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番外編①

家出貴族と蛇男②

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 ヘレントスの道は迷路のようだ。
無秩序に建て増しをしたせいで、裏通りは極端に狭いし曲がりくねっている。
シグは迷い無く進んでいるので、彼にとってはここは庭も同然なのだろう。
そしてしばらく歩いていると、小さな看板を掲げた店に辿り着いた。
まだ準備中の札が下がっていたのに、シグは迷い無くその店の扉を開けた。

「女将さーん、いるー?」

「はーい、まだお店は開けてませんけど、どなた?」

シグの呼びかけで奥から出てきた女性は、青みを帯びた黒髪を垂らした美しい人だった。
南の海を思わせる青緑の瞳をシグに向けると、口を手に当てた。 

「あら、珍しいじゃない。シグ坊やがこんな明るいうちから店に来るなんて。まぁ入って入って。まだ何も出せないけど、しばらくしたら準備もできるから」

シグを嬉しそうに迎え入れた女将さんは、おれにも快活な笑顔を向けてくれる。

「シグ坊やのお友達?狭い店だけどゆっくりしていってね」

「ありがとうございます。お邪魔します」

おれが一礼すると、まぁ、と目を丸くしている。

「シグ坊やにこんなに品のあるお友達がいたなんて知らなかったわ」

「女将さん、その人は今日初めて会ったお客さんだよ。店が暇すぎてやってられなかったから、やけ酒に付き合ってくれって頼んだんだ。それと、いい加減坊やはやめてくれよ……もう店主になって何年も経ったんだし」

「その顔、ますますシュガルに似てきたわね。あと20年くらい経って、お父さんみたいな渋い男前になったら坊や呼びもやめてあげるわよ」

「むっつり黙り込んでるだけの人見知りオヤジだろ」

気安い会話を続けながら、シグは厨房に近い奥の席に座った。
おれもその隣に座って、店の中を眺める。
カウンター席とテーブルがいくつかあるだけの小さな店だけど、使い込まれた木の内装が良い味を出している。
壁には札がいくつもぶら下がっていて、料理の名前が書いてあった。
内陸のヘレントスにしては珍しく、魚料理が豊富だ。
いくつか聞いたことのない料理名もあったので、興味深く観察していると、女将さんに濡れた布巾と水の入ったグラスを差し出される。
そのたおやかで白い手には半透明の水かきがあった。
なるほど、この女将さんは人魚なのか。
ユパ・ココに多く住んでいるという人魚は、文字通り魚の特徴を宿した人々で、下半身が魚そのままだったり、水かきだけを持っていたり、水中呼吸ができる鰓をもっていたり様々な特徴がある。
陸地でも生活できる人魚はたまに内陸のヘレントスでも見かける。
確かケイジュの元部下の中にも人魚らしき女性が居たはずだ。
今頃一緒に戦ってるんだろうか。

「簡単な料理とお酒なら出せますから、用意しましょうか?」

おれは女将さんの言葉に我に返り、笑顔を取り繕う。

「ええ、好き嫌いもありませんので、おまかせしても良いですか?」

「はい、わかりました。とりあえずシグ坊やもいつもの準備するから待っててね」

シグは濡れ布巾で手を拭いながら、メニュー表を眺めている。

「今日はケラス仕入れてる?あったらケラワサ頂戴」

「はいはい」

女将さんはそのまま厨房に行ってしまったので、静かな店内に二人取り残される。

「開店前なのに大丈夫だったのか?」

おれがこっそり問いかけると、シグは呑気な顔で水を呑んで頷く。

「小さい頃からオヤジと一緒に通ってたから、ほとんど実家みたいな感じなんだ。おれのお袋は家庭に収まるような人じゃなかったから、ここの料理で育ったようなもんだよ」

「へぇ、流石ヘレントスの女性だな」

「ああ、まぁ、それもあるけど、蛇人らしい人でさ。嫉妬深くて執念深くて愛情深い、色々濃い人で、今は在来生物にありったけの情熱を注いでる。何年も顔見てないけど、どっかで元気にしてるだろ」

シグの口調は淡々としたものだったけど、口元は緩んでいる。
関係は悪くないようだ。
それにしても、蛇人か。

「シグも蛇人なのか?」

おれが問いかけると、きょとんとした顔でおれを見返した。

「見ればわかるだろ、おれは蛇人だ」

おれはついしげしげとシグの顔を眺めてしまった。
蛇人には何回か会ったことある。
でもこうしてしっかりと観察する機会はなかった。
前見かけた蛇人は顔につやつやした鱗が散っていたので気付けたけど、シグの顔はつるつるだ。

「人によって鱗ができる場所は違うんだな……周りに蛇人の知り合いが居ないからわからなかったよ……」

おれが呟くと、シグはいきなりべっと舌を出した。
その舌先が二股に別れていて、おれはつい声を上げてしまった。

「すごい、蛇の舌なんだな……!」

「鱗は腕とか足にあるよ」

シグは言いながら少し腕まくりをして、オリーブ色の鱗が帯状に生えているところを見せてくれる。
白い肌に蛇が巻き付いているようにも見えて、ちょっと格好いい。
おれが感心していると、シグはおれの顔や耳を見て首を傾げる。

「おれはセドリックの人種の方が不思議だけどな。森人にしちゃ友好的だし、耳も尖ってないし、混血か?」

「あ、ああ。まぁそんな所だ」

おれが受け流すと、シグはそれ以上この話題に突っ込むことはなかった。

「セドリックは運び屋の仕事でヘレントスに来てるんだろ?冒険者の恋人とは遠距離恋愛なのか?」

代わりにちょっとニヤニヤしながら話題を変えてきたので、おれは首を横に振る。

「いや、いつもは一緒に旅をしてるんだ。護衛役として雇ったのがきっかけで付き合うことになって……今回はフォリオから手紙を運んで、返信を受け取るために明後日までここに滞在する予定だった。そしたら恋人に名指しで招集がかかって……」

「へーぇ。愛しの彼は結構腕が立つ冒険者なんだな」

「ああ。頼りになる護衛なんだけど、こういう時はちょっと寂しい……あっ、」

おれは焦ってシグの顔を見る。
今、彼って言ったか?
同性の恋人であることは黙っておこうと思っていたのに、まんまと墓穴を掘ってしまった。
シグはにんまりと笑っておれを見ている。

「ふむふむ、そうかそうか」

「シグ、今のは、」

おれが誤魔化す言葉を探していると、シグはおれの背中を軽く叩いてきた。

「いや、悪い悪い。ちょっと勘が働いたから引っ掛けてみたんだ。心配すんなよ、おれの恋人も男だ。セドリックが見かけたギルド職員ってのがおれの愛しの彼だよ。女将さんもおれの彼氏のことは知ってるし、安心してくれ」

おれは情報量が多くて混乱してしまった。
シグも同性の恋人がいたのか。
しかもギルド職員って、あの犬の獣人のことだよな?
いかにも真面目に家庭を持って働いてそうなのに、やっぱり見た目じゃ人はわからないもんだな。
おれは水を一口飲んで気分を落ち着けると、深く息を吐いた。

「……やっぱり隠し事なんておれには無理だな……」

「悪かったって……でもこれで腹割って話せるってもんだろ?こんなに境遇が似てるんだからさ」

確かに、偶然出会ったにしては奇跡的な一致だ。
おれが気を取り直していると、女将さんが料理と酒を運んできた。

「はい、ビールとケラワサ。こっちは若豆の塩ゆでね」

シグは嬉しそうにジョッキを受け取り、おれのジョッキにぶつけてきた。

「とりあえず飲もうぜ!乾杯!」

ジョッキは氷魔法でキンキンに冷やしてあって、逆らいがたい黄金の輝きを放っていた。
おれも色々と頭の隅に追いやって、乾杯と言い返すやいなや思いきりゴクゴク飲んだ。
冷たいビールが喉を滑り落ち、頭がキーンと痛む。
一気に半分ほど飲み干して、爽快さに唸る。

「これが背徳の味か……!」

ケイジュは今頃必死に仕事をしているだろうに、おれはなんて酷い恋人だろう。
だけど、たまらない。
シグは早くもおかわりを頼みながら、ケラワサと呼ばれた料理をおれに押しやった。

「これ、結構ビールに合うから試してみろよ。見た目はあんまり良くないけど、美味いぜ。ただ、ちょっとずつ食えよ。泣くことになるからな」

ぬめぬめとした灰色っぽいものが緑色の茎のようなものと和えてある。
ケラスというのは確かイカとかタコに似た在来生物だったはずだ。
確かに見た目は少し気持ち悪いが、注視しなければいい話だ。
おれは早速箸でひと切れつまみ上げて口に運んだ。
くにゅくにゅと独特の歯ごたえがあり、噛みしめるほどにねっとりとした甘みがにじみ出て来る。
そしてケラスにまとわりついた茎のようなものを噛むと、つーんと強い風味が鼻に抜けた。
これは、確かに、目に来る。
おれは咄嗟に目を押さえたが、不思議と嫌な風味ではない。
むしろ、ケラスの生臭さを緩和して旨味に変えてくれる。
おれはケラワサを飲み込むとビールを呷った。
濃い塩気を洗い流すビールの苦味がたまらない。

「おッ、いい飲みっぷり。やっぱ飲まねぇとやってらんねぇよなぁ……!」

シグも若豆の塩ゆでをむしゃむしゃ頬張り、ビールを呷る。
一杯目が空になると、女将さんが手際よくおかわりと次の料理を持ってきてくれた。
他の客もちらほらと入り始めたが、今日は冒険者が街に居ないので満席になることはなかった。
おれとシグは仕事や在来生物に文句を言い合いながら調子よく杯を重ね、夕方になる頃にはすっかり出来上がっていた。

「ウォルフもさぁ、仕事が大事なのもわかるけど、一週間もまともにセックスしてないのに何であんなに落ち着いてられるんだよ……前忙しかったときはあんなに焦れてそわそわしてたのに、今回はしれっとしてるし、おればっかり必死になってるみたいで情けねぇ……なぁ、やっぱ下になるのってそんなに大変なのか?セックスするのめんどくせ~ってなる時もあんのか?セドリックならわかるよなぁ、な?」

シグは完全に酔っ払いになっていた。
声の大きさこそ控えめで、他の客に聞こえない程度に抑えてあるけど、会話の内容は先程から酷いものだった。

「なんでおれならわかるって決めつけてんだよ。ウォルフのことはウォルフにしかわかんねぇって、だっておれちらっと見かけただけだし」

おれはグラスを傾けながら応える。
実は、おれも結構やばい。
普段ならこんなに酔わないんだけど、この店のお酒がめちゃくちゃ好みの味で、しかもアルコールが強いのでついカッパカッパと飲んでしまったのがいけなかった。
シグは途中からおれがあまりにも飲むのでドン引きして、セドリックの肝臓には魔導具か何か仕込んでるのか?
と言われるほどだった。
けど、シグのほうが先に酔っ払って管を巻き始めたのでおれを止める奴はもういない。
おれがおかわりを頼むと、シグは押し殺した声で笑いながらおれをちらりと見やる。

「へっへっへ、セドリックぅ、おれの目は誤魔化せないぜ。あんたからはネコの匂いがする。そうだろ?」

「あぁ?だったら何だよ。文句あるか?こんなでかいナリで押し倒されてるのがおかしいってか?」

「文句なんて言ってないだろ!それ言い出したらウォルフなんかアンタよりでかいし。けどそれがいい!スキ!」

シグの言葉は段々支離滅裂になっている。

「じゃなくて、ネコならわかるだろ?やっぱ抱かれるのって面倒くさいときあんの?今日はキツイな~みたいな時とか」

「そりゃあ、まぁ、運び屋やってたら出来ない時の方が多い。次の日も移動しないといけないときは、それなりに自制しとかないと腰と尻が死ぬ。ケイジュのでかいし」

「おッ?自慢かよ~!おれは2本あるもん。本数と回数は負けないぞぉ」

「えっ?!蛇人って2本あんの?すご、えっぐ……そりゃウォルフも嫌になるときあるだろ、シグのセックスしつこそうだし」

「うっ、うるせーな!どうせおれはしつけーよ、けどそれがおれの愛し方なんだから仕方ねーだろ!」

「だったら仕事忙しいときにセックスできないのも当然だろ?ウォルフの仕事は人の命がかかってんだし、落ち着くまで、そっちのことは考えないようにしてんだろ」

「まぁ、そうかな~とは思うけど、やっぱ寂しいじゃん……ウォルフ~……」

シグは今度はべそべそと半泣きで皿の上の料理をつつき始めた。
小さい豆を器用に摘んでは口に運んでいる。
こんなに酔ってるのによくそんなことできるなぁ。
おれもかなり冷えてしまった揚げ物を口に押し込んでむしゃむしゃ咀嚼し、酒で流し込む。

「……忙しいのに、ちゃんと今日の昼には会いに来てくれてたんだろ?それで満足しとけよ」

「はい、そうですね……」

しょぼくれて俯いたシグだったが、はっと目を覚ましたように顔を上げると、おれを見た。
さっきまで一人で百面相していたのに、今は真面目な顔をしていた。
顔色もあまり変わっていないので素面に見える。

「セドリック、あんたはどうなんだよ。もしおれみたいに何日もお預けされたとして、ケイジュがしれっとしてたら焦るだろ?」

「…………まぁ、ちょっとはな。っていうか、いつもケイジュは自制してるから、大体いつもそんな感じだし、改めて気にしたことなんてない」

「若いのにもう枯れてんの?蛇毒湯飲む?」

「違う!ケイジュは、おれを気遣ってんだよ……!旅の途中は何が起こるかわからないし、野宿してるときに呑気に色気づいてるわけにもいかないから、普段から冷静なんだよ。その代わり、今日は気にせずできるってわかったときはすごい」

「ほーぉ、溜め込んで溜め込んで爆発させるタイプかぁ。セドリックはその爆発に巻き込まれて平気なのか?」

「当然だろ、おれだって溜め込んでんだし……けど、どうがんばっても淫魔の精力には追いつけなくて、いつもおれが先に意識飛ばすから悔しいんだよな……」

「うっわ、お前らのほうがえっぐいセックスしてんじゃねーか……って、淫魔!?」

「……そう、だけど」

急に身を乗り出してきたシグに驚いて仰け反りながら答えると、シグは一人で納得して頷いていた。

「ケイジュって何か聞き覚えある名前だなと思ってたけど、あのケイジュか!魔人でケイジュといえばあいつだろ、凍てつく槍だとか氷槍の死神だとか呼ばれてる……ヘレントスでも有名な槍使いで、ずっと一匹狼だったのに、何年か前に急に傭兵団作って、かと思ったらすぐ解散して、その後あんまり話聞かなかったけど……セドリックとよろしくやってたのか~!へ~!」

ケイジュにそんな仰々しい二つ名があるとは知らなかった。
今度ケイジュを呼ぶときに使ってみよう。
照れるか、怒るか、無視されるか。
珍しい反応が見られそうだ。
シグは、股間の槍はセドリック専用ってか、と酷い冗談を言いながら一人で笑っている。

「くだらなすぎて笑えないぞシグ……はーぁ……セックスでも戦闘でも、おれは置いてかれてばかりだ……」

おれは深くため息をついて酒を飲み干した。
シグはようやく一人で笑うのをやめて、おれの背中をバシバシ叩いてくる。

「人にはそれぞれ得意分野ってのがあるからしょーがないしょーがない。おれはウォルフみたいにギルドの仕事はできないけど、ウォルフはおれみたいに薬を作ることはできないんだ。それぞれ持ってる手札で、できるだけやるしかないんだって……そんで、今日。セドリックは蛇蜜丸って手札を手に入れた。それをどう使うかはセドリックの自由。ただし、1日に3個以上服用するなよ?心臓に負担がかかるからな」

シグはようやくまともなことを言ったかと思うと、眠そうにショボショボと瞬きをした。
おれも頭がふらふらして気持ちよくなってきたし、そろそろお開きだな。
結局何も解決はしてないけど、気分は良くなったし、まぁいいか。
おれはぐでぐでと寄りかかってくるシグをなんとか支えて立ち上がり、苦笑する女将さんに謝りながら金を払って外に出た。








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