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セオドアの勝負飯

4話

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 ジーニーやネレウスと雑談することしばし。
部屋にノックの音が響き、また誰かが入ってきた。
最初に入ってきたのは見慣れた顔、ヴァージル兄だ。
いつもどおり柔和な表情で誰かを部屋に招き入れる。
その後部屋に入ってきたのは、黒髪と褐色の肌、立派な髭を生やした威風堂々とした男、ハッダード侯爵だ。
ドルンゾーシェの晩餐会で謁見したときの迫力はそのまま、今は機嫌良さそうに微笑んでいる。
そしてハッダード侯爵の長身に隠れるようにして、一人の石人も部屋に入ってきた。
岩から削り出したような太く短い手足には、金属の装飾品が巻き付いている。
荒々しい風貌だが身分は高そうだ。
ハッダード侯爵は部屋の中を見回し、ジーニーを見つけるとより一層嬉しそうに笑う。

「ジン!お前も来ていたか。直接顔を合わせるのは久々だな!」

ハッダード侯爵は快活に言い放つ。
晩餐会のときと同じく、良く通る大きな声だ。
ジーニーは片手を挙げてそれに応えている。
ずんずんと大股でおれたちに歩み寄ってきた。
それに追随して、ヴァージル兄と石人もこちらにやってくる。
石人はコルドよりもかなり年上に見えた。
顔に刻まれた深いシワと白髪交じりの髪と髭、そして鷹のように鋭い目。
片目は眼帯で隠されていて、より迫力を増している。
いかにもドルンゾーシェの職人ギルドの重鎮といった雰囲気だ。
ハッダード侯爵はまずはジーニーと肩を叩きあってから、順々におれたちを見た。
そしてネレウスに目を留めると、懐かしそうに目を細める。

「ネレウス、しばらく見ないうちにますますジルダに似てきたな。やっとこちらに付く気になったか。私が差し向けた使者を何度も追い返しおって……どういう心変わりだ?」

「はあ、叔父上は相変わらずお元気そうで……」

ネレウスは珍しくげっそりした声で応える。
おじうえって、血縁があったのか。
おれが確認のためにヤトを見ると、ヤトはこっそり耳打ちしてくれた。

「カリム様は、ネレウスのお母様のお兄さんなんだ。そんで先代の伯爵、ジルダ様とも仲が良くて……それで小さい頃から交流があったんだけど、カリム様は厳しい方だから、ネレウスはちょっと苦手らしいんだ」

おれは納得する。
一本気で責任感が強そうなハッダード侯爵と、奔放に外の世界に飛び出していこうとするネレウスの相性が悪いのはなんとなく分かる。
だけど、普通に仲の良いおじさんと甥っ子って感じもするな。
カリムはネレウスの頭をわしゃわしゃと撫でていた。

「ちゃんと領主として頑張っているようだな、ネレウス。ジルダも喜んでいるだろう」

「叔父上!いつまでも子供扱いはやめていただけませんか!議長になってもう5年も経ったんですから!」

ネレウスは鬱陶しそうに手を払い除けたけど、ハッダード侯爵はおおらかな笑みを崩さない。
しばらく甥っ子を可愛がったハッダード侯爵は、ようやくおれとケイジュに向き直る。

「……晩餐会以来だな。また会えて嬉しく思う」

おれは胸に手を当て、頭を下げた。
ケイジュも目礼を返す。

「私に出来ることは限られていますが、力を尽くそうと思います」

ハッダード侯爵は、ふ、と笑い声を漏らした。

「君はすでにその力を証明している。ネレウスを説得したのは君なのだろう。私には成し得なかったことだ」

威厳たっぷりなハッダード侯爵にそう言ってもらえると、おれにも無性に自信が湧いてくる。
けど、おれがしたことと言えば、ネレウスの話を聞いて、亜人による政治を目指す勢力があると伝えたくらいだ。
というか、ハッダード侯爵はそのことを甥のネレウスには話していないのだろうか。
ジーニーはハッダード侯爵と手を組んで、亜人にも参政権を与えようとしているのではなかったか?
それとも、亜人に純粋な人間と同等の権利を与えて貴族支配を云々などと考えているのはジーニーだけなのだろうか。
単純に、ハッダード侯爵は完全に味方とわかるまではネレウスには事情を話すまいと決めていたのかもしれないし……。
おれはとりあえずその事を頭の隅に追いやって、恐縮ですと応えておいた。
おれの挨拶が終わった頃を見計らって、ヴァージル兄が近付いてきた。

「セオドア、もうすっかり体調は戻ったようだな」

ヴァージル兄は仕事中の顔から兄貴の顔になって、おれの頭から足まで観察する。

「……髪が乱れてる」

一応簡単に撫で付けてから城に来たんだけど、ヴァージル兄の目は誤魔化せなかったらしい。
ヴァージル兄はおれの髪をがしがしと雑に指で整える。
好き勝手に跳ねる毛先に、ヴァージル兄はため息をついて諦めた。

「全く……相変わらず言うことを聞かないな……ここに来るまでに何をしでかしたんだ?」

それはくせ毛に向けたものだったのか、それともおれ自身に向けたものだったのか。
ヴァージル兄はちょっと窘めるように眉をひそめていた。

「ギルドに寄って、ちょっと体動かしてきただけだよ」

「……あまり、無理はするなよ……」

おれと目を合わせたヴァージル兄は、何か思い詰めたような表情で告げる。
なんだか、妙な雰囲気だ。
だけどおれが問いただす前に、ヴァージル兄はおれの肩をぽんぽんと叩きおれに背を向けてしまった。
その後すぐにヴァージル兄はジーニーやネレウスの方に行ってしまったので、おれは中途半端に開いた口を閉じる。
次期公爵様だから、やっぱり気合を入れているのだろうか。

 数分後、再び部屋に人が入ってきた。
親父と、どこか見覚えのある壮年の男性が一人、最後に扉を潜ったのは、ここに居る誰よりも長身の女性だ。
身に付けた青色のドレスはシンプルだが艶のある美しい布で出来ており、動くたびに波のように揺らめいている。
彼女は古くからイングラム家に仕える竜人、アエクオルだ。
彼女のことはおれもよく知っている。
おれの核に魔力を充填してくれていた竜人で、家出した後も魔力関連の頼みごとをするために手紙のやり取りは続けていた。
最近は魔力の充填をケイジュにお願いしていたので、会うのは久々だな。
角度によって深い青色にも緑色にも黒にも見える美しい髪の持ち主で、海竜の血を引いているらしい。
見た目は長身の美しい女性だが、肌は白いを通り越して若干青みを帯びており、竜人独特の存在感も健在だ。
全てを包み込むような優しさと深海のように深い愛情を兼ね備えた女性なのだが、長い寿命の影響か、おっとりしすぎてなんでも許してしまう所がある。
小さい頃は、母さんに叱られてアエクオルに泣きついたこともあったな……。
アエクオルはおれに気付くと、すすすと音も立てずに近寄ってきてぐうっと腰を曲げておれを見下ろした。

「ああ、ぼうや。しばらく会いにこないから、心配していたのよ」

肉感的な唇から紡がれる、独特な抑揚を持った言葉。
おれは懐かしくなって笑い返したが、隣に立つケイジュは毛を逆立てた猫のように固まってしまっている。
それも致し方ない。
竜人である彼女の目には白目がなく、代わりに瞳の周りが真っ黒で、瞳は妖しい光沢を持った緑色なのだ。
人とは決定的に何かが違う異質な美しさを持った彼女は、人のことをみんな、ぼうや、と呼ぶ。
おれの親父でもぼうやだ。
長いときを生きる彼女にとっては、たった何十年かの歳の違いは誤差の範囲なのだろう。

「アエクオル、久しぶり。おれは元気だよ。魔力は他の人に充填してもらっているんだ」

「そう、それはよかったわ……もし疲れたら、またくるのよ、たくさんよしよししてあげますからね」

いつもの調子で甘やかそうとしてくるので、おれはとりあえずわかったと頷いておいた。
アエクオルは満足そうに微笑むと、再び親父の方へとすすすと戻って行った。

 今日も今日とて酷薄そうな目付きで部屋を見回した親父は、先に会議室に集まっていた面々に軽く目礼するとさっさと円卓に歩み寄った。

「揃っているようだな。アルビエフ伯爵も今こちらに向かっている。席についてくれ」

親父の号令で、雑談していた面々も円卓に歩み寄る。
親父が一番奥の席に座ったので、ヴァージル兄とアエクオルがその両隣に、未だにどこで会ったか思い出せない壮年の男性がそのまた左隣に座る。
親父の右側にはハッダード侯爵と連れの隻眼の石人、その隣にはジーニーとデュラが座った。
壮年の男性の左側にネレウスとヤトが座ったので、おれたちはその隣に座ることにした。
ソワソワしていたヤトは、隣にケイジュが座ったことであからさまにホッとした顔をしている。
出入り口に近い席が2つ空いているので、そこにアルビエフ伯爵とその連れが座るのだろう。
改めて見るとすごい面々だ。
親父に呼び出されたとは言え、ここにただの運び屋であるおれが座っているのは違和感しか無い。
あれ、そう言えばヴィンセントは来ないのか?
おれが空席を眺めていると、親父が重々しい声で告げた。

「急な呼び出しに応えてくれたこと、まずは感謝する。この場では余計な礼儀作法は排し、対等な立場でそれぞれの意見を述べてもらいたい。それでいいな?」

親父はいいえと言わせる気のない口調で告げた。
その言葉には主に身分の高い元老院議長の面々が頷いた。

「では、まだ到着していない者も居るが、時間は限られている。会議を始めよう」

親父の言葉を引き継いで、ヴァージル兄が口を開く。

「では、本題に入る前に、経緯の説明から行いましょう」

親父とは打って変わって、柔和な声と表情でヴァージル兄はおれたちを一人一人見た。

「今回、情報漏えいを防ぐため、この会議の内容については一切伝えず招集しましたが……皆様はお気づきでしょう。我々は“インゲルの福音”の復活を阻止するために、ここに集まった。ことの発端は……ミンシェン伯爵、説明を」

ヴァージル兄に頷いてみせたジーニーは、にこやかにも見える表情で語り始めた。

「私が伯爵位を継いで、インゲルの福音の存在を知ったのはもう十年以上前のことになる。私は、初めて知識の匣に入り事実を知らされた時、大きな衝撃を受けた。他の議長らがどう思ったかは知らないが、こんな術は存在してはならないと強く思ったのを覚えている。
その日から、私はこの歪んだ支配体制を変えるため、各地に密偵を送り込んで情報収集を行ってきた。ハッダード侯爵、カリムも同じ考えを持っているとわかってからは、秘密裏に協力体制を結んで、インゲルの福音について調べ上げた。そうしてわかったのは、インゲルの福音は年々効果が薄くなり、この調子で弱まれば50年経たないうちに完全に効力を失うということ。ならば、私が直接動かなくても、いずれは問題が解消すると考えていた。
しかし、3年ほど前になるか……ハカイムでインゲルの福音の再構成、より強力な術として復活させる研究が進んでいると情報が入った。それが実現すれば、亜人は未来永劫、貴族への服従を強いられることになる。それを阻止するため、まずは貴族に味方を増やすことにした。流石にいきなりこの話を議長らに話して、私とカリムの思惑がハカイムに伝わってしまうとまずい。だから慎重に、地道に勢力を増やすことにした。そうして接触したのが、彼、ブレナンだ」

ジーニーが視線を向けたのは、おれが誰だか思い出せなかった、壮年の男性だ。
個性の強すぎる面々に囲まれているので地味に見えてしまうが、白髪交じりの髪をきっちりと撫で付けた真面目そうな男性だ。
彼の濃い青色の瞳に、記憶が蘇る。
……クラウディア……ゼノの協力者だった、あの少女と同じ色の瞳、まさか。

「はい、私がブレナンです。私はミンシェン伯爵と接触し、インゲルの福音のことやハカイムの思惑を聞き出しました。しかし、私はもとよりエドガー様に忠誠を誓っております。我がエランド家の罪を少しでも償うために」

その言葉とともに、ブレナン、いやエランド子爵の視線が一瞬おれに向けられた。
おれがミンシェン伯爵に届けた手紙の差出人で、クラウディアの父親。
そして、親の罪を背負って親父に忠誠を誓っているエランド家の現在の当主が、この人だったのか。
白髪はその苦労の多い人生を物語っているのかもしれない。
エランド子爵の視線がおれから外れ、円卓の面々を見回した。

「私はエドガー様から、ミンシェン伯爵、ハッダード侯爵の思惑を探れとの命令を受け、表向きはインゲルの福音反対派として動くこととなりました。そうして得た情報はエドガー様に全てお伝えしていました」

エランド子爵は最初から親父の別の顔として、ジーニーやハッダード侯爵と繋がっていたのか。
親父が表立って反対を表明すれば、東島との対立は避けられなくなる。
イングラム家は表向きには福音の復活を静観する構えで、水面下ではエランド子爵を通じてミンシェン伯爵、ハッダード侯爵と手を取り合っていたわけだ。

「私も途中からは、エランド子爵がイングラム公爵の命令で動いていることには気付いていた。その上で、福音賛成派の連中にエドガーが情報を漏らしていないことも確認できた。しかし、昨年の議会で、ハカイムの議長が大々的にインゲルの福音の復活を宣言しても、エドガーははっきりと反対の態度をとることはなかったから、まだちょっと信じきれずにいたわけだ」

ジーニーは笑みを深くして、じっとりと親父の方を睨む。
なんだか恐ろしい蛇が二匹で睨み合っているようで、背筋がちょっと寒くなる。

「無論、私が福音に反対すれば、東島の殻都と明確に対立してしまうからだ。私の使命は、フォリオを守ることだ。亜人の人権について議論する気はない」

親父の返事は冷ややかなものだったが、ジーニーも他の面々もそんなことは知っているという顔をしている。
そのまま親父は話を続けた。

「だが、今までよりも更に強固に市民の自由意志を奪うならば、今まで築き上げてきた市場も、経済の成長も、何もかもが滅茶苦茶になる。そのため、あくまで東島との戦争は避けつつ、秘密裏にインゲルの福音、すなわち大鐘を破壊することにした。もしこの計画がハカイムに知られてもすぐには武力衝突を起こさせないために、ユパ・ココ、リル・クーロとも同盟を結んだ。そうして諸君らはここに集まった」

親父がそう言っても、ヤトやケイジュなど、貴族ではない人々はいまいち要領を掴めていない顔をしていた。

「ああもう、まどろっこしいな。とにかく、おれたちはここに、インゲルの福音を破壊するために集まった。今からその方法を話し合う。それだけ分かれば十分だろう」

ネレウスが我慢しきれなくなったように雑にまとめると、顔をしかめた親父の代わりにヴァージル兄がにこやかに頷いた。

「ええ、その通りです。早速その話し合いを始めたいのですが……」

ヴァージル兄の視線は空席に注がれている。
数秒の沈黙の後、こつこつと扉が叩かれた。
そしてゆっくりと扉が開く。
堂々とした足取りで、一人の女性が会議室に入ってきた。
その横にいるのは、数年ぶりに会うおれの二番目の兄、ヴィンセントだ。
昔と変わらず陶器のように白い肌をしているが、顔色は悪くない。
そんなヴィンセントをグイグイ引っ張るように円卓に歩み寄った女性は、開口一番にまず宣言した。

「お待たせいたしました。この会議に、わたくし、オリガ・クーロ・アルビエフも参加させてくださいませ。こちらはわたくしの婚約者、ヴィンセントですわ!」




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