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イングラム家のパンプキンパイ

3話

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「お姫様たちの機嫌を損ねないうちに、食事にしよう」

兄貴が言うなり、ダイナが勢い良く手を合わせて食前の祈りを捧げ、料理に手を伸ばした。
キッシュやサンドイッチなど、手づかみでも食べやすい料理ばかりが並んでいる。
どれも一口大なので、おれも気負わずサンドイッチを口に運んだ。
マスタードバターときゅうりが挟んであるだけのシンプルなサンドイッチだけど、美味い。
懐かしい味だ。
ケイジュもおれたちの様子を見て食べ始めた。
きのこがたっぷり入ったキッシュを食べたケイジュはちょっと目を見開いて表情を緩めていた。

「ケイジュ君のお口に合えばいいけれど、どうかしら?」

ルイーズ義姉さんが隣のルチアの口元を拭いながら声をかける。

「美味しい。気遣いに感謝する」

「いいのよ。ダイナとルチアも、毎回堅苦しい食事ばかりじゃうんざりしてしまうしね」

ルイーズ義姉さんが声をかけたことで、ダイナとルチアはようやくケイジュの存在に気付いたようだ。

「あなたはだぁれ?」

ダイナが不思議そうに首を傾げる。
片手は不安そうに隣の父親の袖を握っていた。

「おれはスラヤのケイジュだ。セオドアと一緒に仕事をしている」

ケイジュはなるべく柔らかい表情を作ろうとしているようだったが、おれ以外の人間が見てもわからない程度の変化しかない。
しかし、好奇心も強くて肝が座っているダイナはすぐに質問を返した。

「あなたもてがみをはこぶおしごとをしているの?」

「いや、おれの仕事は在来生物からセオドアを守ることだ」

「ざいらいせいぶつ……じゃあ、ほんもののトロちゃんもみたことあるの?!」

「……トロちゃん?」

「このこのなまえよ。かわいいでしょ?」

ダイナは自分の膝に乗せていたぬいぐるみをケイジュに見せる。
ケイジュはしばらく首を傾げていたが、ああ、と声を漏らす。

「それはトロバイトか。ああ、見たことある。草が生えているところならどこにでもいる生き物だ」

「そうなの?ほんものもかわいい?」

ケイジュは少し困ったようにおれを見た。
ドルンゾーシェに向かう山小屋の中で、トロバイトを食べたことを思い出したんだろう。
ケイジュにとってはトロバイトは可愛い存在ではなく、美味しく食べられる存在だ。
おれがにやりと笑って知らんぷりをしていると、ケイジュは言葉を選びながら答えた。

「可愛いかどうかはわからないが、そのトロちゃんと本物はよく似ていると思う。だが、本物はもっと硬くて、石みたいな殻を持っている。岩山を転がって移動することもあるんだ」

「そうなの?!」

ダイナは手元のぬいぐるみを見下ろして、もにもにと触っていた。

「ケイジュ君は殻の外の出身だったね。私たちには珍しく感じる在来生物も、今まで幾度となく見てきたんだろう?」

ダイナの頭を撫でながら、今度は兄貴がケイジュに話を振る。

「……故郷はヨナの大森林の近くにあるので、大抵の生物は見たことがあると思う。しかし、在来生物は日々進化していて、たったひと月で生態系ががらりと変わっていることも珍しくない。今この間にも、おれの知らない在来生物が増えていると思う」

ケイジュは卒なく答えながらも、すでに自分の分のお茶を既に飲み干していた。
すかさず給仕がおかわりを注いでいる。

「恐ろしい話だな……そんな環境で生き抜くためには並々ならぬ努力と才能が必要だっただろう。私は外の世界で逞しく生き抜く人々を、心から尊敬している。微力ではあるが、少しでも安全な世界を創るために力を尽くそうと思っているよ」

兄貴は男らしく力強い笑みを浮かべた。
ケイジュはその言葉をどう受け取るだろうか。
おれは兄貴の言葉が、本心から来るものだと知っている。
兄貴は街道の安全を常に気にかけており、街道沿いの在来生物の討伐クエストの報奨金も大部分は兄貴のお金だ。
街道の安全が物流を支え、金を流通させることで経済も発展していくことを狙っているとはいえ、私財をなげうってそれをやる貴族は少ない。
実際、兄貴が金を出すようになってから、冒険者たちの懐にも余裕ができたし、フォリオ周辺はかなり安全な地域になった。
ケイジュからしてみれば、都市の周辺だけ安全になっても、辺境の村には恩恵がさほどない。
ケイジュは兄貴の言葉に静かに目礼するだけだったので、どう感じたのかはわからなかった。
それから兄貴はおれにもいくつか仕事の質問をして、しばらく和やかに談笑した。
きな臭い話題をここで出すつもりはないのか、当たり障りのない会話が平和に続く。
時折母が口を挟んできて、あまり危険な仕事は請け負うなとか旅の途中でもちゃんと手紙を出せとか、小言は言われたけど、結婚をせっつくことはなかった。
在来生物にがぜん興味が出てきたらしいダイナはケイジュに他の生き物についても質問責めにしていて、ケイジュは何とか柔らかい言葉で説明しようと四苦八苦していた。
食事もつつがなく進み、最後にデザートが運ばれてきた。
パイ生地の甘くて香ばしい香りを漂わせるパンプキンパイだ。
そういえばもう少しで豊穣祭の季節になる。
かぼちゃは豊穣祭の象徴的な野菜だ。
実家にいた頃から、この季節になるとパンプキンパイを食べていたことを思い出した。
緑色のかぼちゃの種が表面に散らされた見た目もあの頃のまま。
給仕はおれ達の前でパイにナイフを差し込んで一人分に切り分けていく。
ほこほこと湯気を上げるかぼちゃ色の断面にダイナとルチアが歓声を上げた。

「わたしはこのたねがいっぱいのってるパイがほしいわ!」

「わたし、これがいい」

「ええ、わかったからお行儀よく座りなさい。お茶をこぼしてしまうわ」

子供たちがはしゃぐのも無理はない。
パイ生地は見るからにサクサクで美味しそうだし、中の具もたっぷり入っている。
パイが皿に乗せられると、香ばしくて甘い、どこか素朴なかぼちゃの香りが鼻をくすぐった。
おれはお茶で口の中の塩味を流して、パイが行き渡るのを待つ。
そして希望通りのパイを受け取ったダイナが嬉しそうにフォークを突き立てるのを見て、おれもパイを口に運んだ。
さっくりと軽いパイ生地と、濃厚でまろやかなかぼちゃの甘さがほわんと舌の上で広がる。
野菜の甘みは優しく、カリッとした種の食感がアクセントになって飽きない。
かぼちゃフィリングはかなり丁寧に濾されているのか、舌触りは滑らか。
驚きはないが、ほっとする美味しさだ。
豊穣祭の行事に貴族の子息として参加して疲れ果てて帰ってきた日の晩餐の締めくくりは、いつもこのパンプキンパイだった。
一日中お行儀よく過ごさなければならない憂鬱な一日も、このパイを楽しみにしていたので乗り越えられた。
姉さんもこれが大好きで、おかわりして食べていたっけな。
おれの脳裏にパンプキンパイを頬張る姉の笑顔が甦る。
その思い出が鮮紅で塗りつぶされる前に思考を中断した。
ふと隣を見ると、ケイジュがパイを見下ろして固まっていた。

「どうした?かぼちゃ嫌いだっけ?」

おれが声をかけると、ケイジュは首を横に振る。

「まさかかぼちゃを菓子に使っているとは思わなくて驚いた。だが、美味しいな。エンジュが好きそうな味だ」

「へぇ、スラヤ村にはかぼちゃの菓子は無かったんだな」

「ああ……エンジュは甘く煮たかぼちゃが好物で、親父は甘い煮物は好きじゃなかったから、よく喧嘩していた。大抵はエンジュが親父をやり込めていたがな」

おれはあの美しい親子が夕飯の煮物の味で喧嘩している所を想像して微笑ましくなった。

「エンジュというのは、ご家族かしら?」

母さんがパイを食べる手を止めて問いかけてくる。

「妹だ。あいつがこの菓子をご馳走されていたら、一人で食べ尽くしていたかもしれない」

ケイジュはようやく仄かな笑みを浮かべて返答することに成功した。
母さんは上品に口に手を当ててころころ笑う。

「ふふ、仲がよろしいのね。レシピを知りたかったら、後で給仕に言ってちょうだいね。イングラム家のパンプキンパイは特に変わった作り方はしていないから、すぐに作れるようになるわ。と言っても、わたくしは作れないのですが」

「余計なものを使っていない分、素材の味が大事になる。再現するのならフォリオのかぼちゃも買っておくべきだろう」

ケイジュは兄貴からも声をかけられて少し照れ臭そうに、考えておく、と答えていた。

 ゆったりとした時間が流れ、おれは無事に昼食会が終わりそうなことに安堵していた。
兄貴も母さんもケイジュのことを受け入れているようだし、あとは帰るだけだ。
久々に実家の料理を満喫できて腹も落ち着いたし、あと一杯お茶を飲んだら帰ろう。
すでにパイを食べ終えたダイナとルチアに早く遊ぼうと誘われたけど、今日は長居するつもりはない。
断り文句を考えていると、執事が足早に兄貴に近付いていった。
何事かを耳打ちされたヴァージル兄ぃが、おれを見る。
嫌な予感がしたが、逃げられない。
兄貴はおれに歩み寄ると、穏やかな声で告げた。

「父上が来ているそうだ。お前に話があるから、応接間に来るようにと」

おれの嫌な予感は的中した。
けど、まさか呼び出されるなんて思ってなかった。
おれは何とか逃げ出せないかと言い訳を考えていたが、兄貴にがっしりと肩を掴まれる。

「セオドア。お前にも思う所があるだろうが、そろそろちゃんと話し合うべきだ。父親として認めたくないのならそれでも構わない。だが、対話を失えばお前も永遠に父親を喪うことになる」

兄貴の秋の空のような青い瞳は、おれを真っ直ぐに見つめていた。
愛情と思慮深さが同居する静かな面持ちを前に、おれはこの試練を受け入れるしかなかった。

「悪い、ケイジュ。少し席を外すから、待っててくれ」

ケイジュに声をかけると、心配そうに眉をひそめていた。
しかし何も言わずに少し頷く。
おれは決心が揺らがないうちに踵を返した。
温室を出て、執事に案内されて応接間に向かう。

「公爵様はセオドア様と二人きりで話がしたいと仰せです。私共はこれで失礼します」

重厚なマホガニーの扉の前で、執事はおれに一礼して去っていく。
親父と二人きりなんて、いつぶりだろう。
おれはじっとりと冷や汗が滲む掌に気付かないふりをして、軽く扉を叩く。
入れ、と硬質な声が聞こえてきて、おれの心臓が嫌な感じに跳ねた。
もう引き返せない。
おれはドアノブに手をかけた。




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