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第一章 祈望の芽吹き

第七話 お前を試す

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『助けてくれて、ありがとうございます……でも、もう、無理です……もう、生きていけない……』

 それは、かつて千澄が山崎という高校生のいじめっ子から助けた女子生徒が言っていた言葉。
 女子生徒は、山崎とその取り巻きに裸の写真や自慰の動画を無理矢理撮影されるなどして、尊厳をずたずたに切り刻まれ、踏みにじられた。
 
 人は、その尊厳を傷付けられた時、生きる気力を失い、本気で死を望むようになる。
 千澄自身、その事を身を以て知っている。
 両親を殺した忌むべき妖精から振るわれた暴力は、身体的、精神的なものだけではなく――……

『ガキは何突っ込んでも泣くから、本当に面白ぇ……』

 だから、女子生徒の気持ちが、千澄は痛い程分かった。
 だから、女子生徒がもう一度生きたいと思えるように励ました。
 死なせたくないという気持ちが強く、必死になるあまり勢いで喋っていたから、千澄はその時に何を言っていたかほとんど覚えていないが、それはさておき


 ――やっちまったっっっ……‼


 シャワー室の近くにあるトイレの中で、千澄は自分の軽挙を嘆いていた。
 ジャケットの裾を掴み、頬を赤く染めて俯く千澄。その前で

「……早く、見せなさいよ」

 『祈望の花束』の社員の一人の、くすんだ金髪に鮮やかな桃の瞳の少女――友恵が腕を組み、仁王立ちしていた。
 目尻を吊り上げ、眉根を寄せている友恵の迫力は、百戦錬磨の千澄が思わず怯んでしまう程に凄まじい。

 少しでももたついていたら、また蹴りが飛んできてもおかしくない雰囲気だ。
 もう一度痛い思いをしないためにも、友恵を死なせない為にも、早く自慰をしている所を見せなければ――

 ――って、よく考えたら、いや、よく考えなくてもおかしいよな⁉ 何で初めて会った女の子にオナ二ーしてる所見せようとしてんのオレ⁉

 そもそもの始まりは友恵の自慰の現場を誤って目撃してしまった事。
 その事に怒り狂った友恵が、千澄が自慰をしている所を見せないなら死ぬと言い出したから、千澄は友恵に自慰を見せる事を了承した訳だが

 ――他の方法、あったよな……必ずしも見せる必要はなかったんじゃ……

 いざ始める寸前になってから、ようやく他に取れる手段があったのではないかと思い始めていた。だが、それと同時に

 ――でも、もしも見せずに本当に死なれたら嫌だしな……

 万が一、自分が自慰を見せなかった事で、友恵が言葉通り本当に死を選んでしまうような事があってはならないとも考えていた。
 友恵にも非があり、事故のようなものであってとはいえ、友恵の自慰を見てしまった事は事実。
 それなのに、自分だけ見せないというのは不公平なのではないかとも、千澄は考えていた。故に、千澄は

「それじゃあ、やる……やりますね……」

 一時の恥で死人が出る確率をゼロに出来るならと、意を決して、クロップドパンツのチャックを開け始めた。
 その様子を凝視していた友恵の表情は変わらず険しく、一ミリも変化していなかったが、内心では


 ――いやいやいやいやいやいやいや‼ ちょっと待って‼ 待ちなさい‼ 待ってってば‼ 嘘でしょこいつ⁉ 本当にやる⁉ 普通‼ 冗談でしょ⁉


 これ以上ない程に慌てふためき、焦っていた。
 数十秒前に口走ってしまった言葉は売り言葉のようなもの。羞恥心で情緒不安定になったが故に飛び出た妄言だ。
 口にしている最中も、頭では理不尽な事を言っていると、友恵自身も分かっていた。だから

 ――まさか、本気にするなんて思わないじゃない‼ あ~~っ、もう‼ こんな事なら、出勤予定表の出社の項目に私の名前しかなくて、ドラセナが珍しく二階でまだ寝てて、家でしにくいからって、こっちのシャワー室でやるんじゃなかった……‼ 今からでも、やっぱりいいって……
 
「あの、ちゃんと、見ててくださいね……」

「え、えぇ……」

 ――いや、無理。この雰囲気で今更言えない。本当にどうしよう……

 双方にすれ違いがある中、それぞれがそれぞれの思惑に気付けぬ中、千澄は唾を飲みこんで

「始めます……」

 静かな、熱のこもった声でそう口にすると、チャックのジッパーが完全に開ききったクロップドパンツをゆっくりと脱ぎ、両足も完全に抜いて、腰から下は小さなリボンがついた白の下着一枚の状態となる。

 友恵の視線が下着に、意識がその下に向けられているのを感じながらも、千澄は羞恥心で手が止まってしまう前に、下着のゴムの部分に指をかけ、一気に下まで下ろした。

 瞬間、普段は誰にも見せる事がない、未だに産毛一本生えていない秘所が露わになる。
 それと同時に、友恵の視線がより強くなった気がして、千澄は軽く身震いする。

 下も、上も、生まれたままの姿を他人に見せる事は、アイリスと幾度も交わり、根無し草の時代に各地の安価の銭湯を巡る内に慣れたつもりだったが、性的な行為を行うという前提でアイリス以外の人物に見せるとなると、やはり

 ――やっぱり、恥ずかしい……

 熱烈な視線に温められるかのように、身体中が、視線を向けられている局部を中心に熱くなる。

 熱が高まりすぎて、このまま溶けて消えてしまうのではないか。
 そんな恐れを抱き始めた千澄だったが、友恵と目が合い、自分がすべき事をすぐに思い出すと、次の行動に移る為に、深呼吸をしながら白く清潔な便座に腰を落として

「ん……」

 左の手の甲を口元に当てながら、ゆっくりと足を開いた。
 すると、立っている時には見る事ができなかった、僅かに広がった淫裂――性器の裂け目が見えるようになる。

 綺麗な桃色のそこを、友恵はあまりじろじろ見てはいけないと思いつつも、つい食い入るようにして見つめてしまう。
 
「わぁ……」

 感嘆の溜息にも似た吐息交じりの声を漏らす友恵。
 その声に鼓膜をくすぐられた途端に、千澄の膣口から、とろりと、熱くとろみのある透明な蜜が垂れてきた。

「あっ、垂れ……」

「――っ‼ ぁ、こっ、これなら、大丈夫、ですね……‼ じゃ、じゃあ、弄って、いきます……」

 自身の状態を素直に口にしようとした友恵の言葉を、千澄は強引に遮り、右手の人差し指と中指を口の中に含むと、赤い舌で二本の指を舐る。
 ちゅぱ、ちゃぷ、ちゅぱと音を立てながら、十秒以上指を舐った後

「ん……はぁっ……」

 艶かしい吐息を漏らし、透明な唾液の糸を引きながら口から指を引き抜いた千澄は、まずは二指で膣口の周辺を


「――――何してんだお前ら?」


 優しく愛撫して、それから膣口の内側を弄ろうとした時だった。
 低く重くよく通る声が、狭い個室の中に響いた。

 声がした方に千澄と友恵が顔を向けると、そこにいたのは、右側が大きくはねた黄緑色の髪と鋭い眼力の緑の瞳。
 頭についた龍のような角と身体中に刻まれた無数の傷が特徴的な、風格がある女の妖精だった。

 女の身体の中で特に目立つのは、左目の下と右頬にある縦と横の継ぎ接ぎ。そして、左脇腹と左首筋の火傷痕だ。
 さらしを巻いた上半身の上から、緑と黄を基調としたチャイナ風のコートを羽織り、黒いレギンスを履いている、見るからに只者ではないその妖精は

「ドラちゃんさん⁉︎」

「ドラセナ‼︎」

 『祈望の花束』の社長ドラセナ・ハートフェルト。
 千澄と友恵、二人の上司に当たる人物だ。
 うっかり鍵を閉め忘れていた所為で、一番見られてはいけない現場を、一番見られてはいけない人物に見られた。
 一秒後、何を言われ、何をされるのか恐れて、表情を強張らせた千澄に対し

「良い所に来た‼ 本当に、ありがとう……‼」

 引き時を完全に失っていた友恵は、ドラセナの介入を心から喜び、思わずドラセナに抱き着いた。 

 明らかにいかがわしい行為をしていた部下と新人。
 普通なら見られたくないであろう事を、見られるリスクが高い場所でやっていて、片方が見られた事を感謝してきた事。
 理解できない事。
 問いただしたい事が一気にできて混乱したドラセナは、まず何をすべきかを考え、そして

「とりあえず、橘浦は下履け」

 ひとまず千澄に下着とクロップドパンツを履くよう指示して、それから二人を応接室に連れて行った。






「どちらも合意した上でなら、いくら乳繰り合っても構わない。そうゆうプライベートな事にまで口出ししたりはしない。ただ……会社のトイレでやるな。次やったら二回拳骨落とすからな」

「はい……」

「悪かったわ……」

 いくつかの緑のソファーと、来客用の菓子が置かれたテーブル、観葉植物が設置された、整理整頓が整っている応接室の中にて。
 ドラセナと向かい合い、隣り合って座る千澄と友恵の頭の上には大きなたんこぶができていた。
 膝と膝をくっつけ、その上に両手を置き、俯いて座る二人を見て、ドラセナは溜息を吐く。
 
「ったく……まさか、朝っぱらからアブノーマルなプレイに興じる部下を見る事になるとは思わなかったぞ。お陰で目は覚めたが、それと引き換えに胃が痛くなった。今日これから橘浦の入社試験だというのに、先が思いやられる……」
 
「試験?」

 ドラセナが何気なく発した発言の中の一単語。
 それが引っかかった様子の千澄に、ドラセナは「そうだ」と頷きながら、机の上に複数枚の資料を並べる。

 それは、千澄のプロフィールや、サンクローズ討伐を始めとした、魔法少女マーガレットとしての功績を簡単にまとめたものだ。
 
「お前が討伐した事によって逮捕する事ができた魔女と異種族犯罪者を始めとした犯罪者。その数は約千三百人以上。中には犯罪者の討伐を専門とする魔法少女でも歯が立たず、警察でも捕える事ができていなかった者達も数多いた」

 特に

「サンクローズ。奴を討伐した功績はでかい。あいつを倒したお前を正式に魔法少女として認めるべきなんて声も多く上がってるらしい。知ってたか?」

「い、いえ……」

 ドラセナの問いかけに、千澄は首を横に振る。
 戦後最悪の殺人鬼と呼ばれた魔女サンクローズ。
 意味も意義もなく他者の命を刈り取り続けていた悪魔。
 その殺戮の人生に終止符を打ったのはマーガレットと、今は亡きその契約悪魔アイリスだ。
 
 それ故に、マーガレットを擁護する者も大勢いる。
 特に、サンクローズに親族や友人を殺された者からのマーガレットへの支持は大きい。
 そうでない者の中にも、平和を乱し、人々を恐怖の底に陥れてきた巨悪を倒した存在であるマーガレットに対して、尊敬や感謝の念を抱く者は少なくない。しかし

「その一方で、お前の行いを問題視する者もいる。『色欲』の悪魔アスモデウスという極めて危険な悪魔を召喚し、契約を結んだ事。犯罪者への過剰制裁。正式な『特魔免許証』なしでの活動等、お前は魔法少女として、絶対にしてはならない事をいくつもしてきている。普通なら、許されていい事じゃない」

「はい、分かってます……」

「……ジュギィは甘いから、お前が誰かを助け続けてきたって事実の方を重要視してるんだろうが、私はそうじゃない部分もちゃんと見て、その上でお前を試す。司法取引が成立したなんて事は関係ない。試験の結果次第で、お前を『祈望の花束』に入れるかどうかを決める」

 鋼のように固い意志と信念を宿した声でそう言いながら、ドラセナはコートのポケットからスマホを取り出すと、その画面を千澄に見せる。
 画面には、桃色の長髪と赤い瞳が特徴的な、二十代前半の女の妖精の顔が映っていた。

「何が何でも守り切ってみせろ。それが、私がお前に課す試練だ」

「この人は?」

「依頼人だ。名前は赤津あかつ花帆かほ。依頼内容は依頼人を執拗に付け狙い、幾度となく脅迫等の嫌がらせを繰り返すストーカーを捕まえる事だ。この後合流してくる妖精と解決に当たってもらうつもりだが、そのストーカーはかなり厄介な奴でな。というのも」







「どこまでも、どこまでも追ってくるんです……どんなに引っ越しても、必ず私の事を見つけてくるんです……その度に魔法少女の方達も、警察の方達も必死に探して、捕まえようとしてくれてるんですけど……未だにそのストーカーを捕まえる事ができていないんです……この前も、『俺のものにならないなら殺す』とか、『愛を受け入れろ。受け入れないと裁きを下す』って手紙が何枚もポストに入ってて、恐くて……だから」

「そやさかい、そのストーカーをうちらにどないかして捕まえて、もう二度と目の前に現れへんようにしてほしいちゅう事どすな?」

 同日午前十一時三十二分。
 豊島区西巣鴨のとある新築の一軒家。その中のリビングにて。
 木製のダイニングテーブルを囲って四人の人物が話し合っていた。

 一人は赤津花帆。
 今回、ストーカーの逮捕を『祈望の花束』に依頼してきた妖精の女だ。
 花帆と向かい合い、横並びで座るのが、千澄と友恵、そして

「任せとくれやす。その不届者の女の敵は、うちらが必ず捕まえてみせる。だから、安心してくださいな」
 
 憂いを帯びた表情で俯く赤津を安心させるように胸を張るのは、黒いリボンでくくった桜色の長髪と唐紅の瞳が特徴的な、桜と紅白の梅の柄が描かれた薄桃色のハイカラ風の着物に身を包む侍。
 凛々しい雰囲気の妖精の女だ。

 妖精の名はカリンカ。
 『祈望の花束』筆頭剣士にして友恵のパートナー妖精。
 今回、千澄と友恵と共に依頼に参加する人物だ。
 
「それに、うちだけでのうて、強い魔法少女が二人もいてはるさかい。せやから、何の問題もあらへんですよ。な? 千澄ちゃん、友恵ちゃん」

「はい。大丈夫です」

「えぇ……」

 カリンカに名を呼ばれて、千澄は迷う事なく、友恵はカリンカがいる方とは逆の方を向きながら、首を縦に振る。
 その様子を見た赤津は安心したのか、表情をほんの少しだけ解して、顔を上げる。

「やっぱり、噂通り頼もしいんですね。『祈望の花束』の皆様は……」

「噂通りって、そんなに有名なんですか? 『祈望の花束』」

「あー、うん。ええ意味でも悪い意味でも……ところで赤津はん。ストーカーの特徴を改めてお教えいただいても」

 と、カリンカが千澄の質問に答えつつ、赤津にストーカーの特徴を問おうとした時だった。


「誰を捕まえるって?」


 絶対零度の低音の声が、全員の心を押し潰し、魂を鷲掴みにした。
 それと同時に、赤津を除いた全員の視線が一つの方向にーー

 ーー赤津の背後。黒のローブを身に纏い、白い鬼の面で顔を隠した長身の男に向けられる。

 その次の瞬間だった。

「忠告はしたぞ」

 男ーー赤津を付け狙うストーカーが、赤津の頭に容赦なく銀色の大剣を振り下ろし、直後





 耳障りな水音と共に、勢いよく噴き出した鮮血が、白い天井を赤く染めた。
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