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イングラム家のパンプキンパイ

1話

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 新暦426年藍月26日、朝。
休暇も5日目を迎えたが、まだ次の仕事は決まっていない。
休みの間もちょくちょくギルドには顔を出してどの仕事を受けようか検討はしているのだが、まだ迷っている。
というのも、時期がかなり微妙で、安全に行こうと思えばドルンゾーシェぐらいまでしか行けないし、ヘレントスまで足を伸ばせば帰りが雪で足止めされる可能性がある。
ユパ・ココ行きの仕事はすでに争奪戦が始まっていて、他の運び屋に仕事を取られてしまった。
雪道仕様の自動二輪車はまだまだ開発に時間がかかるので、今季は自力でなんとかするしかない。
近場の宿場町を往復する仕事を地道にこなしていく方法もあるのだが、今年はケイジュもいるし、折角の戦力を使わずに腐らせておくのも勿体無い。
思い切って冒険者として討伐クエストなんかを受けてみようかという話にもなった。
それで昨日、ケイジュの新武器の試し切りも兼ねて、街道沿いの在来生物の討伐に挑戦してみた。
手応え的には、おれでも充分冒険者の真似事はできそうだ。
前衛も後衛もこなせる最強の護衛ケイジュと、自動二輪車という移動手段があるので、旅に出なくても討伐クエストである程度の金は稼げると思う。
けど、おれ個人としては旅に出たいという欲求を捨てきれないし、運び屋としての矜持もそれなりにあるので、未だに決めかねているという状況だ。
もう2、3日仕事を募集してみて、それでも決まらなかったら、諦めて近場の宿場町を往復する定期便の仕事を受けるか、新人冒険者として在来生物を追っかける仕事をしたいと思う。

 やることが決まらないのは落ち着かないが、休暇が延びることは素直に嬉しい。
フォリオに帰ってきて、ケイジュと二人暮らしを開始したわけだが、毎日満たされていて幸せだ。
旅の途中でもずっと二人きりだったので、二人暮らしを始めても何も変わらないと思っていた。
けど、やっぱり同じ布団に入って同じ時間に起きて、同じ食卓で同じものを食べるという生活は案外新鮮に感じる。
旅の最中は基本的にケイジュが見張りを担当してくれていたので、同じベッドで寝ることなんて宿屋に泊まった数回しかなかったし、食事は野外で食べることが多かった。
おれとケイジュが運び屋と傭兵ではなく、商人と憲兵として出会っていたら、こんな風に同棲していたのかもしれない、なんて妄想をすることもある。
もしもなんて考えても意味はないけれど、仕事で疲れて帰ってきたケイジュを出迎えて、今日もお疲れ様、と労るのはちょっとやってみたい。
なんだか普通の新婚夫婦のやり取りみたいで少しワクワクする。
いや、それは今は関係ない、話を戻そう。
ああ、そうだ。今日は用事がある。
ギルドで依頼がないか聞いてみるのはもちろん、今日は久々に兄貴に会うことになっている。
フォリオに帰ってきてからすぐに手紙を出して、ケイジュのことやミンシェン伯爵とハッダード侯爵のことを兄貴には知らせておいた。
いざというとき、ヴァージル兄ぃならおれを助けてくれるだろう。
ヴァージルは一番上の兄貴で、次期公爵様だ。
親父の期待に応え続け、重圧にも負けず結果を出し、更に妻や子供のことも大事にしている完璧すぎる兄貴は、おれみたいな問題児の弟にも優しい。
兄貴を頼るといつまでも自立できないので、運び屋になってからは距離を置いているけど、今でも定期的に手紙はやり取りしていた。
直接会うのは1年ぶりぐらいだろうか。
手紙の中では、ダイナとルチア、ヴァージルの子供でおれの姪っ子たちが、手紙と一緒に贈ったぬいぐるみをたいそう喜んだので、直接お礼を言いたいと言っている、と書いてあった。
そのついでに、久しぶりに昼食でも一緒に食べよう、母さんにも会って元気な姿を見せてやれ、とのことだ。
仕事の話も聞きたいので、護衛のケイジュ君も一緒に連れてくるといい、と最後に付け加えられていたので、おれはケイジュと話し合って、二人で参加することに決めた。
昼食会に来るのはヴァージル兄ぃとルイーズ義姉さんとダイナとルチア、それから母さんだけだ。
2番目の兄貴、ヴィンセントは相変わらず忙しくしているみたいで来ない。親父も同じく。
ちょっとホッとした。
ヴァージル兄ぃからは昔から可愛がってもらってたけど、ヴィンセントとはお互い不干渉だ。
多分ヴィンセントはおれのことが気に食わないんだろう。
イングラム家の次男としてヴァージル兄ぃとよく比較されて、もしものときのために厳しく教育されたヴィンセントにとって、自由にやってるおれは目障りで仕方なかったはずだ。
おれもヴィンセントと会うと引け目を感じてまともに会話できる気がしない。
それから親父とは……まだ、話したくない。
親父のことを、第四殻都フォリオを統治するエドガー・リオ・イングラム公爵としてなら、大人になってその偉大さを理解できるようになってきた。
けど、父親としては見れない。
家出を決意した15歳のときよりは、親父への嫌悪感も薄れているけど、まだ、もう少し時間が欲しい。
だから、今回の昼食会で顔を合わせなくて済むなら気が楽だ。

 昼食会場はヴァージル兄ぃが所有してる別荘だ。
東側の殻壁付近には、貴族の別荘や豪商の邸宅などが集まっている地区がある。
なんでも崩落した殻が地面に埋まっているらしく、農地には適さないらしい。
次期公爵であるヴァージルの自宅はフォリオ城なんだけど、休日などはその別荘で過ごすことが多いそうだ。
家出してすぐの頃は、その別荘におれも何泊かさせてもらったことがあるので場所もわかるし、城に行かなくていいならケイジュの心労も多少は和らぐだろう。
ケイジュには無理に参加しなくてもいい、とは言ったんだけど、おれもセオドアの家族に会いたいと即答されてしまった。
ケイジュの家族には挨拶させてもらったし、気持ちはわかるんだけど、ちょっと不安だ。
ヴァージル兄ぃもルイーズ義姉さんも人種で差別することはないけど、母さんはまだ昔の価値観を持ってる人だから、悪気なくケイジュを貶めてしまうかもしれない。
おれにも未だに貴族令嬢とのお見合いを薦めてくるほどだ。
何度も断ってるのに、今回もその話が出てくる可能性は高い。
貴族の最も大事な務めは子供を残して貴い血を未来に繋ぐこと。
それを信じて疑わない人だ。
ケイジュと付き合ってますなんて打ち明けたら、母さんは卒倒しかねないし、兄貴と協力してなんとか誤魔化すしかないだろう。

 ここから兄貴の別荘までは歩いていくつもりなので、そろそろ出た方がいいんだけど、ケイジュが帰ってこない。
昨日も散々ベッドの上で運動してしまっておれが疲れ気味だったので、一人でコルドの工房に出掛けたのだ。
新武器の背負い紐と鞘が欲しいから依頼してくると言っていたけど、交渉が難航してるんだろうか。
もしくは、デザインを話し合ううちに盛り上がってしまったか。
とか、そんなこと言ってたら帰ってきたみたいだ。
今回の記録はこれで終わりにする。



「ケイジュ、おかえり。どうだった?」

おれが玄関で声をかけると、ケイジュは珍しくにやりと自慢げに笑いながら、自分の肩に背負ったベルトを見せびらかしてきた。

「正式に背負い紐と鞘の制作依頼をしたんだが、それが完成するまでの繋ぎとして作ってもらった。正直、即席とは思えない出来だ」

背中の原動機付槍斧を見せてくれたのだが、刀身と機関部がすっぽりと革の鞘に収まっている。
鞘というよりは袋みたいな形状だけど、布を巻くより安全そうだし取り出しやすそうだ。

「ここに盾も引っ掛けられるように紐とボタンもついている。かなり便利だ」

ケイジュは嬉しそうに説明してくれる。
楽しい時間が過ごせたみたいでよかった。
おれが微笑ましくうんうんと頷いていると、ケイジュはハッと顔を上げて時計を確認する。

「すまない、こんな時間になっていたとは思わなかった。遅くなったな。まだ間に合うか?」

「大丈夫。多少遅れても、家族の集まりだし堅苦しい場じゃないよ」

「だが、挨拶に行くのに初手から遅刻するのは良くない。すぐ出よう」

ケイジュは槍斧を背負い直して早口に詠唱を始める。
元々汚れてはなかったけど、一応浄化魔法を使ったようだ。
おれもケイジュに急かされて身なりを整え、最低限の物だけ持って家を出る。
早足になっているケイジュを追って、貴族街を普段とは逆の方向に歩いていく。
フォリオの東側には役所や憲兵の訓練所、学校などの施設が多いので、普段はあまり用事のない地区だ。
久々に通ったので、結構風景が変わっている。
古かった図書館が新しくなっていたので興味を惹かれながらも、真っ直ぐに兄貴の別荘を目指す。
道中、ケイジュは普段より饒舌だった。
やっぱりちょっと緊張しているんだろうか?

「セオドアは三男だったな、今日呼んでくれたのはどっちの兄なんだ?」

「長男の方だよ。次の公爵様ってわけ。けど、ヴァージル兄ぃは基本的に優しいから気を張らなくても大丈夫だ。ヴィンセントは今日は来られないみたいだし……心配なのは母さんだな……やっぱ世代が違うから、ケイジュに失礼なこと言うかもしれない。先に謝っとく。ごめんな?」

「気にしなくていい。まだ言われてもないことを気にしても仕方ない……おれは礼儀作法については素人だから、向こうからしてみれば無作法な男に見えるだろう。本当におれは何もしなくて良かったのか?」 

ケイジュは少し自信なさそうにおれに問いかける。
昼食会のお誘いが来たときに、ケイジュは貴族の礼儀作法を教えてくれと頼んできた。
けど、おれはそれを断った。
貴族は平民に礼儀作法を求めたりはしない。
そもそも身分が違うので知らなくて当然なのだ。
付け焼き刃で作法を真似しても、不信感があるだけだろう。

「いつも通りで大丈夫だって。そもそもケイジュは立ち振る舞いも堂々としてて所作も荒っぽくないから、それで充分」

「……それならいいが」

ケイジュは少し俯きつつ呟いた。
物憂げな表情は珍しいので少しどきりとする。
惚れた欲目がなくても、ケイジュの横顔は絵画のように整っている。
貴族って外見至上主義な所あるから、美しいってだけでかなり加点要素だ。
魔人を迫害してたのも一世代前の貴族で、今は魔人の権利を回復させるためにあえて重用している貴族も居るくらいだ。
イングラム家は実力主義で種族を問わず雇用しているので、魔人も一人くらいは居るかもしれないな。
ケイジュはそれきり黙ってしまい、どこか決意を滲ませた表情で道の先を見つめている。
ケイジュに合わせて早足になっていたので、思ったより早めに到着できそうだ。




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