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♯2

お節介と思惑

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 無事にデッドフォレストを抜けてから数十分。
 海斗とイズナは、近くに転がっていた手ごろな岩に腰掛けていた。
 
「……さしあたっては、金か」
  
 あごに手を当て、さながら考える人のポーズで、身も蓋もないことを口にする海斗。

 すでに日は傾き、眼前に広がる平原は茜色に染め上げられている。
 
 視線の先。日差しを背にした方角には、石造りの外壁を望むことができた。
 あれが海斗たちの目的地である『ノルン』だ。
 
 今いる場所からはそれなりに距離が離れている。
 その姿はうっすらと膜がかかったかのようにぼんやりとしていて、町の全容を把握することはできない。
 だが、周囲を囲む石造りの外壁は確認ができた。
 
 まるで城砦のような外観。
 そこからは、壁の内側に町があるなどとはとても想像できない。
 
 事前にイズナから話を聞いていなければ、中に軍事基地があると言われても、疑わずに信じただろう。
 彼女の宣言どおり、たしかに日没前には森を抜けることができた。
 だが、町に入るためには『列車』とやらに乗車しなければならないとか。
 
 イズナいわく、ノルンの町へ入るための手段は二つ。
 
 一つ、あの壁をよじ登るか。
 二つ、くだんの列車に乗り込むか。

 もちろん前者は論外だ。
 
 しかし後者にしても――、
 
「金が、一銭もない」

 そう、なんと言っても海斗は無一文である。

 今に至るまでに、この世界のおおまかな物価価値はイズナから聞きだした。
 それによれば、海斗の元いた世界の半分程で市場が回っているらしい。

 ――まぁ、その情報を得たところで今の海斗にはほとんど意味はないのだが。

 なにせ、所持金がゼロなのである。

「それで、カイトはこれからどうするつもりなのよ?」
  
 隣から心配そうに視線を向けてくるケモノ耳の少女。
 
「……現状では、どうしようもないだろうな」

 海斗は深くため息をつき、諦観の表情を見せた。

 すぐ目の前を、イズナの言う列車が通過するための線路は走ってはいる。

 だが問題は、海斗がTシャツに短パン、プラス裸足というホームレス以下の装備しか持っていないことだ。 
 もちろん、そんな状態で彼がお金を持っているはずもなく。
 以上の点から、海斗の現状は完璧に詰んでいる、と言っても過言ではなかった。

 ――しかし、そんな彼にも救いはあった。

 それは、海斗の隣で胡坐あぐらをかいている、ケモノ耳の少女の存在である。
 この世界の知識がまったくない海斗。
 そんな彼にとって、彼女が重要な人物であることは間違いない。

「だから、あなたのことはあたしがしばらく面倒見るから、一緒に付いて来なさいよ。別に獲って食ったりなんかしないから、ね?」

 おまけに、そんな提案までしてくれているのだ。まさしく渡りに船、地獄に仏とはこのことだろう。

 ――だが、当の海斗本人はと言えば、

 「断る。これ以上お前の世話になる気はない」

 の、一点張りである。

 イズナは、しきりに自分と一緒に町まで行こう、と言ってくれていた。
 だが、海斗は頑なに首を縦には振らなかった。

 正直、ここまで来てしまえば町の中までなら連れて行って貰えばいいのかもしれない。

 しかし海斗は、金が絡む事柄には慎重になる性分である。
 それにプラスして、人に頼ることを極力避けるような生き方をしてきたのだ。

 ――いや、むしろ臆病になっていると言っていいかもしれない。
 
「そんなこと言わないで。それにこんな場所で一人になったって、カイトにはどうすることもできないでしょ?」
「……それでも、俺はお前に付いて行く気はない」
「カイト……」
 
 自分の主張が、自みずからの首を絞めている自覚はある。
 だが、今更になって意見を変えることもできなかった。

「第一、俺はお前に返せるものがなに一つないんだ……人ってヤツは、結局のところ損得でしか動かない生き物だ……俺を助けたところで、お前にとっては不利益でしかない」
  
 その一言を切っ掛けに、イズナの中で火が付いた。

「そんなのは、得するとか損するとかっ、て問題じゃないでしょ! それにあなた、そんな格好で、その怪我で、一体これからどうするつもりなのよ!?」

 急な彼女の剣幕に、海斗は思わずたじろいだ。

「だ、だから、それはこちらでどうにかする。お前はもう俺に関わらず、一人であの町まで向かえばいい」
 
 という具合に、先ほどからこの調子で話し合いは平行線のまま、一向にまとまる気配がない。

「はぁ~、なんでそこまで頑固なのよ。いい? こっちに来たばかりのあなたが、この状況を自分でどうにかできるとは思えないわ。それに森でも言ったけど、夜になればクリーチャーの動きは活発になるの。ここに残るってことは、自分から望んであいつらの胃袋に入りにいくようなものなのよ!」

 イズナは、真剣な眼差しと口調で海斗に警告した。

『ここに残るということは自殺にも等しい行為である』と。

 それを聞いた途端、海斗の顔が一気に青ざめる。

「あ、あれは森の中だけの話だろ!?」
「違う。無防備な獲物を見逃してくれるほど、彼らは甘くないわ。確実に森から出てきて、あなたを襲うわよ」
「…………」

 海斗の額から、嫌な汗が垂れて来る。

 せっかく森での窮地を奇跡的に乗り切れたというのに、それでは意味がない。

「わかった? もう諦めなさい。これ以上ここで意地を張っていても、時間が無駄なだけよ。どっちにしたって、ここにあなたを置いていく、っていう選択肢は最初から無いの。だから観念して、あたしに付いて来なさい……別に、今はお礼とか、そんなことは考えなくてもいいから……ね?」

 先ほどとは打って変わって、優しく諭すよな声音。
 海斗は、ばつが悪そうに視線を逸らした。

 この言い合いが不毛であることは、彼も理解していた。
 理解はしているが――出会って間もない少女に頼る、という考えを、どうしても許容できなかった。

 「だが、やはり俺は――」

 そうして、なおも反論を口にしようとする海斗。

 しかし、イズナがなにかに気づいたように、耳を忙しなく動かし始めた。
 そして、海斗から視線を外し、夕焼けに染まる平原の彼方に、真紅の瞳を向けた。

「……時間切れ、ね」

 彼女にならうように、海斗も同じ方向へと目を向ける。

 すると、遠方から独特のシルエットが、こちらに向かって来くるのが見えた。

 どこか馬の顔を思わせる先頭車両に、八つの客車が連なっている。車体の色彩は輝くような白で、背後の夕日に照らされ、淡く輝いていた。

「あれが、この世界で唯一の大陸移動手段、『世界線アースライナースレイプニル』よ」

 イズナは岩から立ち上がると、向かってくる列車を指さしながら説明してくれた。
 このヴァンヘイムの大地を繋ぐ、文字通りの生命線。人はもちろん、物流もあのスレイプニルが担っているのだとか。
 加えて、どういう原理かは分からないが、クリーチャーが『あれ』を襲うということもないのだとか。
 
「だから一般の人たちは、みんなあのスレイプニルで町の行き来をするの。あたしも、特別な事情がない限りはそうだしね」
「……そんなことはどうでもいい。俺は、お前の世話になる気はないと言っているんだ」
「悪いけど、それは無理ね。今更ここまできて、ハイさよなら――ってわけにはいかないのよ。この際、無理やりにでもあなたを連れて行くわ」
 
 森で海斗と幼稚な口喧嘩をしていたとは思えないほど、真剣な表情を見せるイズナ。

「なぜそこまでする? 理由は? こんな大荷物を一つ背負い込むだけの見返りが、お前にあるのか? 俺にはさっぱり理解できないぞ」
「ええ、理解されなくてもいい。それはあたしの信条だから。それ以上でも以下でもない。あたしは、自分で自分を裏切るようなことはしない……たとえ、それであなたがなんと思おうともね」
「……………………」

 自己中心的。

 そうとらえられても、文句の言えないような台詞セリフである。

 一体なにが彼女をそこまでさせるのか。
 人間一人を養うというのは、口で言うほど簡単ではない。
 それが理解できないほど、このイズナという少女は愚かでも無知でもないはずだ。

 だからこそ、海斗はある種の警戒心をイズナに抱いた。
 無償で人を助ける者などいない。そんなことを口にする連中など、信用できるはずもない。
 むしろ、なにか下心があったほうが、目的がハッキリしている分、むしろ安心できるというものだ。
 ――しかし、このイズナという少女が、なにかよからぬ企みを持っているようには思えないのも、また事実だった。

 それに加えて、こちらの主張に一切耳を貸さないイズナの態度も、海斗を苛立たせた。

 別に、こっちは放って置いて構わないと言っている。
 本当に……余計なお節介は勘弁してもらいたいものだ。
 そんなことを考えつつも、海斗は思案する。

 平行線を辿る両者の主張を、どう収束させるか。
 
「…………なら」

 そうして、海斗は一つの答えを脳裏に導き出した。

 イズナがこのような主張をするなら、“あえてそのまま受け入れる”ことで、自分の主張も曲げることなく、彼女に付いて行くことができるのでは? と。

 それはつまり『自分は彼女に頼るのではなく、彼女が自分を無理やり引っ張りまわすのだ』と解釈するためだ。

 そうすることで、一応の納得として、海斗は彼女に同行する意思を決められる、というものだ。
 
 ならここは、とことんまでイズナの心情を『利用』させてもらおう。

 言い出したのは彼女であり、海斗はただ受け身でいるだけでいい。
 そうすれば、変に悩むこともない。

 ――だが、

「はっ……自分勝手もいいところだな」

 ぽつりと漏らした一言。

 それは一体、誰に対しての言葉だったのか。

「うん……そうかもね。はは」

 しかしイズナは、海斗の言葉を聞き、どこか自嘲気味な笑みを見せた。
 その顔に、ほんの一瞬だけ陰がさしたのを、海斗は見逃さなかった。

 それでも、森でのやりとりと同様に、余計な詮索はすまいと、見て見ぬ振りをする。
 別に、イズナの気持ちをおもんぱってのことではない。
 ただ、面倒ごとを避けるために、あえて聞かなかっただけのことだ。

「ふん……」

 どこか不貞腐れたように、イズナから顔を反らす海斗。
 正直、こんなどこの馬の骨とも知れない男を引き受けようとは。
 本当に、このイズナという少女は、お人好しな性格をしていると思う。 

 それこそ、損な事しかないだろうに。

「はぁぁぁぁぁ~~~……」

 海斗は後頭部を掻きながら、盛大にため息を漏らす。

 ただ、呆れるしかなかった。

 姑息な思考をする自分にも。

 このお節介なケモノ耳の少女にも。


 どちらも――救いようがない。
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