上 下
7 / 143
ドルンゾーシェの徹宵麺

1話

しおりを挟む



 新暦426年、蒼月19日。
早朝。ここ数日すっかり日記のことを忘れていたが、いまさっき思い出したので記録している。
フォリオを出発してから4日目の朝を迎えた。
もうあと半日ほど走れば、ドルンゾーシェに辿り着く。
ただ、今かなり濃い霧が出ているから、しばらくは大人しくしておいたほうがいいだろう。
昨夜は街道沿いの山小屋に泊まることができたので、正直外に出るのが億劫になるくらいには快適だ。
やっぱり屋根があると安心するもんだな。
ただ、今日中には街に着きたいので、昼になる前にはここを出たいと思う。

 今回の旅では、護衛を雇うことができた。
スラヤのケイジュと名乗る、淫魔の青年だ。
これがとびきり腕の立つ男で、大抵の在来生物なら顔色一つ変えずに倒してしまう。
16日に通過した森ではロノムスの群れを蹴散らしていたし、17日の昼間に出くわした巨大な蜘蛛みたいな在来生物、ラシーネも槍の一突きで倒していた。
昨日は在来生物には襲われなかったが、山岳地帯に入ったので体力的にきつかった。
ある程度の坂道なら平気な自動二輪車でも、流石に岩山は登れない。
迂回したり、自動二輪車を押したりしているうちにかなり疲れてしまった。
運良く山小屋を見つけたけど、一度腰を下ろしてしまうと夕食を作る気にもなれない。
そしたらケイジュがふらりと山小屋から出ていって、しばらくしたら在来生物を仕留めて戻ってきた。
トロバイトという草食の在来生物で、亀とダンゴムシが合体したみたいな生き物だ。
殻は硬いが熱には弱く、殻ごと焚き火の中に突っ込んでおけば殻が割れて食べやすくなるし、身は蒸し焼きにできるらしい。
味は癖もなく淡白で、食感が面白かった。
弾力があるけど歯切れがよくて、エビに近いけど、獣肉っぽさもある。
ニンニクで炒めたら良い酒の肴になりそうだ。
疲れたときはしっかり食ってすぐ休むに限る、とケイジュは言っていた。
料理を振る舞ってくれたことに礼を言うと、ケイジュは照れ臭そうに口を尖らせていた。
こんなの料理のうちに入らないんだそうだ。
あと、いつも作ってもらってばかりなのが申し訳なかった、とも言っていた。
一人分も二人分も大して手間は変わらないのだが、借りを作ったままなのが気になるようだ。
律儀で真面目なケイジュらしい。
ケイジュのそういう人柄は、いわゆる淫魔のイメージとはかけ離れている。
ケイジュ自身が淫魔であることに嫌悪感みたいなものを抱いているようで、ふしだらなイメージから遠ざかろうと必死なのだろう。
おれは貴族という身分と義務から必死に逃げてきたので、真っ向から立ち向かうケイジュの姿は眩しく感じる。
今回彼と出会えたのは本当に運が良かった。
この4日間、おれは在来生物から逃げ惑うこともなく安全に旅ができているし、話し相手がいるというのは素晴らしいことだ。
ケイジュは無口な方だけど、ふとした時に軽口を言い合ったりできるし、知らない在来生物のことも丁寧に説明してくれるので、退屈しない。
 
 ケイジュもある程度打ち解けてくれたのか、色々な表情を見せてくれるようになった。
1日目の夜の出来事が、心理的な距離を縮めてくれたように思う。
あの夜、おれは淫魔から精気を吸われるという貴重な経験をしたあと、急激な眠気に襲われ、翌朝までぐっすり寝こけてしまった。
飛び起きてすぐにケイジュに寝ずの番を任せてしまったことを謝ると、ケイジュは疲れ知らずの顔で問題ないと言い切って、改めてお願いされた。
体調に変化がなければ、2日に1度くらいの頻度で精気をもらえないか、と。
精気を摂らなくても1ヶ月くらいは命に別状はないし、2週間くらいなら体調にも変化はないのだが、やはりマメに摂取できるならそうした方が集中力が高まり、不眠不休で動けるという利点があるそうだ。
寝ずの番をケイジュに任せっきりにするのは気が引けたが、在来生物相手だと戦力にならないセドリックが見張りをするよりおれが起きていた方が効率がいい、とケイジュに身も蓋もない説得をされて、おれは了承することにした。
そういうわけで、おれはケイジュに精気を吸われるかわりに、夜はぐっすり寝ている。
幸い、体調に変化はない。
むしろ深く眠れることで寝覚めが良くなったくらいだ。
ケイジュもフォリオに居たときよりも肌艶が良くなって、男前に磨きがかかっている。
マメに精気を摂取するというのは淫魔の健康に良いらしい。
良い事尽くめだが、精気を抜かれるときに見つめ合わないといけないのは、若干気恥ずかしい。
まぁ、それぐらいなら全然許容範囲なのだが。
ケイジュは顔面が美術品レベルなので、心臓には悪い。

 魅了が効かないおれと、魅了したくないが精気は欲しいケイジュの相性はこの上なく良いように思えるし、この旅が終わっても護衛役を継続してもらえないか、今考えているところだ。
まぁ、そうなったらおれも本腰入れてケイジュと向き合わないといけない。
ケイジュには色々と人種特性や生い立ちを聞いておいて、おれだけいつまでもセドリックという名前のまま接するのは、筋が通らない。
ケイジュは殻の外の出身なので貴族とも縁遠いし、おれの家名を知っても態度を変えたりしないとは思う。
おれは子爵家の放蕩息子だと説明した時も、特に嫌悪されたりはしなかった。
だけど、魔人が迫害されたのは、貴族が主導したからだ。
心を操るという強すぎる力を疎んじて、貴族は市民の不安を煽り、多くの魔人が処刑された。
魔力を持たない貴族には魅了魔法は効かないのに、なんとなく不穏だから排除しておこうと、ただそれだけで。
それはたった100年前の出来事なのだ。
貴族、特に当時もフォリオの統治者だったイングラム家を深く恨んでいても不思議ではない。
本名を知られれば、おれはケイジュに蔑まれ、嫌われてしまうかも。
けれど、黙ったままで月日を過ごして、いつか嘘が露見した時のことを考えると、それも恐ろしい。
だったら傷が浅い今のうちに、とも思えてくる。
日を追うごとに、怖さが増していく。
……嫌われることが、怖い。
ケイジュは嫌がるかもしれないが、魔法なんてなくてもおれはケイジュに好意を抱いてしまっている。
外の世界に詳しくて、腕は立つのに驕りもなく、淫魔だとしても清廉な生き方を諦めず、たまに普通の青年らしいしょうもないおふざけを真顔でやってみせるケイジュ。
出来るならもっと親しくなれればと思う。
用心棒と雇い主ではなく、ただの友人として旅ができたらきっともっと楽しいはず。
これはあくまで友愛だ。
けど、ケイジュがこの友愛をどう受け取るかはわからない。
ケイジュはきっと人からの好意を素直には受け取らない。
性格が捻くれているわけではなく、その好意が魅了によるものかそれとも普通に育まれたものなのかわからないから、疑うしかないのだ。
いくらおれには魅了が効かないとは言ってもおれの自己申告に過ぎないから、おれが魅了されているように思えたらケイジュは幻滅して離れていくかもしれない。
おれは自分のことを恐れ知らずだと思っていたけど、とんだ勘違いだったな。
おれは……臆病者だ。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

水の中で恋をした

BL / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:12

神々にもてあそばれて転生したら神様扱いされました。

BL / 連載中 24h.ポイント:42pt お気に入り:265

【R18】冒険者ですが、一人で自由にしています。

BL / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:219

団長が淫乱だったなんて、聞いてない。

BL / 完結 24h.ポイント:78pt お気に入り:438

【完結】イリヤくんの受難

BL / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:629

神子の余分

BL / 連載中 24h.ポイント:92pt お気に入り:616

【完結】彼女のお父さんに開発されちゃった自分について

BL / 完結 24h.ポイント:149pt お気に入り:360

童貞のまま40を超えた僕が魔法使いから○○になった話

BL / 連載中 24h.ポイント:860pt お気に入り:506

【完結】苛烈な陛下の機嫌を取る方法

BL / 完結 24h.ポイント:241pt お気に入り:363

俺様王様の世話係

BL / 連載中 24h.ポイント:383pt お気に入り:26

処理中です...