは、ゆっくりと走り出します。
その姿にかつての貴族令嬢らしさは微塵もなく、貴族の目に見つかればみっともないと後ろ指を差されるであろう有様ですが——ジョヴァンナはそれらを飲み下した上で、前に進みました。
ただただ、愛するベレンガリオにもう一度振り向いてもらうために。
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