異世界に召喚されたぼっちはフェードアウトして農村に住み着く〜農耕神の手は救世主だった件〜

ルーシャオ

文字の大きさ
17 / 36

第十七話 争いを避けるための処置と思いたい件

しおりを挟む
 コルムはカツキの背中に引っ付いて、キューンと小声で呼びかけている。

 しかし、カツキはすり鉢の棒を動かす手を止めない。木箱の牧草をちぎったり、穀物をさらに細かくするために石臼を調整したり、ひたすら喋らず額に汗を浮かべながら試行錯誤を繰り返していた。

 アスベルとルネは、簡易ストーブの周りに車座になって、ラスナイトからレストナ村が置かれている状況を詳しく聞き取っていた。

「つまり、北の村……ラガン村に決闘を挑まれて土地を奪い取られて、まともな放牧地も村の共有地もほとんど残っていないのね?」

 ルネは頭が痛いとばかりに天を仰いでいた。

 ラスナイトは女装している変人貴族ルネに慣れてきたのか、もはやツッコむことは諦めたのか、真面目に応対する。

「一応ですけど、ラガン村の獣人サテュロスの挑発を無視したお年寄りたちのものは残っています。でも、それも今の牛の数を養うには足りません、その上今年は牧草が減ってしまってどうにもならないくらい。何とか牛たちはギリギリ南の窪地まで連れてきましたけど、それが限界です。牛たちはたくさんの水がないと生きていけませんし、今までの数を養えるほどのエサもなくて」
「なるほどね。獣人サテュロスたちは縄張りの強さから、独立した気質を持っているから誰かに援助してもらうことなんて考えつかないでしょうね。お年寄りならなおのこと」
「……はい。私がアイギナ村へ行くことさえ快く思わない人もいます。このままこの村は滅びるしかない、弱いのだから、と言って聞かないんです」

 それは獣人サテュロスという種族の思考であり、彼ら獣人サテュロスはおそらくヴィセア王国に所属しているという概念を理解できていないのかもしれない。誰かに隣村の横暴を裁いてもらうということも、援助してもらうということもよしとせず、野生のままの弱肉強食をこの世の理だと根強く信じているのだろう。

 だが、ラスナイトは違った。人馬ケンタウロスである父の考え方や気質を引き継ぎ、レストナ村にだけ留まることはなく、牛の世話でドルイドだったコルムの祖父に助けを求めたこともある。

「村の真ん中にある牧畜神パーンの像で分かるとおり、この村には家畜を育てることしかできません。風が強く寒い土地柄、ろくに作物は育ちませんし、土も全然よくないってコルムのお祖父様が生前におっしゃっていましたから。だから、他に生計を立てる道はないかと探しているものの」
「それでアイギナ村に来てたのか」
「はい。本当はあの村に迷惑をかけたくないから散々迷っていましたけど、偶然コルムとカツキに出会って、風の噂で聞いていた祝福ギフトならもしかして、と思って」
「やっぱり、エーバ村長には話すことに躊躇いがあったのね?」
「レストナ村の実情を話せば、あの優しいエーバ村長はきっと援助してくれるでしょう。でも、焼け石に水です。そこから先、よくなる保証はどこにもないし、まったく未来の見通しが立ちません。情けないけど、そういうことです。それに、下手に関係を悟られると、ラガン村がアイギナ村まで目をつけないとも限らないから」

 ラスナイトが話し終わると、小屋の中はしんと静まりかえった。

 アスベルはふと小屋を見回す。天井は木の皮を何重にも重ねて打ちつけた粗末なもの、石積みの壁は不揃いな石を使っているせいでバラバラで、粘土質の土や水が少ないからか目地に塗るモルタルもなく、どこからか隙間風が吹く。小屋の奥は納屋になっており、牧畜道具や飼料、藁を積んでいたが、どうも藁は古そうで最近採ったものではなさそうだった。

 それに、時折外を強い風が吹く音がする。そのたび天井はたわみ、小屋自体が半地下のように床を掘られているのは風を避けるためだと分かる。何よりも、この小屋の中で鉄製品が簡易ストーブしかないことも——ラスナイトがアイギナ村に比べても貧しい生活をしていることがはっきりとしていた。

 アスベルはひとしきりラスナイトを観察して、分かったことがある。

(この娘、純血の獣人サテュロスじゃないからあんまり村での待遇もよくないだろうに、よくやるな……独り抜け出して、アイギナ村にでも身を寄せればいいもんを、その発想さえ浮かばないほど貧しいかね。獣人サテュロス人馬ケンタウロスも、家族はもういないだろうに)

 ラスナイトの小屋は古く、家族で暮らすことを前提に作られている。しかし、夜が更けてもラスナイトの同居家族が帰ってくる様子はなく、ラスナイトも口にしない。ラスナイトを知っているコルムも口を挟まないし、保護者の存在はないものと見ていいだろう。

 別段、獣人サテュロスたちに限った話ではなく、困窮していてもその土地を抜け出すという発想を得ることは、なかなかに難しい。他の新天地が存在するのだ、ということを無知で知らないからだ。

 アイギナ村などは恵まれた場所で、学校もあり他の街や村との交流もあって、なおかつ食糧が豊富だ。その食糧を生み出す土壌も豊かであり、村の人々が持つ土地も広い。カツキというよそ者をあっさり受け入れるほど、心の余裕があった。

 だが、レストナ村は違う。獣人サテュロスの村だけあって元々閉鎖的なのだろうし、ラスナイトは獣人サテュロスを自称している。そこにこだわりがあって、村に住みつづけたい思いも一応はあるから、この村の元から離れようとしないだろう。

(となると、ラスナイト個人だけじゃなく村全体をも考えないといけないわけだが、カツキとヴァレー伯爵閣下には何か策があるかな。俺じゃ何の力にもなれそうにないが)

 すっとアスベルはルネへ目配せをする。ルネはその意をすぐに汲み取った。

「だそうだけど、カツキ、あなたの意見を聞きたいわ。こっちにいらっしゃい」

 カツキの背へ、三人の視線が集中する。

 その呼びかけに応じ、カツキは切なそうに鳴くコルムの頭を撫で、立ち上がる。

「カツキ……大丈夫?」
「ああ。心配かけた、コルム」
「いいよ、俺こそごめんよ」

 やってきたカツキに従い、コルムも車座に加わった。

 いつになく真剣なカツキの様子に、アスベルもルネも同情すると同時に——期待した。

 異世界からやってきた、祝福ギフト農耕神クエビコの手』を持つ英雄。彼がどんな手を用いて、ラスナイトという少女を、レストナ村という貧しい共同体を救うのか。

 彼がそれを考えていないはずがない、と二人は知っていたし、固く信じていた。

 カツキは、おもむろに聴衆がもっとも望むであろう確たる筋書きを語りはじめる。

「まず、ラガン村が直接アイギナ村を丸ごと奪いに来ない理由は、地形的なことだ。日が暮れないうちに何とか確認したけど、北のラガン村とレストナ村の間には深い峡谷があって、幅も広い。ただ、その間に何ヶ所か牧草地があって、細い崖沿いの一本道が村同士をやっと繋いでいる。その牧草地は日当たりがよく、風がうまく遮られるところで……西から東へ行く渡り鳥の休憩スペースでもあって、季節が変わって峡谷に東向きの強めの風が吹く日を待つために使われてるんだ。ここまではラスから聞いた話も含めてる」

 聴衆はみな理解できたと頷く。

 それを確認して、カツキは自身の予見した未来を口にする。

「だから、その牧草地は早晩、使えなくなる」
「え!?」

 驚くラスナイトへ、ルネが補足するように説明を付け加える。

「ああ、例の毒素ね。渡り鳥を介しているのだから、当然休憩地であるそこに集積されるでしょうね」
「そう、それにそこまで肥料を与えに行くにしても、かなりの重労働だ。割に合わないし、ラガン村の獣人サテュロスたちはきっとこのことを知らない。ラスの世話になっている僕たちが教えても、信じるかどうか怪しい」

 でしょうね、とラスナイトが気落ちした様子で同意した。

 閉鎖的で、縄張り意識が強い獣人サテュロスたちが、自分たちの土地についてよそ者が何かを言ってきたとしても、聞き入れる可能性は非常に低いと言わざるをえない。それに、ラガン村もレストナ村も、村人が殺されるほどの事態となってもこの土地の領主に何ら関与させていないのだ。気性の荒さからほぼ放置されているだろうし、獣人サテュロスたち自身が誰かの関与を望むこともない。

 であれば、もうラガン村に関しては放っておくしかない。救いの手を差し伸べるとすれば、彼らが助けを求めて懇願してきたときだけだ。

 レストナ村に関してはまだ余地はあって、たとえ混血ダブルのラスナイトの説得が弱くても追い詰められた村の苦境を考えれば話を聞くかもしれない。この二つの村は、状況が違うからこそ、選び取れる未来が違うのだ。

「ふむ。なら、これ以上のラガン村勢力圏の自発的な南下はない、と考えてよさそうね。向こうも大変だろうし」
「そう、ラガン村もレストナ村が他にいい牧草地を持ってるなんて思わないはず。長年、峡谷の牧草地を争ってきたんだから、それ以外に残ってるなんて考えないと思う」
「じゃあ、そっちはいいとして……この村はどうする?」

 そう尋ねたルネも、カツキの示す方針をすでに予見していたことだろう。他に取れる手段はないのだ、と誰もが薄々考えていたことだ。

 カツキはルネに望まれた仕事を果たす。

「アイギナ村へレストナ村の全員が引っ越したほうがいい。『農耕神クエビコの手』で調べたけど、このあたりは決定的に農耕に向いてないんだ。土が少ないし貧弱、それに」
「それに?」
「鉱脈がある。それを巡って、いずれもっと大きな争いになって、今度こそこの村は全滅するほどの大量の鉄鉱脈が」

 これには、全員の目の色が変わった。

 ラスナイトさえ、鉄鉱脈の意味を分かっているに違いない。

 それが存在することは、鉄鉱石を採取し、鉄を精製して、それを求める商人に売却して長期間利益を上げられることを意味する。

 さして鉄製品さえないこの村の住人だってその価値は分かるのなら、アスベルやルネ、コルムさえを理解するのは難しくない。

 利益は、カネは、争いを生む。子々孫々のために、豊かさのために、人は殺してでも奪い取ろうとする。今のラガン村が牧草地を奪う程度の規模ではない、ここ一帯のまつろわぬ獣人サテュロスたちの大量虐殺を領主あるいは国王が許容するほどの膨大な富を生み出すのだ。

 『農耕神クエビコの手』はあくまで土地が農耕に向いているか、その分析をしたにすぎないが、分析理由をちゃんと教えてくれる。このレストナ村一帯の土地は不純物が多すぎて耕せない、土壌よりも岩盤、鉱脈類の存在が大きいからだ、とカツキは知り、それらをさらに分析にかけた結果、地下深くまで、そして東へ連なる山の頂まで、豊富に鉄鉱石が含まれているということが判明したのだ。

「カツキ。念のため聞くけれど、それは事実ね?」
「ヴィセア王国から専門家を派遣して調査したほうがいいけど、まず間違いないと思う」
「だとすれば、王国がこの土地を丸ごと召し上げましょう。僻地の領地統治に無関心な領主よりも、国家が絡んだほうがマシよ」
「待って、それだと私たちはここを追われるということ? それは、みんな納得しないと思います」
「だからよ。より強大な勢力が、文句も言わさないほどに強権を行使してこそ、あなたたち獣人サテュロスは納得する。ついでに、ここは王国直轄領だとラガン村にも知らしめて、好き放題のやり口を牽制しないと周囲も危ないのよ。リスクマネジメントとして、この選択は十分に現実的だわ」

 ルネの意見は、ラスナイトの不満や不安をピシャリと封殺した。

 今のルネは、あくまで統治者の視点からの意見を口にした。もはや、村人の個人レベルで考えていい話ではなく、鉄鉱脈の存在もラガン村の侵略的思考も放置しては周辺の街や村落に致命的な危険を与えると判断されるべき案件だ。レストナ村の人々がそこに反対する力はなく、無条件で従わざるをえない。

 実際レストナ村の獣人サテュロスたちが無条件に従うかどうかは別の話だが、そこは知恵者のルネが手回しをして上手くやると信じるほかない。

 さらに、まだ話は続く。

「カツキ、まだ隠し玉はあるわね?」

 当然、とばかりにルネはカツキへ確認を取り、カツキはすんなりとそれを認めた。

「うん、詳しいことはまた話す。でも、牛のエサについては、もう心配しなくていい」

 カツキは目を細め、簡易ストーブの中の炎を見つめた。

 これでよかったのだ、と自分を納得させながら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~

あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。 彼は気づいたら異世界にいた。 その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。 科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。

キャンピングカーで走ってるだけで異世界が平和になるそうです~万物生成系チートスキルを添えて~

サメのおでこ
ファンタジー
手違いだったのだ。もしくは事故。 ヒトと魔族が今日もドンパチやっている世界。行方不明の勇者を捜す使命を帯びて……訂正、押しつけられて召喚された俺は、スキル≪物質変換≫の使い手だ。 木を鉄に、紙を鋼に、雪をオムライスに――あらゆる物質を望むがままに変換してのけるこのスキルは、しかし何故か召喚師から「役立たずのド三流」と罵られる。その挙げ句、人界の果てへと魔法で追放される有り様。 そんな俺は、≪物質変換≫でもって生き延びるための武器を生み出そうとして――キャンピングカーを創ってしまう。 もう一度言う。 手違いだったのだ。もしくは事故。 出来てしまったキャンピングカーで、渋々出発する俺。だが、実はこの平和なクルマには俺自身も知らない途方もない力が隠されていた! そんな俺とキャンピングカーに、ある願いを託す人々が現れて―― ※本作は他サイトでも掲載しています

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

大学生活を謳歌しようとしたら、女神の勝手で異世界に転送させられたので、復讐したいと思います

町島航太
ファンタジー
2022年2月20日。日本に住む善良な青年である泉幸助は大学合格と同時期に末期癌だという事が判明し、短い人生に幕を下ろした。死後、愛の女神アモーラに見初められた幸助は魔族と人間が争っている魔法の世界へと転生させられる事になる。命令が嫌いな幸助は使命そっちのけで魔法の世界を生きていたが、ひょんな事から自分の死因である末期癌はアモーラによるものであり、魔族討伐はアモーラの私情だという事が判明。自ら手を下すのは面倒だからという理由で夢のキャンパスライフを失った幸助はアモーラへの復讐を誓うのだった。

異世界召喚された俺の料理が美味すぎて魔王軍が侵略やめた件

さかーん
ファンタジー
魔王様、世界征服より晩ご飯ですよ! 食品メーカー勤務の平凡な社会人・橘陽人(たちばな はると)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。剣も魔法もない陽人が頼れるのは唯一の特技――料理の腕だけ。 侵略の真っ最中だった魔王ゼファーとその部下たちに、試しに料理を振る舞ったところ、まさかの大絶賛。 「なにこれ美味い!」「もう戦争どころじゃない!」 気づけば魔王軍は侵略作戦を完全放棄。陽人の料理に夢中になり、次々と餌付けされてしまった。 いつの間にか『魔王専属料理人』として雇われてしまった陽人は、料理の腕一本で人間世界と魔族の架け橋となってしまう――。 料理と異世界が織りなす、ほのぼのグルメ・ファンタジー開幕!

社畜おっさんは巻き込まれて異世界!? とにかく生きねばなりません!

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
私の名前はユアサ マモル 14連勤を終えて家に帰ろうと思ったら少女とぶつかってしまった とても人柄のいい奥さんに謝っていると一瞬で周りの景色が変わり 奥さんも少女もいなくなっていた 若者の間で、はやっている話を聞いていた私はすぐに気持ちを切り替えて生きていくことにしました いや~自炊をしていてよかったです

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

処理中です...