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第8章:誰にも言えない同盟
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週が明けた月曜日の午前中、優子は駅前のカフェに沙織と美咲を呼び出した。
窓の外は、優子の心の内を映したような重苦しい曇天だった。
「ちょっと、優子。顔色が悪すぎるわよ」
沙織が心配そうに覗き込む。優子は、震える指先でバッグから例の「赤ペンが入ったスケッチ」のコピーを取り出し、テーブルに置いた。
「これ……彼から届いたの。陽菜宛てに」
二人が息を呑む。赤入れされた緻密な線と、添えられた一筆箋のコピー。美咲がその文面を読み上げ、声を潜めた。
「『かつて大切にしていた人に、よく似ている』……。これ、確信犯じゃない? 彼は、陽菜ちゃんが自分の子だって気づいてるの?」
「分からない。でも、あの子の中に私の面影を見ているのは確かよ」
優子は温かくなったはずのコーヒーを一口も飲まずに、絞り出すような声で続けた。
「昨日、これを見た瞬間に涙が止まらなくなって……。陽菜に不審な目で見られたわ。もう限界なの。あの子の情熱も、彼の記憶も、今の私の生活を浸食し始めてる」
沙織が深い溜息をつき、自分自身の不倫相手からのメッセージを隠すようにスマートフォンを伏せた。
「優子、あんたが恐れているのは、バレること? それとも、彼への気持ちが再燃すること?」
「どっちもよ!」
優子は思わず声を荒らげ、すぐに周囲を気にして肩をすぼめた。
「健太さんを裏切り続け、あの子を健太さんの子として育ててきた十三年間を、あの一筆箋一枚で壊されたくないの。でも……あの筆跡を見た瞬間、あの頃の自分が疼いたのも事実よ。それが一番、自分でも許せない」
「だったら、会いなさいよ」
美咲が唐突に言い放った。
「美咲、何言ってるのよ」
「隠れてコソコソ連絡を取り合われるのが一番危ないわ。優子が直接彼に会いに行って、『娘に近づかないで』って釘を刺すのよ。今の彼は立派な建築家なんでしょ? 昔の不倫相手の家庭を壊すような真似、リスクが高すぎて彼だってしたくないはずよ」
「でも、もし会って……彼に陽菜の真実を問われたら?」
優子の問いに、カフェの喧騒が一瞬遠のいた。
「突き通すのよ。あの子は健太さんの子だって」
沙織が優子の手を強く握った。「私たちは共犯者でしょ。あの温泉旅行も、あの夜の秘密も、全部墓場まで持っていくって決めたじゃない。優子、あんたは『完璧な母親』に戻らなきゃ。そのためには、毒を食らわば皿までよ」
「共犯者」。その言葉の響きが、十数年前の甘美な記憶を、今はどす黒い鎖のように感じさせた。
二人の友人と別れ、一人駅のホームに立った優子は、バッグの中にある拓也の事務所の住所を指先でなぞった。沙織と美咲の助言は、優子の中に眠っていた「女」の部分を、冷酷な「母」の意志で封じ込めろと言っているようだった。
けれど、スマートフォンの画面に映る自分の顔は、ひどく疲れ、老けて見えた。
(会って、どうするの……? 本当に、上手く嘘をつき通せる?)
それだけではない。今、彼は地元でも注目される大きなプロジェクトを任され、建築家として最も大切な時期にいるはずだ。十数年前の「不倫」という汚点。もし今、私が彼の前に現れて、過去を掘り返すようなことになれば、それは今の彼が築き上げてきたキャリアや輝かしい立場を、私の手で汚してしまうことにならないだろうか。
彼のためを思うなら、このまま何も言わずに消えるべきではないのか。それこそが、かつて彼を愛した私が、今できる唯一の償いなのではないか。
(私たちが会うことは、きっと誰の幸せにもならない。……彼のためにも、私の家族のためにも)
家路を急ぐ人波の中で、優子は足がすくむのを感じた。
行かなければならない。けれど、行ってしまえば、もう二度と「ただの母親」には戻れない。そして、彼が守るべき平穏さえも奪ってしまうかもしれない。
その夜、陽菜が自室で熱心に図面を引く音を聞きながら、優子は暗い寝室でじっと自分の鼓動を聞いていた。
バッグの中に忍ばせた住所は、地獄への招待状のようにも、救いへの出口のようにも見えた。
会うべきか、会わざるべきか。
優子の心は、激しい嵐の中の小舟のように、決断を下せないまま揺れ続けていた。
窓の外は、優子の心の内を映したような重苦しい曇天だった。
「ちょっと、優子。顔色が悪すぎるわよ」
沙織が心配そうに覗き込む。優子は、震える指先でバッグから例の「赤ペンが入ったスケッチ」のコピーを取り出し、テーブルに置いた。
「これ……彼から届いたの。陽菜宛てに」
二人が息を呑む。赤入れされた緻密な線と、添えられた一筆箋のコピー。美咲がその文面を読み上げ、声を潜めた。
「『かつて大切にしていた人に、よく似ている』……。これ、確信犯じゃない? 彼は、陽菜ちゃんが自分の子だって気づいてるの?」
「分からない。でも、あの子の中に私の面影を見ているのは確かよ」
優子は温かくなったはずのコーヒーを一口も飲まずに、絞り出すような声で続けた。
「昨日、これを見た瞬間に涙が止まらなくなって……。陽菜に不審な目で見られたわ。もう限界なの。あの子の情熱も、彼の記憶も、今の私の生活を浸食し始めてる」
沙織が深い溜息をつき、自分自身の不倫相手からのメッセージを隠すようにスマートフォンを伏せた。
「優子、あんたが恐れているのは、バレること? それとも、彼への気持ちが再燃すること?」
「どっちもよ!」
優子は思わず声を荒らげ、すぐに周囲を気にして肩をすぼめた。
「健太さんを裏切り続け、あの子を健太さんの子として育ててきた十三年間を、あの一筆箋一枚で壊されたくないの。でも……あの筆跡を見た瞬間、あの頃の自分が疼いたのも事実よ。それが一番、自分でも許せない」
「だったら、会いなさいよ」
美咲が唐突に言い放った。
「美咲、何言ってるのよ」
「隠れてコソコソ連絡を取り合われるのが一番危ないわ。優子が直接彼に会いに行って、『娘に近づかないで』って釘を刺すのよ。今の彼は立派な建築家なんでしょ? 昔の不倫相手の家庭を壊すような真似、リスクが高すぎて彼だってしたくないはずよ」
「でも、もし会って……彼に陽菜の真実を問われたら?」
優子の問いに、カフェの喧騒が一瞬遠のいた。
「突き通すのよ。あの子は健太さんの子だって」
沙織が優子の手を強く握った。「私たちは共犯者でしょ。あの温泉旅行も、あの夜の秘密も、全部墓場まで持っていくって決めたじゃない。優子、あんたは『完璧な母親』に戻らなきゃ。そのためには、毒を食らわば皿までよ」
「共犯者」。その言葉の響きが、十数年前の甘美な記憶を、今はどす黒い鎖のように感じさせた。
二人の友人と別れ、一人駅のホームに立った優子は、バッグの中にある拓也の事務所の住所を指先でなぞった。沙織と美咲の助言は、優子の中に眠っていた「女」の部分を、冷酷な「母」の意志で封じ込めろと言っているようだった。
けれど、スマートフォンの画面に映る自分の顔は、ひどく疲れ、老けて見えた。
(会って、どうするの……? 本当に、上手く嘘をつき通せる?)
それだけではない。今、彼は地元でも注目される大きなプロジェクトを任され、建築家として最も大切な時期にいるはずだ。十数年前の「不倫」という汚点。もし今、私が彼の前に現れて、過去を掘り返すようなことになれば、それは今の彼が築き上げてきたキャリアや輝かしい立場を、私の手で汚してしまうことにならないだろうか。
彼のためを思うなら、このまま何も言わずに消えるべきではないのか。それこそが、かつて彼を愛した私が、今できる唯一の償いなのではないか。
(私たちが会うことは、きっと誰の幸せにもならない。……彼のためにも、私の家族のためにも)
家路を急ぐ人波の中で、優子は足がすくむのを感じた。
行かなければならない。けれど、行ってしまえば、もう二度と「ただの母親」には戻れない。そして、彼が守るべき平穏さえも奪ってしまうかもしれない。
その夜、陽菜が自室で熱心に図面を引く音を聞きながら、優子は暗い寝室でじっと自分の鼓動を聞いていた。
バッグの中に忍ばせた住所は、地獄への招待状のようにも、救いへの出口のようにも見えた。
会うべきか、会わざるべきか。
優子の心は、激しい嵐の中の小舟のように、決断を下せないまま揺れ続けていた。
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